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リアクション
建物を後にしたヴィータは、人目につかないよう路地裏を通っていた。
目的は、他の仲間と合流するため。
彼女が歩いていると――不意に、ずきりと頭が痛んだ。
それは些細なものだったが、心の中で違和感として残るには充分すぎるものだった。
「ったくもぅ、なにが視野を広くするおまじないよ」
そう悪態をつき、ヴィータは暴食之剣を素早く抜き取った。
「そんな異常な気配出してたら嫌でも気づくわ。
ほら、隠れてないで出てきなさいよ。人間を辞めちゃった化け物さん」
ヴィータが路地の小道に声を投げかけると──それはゆっくりと顔を覗かせた。
それは、人では無かった。
丸太のような両腕からは無数の目玉がヴィータを見つめ、顔の目も四つになったり三つになったりと落ち着きがない。燃えるような赤い髪だけが、その存在を元が人間であったことを主張しているようだった。
それがエッツェル・アザトース(えっつぇる・あざとーす)の今の姿だった。
「……痛ぅぅっ」
ヴィータの頭痛はエッツェルを前にして更に強くなる。
まるで、人知を超えた異常者に反応するように。
痛みは激痛というほどではなく、次第に慣れてはいくが、ヴィータは恨めしげに顔をゆがめた。
「やっぱあの時、無理やりにでも問い詰めたほうが良かったかなぁ……」
ぼやくヴィータを他所に、エッツェルは歓喜するように体を打ち震わせた。
エッツェルが此処に現れた理由はひとつだけ。
人喰い勇者の術式という強き力の解放を確認したため、用済みになったヴィータをその魂ごと捕食する事だった。
その目的を察したのか、ヴィータは口の端を持ち上げ、
「へぇ、わたしとやる気なんだ」
呟いたのと同時に、エッツェルは彼女に襲い掛かった。
まるで爆発したかのように、胴体の捕食器官が一斉に伸びる。
「あなたとは仲良くなれると思ったんだけどなー……」
猛禽のような笑みとは裏腹の台詞を吐き、ヴィータは暴食之剣を手にとった。
踏み込み、体を独楽のようにくるくると回転。
舞踏の如し斬撃を次々と繰り出して、片っ端から捕食器官を撃墜させていく。
「でもまぁ仕方無いか。牙を剥くなら殺すだけだし」
小首をかしげながらピタリと止まり、子供が遊びにさそうようにエッツェルを手招き。
「付き合ってあげるからかかってきなさいな。ハリー、ハリー」
エッツェルは何も喋らないまま―といっても理性無き怪物が言語を話せるとは到底思えないが―自分の体から猟犬を這い出させた。
脳漿のようなものを全身からしたたらせる不安定なそれは、酷い刺激臭を撒き散らしつつ彼女に接近。
その悪臭に、ヴィータは嫌そうな表情を浮かべた。
「うわぁー、くっさいわねぇ」
飛び掛ってきたところで、ヴィータは袈裟気味に剣を振るった。
一刀両断。
猟犬の皮がはね飛んだ。
真っ二つになった体が、それぞれ別個にぴくぴくと痙攣する。
「でもまぁ、見た目だけかな……っと」
ヴィータはそれから興味を失くし、エッツェルに笑いかけた。
「ほらほら、次はどうすんの。はやくおいでよ」
その言葉に、エッツェルは巨腕を伸ばすことで応えた。
ぞぶ、と何もないはずの空間で音がする。そして大小様々な線が生まれ、大円を形どり文字を連ねていく。
魔法陣。
それは、魔法を発動するために必要な儀式を極端に要約したモノだ。
「…………」
普通、魔法陣は属性によって色が変わる。
炎なら赤、氷なら青、雷なら黄色……そういった風に。
エッツェルが展開した魔法陣は黒であり、闇に属する魔法である事が一目で分かる。
だが、その色の濃度が問題だった。
黒をさらに塗りつぶした黒色。例えるなら、そう、闇そのもののような魔法陣。
まるで闇魔法を越えた何かを発動させそうなその陣を見て、ヴィータは上唇をゆっくりと舐めた。
「そうこなくっちゃ」
床を蹴り上げ、剣を構えたまま前かがみになって突進。
おーーーーーーーん。
腹の底に響く振動音は、紛れもなく魔法陣の駆動音だ。
死の魔法――カタストロフィ。
生命の流れを逆転させることで崩壊へと導くそれが、死の瀑布と言わんばかりにヴィータに殺到した。
「ざーんねん」
短く呟き、腕を振り上げる。
――リィィ……ン。
鈴によく似た清らかな音を響かせ、死の魔法はあっけなく掻き消えた。
「どれだけ強力で強大で強烈でも、わたしにそんな攻撃は効かないわよ?」
ヴィータがさらに床を蹴った。
距離はあと六メートル。その距離をまるで肉食獣のように速く、全速力で走りぬける。
エッツェルが残存する捕食器官で再び襲い掛かった。
今度も、正面から立ち向かう。
「きゃは♪」
ヴィータが加虐をたっぷりと込めた笑い声を洩らす。
と、同時。あますことなく刃に刻みこまれた魔術式が光を迸らせた。
暴食之剣の周囲が陽炎のようにぐらりと歪む。
「は、じ、け、ろ」
衝撃波が、放出された。
先刻のカタストロフィと威力も性質も同じそれは、迫る捕食器官の生命の流れを反転させる。
亀裂が走った。
音をたてて砕け散る。
ヴィータが手の届く距離まで間合いを詰めた。
必殺の斬撃を放つために、一歩だけ踏み込む。
「エンド――」
言い終える前に、彼女の行動は停止した。
無論、それは己の意思ではない。
目の前の信じられない光景に、無意識的に手がぴたりと止まってしまった。
……忘れるはずがない。
その目を、その顔を、その姿を――忘れられるはずがない。
自分の目前に、エッツェルを庇うように、一人の青年が立っているのだ。
「モルス」
少女は、愛しの彼の名前を呼び――。
「の、幻覚よねぇ……あなたは」
左手で目の前の幻を振り払い、ゆるく握っていた剣の柄を強く握りしめた。
「エンド・ゲーム」
斬、という刃音が響いた。
「――――」
エッツェルは声もなく、その一撃を受け入れた。
それで、終わりだった。
彼女の前に立つ化け物は、それだけで細切れにされていた。
ヴィータは自分の胸に手を当てる。
「わたしのモルスは其処に居るの。そんな小細工に、わたしが騙されるわけがないわ」
捨て台詞のようにそう言うと、和輝から連絡が入った。
(『そろそろ、大きく動き出しそうだ』)
ヴィータは「そう」と短く返し、くるりと踵を返した。
そして顔だけ振り返り、エッツェルだった残骸を見下ろして、
「今は急いでいるからもう行くわね。
もし今度また立ち向かってくるようだったらその時は、くたばるまで殺してあげるわ。人間を辞めちゃった化け物さん」
そしてヴィータはエッツェルから離れていく。
それに気づいていたかどうか、あまりその事に意味は無いのだが……エッツェルだった肉塊は機を狙っていたように動き出すと、一つの塊となって路地の暗闇へと消えていった。
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