リアクション
●昇るべき処
雨が小雨に移る頃。
「逃げられたか」
肩で荒い息をつきながら、榊朝斗はシータの姿を探した。
催眠術で惑わされたのではない。少しずつ距離を取り、ある程度の『ピース』を残しシータは姿を眩ませたのだ。やがて残ったピースもバラバラに撤退してしまった。
「止められなかった……いいえ、そんなはずはないはずです」
まだ諦める必要はない、とバロウズ・セインゲールマンは言った。
「塔に向かいましょう。彼女はあそこを目指すはずですから……ユマさんの命を狙って」
向かい合うコウと美空……そこに、
「その勝負、俺たちも加わらせてもらう」
と、コートから雨水をしたたらせながら男が告げた。
レン・オズワルド(れん・おずわるど)であった。傍らにはそのパートナーメティス・ボルト(めてぃす・ぼると)の姿もある。
「容赦はしない。命を落としても文句は言うなよ」
目線を美空に向けたまままるで動かさず、コウは告げた。
「勘違いするな。俺は美空と戦うつもりで来た」
レンは言い捨てて美空と向かい合った。
(「だが、俺のは彼女を倒す為の戦いじゃない。生きて同じ景色を見るための戦いだ」)
「私も同様です」メティスが歩み出ると、そのスカートが風に煽られてはためいた。
レンは美空に告げた。
「かつて俺とメティスは遺跡で眠る巨大機晶姫を破壊した。戦争の時代に抗えず作り出された兵器……しかしそれを作り出した技術者たちは諦めてはいなかった」
レンのサングラスは濃く、その下の素顔をうかがい知ることはできない。彼は淡々と語り続けた。
「彼らは上からの命令で戦闘用の巨大機晶姫を作り出しはしたが、機晶姫そのものに武装は施さなかったという。強化パーツを作っては時間を稼ぎ、戦争が終わるのを待った。技術者としての矜持を守り、戦争としての道具を作るのを拒み、非武装の機晶姫の研究を進め……そして殺された」
殺した相手、それが塵殺寺院だ。
「寺院は研究中の巨大機晶姫を奪うために街を襲い、多くの非戦闘用の機晶姫を連れ去った。メティスは、その巨大機晶姫が現代で戦争の道具に使われたくはないと破壊を選んだが、ある男との出会いを通じて、その考えがいかに自分勝手なものであったかを知った。
……少々、話が長くなったな。
自分が奪ってしまった可能性。それを強く自覚したからこそ、メティスはお前をは守ると誓ったんだ。大黒美空……今のお前は、昔のメティスによく似ている」
レンの口元が少し、歪んだ。
「俺達の想いとお前の願い。どちらが強いか、どちらの未来を引き寄せるか……ここで勝負だッ!!」
言うや否レンは飛んだ。ハンドガン型ナイフを煌めかす。
頭上からの一刀。
「私は……あなたたちと戦うつもりはない! ……ありません!」
すぐさまこれは美空に弾かれた。むしろ美空の臂力に、レンは吹き飛ばされてしまう。
「どうしてもというなら、せめて行動不能にしてやる……します! R U OK?」
美空は動き出した。
メティスも仕掛けている。
(「この戦いは美空さんの未来を守る為の戦いであると同時に、過去の自分との戦いでもあります」)
美空は強い。それはレンとの短いやりとりだけでも判る。だが負けるつもりはない。負けるわけには、いかない。
コウはライフルを構えた。レンとメティス、二人を確認して、
(「二人の攻撃には殺意が感じられない……言葉の説得ではなく、闘いの中で美空の回答を求めるということか……いいだろう」)
心を定めたのである。
美空がそれでも殺戮機械であるというのなら、なんとしてでも討つ。
美空がそれ以外の生き方、己の変え方を見いだせたのなら、受け入れよう。
「さて……」
シュブニグラズィーヤも参戦した。
四対一とはいえ、戦闘マシンたる美空は圧倒差を見せると、多くの者は予想した。
ところが、むしろ圧倒したのは彼らである。
具体的に言えば、コウである。
「『成長できない』クランジには対処が難しいだろう……銃と魔法を組み合わせたまったく新しい『未だ生まれざる技(アンボーン・テクニック)』はな!」
一言で言うなら、アンボーン・テクニックは『クランジの知らないトリッキーな技』だ。
知らない――そのことが美空を混乱させた。大半のクランジには、この世界に存在するありとあらゆる格闘技のデータが入っている。それゆえに、どんな相手であれ対応できるのである。しかし、それが及ばぬもの……この時代には存在すらしていない技術が相手であれば、どうしても反応が遅れる。いや、正しくは反応しようがないのだ。
コウの一撃を浴び、美空はもんどり打って倒れた。
「もう、いいでありましょう!?」
たまらなくなってスカサハが飛び出し、両腕を拡げてコウを阻んだ。
その間に、望が膝を曲げて美空の耳元に告げる。
「結論は出ましたか……。繰り返しますが、私もお嬢様も……いえ、あの瓜生コウ様にしたって、あなたの死を見たいとは思っていません。しかし、私たちの元に来なさいとまでは言いません。まだ心が決まらないのであれば、逃走のお手伝いもします。ですから、性急な判断だけはやめていただけませんか」
「いいえ……大丈夫、です」
顔を上げた美空は、穏やかな表情をしていた。
「私は……あなたたちに身を任せます……」
「ほ……本当ですかーっ」
伊織の顔がぱっと上気した。
「矛盾を解くつもり……で、戦っていた自分が結局、もっとも矛盾していた……もう判っていたのに、やっと気づかされた……です」
そのとき美空の、動きが止まった。
「……!?」
続いて美空が浮かべた表情は、この場にいた多くの者の心に焼き付いたのではないか。
どうして、とでも言いたげな顔だった。
なぜ私が、と訊いているようにも見えた。
「のらすいくちみちみニネシラナニナナ@l;@o−*/@l……!!!」
美空の美しい唇から、ぷっ、と赤い泡が吹き出した。
泡はそのまま赤い、一条の川のようになって、つーっとしたたり落ちる。
美空の額、その中央に黒い穴が開いていた。小さなものだったが、弾痕であることは疑いようがなかった。
*************************
「ようやく……狙いをつけることができた」
百メートルは離れた地点。
岩陰に戻り、
クランジΙは肩で息をついた。
凄まじい緊張感と集中、それをもってようやく、遠距離射撃に成功できたのである。帽子があれば、こんなに時間がかかることはなかった。
それにしても、とイオタは思った。シータはどこへ向かったのか。
*************************
美空は、雨水を吸った砂地に両膝をついた。土砂となったものが跳ね返り頬につくが、意に介す様子はない。不思議なことだが、このとき彼女は、両手を握りあわせ祈るような姿勢をとっていた。
次の瞬間、
「光……?」
伊織は絶句した。朔も、シュブニグラズィーヤも、メティスもレンも、ノートも……この場にいた誰もが、確かに見た。
青白い光が小黒美空の体から立ち昇ったのである。昆虫が羽化するときのように、光は彼女の背より漏れあふれ、幾条もの輝ける尾を曳いて空に伸びた。
後でこの話を聞いたある専門家は、これを目の錯覚と片づけた。ショック状態で見た白昼夢だと。
そうかもしれない。
……光はまとまると、小黒美空の姿をとったのだから。
ひざまずく美空の頭上に、青白い光が集積したもう一人の美空が出現したのだ。
いや、『もう一人』ではなかった。
像はふたつだった。光の美空が二人出現したのだ。いずれも、小黒美空の顔と姿をしていた。
うち一人は、泣きそうな表情で片腕を伸ばし、地面に存在する自分の体に戻ろうとしている。まだやり残したことがあるとでも、言いたげな様子だった。
しかしもう一人は、聞き分けのない駄々っ子でも諭すかのように、悲しげに微笑して首を振った。彼女の手は、もう一人の腕をつかみ反対側の手で空を指さしていた。
雨は、あの厚い雲はどこへいったのだろうか。
美しい空だった。彼女が指さした天は金色に輝いている。
涙を流しなら――青白い光の塊であるにもかかわらず、彼女が涙を流していることがなぜか理解できた――、一人の美空は諦めたように、自分の体に戻ろうという試みを捨てた。
そして輝ける天に吸い込まれるようにして上昇していった。
彼女を諭していたもう一人も、これを追って天に昇った。
二人、確かに二人――大きな帽子をかぶった長い髪の美空と、ウルフシャギーと呼ばれる短い髪型にした美空は――ともに目を細めてなにか言ったようだ。
けれどその言葉は聞こえなかった。
長いようでいて、それはわずか数秒のことにすぎなかった。
直後、大地に小黒美空の体は倒れ、短く火を噴いた後バラバラに砕け散った。