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星影さやかな夜に 第三回

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星影さやかな夜に 第三回

リアクション

 建物を後にしたヴィータは、人目につかないよう路地裏を通っていた。
 目的は、他の仲間と合流するため。
 彼女が歩いていると――不意に、ずきりと頭が痛んだ。
 それは些細なものだったが、心の中で違和感として残るには充分すぎるものだった。

「ったくもぅ、なにが視野を広くするおまじないよ」

 そう悪態をつき、ヴィータは暴食之剣を素早く抜き取った。

「そんな異常な気配出してたら嫌でも気づくわ。
 ほら、隠れてないで出てきなさいよ。人間を辞めちゃった化け物さん」

 ヴィータが路地の小道に声を投げかけると──それはゆっくりと顔を覗かせた。
 それは、人では無かった。
 丸太のような両腕からは無数の目玉がヴィータを見つめ、顔の目も四つになったり三つになったりと落ち着きがない。燃えるような赤い髪だけが、その存在を元が人間であったことを主張しているようだった。
 それがエッツェル・アザトース(えっつぇる・あざとーす)の今の姿だった。

「……痛ぅぅっ」

 ヴィータの頭痛はエッツェルを前にして更に強くなる。
 まるで、人知を超えた異常者に反応するように。
 痛みは激痛というほどではなく、次第に慣れてはいくが、ヴィータは恨めしげに顔をゆがめた。

「やっぱあの時、無理やりにでも問い詰めたほうが良かったかなぁ……」

 ぼやくヴィータを他所に、エッツェルは歓喜するように体を打ち震わせた。
 エッツェルが此処に現れた理由はひとつだけ。
 人喰い勇者の術式という強き力の解放を確認したため、用済みになったヴィータをその魂ごと捕食する事だった。
 その目的を察したのか、ヴィータは口の端を持ち上げ、

「へぇ、わたしとやる気なんだ」

 呟いたのと同時に、エッツェルは彼女に襲い掛かった。
 まるで爆発したかのように、胴体の捕食器官が一斉に伸びる。

「あなたとは仲良くなれると思ったんだけどなー……」

 猛禽のような笑みとは裏腹の台詞を吐き、ヴィータは暴食之剣を手にとった。
 踏み込み、体を独楽のようにくるくると回転。
 舞踏の如し斬撃を次々と繰り出して、片っ端から捕食器官を撃墜させていく。

「でもまぁ仕方無いか。牙を剥くなら殺すだけだし」

 小首をかしげながらピタリと止まり、子供が遊びにさそうようにエッツェルを手招き。

「付き合ってあげるからかかってきなさいな。ハリー、ハリー」

 エッツェルは何も喋らないまま―といっても理性無き怪物が言語を話せるとは到底思えないが―自分の体から猟犬を這い出させた。
 脳漿のようなものを全身からしたたらせる不安定なそれは、酷い刺激臭を撒き散らしつつ彼女に接近。
 その悪臭に、ヴィータは嫌そうな表情を浮かべた。

「うわぁー、くっさいわねぇ」

 飛び掛ってきたところで、ヴィータは袈裟気味に剣を振るった。
 一刀両断。
 猟犬の皮がはね飛んだ。
 真っ二つになった体が、それぞれ別個にぴくぴくと痙攣する。

「でもまぁ、見た目だけかな……っと」

 ヴィータはそれから興味を失くし、エッツェルに笑いかけた。

「ほらほら、次はどうすんの。はやくおいでよ」

 その言葉に、エッツェルは巨腕を伸ばすことで応えた。
 ぞぶ、と何もないはずの空間で音がする。そして大小様々な線が生まれ、大円を形どり文字を連ねていく。
 魔法陣。
 それは、魔法を発動するために必要な儀式を極端に要約したモノだ。

「…………」

 普通、魔法陣は属性によって色が変わる。
 炎なら赤、氷なら青、雷なら黄色……そういった風に。
 エッツェルが展開した魔法陣は黒であり、闇に属する魔法である事が一目で分かる。
 だが、その色の濃度が問題だった。
 黒をさらに塗りつぶした黒色。例えるなら、そう、闇そのもののような魔法陣。
 まるで闇魔法を越えた何かを発動させそうなその陣を見て、ヴィータは上唇をゆっくりと舐めた。

「そうこなくっちゃ」

 床を蹴り上げ、剣を構えたまま前かがみになって突進。
 おーーーーーーーん。
 腹の底に響く振動音は、紛れもなく魔法陣の駆動音だ。
 死の魔法――カタストロフィ。
 生命の流れを逆転させることで崩壊へと導くそれが、死の瀑布と言わんばかりにヴィータに殺到した。

「ざーんねん」

 短く呟き、腕を振り上げる。
 ――リィィ……ン。
 鈴によく似た清らかな音を響かせ、死の魔法はあっけなく掻き消えた。

「どれだけ強力で強大で強烈でも、わたしにそんな攻撃は効かないわよ?」

 ヴィータがさらに床を蹴った。
 距離はあと六メートル。その距離をまるで肉食獣のように速く、全速力で走りぬける。
 エッツェルが残存する捕食器官で再び襲い掛かった。
 今度も、正面から立ち向かう。

「きゃは♪」

 ヴィータが加虐をたっぷりと込めた笑い声を洩らす。
 と、同時。あますことなく刃に刻みこまれた魔術式が光を迸らせた。
 暴食之剣の周囲が陽炎のようにぐらりと歪む。

「は、じ、け、ろ」

 衝撃波が、放出された。
 先刻のカタストロフィと威力も性質も同じそれは、迫る捕食器官の生命の流れを反転させる。
 亀裂が走った。
 音をたてて砕け散る。
 ヴィータが手の届く距離まで間合いを詰めた。
 必殺の斬撃を放つために、一歩だけ踏み込む。

「エンド――」

 言い終える前に、彼女の行動は停止した。
 無論、それは己の意思ではない。
 目の前の信じられない光景に、無意識的に手がぴたりと止まってしまった。
 ……忘れるはずがない。
 その目を、その顔を、その姿を――忘れられるはずがない。
 自分の目前に、エッツェルを庇うように、一人の青年が立っているのだ。

「モルス」

 少女は、愛しの彼の名前を呼び――。

「の、幻覚よねぇ……あなたは」

 左手で目の前の幻を振り払い、ゆるく握っていた剣の柄を強く握りしめた。

「エンド・ゲーム」

 斬、という刃音が響いた。

「――――」

 エッツェルは声もなく、その一撃を受け入れた。
 それで、終わりだった。
 彼女の前に立つ化け物は、それだけで細切れにされていた。
 ヴィータは自分の胸に手を当てる。

「わたしのモルスは其処に居るの。そんな小細工に、わたしが騙されるわけがないわ」

 捨て台詞のようにそう言うと、和輝から連絡が入った。

(『そろそろ、大きく動き出しそうだ』)

 ヴィータは「そう」と短く返し、くるりと踵を返した。
 そして顔だけ振り返り、エッツェルだった残骸を見下ろして、

「今は急いでいるからもう行くわね。
 もし今度また立ち向かってくるようだったらその時は、くたばるまで殺してあげるわ。人間を辞めちゃった化け物さん」

 そしてヴィータはエッツェルから離れていく。
 それに気づいていたかどうか、あまりその事に意味は無いのだが……エッツェルだった肉塊は機を狙っていたように動き出すと、一つの塊となって路地の暗闇へと消えていった。