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【真相に至る深層】第四話 過去からの終焉

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【真相に至る深層】第四話 過去からの終焉

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【決意を継いで】




 一万年。
 途方もない年月の向こう側。水底より実体を得て復活した、嫉妬する蛇――邪龍リヴァイアサタンは、都市ポセイドンそのものであるポセイダヌスに、その長大な体を纏わりつかせるようにしながら、引き裂かれたように醜い口元を、笑みにした。

「不完全とは言え、貴様等ごとき……前菜代わりに我が腹の足しにしてくれよう」


 その言葉に、契約者たちが身構えた、次の瞬間だった。
「前菜代わり……全く所詮は蛇ですかね。過去の教訓を何も生かせてない」
 嘲弄するような声を漏らしたのは、風森 望(かぜもり・のぞみ)だ。その隣でノート・シュヴェルトライテ(のーと・しゅう゛るとらいて)がぎょっと目を瞬かせていたが、構わずに、ぎろりと殺意を持って睨み付けてくる邪龍へと、望はしれっと首を傾げて見せた。
「あら? 手駒に裏切られた経験はお忘れ? 飲み込んだつもりが内から刺された間抜けさん」
「貴様……」
 馬鹿にする声音に、痛い所を突かれたのか、唸る邪龍の喉が不穏な音を響かせた。
「そのような口を利いたこと、後悔するがいい……!」
 そう叫び、ずらりと並ぶ鋭い歯を剥き出しに、大きく口が開かれたのと、殆ど同時だった。

『―――――――…………』

 響いたのは一音。
 神殿に恐ろしい程の光が満ちて、邪龍は忌々しげに唸ると、身を捩ってその頭を神殿から引かせた。
「逃がしませんよ!」
 それを追って、望達が邪龍を追って神殿を飛び出していくのを見送って、はあ、と裏椿 理王(うらつばき・りおう)は息を吐き出した。
「どうやら、録音音源でも、一応効果があるみたいだね」
 先の一音は、これまでで録音していた巫女の歌を再生したものらしい。
「とは言え、音量を上げるのには意味が無いか……その辺りはデータはデータってことかな?」
 桜塚 屍鬼乃(さくらづか・しきの)が歌を切り替えたり、再生の音量やテンポを変えたりとしながらその効果を検証しながら、そう答えた。神殿の機能を受け持っている燕馬もその検証に協力したようで「駄目だな」と難しい声が回答を寄越した。
「発動はするし、増幅は出来るみたいだが、巫女が実際に歌う程度まで底上げられるのがせいぜいだ」
 巫女のように、それ以上を発現させることは出来ないが、まったく効果がない訳ではないとわかっただけでも御の字だ。
「戦力としては兎も角、繋ぎになるって判れば十分。ずっと歌ってたら、巫女さんたちの喉が潰れちゃうからね」
 幸いにも、最初の一撃に警戒したのか、外で応じていた契約者たちの健闘か、邪龍の脅威がとりあえずは引いたことで、歌い手たちは理王の生んだ僅かな時間で、ふ、と息を吐き出した。
 確かに、ずっと酷使していたのだ。喉もそうだが、体力もまた消耗しているのは確かである。額に薄く浮いていた汗をぬぐった千返 かつみ(ちがえ・かつみ)に「はい」と苺ドロップを差し出したのは千返 ナオ(ちがえ・なお)だ。
「こんなものしかないけど……少し休んでください」
「サンキュ」
 苺味とともに、薬効成分が喉を通って染みるのに、かつみが息をつくのに、ナオは心配そうに「大丈夫?」と首をかしげた。
「調子は……良くなりました?」
 その言葉に、かつみは僅かに複雑な顔でエドゥアルト・ヒルデブラント(えどぅあると・ひるでぶらんと)と顔を見合わせた。エドゥアルトがかつみの不調の理由――過去の繋がった少女への淡い想い――を一応説明はしたのだが、どうやらナオにはそれがあまり理解できていないようだ。そんなナオに笑って、かつみは視線を大聖堂の中心へと戻した。
「ああ……うん、もう、大丈夫」
 歌っている瞬間、確かにそこへ存在を感じた。あの魂は今ここで、まだ戦っている。健気に、そしてその華奢な見た目に反した、力強さで。
「負けて……られないから、あいつの思いを、継いでやらないといけないからな」
 その呟きをどこまで理解したか、ナオは僅かに首をかしげたものの、頑張って、と励ますように頷いて見せたのだった。


 そんな中、自分のパートナーが冷たい床に転がっているのが忍びなく、ツライッツ・ディクス(つらいっつ・でぃくす)は膝をついて、クローディス・ルレンシア(くろーでぃす・るれんしあ)の上体を抱えあげた。
 その瞬間、感じた違和感にぎょっと顔が引きつったのが判る。
 さらりと流れた長い髪の先は色素が僅かに抜け、仕事柄筋肉のついていたはずの腕がやけに柔らかで、気のせいか肌の色も色素が落ちていっているように見える。何より、機械の正確さで覚えている筈の、クローディスの上体の重さが、違っていた。既に、影響がその細部まで及び始めているのに、ツライッツは眉を寄せる。
 そんなツライッツの表情に、フェビンナーレたち団員もまたその表情が苦くなるのにディバイス・ハートはそれを敏感に感じ取ってぎゅ、っと手のひらを握り締めた。
「……ディバイス」
 そんなディバイスの手を取って、ゆるく首を振ったのはタマーラ・グレコフ(たまーら・ぐれこふ)だ。本当はその手をどうしたいのか判っていて、そしてそれが出来ない理由も判っている、とその頷きが告げたのに、ディバイスは少し表情を緩めると「大丈夫」と口を開いた。
「ぼくは……ぼくの役目は「そう」じゃないって判ってるから……」
 今、自分の力を――”糸の端を掴む者”として、一万年前の存在へ無意識に干渉してしまう真似は控えるべきだと判っていた。そうでなくとも、この都市を復活させる起因ともなったディバイスである。最も融和性の高いティユトスの魂にうかつに触れることで、クローディスへの侵食を深めてしまう可能性があるのだ。
「……何か、手伝えることは?
 手を出せない、けれど手をこまねいているのは辛い。そう横顔に書いてあるディバイスに心を痛めながら、タマーラが助言を求めるように振り仰いだのはディミトリアス・ディオン(でぃみとりあす・でぃおん)だ。姿こそポセイダヌスのものであり、右腕を失ってはいるものの、知識と言う意味で他に尋ねられる者もないからだ。が、ディミトリアスが口を開こうとするその前に、がばり、と一人の影が動いた。
「っつぁ〜〜〜……頭痛いわ、吐き気は酷いわで、たまったもんじゃないわね……」
 ニキータ・エリザロフ(にきーた・えりざろふ)だ。
 一気に襲い掛かってきた強烈な記憶の波に当てられて、意識を失っていたのだ。大量に押し寄せた情報が頭痛を呼ぶが、吐き気についてはその記憶そのもの影響らしい。苦しげな顔をするニキータだが、そのパートナーであるタマーラは、その人形のような顔を顰めた。
「肝心な時に、気絶する、とか……」
 情けない、とばかりに怨みがましい声で、冷たい反応するタマーラに苦笑して、ニキータは立ち上がると、足元に転がっていた剣をブーツで弾くと、カツンッと跳ね上がったその柄を器用に掴むと、ヒュンと空を切った。普段は拳による戦いが多いため、不慣れな筈の武器だが、それは不思議と手のひらに馴染んだ。だが同時にそれは「自分」の経験によるものではない、ということもニキータには良く判っていた。
「さって……剣術は、あたしの領域じゃないんだけどねぇ」
 そうも言ってはいられないわね、と、呟きながら、片手でタマーラの頭を撫でるとニキータはその横顔を戦いへ赴く者のそれに変えて「天使ちゃん、ディバイスの事頼むわね」と後を託すと、邪龍の蠢く気配がする方向へと視線を向けた。が、不意に、理王の流し続ける歌に、思い出したようにその目は遠い昔を見るようにしてディバイスを振り返った。 
「歌って、カナリア。私はお前の歌、好きよ」
 その言葉は、ディバイスの中の何かにすとん、と落ちたようだった。ふわり、と少年のものとは思えない笑みが浮かんだかと思うと、その唇がゆっくりと綻んで、ゆっくりと、歌は現れた。
 その時だ。
 併せるように、もうひとつの声がその上に重なる。辿楼院 刹那(てんろういん・せつな)の――正確には、そこへ繋がる魂の声だ。まだどこか幼さの残る響きで、だからこそか、どこまでも透明な歌声が美しい調和と共に神殿を伝わって響いていく。
 拙いながらも淡い憧憬、いや恋心に近いものが宿るその声に、刹那は目を細めた。
(アジエスタ……か。それが、もうひとつの理由というわけかの……?)
 求めたもの、求めた自由。それだけで、彼女に従ったのではないと、体に委ねたその魂からその歌声は伝えてくる。いささかくすぐったい思いに目を細めながら「少女」の歌いやすいようにと、意識を任せた刹那の傍で、ファンドラ・ヴァンデス(ふぁんどら・う゛ぁんです)はその光景――白い金糸雀から流れる声へ耳を傾けた。
 当初は、邪龍が自分の目的に利用できないか、と考えていた。けれど、制御できないものであること以上に、それを諦めたのは、その少女たちの歌う歌の中に宿った想い故だ。歌っている当人たちは、その魂と直接触れているために気づいていないのかもしれないが、その歌声の端々に滲んでいる願いや希望、祈りは、そのまま悲しみを根底に含んでいる。滅んでしまった故郷に、失ってしまった大切な人に、果たせなかった願いへの未練に、寄せる想いを乗せてその歌は美しく響くのだ。
 それは、自身も故郷を失ったファンドラの内にも響き、その口は思わず呟きを漏らしていた。
「……仕方ありませんね。ここは、協力するとしましょうか」



 そうして――カナリアと刹那の歌声が神殿へ響き、都市へと広がっていくのを聞きながら「そういえば」とふと疑問を口にしたのはエドゥアルトだ。
「カナリアの歌って、本来何に使う予定だったんだろう?」
 かつみが説明した話では、実際には封印に使われはしたものの、ティーズの考えはいわば「契約の延長」であったはずだ。カナリアたち紡巫女の歌は、いわばデータのバックアップであり、それは本来失われたときの為に用意されるものだ。たとえばこの都市が失われたとして、それをリカバリするのは誰を、また何を想定してたんだろうか、と。
 そんなエドゥアルトの問いに反応したのは、意外な人物だった。

「”――いずれ、滅びる……だからだと、聞いている”」

 響いたのはアジエスタの声だ。
 魂だけの存在となったからか、個が曖昧になりつつあるのか。流水路の上にあってはどこでも会話を拾ってこれるのだろう。どういうことかと首を傾げるエドゥアルトに、アジエスタは続ける。
「”ティーズ様は、都市の存続を望んでいらっしゃった、が……同時に、理解もされていたんだろう”」
 契約を延長させて都市を少しでも永らえる。そう望み、そのために全てを犠牲にしてきながらも、それが永続しないであろうことも、恐らく理解していたのだろう。海の中に閉じられた世界は逃げ場も行き場も無く、蒼族や紅族はそれを打開しようとしていたが、最も身近に龍に侍っていた黄族は、半ば諦めてもいたのだろう。だから、延長という言葉を……繋ぎとめた先に終わりがあるということを暗示する単語を、選んだのだろう。
「“滅びるなら、失われるなら――せめて、自分たちの存在の証を、残そうと。それが、元々の紡ぎ巫女の役割だと”」
 その気持ちは、まさに失われたその都市の記憶を受け取った者たちには、痛いほど理解できた。それだけに、歌にこめられたその思いを、封印として利用したことに、アジエスタ自身が後悔していることがその声音から伝わってくる。
「……後悔は、まだ早いんじゃないかしら。折角都市が蘇ったんだもの、あの時出来なかったことが、今、出来るかもしれないってことでしょう?」
 そんなアジエスタに向けて、呼びかけたのはルカルカ・ルー(るかるか・るー)だ。
「少なくとも、私の中の彼が……言ってるの『「アジエスタを絶命の宿命から解放したい』って」
 そう言って、ルカルカはパートナーのダリル・ガイザック(だりる・がいざっく)の方を向き直った。
「”お前とお前の恋人の力を、俺達に貸してくれ”……って」
「恋人? 俺がお前の?」
 ダリルが複雑な表情をしたのに、ルカルカは肩を竦める。
「私が言ったんじゃないわ。どうも、私たちって、”彼”にはそう見えるみたい」
「お前の恋人役は、方々から恨みを買いそうだからな。遠慮しておくとするよ」
 ダリルは苦笑と共に冗談めかすと、表情を戻して「しかし」と考えるように首をひねった。
「力を貸すのは構わないが、一体どうするつもりなんだ?」
 その問いに、ルカルカは自分の中に繋がる「彼」の提案をそのまま口に乗せた。
「アジエスタ、”彼の体を借りることはできないか?”」
「”……え?”」
 困惑した風のアジエスタに、ルカルカが説明を補足する。
「あなたの塔に魂を移したように、「彼」の記憶がある私なら、その魂を別に移し変えることができる筈よ」
 そうすれば、助言だけではなく、ダリルがその力を直接使って邪龍を倒すことが出来る。確かにその方が、より早く正確に、心臓の位置を把握することが叶うだろう。騎士の魂ではない「彼」とは違い、アジエスタであればその絶命の能力を遺憾なく発揮できる筈だ。ダリルは「成る程な」と納得した様子で頷いた。
「俺は構わない」
「”…………”」
 二人、いや正確には「彼」を含む三人に異論はないようだったが、答えられず沈黙したアジエスタに、ダリルは僅かに眉を寄せながら首を傾げた。
「貴女自身で、邪龍と決着をつけなくていいのか?」
「“彼”は、あなたの恋人は――……あなたと一緒に戦いたがってるわ」
 躊躇う理由がわからない様子で、ルカルカも首をひねった、その時だ。
「……待って下さい」
 割り込んだのはツライッツだ。
「クローディスさんがどうなったか判ってて、おっしゃってるんですか?」
 その顔には、戸惑いと同時に微かな憤りがある。
 ティユトスの魂を受け入れるほんの少し前。アジエスタと接続していたクローディスが、その同調が深まった瞬間に倒れたばかりだ。接触しただけでそれなのに、クローディスが倒れた程の、過酷な彼女の記憶を魂ごと受け入れればどうなるか。手の届かない氷の向こうで、血の気を失った姿。そして今も尚、ティユトスの魂を受け入れた負荷に苛まれているパートナーを見下ろして、ツライッツは眉を寄せた。
「……そんなことを、パートナに……させるんですか。倒れるどころでは済まなくなっても、構わないんですか?」
 淡々とではあるが、珍しく咎める言葉を口にするツライッツに、ルカルカとダリルは顔を見合わせた。そんな二人に、苦笑がちに口を挟んだのは氏無だ。
「というか……あんまり言いたくないけどね、恋人に自分以外の男の体に入ってもらうってさ、どういう気持ちなんだい? 」
「それは……」
 言い淀んだのはルカルカの方だったのか、恋人の方だったのか。微妙になった空気に「まあ部外者がどうこう言うことじゃないけど」と氏無は肩を竦めると、アジエスタは姿は見えないながら申し訳なさそうに首を振る気配がして「”そこの彼の言う通りだ”」と告げた。
「”記憶だけなら兎も角、魂を移してどうなるか、私には判らない。因果を持たない相手なら尚更、どんな影響を与えてしまうか……だから「あなた」に……誰かを傷つける真似をさせるわけにはいかない”」
 その言葉に、アジエスタが「魂を移した相手が壊れてしまう可能性」を認識していたのだと理解し、ツライッツは今度こそ憤りも露にその唇を皮肉に吊り上げた。
「……良くそれで、クローディスさんを器にしようだなんて思いましたね?」
 彼女は「クローディスなら耐えられる」と言ったが、恐らくそれは、確信では無くてただの願望だったのだ。結局と止めもしなかった自分への憤りもあって、見えない場所を睨むツライッツの声が鋭く尖る。
「”彼女には、因果の糸が見えた。他の誰より、可能性があると感じた……というのは、言い訳だな。私は結局、何を犠牲にしてもティユトスを救いたかったんだ”」
 否定せず、アジエスタは深い自嘲の声を漏らした。
 家族も友人も、仲間も恋人も、他の全てを捨てて。たったひとつの利己的な願いのためだけに、都市や仲間の魂を一万年もの永い間縛りつけ、契約者たちまで巻き込んだのだ。都市が解放されたことで漸く、その現実に向き合った、アジエスタの声は苦い。
 重たく硬直した空気の中、ぱんぱん、と手を鳴らしたのは氏無だ。
「……ま。こんなところで「お話」してる場合じゃないでしょ。キミはキミのケジメをつけてきな」
 それは、氏無の言葉でもあり、同時にビディシエの言葉でもあるようだった。姿は見えなくても、アジエスタの空気がほんの僅かに緩んだのを感じる。
「”……ああ。ありがとう”」
 その声に背中を押されるように、都市の方へその気配を消していったアジエスタに、それを追うルカルカ達の背中を見送って「やれやれ」と氏無はため息を吐き出した。
「それじゃ、ボクはボクの仕事をするとしようかね」
 その言葉に、屍鬼乃がその指示を待つように視線を向けたのに、氏無は少し、彼らしからぬ顔で笑った。
「“ボクの仕事はもう……キミらを無事に帰すことだけさ”」
 そう言って、氏無は沙 鈴(しゃ・りん)のパートナーである綺羅 瑠璃(きら・るー)へ向けて、撤退の準備についての通信を入れたのだった。