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【真相に至る深層】第三話 過去からの絶望

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【真相に至る深層】第三話 過去からの絶望

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【愛と呼ぶべき深き病】



「ここなら、安全の筈だよ」

 同じ頃、イグナーツに連れられたネフェリィは、大聖堂の一角にいた。
 巫女の勤めが終わった後だからなのか、龍の姿は見えないが、気配は相変わらずその場に満ちているのが感じられる。ただそれがどこかか細いものにも思えるのは、錯覚なのだろうか。ともあれ、黄族の中でも特に長、ティーズに近いものしか知らないその裏口に繋がる通路に近い場所は安全だろう。そこに身を潜めていることを約束し、遠ざかっていくイグナーツの足音を聞いていたネフェリィは、ふと、それとは別方向から近付いてくる気配に気がついた。複数の足音がし、見咎めた蒼族の騎士だろうか、早足でそちらに駆け寄る音が聞こえて、ネフェリィは好奇心に負けてそっと隙間から覗き、そして目を見開いた。従者達を連れたオーレリアが、そこにいたからだ。
(ビディリード様に続いて、オーリア様も……一体)
 戸惑っている間に、蒼の騎士も動揺したのか、大声で何かを叫ぼうとして、そこで崩れ落ちた。するりと動いた小柄な影――アトリが、その体格差で懐へ滑り込むや否やくるりと回転し、その勢いで回った長い三つ編みで視界を塞いだと同時、回転力をのせた回し蹴りをその顎へと食らわせていたのだ。無防備な部分への一撃に脳を揺らされて、膝から騎士が落ちるのに、アトリがくい、と眼鏡の縁を上げる。その後ろでティアルトが僅かに肩を竦めている中で、オーレリアは躊躇うことなく歩を進め、そして――ネフェリィの潜んでいた裏口を、潜ったのだ。
「何故この入口をご存じなのですか――オーレリア様」
 目の前へするりと入り込んできたオーレリアに、ネフェリィの声が硬くなる。その表情、そしてその髪を括ったリボンに不意に目を細めたオーレリアは、前へ出ようとしたアトリを制してくすりと笑った。
「妾に知らぬ事は無いのだよ、ティーズの娘」
「では」
 その空気に飲まれるように、ネフェリィは恐る恐る口を開く。
「……何故、ここに」
「知れたこと。龍を……その心の臓を永遠に縛るためによ」
 囁くように紡がれた言葉に誘われるように、ネフェリィは息を飲み込んで「では」と身を乗り出した。
「龍を永劫の苦しみに沈める――その方法をご存じならば、私にも是非協力させてほしいのです」
「……ほう?」
 面白そうに目を細めるオーレリアに、ネフェリィは続ける。龍をただ殺すだけなんて、勿体無いにも程がある、と。
「――私は『歌を増幅させる石盤』を使えます。私は龍の心臓に力を送り込む事ができます」
 龍、ポセイダヌスは永い時間、ただ想う者の為だけに都市の従属を強いてきた。特に黄族は、そして彼女の養父であるティーズは、あらゆるものを捨てなければならないほど長い間、龍に苦しめられてきたこと。
せめてその分だけでも龍には、長く、永く苦しみにのた打ち回ってもらわねば、と願う心を吐露して、跪かん勢いで頭を下げて見せた。
「私はきっとお役にたちます。だから……一緒にいさせてください」
 その熱意が通じたのか、それとも使えると判断したのか。それとももっと別の何かか。オーレリアは一瞬だけその目元を緩めると、笑みを深めて顔を近づけると、その頭を優しげに撫でた。
「よかろう……共に来やれ」
 その差し出された手を、ネフェリィが躊躇わず取ったのを見やって、パッセルは顔色が変わっていくのが自分でも判った。状況はとことんまで、紅族の有利に動いている。乗り換えるなら今だ、と現実的な部分が言い、別の部分がそれを何故か許さない。
 そんな葛藤を知ってか知らずか、オーレリアは笑みを深めてパッセルの頬をそっと撫でた。

「……さあ、駒を進めるとしようぞ。のう? パッセル」






 そして、同時刻、神殿入り口付近。
 蒼族が制圧した区画で、ビディリードとティーズの対峙は続いていた。
 灯りに照らされたビディリードの剣先が、ティーズの頬に赤い筋を引いていくが、ティーズの目にはまったく揺らぎは無く、寧ろ見ている周囲の方が、ごくりと息を飲んだ程だ。幾らか恐れでもすれば可愛げもあるものを、とビディリードは忌々しげに眉を寄せると、チリッと剣先を掠めさせて剣を引いた。ぱたた、と小さく床を赤が汚す。
「予想通りではありますが、強情ですな」
「この程度のことで、私を動かせると思っていることの方が驚きだ」
 反論するティーズの平淡な声に、明らかな侮蔑が混ざる。
「成る程、あなたの強情は本物ですな。しかし、余りの時間をかけてはいられないのでね」
 苛立ちを押し隠して薄く笑い、ビディリードは顎をしゃくると、部下の騎士の引き連れて来たのはイグナーツだ。大聖堂から戻る際に、捕まったらしい。ティーズの側近として顔を知られているからだろう、引き立てられてティーズの隣に立たされたイグナーツはしかし、向けられた剣先など目に入っていないかのように、ティーズにしか聞こえない声で口を開いた。
「”彼女”は裏口に」
 その一言で、ネフェリィを匿ったことを察して、ティーズの表情が僅かではあるが安堵に緩む。イグナーツはそれに満足して、真っ直ぐにビディリードを見据えた。
「人質の人選を間違えたね。私はティーズ様の足枷にはならないよ」
 共に並び、共に終わるのが側近の勤めだ。どちらが脅されようと、自らの命を脅されているのと同じ事。そんな決意の浮かぶその目は主従とも良く似ていて、ビディリードは思わず舌打ちを漏らした。他に適材はないかと探したが、娘とは言え天狼は二つ名を持つような騎士だ。脅しに使うには逆効果であるし、一番の側近に剣を突きつけられてこの態度なのだ。他の人間で効果があるとは思えない。ここに来て食らう足止めに、苛立ちはビディリードの余裕を削り、ただでさえ欠いていた冷静さを更に蝕んでいた。
「無駄だよ、そいつらは喋んない」
 そう、いつの間にか近付いて口を開いたパッセルが、本来ここにいるはずが無いということすら気付けないで、ぎろりと異母妹を睨んだ。
「けど、喋ってくれる奴が、オーレリアの元に下ったんだ。だから今は一旦手を組んで――……」
「馬鹿なッ」
 パッセルの言葉を遮って、ビディリードが声を荒げた。普段ならば決して自分には向けない、聞いたことも無いような異母兄の声音にパッセルが身を竦めると、ビディリードの苛立ちは更に増したようだった。だから、その表情にも、気にも留めていなかったのだ。
「アンリリューズのもとへ行け。アジエスタは後だ。その娘を先に――……」
 言いかけた、その時だ。パッセルはぐっとビディリードの外套を掴んで強引に引き寄せ、自身も爪先立ちで身長を無理矢理合わせると、そのまま開かれた口に自らの唇を合わせた。突然のことに虚を突かれたビディリードの口内にパッセルが無理矢理捻じ込む形で、はたかれ見れば深い口付けのように見える光景が続いたのは、ほんの数秒。我に返ったビディリードがパッセルを引き剥がし、戸惑いを色濃く顔に浮かべた。
「何……、を?」
 そして、問いを口にした、瞬間。ぐらりと視界が傾いだのに、ビディリードが不審げにパッセルを見、足元が妙におぼつかないのに、軽くではあるが毒の類を盛られたのだ、と気づいた時には、全ては……終っていた。
「―――……ッ!?」
 ビディリードの目が見開かれ、がくり、と膝が折れる。予想外の反応に目を瞬かせるパッセルの方へとその体は傾いたかと思うと、支えきれなかったパッセルごと床に崩れ落ちた。
「え……?」
 一体何が起こったのか。床についた膝が生暖かい。鼻をくすぐるこの匂いには覚えがある。全ての情報が頭でうまく繋がらないで、呆然と見上げたパッセルの目に入ったのは、ビディリードの背中を貫いた剣を胸元で抱く、チャチャの姿だった。
「これで……これで、アジエスタさんは……」
 手元を真っ赤に染め上げたチャチャは、その場にそぐわない安堵の笑みを浮かべていた。

 事は、僅か前。
 アジエスタと別れ、様子を伺いに来たチャチャは、その道すがらで考えていた。
 ビディリードにとって、アジエスタは龍に対抗できるかもしれない武器であると同時に、オーレリアの計画の要となる手駒でもある。それを秤にかけて、ビディリードはどちらを取るか。そう思った時、チャチャはアジエスタが邪魔者として排除される可能性が強い、と感じ、そしてそれは、物陰からティーズ達とのやり取りの様子を伺う内に確信に変わった。
 今のビディリードは危険だ。少しでも障害と感じれば、力尽くで排除にかかる異様さが滲んでいる。それが、チャチャの中へある感情をじくじくと育てていった。
(ビディリード様がいなくなれば……殺してしまえば少なくてもアジエスタさんの安全は確保される……!)
 だがそれは、アジエスタに告げるわけにはいないことでもあった。本来なら、様子を確認して報告しに戻らなければならないのも判っていたが、どくどくと嫌な音を立てる心臓は、その足を繋ぎとめ、その目を奪う。
 そして――折り重なった偶然、いや、用意されたかのような偶然の中に、チャンスは現れたのだ。
(アジエスタさんだけは、私が命に代えても守るんです……!)
 駆け出す足に、迷いはなかった。
 普段であれば、ビディリードも接近に気付いただろう。仮に接近させたとしても、むざむざと斬られはしなかっただろう。だが、パッセルからの唐突な行動への混乱と盛った僅かな毒によって鈍った感覚と、が、その反応全てを遅らせ、そしてそれがその命を奪う結果となったのだ。
 自身の感覚が信じられない、といった様子で、安堵と共に戸惑いと混乱の中、チャチャは呆然と立ち竦み、やがてよろりとよろめきながら、柱に凭れて動きを止め、その視線が床に流れる血と骸と、それを抱きかかえる少女を見やった。
「…………うそ、だ」
 その視線の先で、パッセルの呆然とした声が漏れる。だが、ビディリードの身体はそれ以上、動くことはなかった。


「―――……っ」
 水を打ったような不気味な静けさの中、最初に動いたのは天狼だった。
 何かに気がついたように天狼が飛び出すと、それが契機となって、両族の驚愕は一気に表に噴出し、神殿内は混乱に満ちた。統制者を失った蒼族の騎士達は判断に迷い、それでも敵対者としてこの場に居る以上剣を降ろすことも出来ずに立ち尽くし、黄族の騎士達は彼等に剣を向けて立ち向かうものの、元々対人間のための訓練をしていない騎士達は、明確にそれを敵と定めて倒すだけの気概を持ちえていなかった。
 そんな彼等の前に立ち、ティーズが無言で制し、光輝の騎士団員たちに蒼族の騎士達を説得して回るように指示を出すことで、漸くのろのろとではあるが場が収まり始める中、突然の出来事に青ざめた顔のイグナーツに、苦い表情と共に「おそらく、心殿……龍の心臓だろう」と、天狼の向かったであろう場所を口にした。
「ビディリードは倒れたが、最早事態は止まるまい」
 パッセルが口にした言葉が事実であるなら、オーレリアが動いている。それは、この事態そのものが彼女の計画の内である可能性を示していた。険しい顔をするティーズの横顔に、イグナーツはぐっと決意に拳を握り締めた。
「……参りましょう。胸騒ぎがします」
 その堅い声で言に、ティーズは無言で頷いたのだった。