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リアクション
強奪戦が終わり、特別警備部隊の面々が窮地に立たされたのとほぼ同時刻。
「……っ、あぁもう、無茶苦茶やってくれちゃって」
ヴィータは光の届かない路地裏を、壁にもたれながらおぼつかない足取りで進んでいた。
衣服はあちこちが破け、身体中は傷だらけ。左腕は肘から先がない。彼女が歩いた道にはぽつぽつと血溜りが出来上がっている。
「左腕、誰かに治してもらわなきゃ。怪我も、手当しなくちゃね。やることたくさんだなぁ……」
ヴィータは愚痴りながらも、足を止めはしない。
「今、見つかれば……さすがのわたしも不味いかな。あーぁ、散々ね。ほんと」
ゆっくり、ゆっくりと、強奪戦の会場へと向かっていく。
そんな時。
「……モルス?」
<降霊>を解き忘れ、その場にいるモルスが一言も発していないことに気づいた。
ヴィータは傍を離れないモルスの醜悪な顔に手を伸ばし、
「……もしかして、心配してくれてるの?」
そう問いかけた。
「…………」
モルスは答えない。
ヴィータは自嘲気味の笑みを小さく浮かべる。
「……そうよね。そんなわけないわよね。
だってあなたは、わたしのせいでこんなものになってしまったんだから」
ヴィータがモルスの頬に触れた。
体温のないフラワシの頬は、ひどく冷めたものだ。
死体と変わらないそれは、その聖霊が人間ではないことをあらわしていた。
「大丈夫よ、モルス。あなたは元に戻す。解放してあげる。
だから待ってって。わたしが、あの人にもう一度会うまで――」
「おいおい、なにを感傷に浸っているんだ?」
気が緩んでいたせいか、気づかなかった。
ヴィータは声のした方向に顔を向ける。
<アシッドミスト>により出来た霧の中からゆっくりと出てきたのは、坂上 来栖(さかがみ・くるす)だ。
「良い夜だな、祭りの喧騒が遠くここはまるで虚と実の狭間の様だ。どうだ、思惑は順調かな?」
来栖の問いかけに、ヴィータはいつも通りの闇色の笑みを浮かべた。
「……きゃは♪ そうね、そこそこ順調よ。元々描いていたものとは大分変わっちゃったけどね」
「クハハ、それは結構」
「で、何か用? もし大した用じゃないんだったら、ちょっとピンチだから黙って通して欲しいんだけど」
「それは無理な相談だな。ちょっとお前に言いたい事があってね」
「ですよねー」
ヴィータは《暴食之剣》を鞘から抜き出し、前方に掲げる。
来栖はその戦闘体勢を見てなお、眉一つ動かさず、ゆっくりと近づいていく。
「お前が刺激するものだから……こうホイホイ殺されては『私』の様な物には迷惑なんだよ。
人に畏れられてこそなのに、私の分が無くなるじゃないか」
来栖の気配がどんどんと膨らんでいった。
<アボミネーション>による邪悪なそれは、路地裏全体を包むかのように拡大していく。
「いいか……」
両者の距離はすでに三メートルほどしかなかった。
細い路地裏で対峙する二人に逃げ道などない。後退など、両者の思考の片隅にさえ存在しない。
「……私は怒ってるんだ」
来栖がそう言い切ったのと同時に、ヴィータの身体が弾けた。
この距離なら接近に数秒もかからない。一息のうちにバラバラに出来る自信がある。
黒のケープが闇に流れた。
獣じみた速度と殺意を伴って凶刃が振るわれる。
「<エンド・ゲーム>!」
瞬間、来栖の身体が斜めにズレた。
彼女の身体が上と下で斜めにズレていき、上半分が地面にこぼれ落ちる。
柔らかな腹部の内からは贓物が零れ、高く噴き出た体液は人体の中で最も鮮烈な赤色。むっとした濃い血の匂いが辺りに振りまかれる。
「……なんだ、この程度なのね」
ヴィータは顔についた数滴の返り血を親指で払う、が。
「おいおい、酷いじゃないか。これでも結構痛いんだぞ?」
生命活動を終えたはずの来栖の口が動き出した。
と、彼女の切り取られた下半身が灰になり、塵となって夜風に流されていく。
「……なに、あなた? とんだ化け物ね」
「そうでもない。ただの吸血鬼さ」
いつの間にか下半身が再生した来栖は、のそりと立ち上がる。
それは《根源の血》の能力。吸血鬼を吸血鬼たらしめているその血は、どんな傷を受けようとも再生してしまうのだ。
「わたしの知ってる吸血鬼は殺せば死んだけどね」
「そうか。なら、そいつは本物の吸血鬼じゃなかったんだな」
来栖はクハハと笑い、言葉を続ける。
「それはさておき、一つ聞かせてくれ。
お前の得物、お前の恰好、舞台となったこの街、少し調べれば一つの答えにたどりつく」
「へぇ、答えにたどり着いたならそれでいいじゃない?」
「だが私はひねくれていてな。こうも優しく答えに導かれると疑ってしまうんだ」
「そう……で、どうするつもり?」
「だから教えてもらう、お前の正体、魂胆」
「きゃは♪ やってみなさいよ」
ヴィータはパチンと指を鳴らせた。
瞬間、モルスが矢が放たれたように来栖に飛び掛る。
「アアアァァァァああああああああああああああああああああああああああああああああああ!!」
モルスが大きく口を開いて、来栖の肩を根こそぎ喰らう。
しかし、全身を駆け巡る激痛に、彼女は顔色一つ変えず、
「成程フラワシという奴か、確かに何も見えないな。
……だが、それでは私は殺せない全く足りない」
来栖は身じろぎ一つせず、無傷の反対の腕でモルスを掴む。
そして、《ヴラスト》の力で無理やり引き剥がし、再生した片方の腕で《対人外用12mm拳銃マリス》を連射。
渡来の銃とは一線を画した小型大砲のような銃撃がモルスを撃ち抜く。
「ぐぎゃぐるがらぁぁぁぁああああああ!!」
「その程度か、化け物? 攻撃が止まっているぞ」
来栖はもう一度大型銃の引き金を引く。
が、その腕は根元から断ち切られた。
「その程度、吸血鬼さん? 敵は一人だけじゃないのよ」
ヴィータが上げた刃を振り下ろす。
返し刃でモルスを掴んでいる刃を切り落とした。
肘先が無い腕から大量の血が噴き出る。来栖の血液を浴びて、彼女は凄惨に嗤う。
「簡単に死なないのなら、死ぬまで殺すまでね」
ヴィータが更に一歩踏み出す。
流れる身体。踏み出した一歩は、同時に必殺の斬撃を繰り出す踏み込みとなる。
それは歴戦の技術。死線を幾度も潜り抜け、洗練された技の極み。
斬撃が奔る。
肩口から斜めに、肉を切り落とした。
ヴィータは彼女の身体を蹴り、得意の間合いへと微調整する。
(……クハハッ、これだけ傷ついてもこの剣舞。やるじゃないか)
ヴィータが自分の血を撒き散らしながら、もう一度刃を振るう。
音速を超えた凶刃の一閃は、死を与えんと来栖の頭に奔り、
(しかし……)
斬、という刃音が、
がちんっという異音によって止められた。
「それでも私は倒せない」
《ヴァンピールファング》の歯により、口内に届く前に刃は止められた。
来栖は逃げる隙を与えず《虚影魔術》を発動。生まれた四本の魔剣がヴィータの四肢に襲い掛かる。
「くぅ……!」
ヴィータは《行動予測》により無理やり回避。
普段なら避けることが出来たのだろう。
しかし、繰り広げた戦いの疲労と傷により動きが鈍って、一本だけ避けきれず、左腕の根元が壁に縫い付けられた。
「さて、聞かせてもらおう……お前の血に、魂に」
「……きゃは♪ お腹を壊しても、知らないわよ」
来栖は大きく口を開け、ヴィータの首筋に噛み付く。
<吸精幻夜>とによる吸血は、彼女の血を魂を<サイコメトリ>した――。
◇
多くの人を救うため、無数の人々を殺した。
復讐という怒りを矛にし、悪い王様に民衆の正義を執行した。
誰よりも正しくあろうとしたその道は――正しかったと信じている。
ならば、なぜ。
生贄となった彼は。
一生、その魂を縛られることになったのか。
もしも願いが叶うのならば。
進んだ道を。歩んだ過去を。当然の栄光を。
全てを失っても、忘れられても構わないから、彼を助けさせてください。永遠に囚われた彼を、助けさせてください。
お願いです。お願いです。お願いです。お願いです。お願いです。お願いです。お願いです。お願いです。お願いです。
これがたくさん人を殺した罰ですか?
なら、わたしにしてください。悪い子はわたしです。彼を魂の檻に閉じ込めず、わたしを閉じ込めてください。
お願いです。お願いです。お願いです。お願いです。お願いです。お願いです。お願いです。お願いです。お願いです。
恨まれてもいい。
傷ついてもいい。
壊れたっていい。
わたしはどうなろうとも構いません。なんでもします。
世界の悪をこの身に受けようとも構いません。それで彼が救われるというのなら。
この世界だって壊してみせます。
それで、もう一度あの人に出会えるのなら。わたしに知識を与えてくれたあの人に出会い、彼を救える手立てを聞くことが出来るのなら。
成ってみせましょう。
世界一愚かで、残酷で、自分が愉しむ事しか考えない――最低最悪の堕ちた勇者に。
ああ、神様。
だからお願いです。
星影さやかな夜に、彼ともう一度――――…………。
◇
「クク……クハハハハ。
これがお前の目的か、これがお前の望みか」
血を媒体に過去を読み取った来栖は、愉快そうに笑い出した。
ヴィータはその隙に力づくで腕に刺さった刃を引き抜き、その魔剣で彼女の首を断ち切る。
ぶしゅ、と音をたて、奇麗な顔が宙を舞った。
「……何が目的よ。何が望みよ。
なにを読み取ったか知らないけど、これ以上わたしの目的の邪魔をしないで……わたしは、こんなところで止まっちゃいけないんだから」
ヴィータは《暴食之剣》を拾い上げ、逃走を開始。
その背後で、来栖はゆっくりと再生し、彼女が闇に消えていくのを見送りつつ、にんまりと笑った。
「いいだろう、見届けさせてもらうぞ、お前の夢を。クハハハハハハハ!」