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【真相に至る深層】第三話 過去からの絶望

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【真相に至る深層】第三話 過去からの絶望

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【過去からの絶望】



「まだ、ですか?」
「あと少しですわ」


 その頃、紅の塔では、リリアンヌ達が、”楔”の起動を急いでいた。
 龍との接続を復活させれば、少なくとも龍自身が無理矢理力を使わなくても、自然な形で都市に力が廻り、負担は軽減されるし、戦士たちに力が戻れば半魚人たちへの対応もましにはなるだろう。
 だが、主立った騎士達はアジエスタと共に神殿にあり、他の騎士達も大半は都市の守りのために出払っているため、ポセイドンの中でも最も外周側にあたる塔の殆どは、既に半魚人たちに制圧されてしまいつつあった。
 騒動の直後よりリリアンヌが帰還し、オーレリアの私兵も動いていたこともあって、何とか引き返してきたアトリたちも、塔最地下の台座前で合流できたのだが、半魚人たちの止むことの無い猛攻の前に、既に地下の相当奥まで攻め込まれてしまっている有様だった。簡易のバリケードを張り、何とか堪えてはいるが、ディアルト一人には荷も重く、疲労はじわじわと蓄積している。
「……あの方が、いらっしゃればね……」
「言っても仕方の無いことです」
 リリアンヌが、上位権限者であるシヴァルのことを不意に思い浮かべたが、アトリはただ首を振った。一度接続が切られていることと、どうやら「激しき生」を司るその力を狙った邪龍の侵食をも受けていたらしく、再接続は意外に手間取ってしまっているのだ。上位権限者である彼がいれば、あるいはもう少し容易かったのかもしれないが、無いもの強請りをしている場合でもない。
 じりじりとしながら、待つことどれ程か。アトリが額の汗を拭った、その時だ。
「……来ましたわよ」
 リリアンヌの声と同時、ディアルトの剣が、半魚人たちの群れを纏めて裂いた。龍の力が、武器との呼応を完全に取り戻したのだ。
「この様子ですと……蒼の塔も、動きましたか」
 オーレリア様の予想の通りでしたね、とディアルトはその確信に一人呟いて、僅かに口元を緩めた。
 半漁人の群れはいつ尽きるとも知れず、此方の残る戦力も体力もあまり無い。それでもかすかに生まれた光明に、猛らぬ騎士もないだろう。
「さて、最期のお仕事といきますか……」
 仮面を被り、暗躍した自分が最期は正しく騎士の本分を全うするとは、と思わず笑いを零しながら、ディアルトは剣の構えを正したのだった。


 そして――遡ること、数秒前の蒼の塔。
 同族内での混乱は何とか収まったものの、こちらも紅の塔同様、半漁人の猛攻に押されていた。
 紅の塔と違って、まだ侵入が防がれているのは、こちらは団長副団長共に健在であり、指揮系統に乱れが少ないところが大きいだろう。だが、相手はあまりに多勢で、龍からの最低限度の力しか流れてこない現状、もってあと数分程度だろうというところまで、追い込まれていた。
(……間に、あわないのでしょうか)
 塔の入り口へ陣取ったコーセイは、指先が痛みで震えそうになるのを堪えながら、迫り来る半魚人達を睨み据えた。いずれにしろ勝ち目は無いのだろうが、コーセイには退いてはならない理由があった。
(これは一時でもビディシエを信じられず、紅族の主張に傾倒しようとした己への罰なのか……)
 都市を守るために龍を倒す、という言葉が、どうしても夢物語にしか聞こえなかった。信じきることが出来ず、オーレリアの掲げるものが正しいように感じていた。全てがそのせいだと自惚れはしないが、それでも何か少なくとも、防げたものはあったはずだった。だからせめて、今出来ることを。この場所を死守しなければならないと――……
 だがそんな決意も虚しく、矢を番えるより早く接近した半魚人から突き出された一本の槍が、深々と脇腹へと突き刺さった。
「ぐ……ッ」
 痛みに上がりそ運ある悲鳴を飲み込み、傾いだ体を、意地でたたらを踏んで支えた。塔の頭上からの援護を受けながら、コーセイは痛みを堪えて矢を番える。真っ直ぐ、真っ直ぐ、ただそれだけを念じて、ぼろぼろになった指先に全霊をかけた。
「ここは……通しません……ッ」
 放たれた矢は、祈りが通じたのか、強烈な光と共に、まるで一条の雷のように真っ直ぐに放たれた。その強烈な威力は、軌道とその周囲全ての半魚人たちを飲み込み――そしてそれが、コーセイの最期だった。


 同時刻、最下層、台座の前。リディアは声を上げた。
「紅の塔、接続を確認。起動……成功だよ!」
 事態の悪化するより早く、準備を済ませていたこともあり、また上位権限者であるビディシエがそばにいるのだ。紅の塔起動後の、蒼塔の接続は速やかだった。後は、此方も起動を済ませるだけだ、と喜ぶリディアに対して、ビディシエは、自身の掌に、馴染んだ武器の感触が戻ってくるのに目を細めながらも、迫り来る半魚人たちの姿に苦い笑みを浮かべた。
 背中の傷は思いのほか深く、時間は余り残されていないようだ。この上、こうして、半魚人たちが塔の中へ入ってきたということは、入り口の守護者が潰えたことを示している。
「……逝ったのか、コーセイ」
 呟いた声を拾って、リディアが顔色を変えたのを見ながらビディシエは剣を構えた。
「リディア。蒼の塔起動完了まで、どのくらいだい?」
「すぐ……だよ……っ」
 その声に焦る色が滲んでいるのを感じながら、ビディシエは頷いて「30秒稼ぐ」と短く言った。
「頼んだよ」
 その意味を、問い質す必要はなかった。
 ビディシエは、狭い階段を使って塔を降りてくる半魚人たちの前へと真正面から飛び込んだのだ。一撃、二撃、とその剣の冴えが半魚人達を屠るものの、怪我は既に限界を迎えている。そして、恐れていた一撃――……半漁人の槍が、ビディシエの腹へと突き立った。だが、激痛が走ったろうに、ビディシエは構うことなくそのまま前進し、槍の柄を叩き折り、自身の体を壁にするように立ち塞がったのだ。ドズドズッ、と嫌な鈍い音が続く。腕も足も、腹も肩も、半魚人たちの槍が無残に貫いていく中、それでもビディシエは倒れずに、喉を奮わせた。笑っているのだ。
「残念だけ、ど……、あとちょ、っと、……待ってもらえるかねえ」
 おどけるような言葉だが、声はぞっとするほど冷たく、半魚人たちはその威圧感に飲まれるように一瞬その動きを止め、ビディシエが一歩踏み出すのに後ろへ下がった。そうして、三歩ほど動いただろうか、リディアが振り返って「ビディシエ!」と声を上げた。
「蒼の塔、起動完了……っ!」
 その声に、ビディシエの口元が笑ったのは錯覚だったのか。ハリネズミのようになっていた体が傾いで倒れるのを見届けて、リディアは大剣を構え、じりじりと迫る半魚人たちに、挑発的に笑って見せた。
「全く、結局押し付けてくれちゃって……困った団長だよ、ね!」
 振り上げられた剣は、灯りに照らされれて美しく閃く。絶望的な局面だとわかっていながら、リディアはただ、ビディシエがそうしていたように、口元に不敵な笑みを浮かべたままで、半魚人たちの群れを迎え撃ったのだった――……




「どうやら……間に合うた、ようだの……」

 心殿。イグナーツと共に駆けつけたティーズの腕に抱き上げられながら、オーレリアが呟いた。
 その視線の先では、黒い瘴気の大蛇が苦しげに暴れまわっているのが見える。紅、蒼の両塔が起動し、神殿へと再接続されたことで、都市を守ろうとするポセイダヌスの負担が減り、逆に邪龍を縛る歌の力が増幅されて、強まっているのだ。
 ネフェリィを庇いつつ、イグナーツが縛りの歌を援護するように歌を重ね、ノヴィムが息も絶え絶えのアジエスタと、此方も漸く追いついて彼女を抱くメイサー、そしてこんな事態の中でもどこか別の世界にいるようなエルドリースを庇いながら邪龍の力を少しでも削ごうと剣を振るう。
 だが弱まっているとは言え、かつて殺せずに封印するに留められた邪龍である。今は暴れてはいるが、それを抑えているポセイダヌスの力の方は有限だ。根競べとなれば、老齢のポセイダヌスの方が不利であることは明らかだった。
 霧を払うような不確かさの中、それでも懸命に剣を振り続けながら、アルカンドが眉を潜めた時だ。その耳元へ、愛する人の声が響いた。
『……このままでは、邪龍と共に――この都市は滅びるでしょう。そうなれば、邪龍は大陸へ、放たれてしまう……』
 預言のような言葉に、皆の顔に絶望的な色が広がったが、響くティユトスの声は凛と涼やかだった。
『せめて……邪龍は、ここで止めなくてはなりません』
 その言葉に、ぴくりとアジエスタは苦しい中で眉を寄せると、邪龍の首がアジエスタのほうを向いた。喰われたティユトスが、内側から今一時、邪龍を支配しているのだ。オゥーニの魂が今も歌う縛りの歌が、邪龍を内側から蝕む、その隙間に龍の加護を頼みに無理矢理表へ出てきているのだろう、おぼろげなティユトスの輪郭が、ふわりと一同の前へ姿を現した。
『エルドリース……今こそ、龍器の役目を。そしてアジエスタ。私の剣。私をこのまま「殺しなさい」』
「ティユトス……!」
 アジエスタが首を振り、アルカンドが思わず飛び出していた。
「駄目だ、今……お前を助けるッ、だから……!」
 言いさしたその言葉を遮るように、幻影とは思えない暖かさで、ティユトスはアルカンドにそっと寄り添って「いいえ」と目を伏せた。ティユトスの魂の一部は既に、オゥーニによってポセイダヌスとリヴァイアサタンの両方を縛る封印の中に刻み込まれている。邪龍から助け出せば、その封印は崩れて拮抗する両者のバランスを崩し、邪龍の復活を加速させるだけだ。
『これは、私の役目……このためだけに、私は生かされていたのだから』
「関係あるか、そんなもん! 俺は……ッ、お前に少しでも長く、生きてもらいたくて……!」
 搾り出すようなアルカンドの声に、ティユトスは嬉しいのと悲しいのが混じったような顔で、しがみ付くようにその胸元へと頭を寄せた。
『……アルカンド……大好きよ。だからこそ、私は死ななければならない。この心が消えてしまわないために。この想いが消えてしまわない為に、私が最後まで、私として生きる為に』
 本来なら、ティユトスとしてではなく、薄倖のトリアイナとして龍に添うはずの魂だった。自分の意識はただの入れ物に過ぎず、どんな形であれ、最後は自分ではなく遠い昔の巫女としての価値しか残らない筈だった。それが、こうやって誰かにティユトスとして愛され、望まれたのだ。ならば、最後ぐらいはトリアイナとしてではなくティユトスの魂として在りたい、と。
 その決意と、その想いに、アルカンドは唇を噛み締めながら温かな体を抱きしめた。感覚は余りない。口付けた肌の柔らかさも、折れそうな細さも掌からは伝わらない。けれどその魂の変わらない暖かさが、伝わってくる。
「…………俺は、諦めない。これが終わりだなんて、信じねえからな」
 囁く声は、別れではなかった。未練ではない。悪あがきではない。信じるという決意だ。その意思に、想いに、ティユトスは泣きそうな顔で頬へと口付けると、そのままその体をすり抜けるようにして、邪龍の体ごとアジエスタの方へと飛び込んだ。
『我が愛する剣よ……この命を絶ち、我が魂の解放を』
 囁く声は、命令だった。アジエスタの体を貫く剣先の上に、覆いかぶさるようにしてティユトスの体が迫った。
「……めだ、駄目だ……ッ」
 アジエスタは拒もうとしたが、怪我が深く、身体は思うように動かない。そんなアジエスタに腕を伸ばし、抱きしめるようにして体を寄せた。アジエスタの背中から伸びた剣先が、ティユトスの胸元へと埋まっていく。体を邪龍の瘴気が通り抜けていく嫌な感覚が通り過ぎると、続いてやって来たのは、本当の肉の感覚だった。取り込まれたティユトスの体が、アジエスタに圧し掛かってゆっくりと力を失っていく。
 彼女をこそ守りたかった。この結末こそを変えたかったのに、貫かれた傷は塞がることは無く、ティユトスに完全な死が訪れていくのが判った。
「ティユトス……ティユトス……!!」
 傷の痛むのも、その口から血が滴るのも構わずに、アジエスタは慟哭し、それが引き金のように「それ」は始まった。

 邪龍の中から姫巫女の魂が離れたことに気付いたのだろう。龍器、エルドリースを媒介として、ポセイダヌスがその一部を顕現させたのだ。天井をすり抜けるようにして現れた開かれた巨大な口が、のたうつ邪龍をそのまま飲み込むようにして通り抜けると、都市がゴゴ、と唸るような音を上げた。神殿の中にいた者たちには与り知らぬことだったが、都市全体に絡むようにとぐろを巻いていた邪龍の頭を、本来のポセイダヌスの首が振り向いたと同時に噛み砕き、飲み込んだのだ。そのまま巨大な口は残る邪龍の体――闇の瘴気を吸い込むように飲み干してしまうと、その喉が苦しげに唸り声を上げた。
 やはりポセイダヌスだけでは、邪龍を完全には押し留め切れないのだ。だが、ポセイダヌスはそれを正しく理解していた。邪龍を蝕む巫女達の魂のこと、そして自ら命を絶ったティユトスが何をするのかも判っていて、悲しげに目を伏せたことを、誰も見ることは出来なかった。

「“―――歌え……”」

 エルドリースの口から、ポセイダヌスの声が言い、応じるように巫女達の歌が神殿に満ちた。
 アトラの声をベースに、リュシエル、トリアイナ、パッセルの魂の声が絡んで広がり、イグナーツの歌声はそれを支える。ネフェリィが起動させた石盤から通じて、神殿そのものが巨大な楽器であるかのように歌は都市へと流れ込み、龍水路へと龍の力が流れて、網目のようにポセイドンを輝かせ、そして――体から解き放たれたティユトスの魂は、かつてのトリアイナと同じように、その魂の全てを使って、全てを一つへと編み上げた。音を集め、言葉を紡ぎ、ひとつの曲、ひとつの歌へ。織り込まれていくそれらは邪龍を飲み込んだポセイダヌスを都市へとゆっくりと絡み付けて縫い付けていく。
 神殿に与えられた最大の機能であり、生まれた当初から都市に作られていた、封印の発動だ。だが、蝕まれるポセイダヌスを邪龍ごと封じるということは、ポセイダヌスの加護の殆どを失うということに等しく、結果的に――都市の崩壊を意味していた。
「皮肉なものだの……都市を守ろうと、作られた筈の封印が、都市を滅ぼそうとは」
 オーレリアが自嘲気味に呟くのに、その体を抱くティーズはゆるりと首を振った。
「いや……これが本来の、一族の果たすべき使命。我々の役目を全うできるというものだ」
 薄倖のトリアイナ。邪龍を封じ、封じ続けることを自らに架した彼女の一族。龍を利用してまで果たそうとした悲願はまさに今、叶えられようとしているのだ、と。ずっと縛られてきた呪いのようなそれから、漸く解き放たれたとでも言うようなティーズの顔に、オーレリアは苦笑を浮かべ、そっとその手の上に自身の掌を重ねて目を伏せた。
「……全く、そなたは……難儀な、男よな」
 その囁きに、ティーズは苦笑すると、重ねられた掌を取り上げて、そっと唇を落としたのだった。
 

 誰もが、都市の終焉を、そして自らの終焉を自覚して佇む中、ただ一人――アジエスタは、血反吐の溢れる口で「駄目だ」と低く吐き出した。
「……認め、ない……、私は、認めない……ッ」
 死にかけている人間とは思えないほど、ぎらりと不気味なほど強い光を目に湛えて、アジエスタはメイサーを見上げた。
「赤の塔へ……私を、接続しろ」
 それは、その魂を塔へ繋げろという命令だった。今年の封印と繋がっている赤の塔にそんなことをすれば、その魂まで封印に巻き込まれることになってしまう。メイサーは顔色を変えて拒否しようとしたが、それを遮ってアジエスタは骨が軋みそうなほどの強い力で、メイサーの手を握り締めた。
「あなたにしか、頼めないんだ……」
 その言葉に、メイサーはぐっと詰まった。
「……ずるいよ、その言葉は」
 欲しかった言葉だった。彼女の中で、自分だけの位置というものを示す言葉に、メイサーは抗えなかった。愛情より尚濃く、アジエスタの中にある執念があることを判っていて、尚、メイサーは歯を食いしばりながら、紅の塔へと、アジエスタの魂を繋いでいく。
 体が自身であって自身でないものへと変質していく感覚を確かめながら、アジエスタは残る声を振り絞って、塔を通じてその声を神殿の最上階へと向けた。
「……歌え、カナリア……都市を、刻め……!」
 その声が届いたのだろう、最上階から溢れていた縛りの歌は途切れ、代わりに流れ始めたのは都市の歌――薄倖のトリアイナと龍の物語から始まる、ポセイドンの歴史であり、記憶たちだ。それが、アジエスタがその魂を媒介に、塔を通じて発動させた最上階の魔法陣を通じて、都市を覆う封印の中に絡み付いていく。
「”……馬鹿な。それでは、また繰り返すことに――……”」
 エルドリースの口から、ポセイダヌスの驚愕の声が漏れた。
 龍を縛る封印の中に、都市そのものともいえる、紡巫女の歌を織り込む。そうすることで、都市そのものの記憶や魂が共に封じられ、都市は今このときそのものを、龍と共に永劫に封じ込めてしまう事が出来る。だがそのために、ひとたび解かれれば封印ごとすべてが解かれることになってしまうのだ。それは、折角封じた邪龍が、再び解き放たれる危険性を残してしまうことになる。
 だがそれを承知の上で、アジエスタはそれを選んだのだった。
(諦めてたまるか。こんな終わり、認められるか……絶望を繰り返すことになっても、違う結末を、私は手に入れる……っ全てを捨ててでも、何を犠牲にしても、私はお前を助ける。そのために全てを、失った。私はもう他に、何も無いのだから……!)
 邪龍を後の世に復活させてしまうことになっても、ティユトスの願いを踏みにじっていることさえ判っていても、願いと言うには余りに強いどす黒さを纏ったその執念が、アジエスタを突き動かしていた。
(私は、でなければ私は、私たちは、どうしてこんなにも失わなければならなかったんだ……!)
 親友を失い、家族同然の人を失い、裏切りは胸を切り刻み、絶望が心を押しつぶした。誰も彼もが、失うばかり失って、得る物は何も無い。そんな結末を、容認できる筈がなかった。かすかな希望に、縋りつくようにして、アジエスタはその魂の全てで、カナリアとアトラが紡ぐその歴史を、失われた魂と記憶を、歌の中へと縛り付けていく。


 そうして、歌は海の中を遠く深く響き、歴史を、都市の時を、封印の中へと刻みつけた。
 邪龍と共に龍の加護を失った都市に、一気に流れ込んだ海水は、人も半魚人も区別なく押し流し、全てを一瞬で飲み込み、食い尽くし、悲鳴と怨嗟が溢れた。
 誰もがなす術無く、全てを飲み込んでいく闇の中で、必死にその両手を伸ばし、何かを掴もうとして足掻いても尚、指先は届くことなくただ、絶望感だけが胸を押し潰す。

――……死にたくない。まだ、死にたくない――……

 そんな声は幾重にも重なって、愛も、憎悪も、悲しみも、等しく奪い、等しく記憶と変わり、等しく歌となり、全ては封印に刻まれて、永い時を待つこととなる―――……