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レベル・コンダクト(第1回/全3回)

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レベル・コンダクト(第1回/全3回)

リアクション


【二 目覚めたら、そこは冷たい石壁の前】

 底冷えするような凍えを全身に感じて、九条 ジェライザ・ローズ(くじょう・じぇらいざろーず)はゆっくりと瞼を押し開いた。
 頭が少しばかりぼぅっとして、己の現状が全く理解出来ない。
 ジェライザ・ローズは、上体を起こそうとして、それが困難であることにすぐさま、気づいた。
 両腕が後ろ手に戒められており、両手首のところで縄か何かで縛られているようである。両脚も、足首のところでがっちりと固められていた。
 頭を上げ、僅かに身をよじって自身の膝から先に視線を飛ばすと、如何にも頑丈そうなロープで、これでもかというぐらい強く縛られている。
 着衣には然程、乱れた様子が無いところを見ると、性的乱暴は受けていない様子だった。
 何故自分は、こんな無様な姿で冷たい石床に横倒しとなっていたのか――ぼんやりとした思考の中で必死に記憶を手繰り寄せながら、ジェライザ・ローズは周囲に視線を這わせた。
 どうやら、石壁と石床、そして木組みの天井によって構成された広い一室の中に居るようである。
 事務机や本棚などが室の隅に押しやられており、更によくよく観察してみると、自分と同じように両手両足を縛られた人影が、幾つも横たわっているのが見えた。
 窓から射し込む陽光の傾き具合から鑑みて、時間は正午から夕刻までの間と思われる。
 しかし、朝食を取った覚えが無い為、昨晩のうちに今の状況に陥ったのだろうか。
 昨晩は何をしていたか――ジェライザ・ローズは改めて思考を巡らせる。
 すると、夕食後にパートナー達と飲みに出かけようとして、そこから先の記憶が綺麗に消失していることに気がついた。
 南ヒラニプラ指折りの観光地であるバランガンの、歴史ある城塞造りを見学しようと、パートナーのシン・クーリッジ(しん・くーりっじ)冬月 学人(ふゆつき・がくと)と一緒に、泊りがけでこの城塞都市に遊びに来ていた筈であった。
 それが一体どういったいきさつで、こんな殺風景な室の中に押し込められ、おまけに両手足を縄で縛られていなければならないのか。
 ともかく、まずはこの両手足の縄を何とかしなければならないのだが、シンか学人の力を駆りようにも、ふたりが今、どこに居るのか分からない。
 同じ室に居るのか居ないのか、それすらも分からない有様だった。仮に居たとしても、まだ目覚めていない可能性も十分に考えられる。
 どうしたものか、とジェライザ・ローズが思案し始めたその時、背後から聞き覚えのある声が静かに響いてきた。
「お嬢さん、お目覚めになったかい?」
「その声は……マキャフリー大尉?」
 ジェライザ・ローズの呼び掛けに、ルース・マキャフリー(るーす・まきゃふりー)大尉は微かに笑う気配を漂わせ、小声で応じてきた。
「オレもついさっき、目が覚めたところでね……少し、待っててくんないかな。そのロープを外してあげるからさ」
 直後、関節が外れるような鈍い音が、ジェライザ・ローズの鼓膜に届いた。
 まさか、とは思ったが、しかし間違いないだろう。ルースは己の手首関節を脱臼させ、縄抜けを実演している最中であろうと考えられる。
 現に十数秒後、ルースは僅かながら苦痛に耐えるような声を漏らしつつ、再度、関節を押し込むような嫌な音を鳴らし、今度は別の縄をほどく音を静かに響かせているのである。
 やがてジェライザ・ローズの後ろ手に縛られたロープが緩められ、簡単に手首が抜けた。
 両手さえ使えれば、後はどうにでもなる。ジェライザ・ローズはルースに礼を述べながら、自分の両足首を縛るロープを手早くほどいた。
「ねぇ、悪いけど、こっちもお願いして良い?」
 別方向から、声がかかった。
 ジェライザ・ローズとルースが振り向いた先には、矢張り両手両足を縛られて石床に横倒しとなっている小鳥遊 美羽(たかなし・みわ)コハク・ソーロッド(こはく・そーろっど)の姿があった。

 美羽とコハクを縛っていたロープも外され、これで室内には都合四人の自由に動けるコントラクターが揃ったことになる。
 他のひとびとは、目に見える範囲ではいずれも顔に見覚えが無く、またコントラクターという雰囲気も感じられない。恐らくは、バランガン在住の一般市民であろう。
「シンと学人は……」
 ジェライザ・ローズは、両手足を縛られたまま、まだ気を失っているひとびとの間を這いずり回り、自身のパートナー達の姿を探し求めた。
「あ、ねぇ……このふたり、そうなんじゃない?」
 美羽が、室の隅の一角でジェライザ・ローズを手招きした。慌てて駆け寄ってみると、確かに、シンと学人が呑気にいびきをかいている。
 何となく、ジェライザ・ローズは腹が立ってきた。
「ほら、何いつまでも寝ぼけてんのよ……さっさと起きなさい!」
 縄をほどいてから、シンと学人の頬を交互に叩くジェライザ・ローズ。
 果たして、ふたりはジェライザ・ローズが目覚めた時と同様、妙に茫漠した表情でのっそりと起き上がってきた。
「あれ? ここ、どこだ?」
「僕達の泊まってたホテルって、こんなんだっけ……?」
 駄目だこりゃ――ジェライザ・ローズは少し頭痛を感じる思いだったが、しかし予想外に、この両名の意識は早い段階で鮮明になり始めてきた。
「おい、何だか微妙にやばい状況っぽくねぇか? 何でここには、縛られてるやつしか居ねぇんだ?」
「しーっ、静かに!」
 尚も騒ぎ立てようとするシンを、ジェライザ・ローズは人差し指を自身の鼻先に立てながら、小声で叱る。
 学人もようやく状況を理解したようで、シンの口を慌てて塞いだ。
「……誰か、来るよ」
 コハクの言葉に、一同は互いの顔を見合わせた。
 そして全員が同時に取った行動は――それぞれが直前まで横たわっていた位置に慌てて戻り、両手足に軽く縄をかけ、捕まっている風を装って狸寝入りする、というものであった。
 やがて、窓とは反対の壁に位置する木製の扉で開錠する音が響き、次いで、扉が僅かに押し開かれた。
 コントラクター達は細目に瞼を開き、扉から顔を出している人影に視線を集中させた。
 屈強な体格の、三十歳前後と思われる男の顔が、室内をじっと覗き込んでいる。
 自動小銃や手榴弾、サバイバルナイフ等で武装し、防弾チョッキまで身に着けている。訓練された兵であるらしいことは、その表情や仕草からでも十分に分かったが、しかし制服らしいものは全く何ひとつ着用していない為、どの組織の何者であるのかは、素人目にはよく分からなかった。
 男は恐らく、見張りついでに様子でも見に来たのだろう。
 室内に動く気配が何もないことを確認すると、再び扉を閉め、錠を施して廊下の向こうに去っていく足音だけを残した。
 完全に男の気配が消えるのを待ってから、コントラクター達は再び起き上がり、扉付近に集まった。
「さっきの兄ちゃん……ありゃ、パニッシュ・コープスの一員だね」
 ルースの素っ気無さそうなひと言に、他の面々は驚いたような顔を向ける。
 何故分かるのか、といいたげな表情に対し、ルースははにかんだ笑みを浮かべて頭を掻いた。
「いやぁ、おじさんね、変なところに記憶力が強くってさぁ。さっきの兄ちゃんが右手首につけてた金属環だけどね、あそこに刻印されてたのって、パニッシュ・コープスの部隊紋章なんだよ」
 決して、口から出まかせなどではない。
 ルースとて、国軍大尉なのである。
 敵対組織に関する基礎情報として、各組織が保持している部隊紋章等については、知っていて当たり前であった。
 しかしそのお蔭で、現状のおおよそが理解出来た。
 自分達はパニッシュ・コープスによる何らかの方法で捕縛され、この殺風景な冷たい一室に押し込まれていたのである。
 こうなってくると、やることはもう大体決まってくるものであった。

 この後、コントラクター達は一芝居打った。
 ジェライザ・ローズが自身の指先を噛み切り、シンの目の下に、涙のように塗りたくる。
 それはまるでレイビーズS2に感染した赤涙鬼を彷彿とさせるものであったが、しかし赤涙鬼程に異常な外観へと変貌している訳でもない為、本当にただの精神異常者という程度にしか映らない。
 それでも、レイビーズS2を知っている者にしてみれば、一瞬ぐらいはぎょっとするかも知れない。
 その上でシンが、狂ったように喚き倒して巡回の気を引く、というものであった。
 狙い通り、巡回の見張り兵が慌てて飛び込んできたところを、両手足が自由になっているコントラクター達が一斉に飛びかかって取り押さえ、ジェライザ・ローズの裸締めで失神させてしまったのである。
 正直なところ、ジェライザ・ローズやシン達だけでは心もとなかったかも知れないが、ルースや美羽、それにコハクといった戦力が充実していた為、見張りの巡回兵を仕留めるのには全く不安は無かった。
「一丁上がりだね……で、これからどうするの?」
 美羽が、失神させたパニッシュ・コープス兵にジェライザ・ローズの白衣をかぶせ、両手両足を縛った上で猿ぐつわまで噛ませたところで、思案顔のジェライザ・ローズに問いかけてきた。
「そうね……制服みたいなのがあれば、それを奪って変装、ってのも考えたんだけど」
 しかし生憎ながら、パニッシュ・コープス兵には制服らしい制服は、用意されていないらしい。
 せいぜい、武装や防具を奪ってそれらしく振る舞う、というぐらいしか思いつかなかった。
「まぁ、こんな事態が起きてるんだから、きっと国軍の方でもそれなりに察知して、動いてるんじゃないかな。ってな訳で、おじさんは国軍の誰かが来てないか、探してみることにするよ」
「んじゃ、私達も脱出がてら、可能な限り情報収集してみるね。もしかしたら、教導団のひと達と合流出来るかも知れないし、そうなった時に何か知ってた方が、役に立てるだろうしね」
 かくして、コントラクター達はそれぞれのやり方で脱出に挑む、ということになった。
 但し、シンと学人はこの室内に残ることとなった。
 捕縛したパニッシュ・コープス兵に対する見張りと、残された他の一般市民達の身の安全を確保する為には、どうしても誰かが残らねばならない。
 いわばジリ貧に近い役どころなのだが、それでもシンと学人は嫌な顔ひとつ見せず、ジェライザ・ローズの指示に従う意向を見せた。
「まぁ、任せとけって。あいつひとりでビビって逃げやがったって、盛大に悪口広めといてやるからよ」
「徹底的に、悪者にしといて頂戴。その方が、ここのひと達の安全にもなるからね」
 すると、ルースがジェライザ・ローズの肩を軽く叩き、感心したように小さくかぶりを振った。
「いやいや……大したもんだよ。その精神力、教導団の若い連中にも見せてやりたいぐらいだね」
 ジェライザ・ローズは苦笑だけを返して、最初に室を飛び出していった。
 次いで美羽とコハク、最後にルースという順である。
 下手に固まって行動すると、見つかった時に一網打尽となる。
 それよりも、ばらばらに行動して三方に分かれれば、外部との接触に成功する確率は三倍に跳ね上がる、というものであった。
 その分、ひとり当たりに降りかかるリスクはとんでもなく大きいが、コントラクターにとっては危険など、日常茶飯事である。
 今更びくびくしたところで、詮無い話であった。

 但し――捕えられたコントラクターは、実は他にも居たのである。