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イルミンスールの希望――明日に羽ばたく者達――

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イルミンスールの希望――明日に羽ばたく者達――
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『彼女が遺した羽の真意』

「よっ、と。……そういやあここに来たのは初めてか。おかしな話だぜ、いつもここ通って来てんのによ」
 ザナドゥの世界樹、クリフォトの枝の一つを足場に、白津 竜造(しらつ・りゅうぞう)が幹に身体を預ける。ザナドゥと地上の行き来は世界樹イルミンスールと世界樹クリフォトを介しており、竜造の言うようにザナドゥと地上を行き来する者であれば、クリフォトはいつも訪れている場所、になる。ただ、実際のクリフォトへ向かうにはベルゼビュート城の封鎖された最上階を超えて進む必要があり、本来なら立ち入れるような所ではないのだが、竜造はそこに立っていた。
「…………」
 そんないわくつきの場所で、竜造は広がる風景を眺める。胸から提げた白黒のグラデーションが今も色褪せない羽根が、風になびいた。

 彼がここを訪れた理由は、強いて言うなら『なんとなく。暇だったから』。
 だが、この世界樹が魔神 バルバトス(まじん・ばるばとす)の身体を連れ去っていった――あくまでパイモンの憶測である――というのと決して無関係ではない。
 とはいえ何かをしようという目的で来たわけではない竜造の思考は、彼いわく『余計なこと』へと沈んでいった。

(バルバトス。お前が死んでから随分と時間が経った。その間にぶっ壊れたもんは概ね元通り。魔族と人間も仲良しこよし。されど世界は相変わらず大ピンチって状態だ。
 おかげでお前を覚えてる奴なんて、お前と親しかった奴しかいないんじゃないか。……俺は、片時も忘れちゃいないがな)

 バルバトスが遺したであろう、彼女の羽根。
 竜造の下へ舞い降りてから、彼はその羽根を片時も手放した事はなかった。

(お前に会って全てを奪うために強者と殺し合い、ぶっ飛ばされながらも不思議と生きてるって状態が続いたせいか、俺もそれなりのモンにはなった。
 ……だが、肝心のお前が見つからねえ。お前はどこ行っちまったんだよ。マジでクリフォトに連れて行かれたのか?)

 クリフォトを見上げる、普通の樹とは違うどこか禍々しい雰囲気を漂わせるそれは、竜造の挑むような視線を受けても何も語らない。

「クリフォト……いつまでも独り占めしてねえでいい加減輪廻転生でもなんでもさせて吐き出しやがれ。
 さもねえとザナドゥ滅ぼすか敵に回す覚悟で叩き斬っちまうぞ?」
「それは困りますね。我々はあなた方を敵に回したくはありませんから」

 現れた気配に竜造が意識を向ければ、魔族の王、パイモンの姿があった。
「……ま、自分の家だもんな。そりゃ誰が来たかなんてのはすぐに分かるか」
「ええ。あなたは“母”が慈悲をかけた数少ない方ですから。母を連れ去ったのがクリフォトではないかと憶測する以上、あなたがクリフォトへ向かうのを止めることは出来ません。
 流石に、クリフォトを切り倒そうとされれば止めざるを得ませんが」
 苦笑混じりに答えるパイモンへ、竜造は「んなこたしねーよ」と言いたげに両方の掌を上へ向け、身体をすくめてみせた。
「……あん時てめぇは、バルバトスは俺に『生きなさい』と言いたくてこの羽根を遺した、って言ったな」
「そうとしか思えませんからね。……母ははっきり言って歪んでしまいましたが、嬉々として他者の命を奪うような方ではない。
 全ては私のため、魔族のために行動し、死んだ。そんな母があなたには、慈悲をかけた。
 ……最期に母は私に、『強く生きなさい』と告げた。だからあなたにも同じように『生きなさい』と告げたかったのでは、と思ったのです」
 竜造は黙って話を聞いていたが、ふと思い立って聞いてみることにした。
「バルバトスが戻って来ることは、あると思うか?」
「……無いでしょうね。たとえ以前とまったく同じ姿で戻ることが出来るとしても、彼女がここへ帰ってくることは無いでしょう」
 真相はともかく、パイモンはバルバトスの事をそう思っている口ぶりだった。そして竜造もその言葉には納得を覚えた。それこそバルバトスらしい、とさえ思えた。
「憶測ついでに、もう一つ、よろしいでしょうか」
 パイモンの伺うような言葉に、竜造は無言で続きを促す。
「あなたの持つ羽根ですが、彼女が消えてから2年程経ちますが、まったく変わりありません。未だに彼女の一部であり続けています」
 だからこそ私はあなたの来訪に気付いたのだ、パイモンはそう付け加えた。
「……何が言いたい」
「あなたは彼女に……バルバトスに、見られているということですよ。そしてもしあなたがこの世界のどこかで斃れた時には、羽根は鳥に変じてあなたの魂を運んでいくのではないでしょうか」
 魂を運ぶ先は……それは、言わずとも概ね想像がついた。これも結局はパイモンの憶測に過ぎないが、バルバトスが考えそうな事だ、竜造はそう思った。
「ふざけるな、俺は生涯……いや、死しても俺という個が存在し続ける限り、てめぇのモンにはならねぇ。
 逆だ……俺がお前を、モノにしてやる。拒否権はねぇ、嫌がろうとも許さねぇし、離さねぇ」
 拳を握り締め、竜造がバルバトスへの強い感情を露わにする。
「……では、私はこれで」
 用が済んだらしく、パイモンが軽く挨拶をしてその場を後にした。


『臣下の務め』

「……パイモン。お前、何処に行っていた」
 パイモンが部屋に帰ると、佐野 和輝(さの・かずき)の冷ややかな声が耳に届いた。パイモンは見た目温厚を保っているが、内心はヒヤヒヤしていた。
「…………客が来ていたからな」
「……まぁ、いい。今回は幸いすぐに戻って来たからな。さあ、滞っている政務を片付けてもらおうか」
 和輝が視線を向けた先には、山と積まれた書類の束があった。『天秤世界』の事案に関わっていた間、国内で発生した種々の案件、その全てを臣下に任せるわけにもいかず処理待ちとなっていたものである。
「あ〜う〜、難しい処理案件ばっかりで、アニス見てるだけで頭がグワングワンする〜」
 和輝と一緒に、手伝いにやって来たアニス・パラス(あにす・ぱらす)が頭を抱えて机に突っ伏した。彼女のイコンを用いての処理能力は戦場を始めとした各所で大いに力を発揮してきたが、こういった判断を下すためには参照すべきパラメータが多過ぎた。機械的処理は扱うパラメータが増えれば、たとえば1つのパラメータが10通りだとして、1つパラメータが増えたら処理は10倍に急増する。
「アニス、最終調整はこっちでやる、分類は大雑把でいいぞ」
 和輝が声をかけ、アニスが負担をかけすぎて倒れてしまわないようにする。負担を減らすにはパラメータを減らすか、パラメータの通りを減らすかしてやればよい。
「うん、分かった〜。早く終わらせてノンビリしたいから、できるだけ頑張るよ〜」
 頭を上げ、アニスが作業を再開する。和輝の顔に仕方ないな、と言いたげな柔らかなものが浮かんで、横からの視線にすぐに感情を抑えた顔へと変じる。
「何をしている。仕事に戻ってくれないか」
 どこか作ったように厳しい口調に、パイモンは心の中でそっと微笑んで、仕事に戻った。

「う〜〜〜ん……和輝ぃ、やめてよぉ、髪がくしゃくしゃだよぉ……」
 寝具をかけられたアニスの寝言が響く。時刻はもうじき朝になろうかという頃だった。
「……やれやれ、これで一段落ついたか」
 最後の書類に捺印して、和輝が背もたれに身体を預けた。疲労で霞む意識を努力してパイモンへ向ければ、彼は椅子から立ち上がり、徐々に明るくなっていく世界を見つめていた。
「地上人が俺達魔族をこの地へ追いやり、俺達は地上を目指して侵攻を繰り返してきた。……今思えばそれも、地上人の思惑通りだったのかもしれない。
 だが、今の俺達はそんな彼らの思惑から外れ、独自の道を歩き出そうとしている」
「……それはお前の想像だろう? 人間はそんな事を思っていたわけじゃない」
 和輝の発言に、パイモンは振り向いて頷き、言った。
「ああ。筋書きなどというのが俺の憶測に過ぎないことは、和輝や他の契約者を見ていれば分かる。
 ……俺達は幸運だった。種族として滅びる前に、契約者と会うことが出来た」
 パイモンの眼は、何を見ているのだろうか。種族というフレーズから和輝は、多分彼は『天秤世界』の事を思っているのだろうと想像した。
「これも憶測でしかないが、今後の俺達は物語に残るような出来事は起きないだろう。だが俺達の生活は今日も明日も明後日も続いていく」
 今度はハッキリと和輝へ、絆を結んだ臣下へ振り向き、告げた。
「今の魔族の生活を維持し続けることが、俺の仕事。……もちろんお前にも手を貸してもらうぞ、和輝」
「……王にそこまで頼まれては、断りようがないな。……尤も、断るつもりも毛頭ないが」
 柔らかな表情で返答した所で、本格的に眠気が襲ってきた。パイモンはまだ余裕そうだが、こちらはそろそろ限界だ。
「俺は寝る……何かあってもなるべく起こさないでくれ……」
 そう言い残すと、和輝は机に突っ伏しすぐに寝息を立て始めた。
「寝床は用意してあるのだがな」
 苦笑を浮かべ、パイモンは和輝に寝具をかけてやると、一日を始めようとしている街を見つめていた――。