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episode6:激走! 2020年


「……それは、無理ですね」
 クロセル・ラインツァート(くろせる・らいんつぁーと)の申し出に、空京神社の神主は、渋面でそう言った。

 新年のイベントとして、参道入口をスタートに本殿をゴールとして、走って1位を決めるレースをやりたい、と希望したのだ。
 1位になった人はその年の福男(福女)、というわけである。
 しかし神社側はレース開催を了承しなかった。
「こちらは参拝客も多いですので、大変な混乱を招いてしまいます。
 何週間も前から準備しておくとかならともかく、今日告知して今日明日、というのは無茶です」
「そこを何とかなりませんか」
 縁起物のイベントなのだし、とクロセルは何とか説得を図ったが、神主の主張は曲げられそうにない。
 どうしたものか、企画倒れか、と思った時、
「面白そうじゃない。やれば?」
と、社の中から一人の女性が現れた。
 巫女ではなく、神主装束を着た、20代半ばほどの女性である。
「貴女は……」
 言いかけた神主に、女性はばちんとウィンクして見せ、はっとした神主は黙り込んだ。
 女性はクロセルに向かって
「やってもいいわよ」
と笑う。
「あなたは?」
「通りすがりのアミちゃんって呼んで。
 あのね。流石に本殿への参道を封鎖してレースっていうのは、無理がありすぎ。
 でも、摂末社を使うなら、いいわ」
「摂末社?」
 アミの言葉に、クロセルは訊き返す。
「ちょっと今ね、まあ色々あって、参拝客が途絶えちゃってた社があるの。
 もう問題は片付いて、沢山の人がそっちの社にも足を運んでくれたらいいな、と思ってたのよね。
 あんた達、活気というか血気というか勢いというか、まあそういうパワーみたいなものを、運んでやってくれたら嬉しいわ」
「それなら任せてください。
 皆、無駄に元気のある連中ばかりですよ」
 胸を張って請け負うクロセルに、アミはけらけら笑った。
「お願いね」

 むしろ少しでも早い方がいいとアミが言うので、翌日に敢行することとなった。
 その日の内にしなかったのは、夜の内に何ヶ所か、トラップを仕掛けておこうと考えたからである。
 トラップといっても、足元を滑りやすく凍らせておくくらいの簡単なものだが。
 参加希望者は翌日集まるようにとあちこちに告知して、いよいよ翌日。

◇ ◇ ◇


「じゃ、ルールを確認します。
 参道入口から社までは、大体300メートルくらいです。
 魔法、スキル、アイテムの使用とズルは禁止。
 神社で行うレースなので、清く正しく行きましょう」
 発起人のクロセルが、参道入口の鳥居の前に並んだ参加者達に説明をする。
 横でアミがふんふんと頷いている。
「1位に輝いた人には、賞金も賞品もありませんが栄誉が与えられます。
 では、今回の企画を許可してくれました、空京神社のアミ姐さんから一言、どうぞ」
「頑張ってね〜」
「では! 用意」
 ぺいっぺいっと、初詣には着物必須と唆され、合気道用の袴をはいて来たマイト・オーバーウェルム(まいと・おーばーうぇるむ)が靴を脱ぎ捨てた。
「……何をやってるんです?」
 突然の奇行に水神 樹(みなかみ・いつき)が訊ねる。
「椎堂が、鳥居は玄関だっつってたぜ! だから靴を脱がないとな!!」
「……」
 しかもよく見れば、靴を脱いだその足元は足袋だ。
 しかしその誤った知識を正そうとしてやるよりも先に、クロセルが号令を放った。
「スタート!!」
 12人の参加者達は一斉に走り出した。


 鬼崎 朔(きざき・さく)にレース参加を誘われ、めんどくせぇ、と思いつつも、でも面白そうかも、とも思ったので参加した鬼崎 洋兵(きざき・ようへい)は、スタート直後に速攻で参道を飛び出した。
 何しろめんどくさい。故に近道を通って行こうとしたのである。

「はいっ失格――!」

 スッコーン!
 景気のいい音を立てて、洋兵は、場外ホームランのボールとなった。
「洋兵さんっ!!」
 彼の後ろを付いて来ていた、パートナーのユーディット・ベルヴィル(ゆーでぃっと・べるう゛ぃる)が蒼白として叫ぶ。
 べしゃ、と地に沈んで、洋兵はよろよろと起き上がった。
「なっなっなっ!? 何でキミがここにいるんだっ」
 竹箒を担いで立っていたのは、スタート地点でレース参加者を見送ったはずのアミだった。
「野暮なこと言わないの。美女は神出鬼没なのよ。
 そんなことよりズルはだめよズルは」
 ちちち、と人差し指を振ったアミは、おっといけない、と身を翻した。
「早く行かないと皆ゴールしちゃう。
 300メートルって結構あっという間ね!」
 竹箒を担いだまま、アミは洋兵を置いて走り出す。
「……洋兵さん、大丈夫?」
 おろおろと傍らに膝を付くユーディットに、洋兵はがりがりと頭を掻いて、溜め息を吐いた。
「竹箒でヒットされた音じゃなかったと思うんだが……」


 参道入口から社までには、曲がり角が三つある。
 クロセルは、第1コーナーを曲がったすぐ後と、第2コーナーと第3コーナーの中間地点に、石畳に薄く氷を張る罠を仕掛けた。
 第3コーナーからゴールまでの直線は実力勝負、ということで何も仕掛けなかったのだが、実は密かに、鬼崎朔が、石畳に微妙な角度をつけ、躓くようなポイントを設けている。

 その、第1コーナーを全力で曲がった直後の第1スリップポイントに、マイトがまともに引っ掛かった。
「ほぎゃ――!!」
 ずるっと足が前に持って行かれて背中から倒れ、後頭部を激しく打ち付ける。
「う、う、う、うおおーっしかし俺は負けねえ!」
 気合いで立ち上がって、マイトは再び走り出す。
「っきゃあ!」
「うわっ!」
 ブラッドクロス・カリン(ぶらっどくろす・かりん)椎堂 紗月(しどう・さつき)も次々と転倒した。
 全力で走っていた分、紗月の転び方は派手だ。
 しかし辛うじて受身を取り、すぐさま立ち上がる。
「わっ……と」
 水神樹も足元を取られかけたが、何とか体勢を立て直し、そのまま疾走を続けた。
 ルイ・フリード(るい・ふりーど)も、転倒しそうになりつつ、ぎりぎりで踏ん張ったのだが、パートナーのリア・リム(りあ・りむ)の方が、まともに足を取られてしまう。
「うわあっ!」
「リア!」
 元々、ルイは勝負よりも、周りで走っている参加者が怪我をしないようにと注意する方に重点を置いていたので、自分が走ることよりもそちらに素早く反応し、転ぶ前に、はっしとリアを受け止めた。
「す、すまない」
「いえ、それよりもまだ挽回できますよ。急ぎなさい」
 わかった、とリアは再び走り出す。勿論、ルイも後に続いた。


 第2コーナーを勢いよく曲がった途端、目の前に木の幹があって、ブラッドクロスは叫び声を上げる暇もなく正面衝突した。
 ゴスッ、と嫌な音が脳内に響く。
「う……うううううう〜〜〜っっ! 本気で痛い……っ!
 何で道の真ん中に木があるのぉ!?」
 蹲って額を抑え、涙目で叫ぶ。
 その楠は、邪気払いの為にあるもので、参道を歩いている分には何の問題もないのだが、全力疾走する者にとっては凶器以外のなにものでもなかった。
 えぐえぐと半泣きになりながら、それでもブラッドクロスは立ち上がる。
 途中で諦めては駄目なのだ。

 強運の持ち主は水神樹で、彼女は全開で第2コーナーを曲がった後、走る軌道上からポイントがずれていた為、そこに木がある事にすら気づかないくらいの勢いで、楠トラップを通り過ぎて行く。

 パートナー達がレースの参加に燃えていたので一緒に参加したが、正直、尼崎 里也(あまがさき・りや)にはレースとか福女とかには全く興味がなかった。
「それよりも、可愛い子達の後姿をカメラで撮っている方が、よほど楽しいというやつで」
と、一歩間違えれば犯罪なのだが、そんなわけで里也は、他の参加者とは少し遅れて、目の前よりもカメラと被写体に集中して走っていた。ものだから、ブラッドクロスもひっかかった楠トラップに、やはり正面から激突した。
「おわっ!!」
 全力で走っていなかった為にダメージは大きくなかったが、それでも突然の衝撃に集中力を持って行かれて、そのすぐ後にあった、第2スリップポイントにもまともにひっかかり、派手にすってんころりんとやってしまう。
 むくりと起き上がった時には、里也はすっかりやる気が失せてしまっていた。


 そして第3コーナーからゴールまでの直線では、誰も罠にかかった者はなく、危なげなく1位になったのは、水神樹だった。
 惜しくも2位だったのは、鬼崎朔のパートナー、スカサハ・オイフェウス(すかさは・おいふぇうす)
 そして3位が朔である。
「……え? というか……え? スカサカが2位なですか?」
「まさかの伏兵、というやつなのであります」
 まさか自分よりスカサハの方が早かったなんて意外で、朔はぽかんとしてしまう。
「油断大敵なのであります」
 スカサハは得意げに微笑んだ。


 かつては随分痛んでいたと思われる、しかし着々と修復の進められている社だった。
 全力疾走で一番に社に飛び込んだ樹を、アミが身体を張って受け止める。
「はいっ、お疲れ!」
「……す、すみません」
 上がる息の下で礼を言った樹の背中を、アミはぽんと社の中へ押しやった。
 そこに、鮮やかな柄の振袖を着た、大人しそうな少女が立って、樹を迎える。
 この社の主、福の神の布紅である。
「おめでとうございます」
と、布紅は、はにかむような微笑みを浮かべながら、樹に祝辞の言葉を贈った。
「ありがとうございます」
「駄目よ〜、布紅ちゃん。ここはもっとこう、解りやすく!」
 ちょいちょい、と自らの頬を指さすアミに
「ええっ」
と布紅はうろたえる。キスをしろ、と言われているのだ。
「あの、私は別に、そこまで」
 うろたえた様子の布紅に、樹は言おうとしかけたが、アミがそのセリフを遮った。
「こらこら、福の神のキスを拒否とか何考えてんの。
 いいじゃない相手神様なんだし同性なんだし彼氏だって怒らないわよ!」
「なっ」
 何で自分に恋人がいることを!?
 樹はぎょっとしてアミを見たが、アミはほらほら、と布紅をけしかけている。
「わ、わかりました」
 布紅は、決心したように頷いて、樹の傍らに歩み寄った。
「今年が、良い年になりますように」
 願いの言葉と共に、ちゅ、と布紅は、樹の頬に口付ける。
「ありがとうございます」
「おおー! おめでとー!!」
 その頃には当然、リタイヤ者以外の全員がゴールしていて、全員で勝者へ大喝采を送った。

 ちなみに、3位以下の着順は、
 4位赤羽 美央(あかばね・みお)
 5位リア・リム、
 6位椎堂紗月、
 7位ルイ・フリード、
 8位ブラッドクロス、
 9位尼崎里也、
 である。

 鬼崎洋兵とパートナーのユーディット、そして、ゴール直前で、設置されたばかりの絵馬掛を見付け、
「何だそりゃあ!? 俺にもやらせろ――!」
と叫びながら突進して行った、好奇心旺盛で移り気の激しいマイト・オーバーウェルムはリタイヤとなった。

◇ ◇ ◇


「はい皆、お疲れさまー。
 こっちの無料休憩所に甘酒用意したから、休んで行ってね。
 観戦してた皆もどうぞ〜」
 巫女達を働かせて、アミが参加者達に声をかける。
 レースを終えて、検討を称えあったりのんびりしたり、おみくじをひいたりのひとときだ。
 そして勿論、初詣らしく、目の前にある社にお参りである。

「神様本人を目の前にして、願い事とかやりにくいな」
 苦笑する紗月に、布紅は、
「ごめんなさい。私、そんなに大きなことはできないんですけど」
と恐縮する。
 からからとアミが笑った。
「気にしなくても、人間の願い事なんて、大抵頑張れば自分で何とかできるようなものばっかよ」
「そ、そうなんですか?」
「そ。だから布紅ちゃんは、『叶うように頑張ってくださいね〜』って応援してりゃいいの。
 それがご利益になるんだから」

「まあそれでもとりあえず願い事はしますが」
と、ルイは拍手を打った。
 今年も皆が心からの笑顔でいられますように、と。
「リア、おみくじもひきましょう」
 パートナーと共におみくじを引いてみる。
「……大吉!」
 リアは目を輝かせる。
 今年は良い一年になるだろうか。
 宝物とも言える友を得られるような。
 よかったですね、と言うルイのおみくじは中吉だった。

 今年も一年健康に過ごせますように。
 そして心身共に強くなれますように。
 樹はそう祈って、ふと気がついて苦笑する。
 なるほど、アミの言う通りだ。
 これは神に叶えて欲しい願い事ではなく、自分への誓いなのだろう。
 その後でひいたおみくじは凶で、少し苦笑してしまったが。

「……4位、か」
 赤羽美央は、呟いて溜め息を吐く。
 悪くはないのだろうが、ぱっとしない順位だとがっかりした。
 1位になりたかったのに。
 何となく自分を包んでいるような気がする不運を、2020年の福女となることで振り祓いたいと思っていたのだ。
 しかし結果は4位。一般的に括られる”3位入賞”の枠内にすら入っていない。
「これでおみくじをひいたら、またいつものように凶が出そうな気がしますな」
 いっそ自虐的な気分になって、ふっと笑っておみくじをひいてみれば、中に書いてある文字は『中吉』だった。
「……!」
 ぱちりと目を見開いて、美央はもう一度中に書いてある文字を見直した。

 今年こそ、悲願が達成できますように、と、鬼崎朔は祈った。
 そして、大切な人達が幸せであるように、と。
 おみくじは、大吉だった。
 パートナーのブラッドクロスは、
「今年も皆が幸せでありますように」
と祈り、
「でもそれより朔ッチや里也の盗撮趣味やスカ吉の暴走や私が被害者になる事態がなくなりますように」
と更に熱心に祈り、力いっぱい期待を込めてひいたおみくじが『大凶』で、
「ぎゃ――ッ!!」
と悲鳴を上げていた。
「私も凶でしたがな」
 ふん、と里也も肩を竦める。
「今年もかわいい子をいっぱいなでなでできますようにと祈ったのに。
 まあ凶だろうが大凶だろうが、いっぱいなでなでするつもりですが」
 ついでで家内安全も祈ったので、凶はこっちかもしれませんな。などとこじつけた。
「……小吉……」
 可もなく不可もなく、といったところか。
 スカサハは、ひいたおみくじを見つめて呟く。
 願い事は、皆と楽しく過ごせますように。
 そして、皆を護れるくらい、強くなれますように。だ。

 レースをリタイヤになった鬼崎洋兵やマイト達も、送れて社に現れた。
「ま、折角来たんだからレース関係なく、お参りはしとくか」
と、社に向かう。
 今年も平穏に過ごせますように。
 楽して生きていけますように。
 そして、朔に父親として認めてもらえますように。
 ものぐさ親父のくせに、願い事をする時はあれもこれもと贅沢者なのだ。
 今年こそ洋兵さんと恋人になって幸せな家庭が築けますように洋兵さんと恋人になって幸せな家庭が築けますように洋兵さんと恋人になって幸せな家庭が築けますように………………
 一心不乱に祈り、ユーディットが魂を込めてひいたおみくじに書かれていた文字は『大吉』だった。
「きゃー! やったわ! 見て、洋兵さん! 大吉だって!」
「よかったな。俺は中吉だ」
「ええっ、私と家庭を築くのは、洋兵さんには中吉分の幸せなのかしら……。
 私には大吉分の幸せなのに……」
「……キミ、何の妄想をしてるんだ?」
 半眼ジト目で、洋兵はユーディットを見た。

 そしておみくじは小吉をひいたマイトの願い事は、「皆元気で過ごしますように」である。

◇ ◇ ◇


「で? どうだった? 連中の願い事は」
 アミに訊ねられて、社に座っていた布紅は微笑む。
「皆さん、叶うように頑張ってくださいね」
 けらけらとアミは笑った。