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我らに太平の時は無し――『護衛訓練』――

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我らに太平の時は無し――『護衛訓練』――

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第二章:拙速

「――ね? 言った通りだったでしょう? 要人の護衛なんだからスナイパーくらい居てもおかしくないって」
「そのようだな。……悪いが、私は警戒に重点を置こう。制圧は頼んだぞ」
 黒煙を上げて落ちていく幾つかの飛行艇を見上げあっけらかんと言う麻上 翼(まがみ・つばさ)に、月島 悠(つきしま・ゆう)は抑揚を排した口調で答えた。
 軍用バイクのサイドカーに座っているゴーレムを少し端に詰めさせて、空いたスペースに機関銃を下ろし、悠は超感覚を働かせる。
 機関銃を持ち運ぶ為のスキルと併用しては、些か消耗が激しいと判断したのだろう。
 ふさふさとした犬の尻尾と、制帽を少し押し上げて一対の耳が彼女の頭に生える。
「あ、制帽落ちちゃいますよ?」
「む、すまんな」
 制帽が外れると途端に頼りなく萎縮してしまう悠は、入念に制帽を被り直した。
「さて、行くか。……と言いたい所だが、早速いるぞ。1時の方向に一人だ」
 報告を受けて、翼は身を隠していた岩場から一瞬だけ前方を覗く。
 けれども視界に映るのは荒れた大地ばかりで、身を隠すような物は見当たらなかった。
「むー……おっかしいなあ。向こうの方にいるのは間違いないんですよね?」
 翼の問いに、悠は無言で首を縦に振り肯定の意を示す。
「んー……よし! じゃあ、ちょっと行ってきますね!」
 言葉と同時、翼は自身の内から光条兵器『ガトリング砲』を取り出した。
 服の随所を引き裂きながら姿を表したそれを結合した左腕と共に軽々と掲げ、彼女は砲身を回転させながら岩場を飛び出す・
 間髪入れずに手前の地面を掃射し、砂埃を煙幕代わりに。
 それから悠々と、彼女は敵が潜んでいるであろう方角へ弾幕を巻き続ける。
「だー! タンマタンマ! クリアリング成功だ! もう通っていいから勘弁してくれ!」
 不意に、砂埃の向こう側から懇願の叫び声が響く。ややあって、砂埃の幕に両手を挙げた格好の人影が映った。
「ったく、規格外にも程があんだろ……。たまの非番に駆り出されたと思ったら……危うく二階級特進するとこだったぜ」
「えへへー、何処にいるか分からなかったので、つい……。でも、ホントに何処にいたんですか? 隠れられそうな場所なんて、ありませんでしたよね?」
 ガトリング砲を収納しながら、翼が尋ねる。
 殆ど晴れた砂埃の向こうからやってきた狙撃手役の男は、顎で自分の背後を指す。
「何もない開けた場所ってのはな、案外狙撃手からすればやりやすいんだよ。外しようがないし、保護色の布なり何なり被っとけば結構バレないしな」
 答えを返し、しかし男は一瞬続きを言い淀む。
「……まあ、雪原だとクソ寒いし、この荒野も日が昇るに連れて馬鹿みたいに暑くなるだろうからな。お前さんに蜂の巣にされて逆にラッキーだったよ。流石はガトリングの花嫁だな」
 狙撃手の男は何気なく零したつもりのその言葉、その二つ名に、翼のからだが不穏に揺れた。
「だ、だから……」
 一度収納した筈のガトリング砲を再び取り出し、わなわなとした震えを伴って振り上げる。
「だからガトリングの花嫁って言うなぁー!」
 そして制止の言葉を紡ぎ出す暇も与えず、男の頭部目掛けて振り下ろした。
「ふんだ! 行きましょう、悠くん!」
 白目を剥いて昏倒した男に、翼は頬を膨らませてそっぽを向く。
 このまま放置するのも如何なものかと悠は暫し男を見下ろしていたが、結局解決策は見当たらなかったのか、一度制帽の位置を正してからバイクを発進させた。


「ふむ……魔物、蛮族と来て狙撃手まで配されておるとはな……。少々予想を上回るが、作戦に変更はない。イリーナ、手筈通り頼んだぞ」
 地図を片手に駿馬に揺られながら、レオンハルト・ルーヴェンドルフ(れおんはると・るーべんどるふ)は少し後ろを付いて来ていたイリーナ・セルベリア(いりーな・せるべりあ)を振り返る。
 彼らは今、地図に記された進行可能ルートから僅かとは言え、逸脱していた。
 イリーナの面している岩場を一つ超えれば、そこにはパラ実生を名乗る蛮族達が集落としている窪地がある。
 しかし臆した様子もなく、イリーナは頷いた。そうして白馬から軽やかな所作で降りると、岩場を登り、蛮族の集落を俯瞰した。
「貴様らに頼みがある。反論は許さん、心して聞け」
 蛮族達に姿を晒すや否や、出し抜けにイリーナは宣言する。一瞬、蛮族達は皆が皆揃ってぽかんと呆けた沈黙を作り出す。
 まさか女が単身で自分達の根城へやってきて、その上傲慢極まる物言いを放つなど、余りにも上記を逸していたが故に。
 だが徐々に現実が意識に浸透したのか、蛮族の内の一人がやたらと身体を左右に揺らしながら、がに股で彼女へと歩み寄った。
「頼みだぁ〜? 別に聞いてやってもいいけどよぉ〜。その前に俺らと楽しい事しようぜぇ? なぁ?」
 男は振り返り仲間達に尋ね、皆は一様に下卑た笑い声の合唱で答える。
 対して、イリーナは不快を隠さず眉を潜めた。
 そうして腰に差した高周波ブレードを抜き、足元へと一閃。
 歩み寄っていた蛮族の男と己の間に超えられぬ隔てを作るようにして、地面を深々と抉った。
「控えろ下種共が! 私はD級四天王、イリーナ・セルベリアだ! 本来ならばこのような所業は万死に値する……が、こちらも物を頼む身だ。無礼には目を瞑り、選ばせてやろう。皆が五体満足で私の頼みを聞くか、最後の一人になった誰かが私の頼みを聞くかだ!」
 凛然とイリーナは叫び、岩場の反対側で彼女の口上を聞いていたレオンハルトは、くつくつと喉を鳴らして笑う。
「……敢えて初めは名乗りを上げず、調子付いた連中の出鼻を挫いた所で脅し付け、更に二択を与える事で逆上の選択肢を奪う……か。中々見事な政治、演説手腕ではないか。それにしても、服従か死か……とは、俺の十八番をよくもまあ。尤も、俺の隣にいようと言うのならば、これぐらいはな」
 気迫に満ちた彼女の眼光と口舌の刃は蛮族達から確実に意気を削ぎ、笑声を殺しざわめきを生む。
「おい……D級四天王ってなんなんだ……?」
「知らねえ、俺に聞くなよ。でも何かヤバそうだぜ、四天王って言うくらいだし……」
「あ、俺何か聞いた事あるぞ。確かウチの……パラ実の方に関係あった筈……」
 脅えと無知が、彼らの心中に疑心暗鬼を植え付ける。
 一度転がり出した不安は、統制する者のいない烏合の衆に止める事は出来ない。
「……分かったよ。んで、俺達は何をすればいいってんだ?」
 やがて蛮族達は折れて、イリーナに恭順する事を選んだ。
「うむ、英断だ。何、そう難しい事を頼む訳ではない。ただ私ともう一人の連れを、安全かつ迅速にこの荒野を抜けられるルートを提供してくれればいい。これ以上を知る必要はないだろう。故に質問は認めない。さあ、道案内をしてもらおうか」
 怖気付いた蛮族達を高みから威圧的に俯瞰しつつ、イリーナはレオンハルトに見えるように腕を高く掲げ、親指を立てた。
 それから彼らは順調に、何の妨害も受ける事なく進行を続けた。
 多少入り組んだ地形を通ったり、蛮族達の足に合わせねばならない事もあり、進行速度自体は大して速くもない。それでも何処に居るのか分からない魔物への警戒や潜んでいる狙撃手を逐一排除しながら進むよりかは、断然速く進む事が出来ていた。
 しかし唐突に、二人の前を先行する蛮族達の足が止まる。
「オイオイ、どう言うこったこりゃあ……」
 蛮族の一人が思わず零した疑念の言葉に、レオンハルトとイリーナは顔を上げ、前方を見据えた。
 見てみれば、進路は砕け散った岩によって塞がれ、更に氷の壁によって完全に封鎖されていた。
「ち、違うんだ! いつもならこの道は普通に通れんだよお! 誰かがここで、派手な魔法でもぶっ放しやがったんだ!」
 背後から穏当ならぬ気配と視線を感じ、蛮族達は慌てて振り返り弁解を始める。
 けれども彼らの声はレオンハルトの耳を撫でてはいたものの、聞こえてはいなかった。
 既に彼の意識は、蛮族達のルートが使えぬ今どのようにして進行するかに切っ先を定めている。
「……ここ以外の道は、無いのか?」
「あるにはあるが、馬じゃ通れねえな……。相当引き返して道を変えるか、大人しく荒野のど真ん中突っ切るしかねえぜ。安全か速さか二つに一つだ」
 考えるまでもなく、レオンハルトの答えは決まっている。
 それはイリーナとて同じだろうと、彼は確認を取る事もせずに蛮族へと告げる。
「分かった。ならばお前達はここで用済みだな。ご苦労だった」
 悪びれの音色も感謝の響きもなく、淡々とした口調だった。
 間髪入れず彼は馬を駆り、多少引き返して荒野の真ん中へと出る道を取った。
 ここからは多少警戒もせなばならんな、などと考えていた彼は、だが次の瞬間信じられない光景に、目を見開く。
「……うぉおおおおおおおおおお!? 俺は決して立ち止まらんぞ! と言うか立ち止まれんぞぉおおおおおおおお!?」
 銃声を引き連れて、弾ける地面に追われ、赤いスカーフを荒々しく棚引かせて走る緑の影が、レオンハルトの視界を猛然と横切っていった。


 レオンハルトとイリーナが迂回を強いられた事で、神代 正義(かみしろ・まさよし)は一躍、暫定トップへと躍り出た。
 尚も彼は足を止めない。いや――止められないのだ。先程から彼は銃声に取り囲まれ、四方八方から迫る弾丸に晒され続けている。足を止めようものなら、その瞬間に被弾してしまうだろう。
 ゴーレムを背負い、彼はひたすらに走り続ける。しかし――例え彼が立ち止まる事なく動き続けていたにしても、ただの一発も被弾していないと言うのは、幾ら何でも不自然だ。
 何故神代は旧態依然と走り続ける事が出来ているのか。無論答えは、単なる幸運などではない。
「……ったく、世話が焼けるぜ」
 朝霧 垂(あさぎり・しづり)は軽い悪態を零しながらも、迅速極まる手際で周囲の危険を排除していた。正義が危うげながらも脱落せずに済んでいるのは、偏に彼女のお陰と言っていい。
 正義から少し離れた所を走りながら、手近な連中は毒虫の群れやその身を蝕む妄執で正義が駆け抜けるまで牽制し、遠くに潜む驚異はパートナーの夜霧 朔(よぎり・さく)にレールガンやミサイルポッドによる弾幕援護を頼んで掃討する。
 自分達の身も護りながら正義へ迫る危機を払うのは、無論容易な芸当ではない。けれども、
「けどまあ……しょうがねえよなあ。どうせやるなら、皆で合格したいしな」
 苦笑しながら、垂は殺気看破で潜伏を見抜いた蛮族達に毒虫を放つ。辛くはあるが、所詮は魔物と烏合の衆。教官達の配した狙撃手も、ある程度加減されているようだ。
 この分ならば正義を援護しながらでもゴールに達し、そこから引き返し皆の援護をする事も不可能ではない。
 そう判断した垂は浮かべた苦笑から、苦味を排して純粋な笑みへと作り替える。
 だが彼女の意識に希望が兆した直後、彼女の前方に小さな結晶が降り注ぎ、砕け散った。
 ――守護天使の禁猟区によって形成される、探知結界の意味を為す結晶が。
「垂さん――上です! 機影が二つ!」
 正義と垂の目前に、爆炎が広がった。間髪入れず絶え間ない銃声が響き、正義達の周囲の地面が炸裂する。僅かに前方を進んでいた朔は、爆炎によって垂と分断されてしまう。
「――主、申し付けられた通り、奴らの分断に成功したでござる」
「イエーイやったネ、アイボウ。ヘイ、ダンナ。お次はどうすればいいのかナ?」
 爆炎と銃声の主は、エー テン(えー・てん)イー ツー(いー・つー)、いずれもテクノ・マギナ(てくの・まぎな)の二人――正しくはニ機と言うべきか。
「おーご苦労、あと一回くらい掃射と爆撃食らわせたら離脱して休憩しとけ。あとエムエルアールエス、お前はそのまま待機だ。隙を見せたらぶっ放せ」
 彼らの主であるテクノ・マギナ(てくの・まぎな)はパートナー達から遠く離れた高台に上手く身を隠していた。下品な音を立てながらチューインガムを噛みながら、双眼鏡を介して戦場を監視し指示を飛ばしている。
 命令通りに、エー テンとイー ツーは上空で旋回し、再度スプレーショットと爆炎波による襲撃を行う。
「くっ……朔! レールガンで撃墜……!」
 ゴーレムを庇いながらもパートナーに指示を出そうとした垂だったが、ふと彼女の視界に正義の姿が映る。
「おのれ悪党共め! 正義の太刀筋受けてみよ! いでよ! シャンバラんブレードッ! …………って、降りてこーい! 卑怯だぞ! 正々堂々戦えー!」
 両刃の片手剣を模した光条兵器を振り回し、正義は喚いていた。その立ち姿は、格好の的としか言いようが無い。
「あの馬鹿なにやってんだ……! ったく世話の焼ける!」
 何とか彼を守ろうと、垂はゴーレムの手を引いて駆け出す。急な動作に、ゴーレムは僅かにつんのめった。結果、垂とゴーレムの間に、間隙が生まれる。
 瞬間、垂の視界の端で、何かが閃いた。目を見張り、表情を引き攣らせながら、彼女はその閃きを視線で追う。
「隙だらけであります! 六連ミサイルポッド、両門解放であります!」
 遠方の岩陰に潜んでいたエムエルアールエス・エムツーセブンオー(えむえるあーるえす・えむつーせぶんおー)の発射した十二連のミサイルポッドが、垂とゴーレム目掛け轟音を引き連れて大気を裂いていた。
「垂さん! 危ない!」
 すぐさま、朔が同じく六連のミサイルポッドを二門、同時に放ち迎撃を図る。
 直撃し、或いは誘爆して、エムエルアールエスのミサイルポッドは撃ち落とされていった。だが一発、迎撃弾の隙間を縫ったミサイルが、朔へ迫る。
 ミサイルは直撃こそしなかったものの、朔の付近の地面で弾け、飛礫と爆風で彼女とゴーレムを吹き飛ばした。
「……むう、真に遺憾ながら大破には至らなかったであります! 追撃しますか! リーダーの指示を求むであります!」
「やめとけ、見た所向こうも大射程の兵装構えてやがる。エー テン達ならともかく、お前じゃ的だ。遮蔽物を利用しつつ撤退しとけ。エー テン、イー ツー、今なら連中にトドメが刺せるだろ。やっちまいな」
 朔は咄嗟にゴーレムを抱きかかえ保護するが、それでも随所に煤や擦り傷が付いてしまう。破損はしていないが、ゴール地点で「ゴーレムが人間であった場合ちゃんと護衛出来ていたか」の審査員として配されている一条 アリーセ(いちじょう・ありーせ)が見れば、手痛い減点を付けるのは間違いない。
「……っ! 大丈夫ですか!?」
 漸く消え失せた爆炎と砂埃を超えて、朔は慌ただしく垂に駆け寄った。同時に上空のニ機を見上げレールガンを構える。両機の軌跡は僅かに曲線を描き、旋回と再襲撃の気配を見せていた。
 前触れもなく、朔の髪が発光し、四肢が燐光を放つ。そして彼女の双眸には、何処か仄暗い光が灯っていた。
「……垂さんごめんなさい……。今一度、昔の私に戻ります……」
「あぁ……俺もちょっと、考えが甘かったみたいだ……」
 超感覚の証である漆黒の耳と尻尾を生やして、垂も立ち上がる。
 彼女の目的は「皆が合格する事」だった。よくよく考えてみれば、何と甘い考えだろうか。自分一人でさえ、十全でゴール出来るかすら分からない訓練だと言うのに。
 事実、正義を無理に庇おうとしたが為に、垂のゴーレムは攻撃の煽りを受けてしまった。
 彼女は当然与り知らぬ事ではあるが、正義とて女王の加護や、トレジャーセンスの応用による第六感と、無意識に頼る所が大きくはあるが、防御回避の術は持ち合わせていたのだ。
 とにかく彼女は手酷い失態を経て、ようやっと自分の思考が蜂蜜の如く甘いものだと痛感した。
 その上で、今度こそ上空の襲撃者を迎撃せんと、意気を高める。
「……ソイツらの襲撃は中止だ。今すぐ離脱して休憩しろ。また飛べるようになったらすぐに出るぞ」
 だが出し抜けに、両機は旋回を取り止め、垂は勿論、朔のレールガンでも命中の望めない距離にまで離脱していく。エー テンとイー ツーに、テクノから再襲撃中止の旨が告げられたのだ。
 垂達からすれば一体何が起こったのか検討も付かないが、ひとまずは安全になったのかと武器や構えを収める。垂に生えた黒豹の耳や尾は消え、朔が発する微光も徐々に収まっていく。
「うぉお、かたじけねえ! そうだ! お詫びとして……」
 事が収まりほっと一息吐く垂と朔に、正義が駆け寄った。彼は大仰な仕草で頭を下げたり、手で刀を模ってともかく謝り通している。
「……いいよ別に。俺が好きでやった事……」
「アンタ達に歌を贈ろう! 作詞俺! 作曲俺のパラミタ刑事シャンバランのオープニングテーマだぜ!」
「……はぁ?」
 思わず呆けた声を零した垂の様子など気にも留めず、正義は腕を振りながら意気揚々と歌い出す。その歌声は甚だしく残念な響きで――しかし悲鳴を上げる鼓膜とは裏腹に、垂と朔は心なしか疲労に蝕まれた身体が軽やかになっていくのを感じた。
 珍妙極まるナリをしている正義だが、こう見えて彼は吟遊詩人としての技能を有している。ここまで彼の援護で飛ばし気味だった二人にとっては、ありがたい事だ。
 ありがたい事なのだが――どうにも複雑な心境を表情に滲ませる事を、二人は禁じ得なかった。
 そうこうして正義はシャンバランのテーマをノリノリで二番まで歌いきり、垂と朔にびしりと手を顔の前に運んで別れの挨拶を告げると、颯爽と走り去っていった。

 ――また一方で、正義、垂、朔の三名が足止めを受けた為に、レオンハルトとイリーナは再び先頭へと踊り出ていた。
「……ふむ、どうやら天も俺の味方をしているようだな。イリーナ、この機に後続を突き放すぞ」
 殺気看破で脅威を避け、回避出来ぬ狙撃手等はイリーナが本来ゴーレムを隠す為に用意した光学迷彩を被り始末しつつ、彼らはトップを独走する。
「……それとイリーナ、この先少々休憩を設ける。しっかり休め」
「なっ……! 私は休まずとも行けるぜ!」
「ふん、寝ずの行軍などお前に出来るものか。幸いにしてこの荒野では作る事の出来る罠もそう多くない。罠作りに当てる筈だった時間を休みに充てるだけだ。人を使うのは無論好きだが、使い潰す趣味はない」
「……悪いな。助かる」
 そう零したイリーナの表情は、微かに喜色を孕んでいた。


 レオンハルト達に案内を強要された蛮族達は、やり切れぬ憤懣を抱えていた。
 散々脅迫され扱き使われ、挙句「用済み」扱いされたとあっては、当然である。
 そんな時だった。何処からか聞こえてくる超弩級に下手くそな歌が、彼らの耳朶を乱暴に打ったのは。
「あんだあ? このド下手糞な歌は……。俺ぁ今むかっ腹立ってんだ! 何処のどいつだか知らねえが黙らせてやらあ!」
 付和雷同に、蛮族達は歌の聞こえる荒野へと群れて向かっていく。
「おうコラテメエ! クソみてえな歌声垂れ流してんじゃ……!」
 勇み蛮族達が躍り出た先には深緑と紅の特撮男――ではなく、
「あぁん? オレの歌声が何だってえ?」
 ゴリラが全身脱毛をした後に頭から肌色のペンキを被ったような、魔物一歩手前の風姿をした男、吉永 竜司(よしなが・りゅうじ)が聳えていた。
 口から吐き出される歌は音痴の域を遥かに凌ぎ、一度響けば地は揺らぎ、天は裂け、風は死ぬ。そう称しても差し支えの無い程だった。
「……いや、その、素敵な歌声ッスねーって……」
 竜司としては特に蛮族諸君を威圧する腹積りはなく、それどころか実は仲良くしたかったりすらするのだが。彼の余りの容姿に完全に怖気付いた蛮族達はお茶を濁すような答えを返すばかりだった。
「おぉ、嬉しい事言ってくれるじゃねえか! たんまり聞かせてやんよ!」
 一瞬蛮族達の表情が青褪めるが、その変化に気が付ける程竜司は聡くも目敏くも無かった。
「だけどよ、ちょっと今胸くそ悪ィ話があんだよ。この大荒野で、教導団の連中が勝手に演習をやろうってんだぜ? この、蛮族と魔物の縄張りでだ! どうよ! 気に食わねえとは、邪魔してやりてえとは思わねえか!?」
 ドラゴンが火炎を吐き散らすかのような所作と気迫で、竜司は鬱憤を我鳴り散らす。
「……もしかして、アイツらって教導団の奴らだったんじゃね?」
「言われてみりゃ……それっぽい格好してやがった……って言うかまんまじゃねえか! 何やってんだよ俺ら!」
「ぬぁああ! それが分かったら余計腹立ってきたぞ! モーレツに腹立ってきた! 邪魔してやりてえ!」
 烏合の衆である蛮族達は、繋がりが確固でないが為に、対局や勢いに流されやすい。竜司から発散された怒気は、瞬く間に彼らへと伝播していった。
「いよっしゃ! なら話は決まりだ! 数を集めて連中に一泡吹かせてやろうぜえ!」
 腰を落とし太ももを叩き、威勢よく竜司は声を張り上げる。そうして褌の内側から、パートナーと通信を取るべく携帯電話を取り出した。
 
 
「……オメーら、今なんつった?」
 また別の場所。蛮族の群れが、目前の二人の人間に呆気に取られた声で問い掛ける。
 教導団の教官達が意図的に流した「教導団が大荒野で訓練をする」との情報に、彼らは武器と人数を集めて待機していたの。
 だがそこに二人の少女が訪れ、こう言ったのだ。
「だから、わらわがそなたらの手伝いをしてやろうと言っておるのだ。二度も言わせるでない」
「わたくしも同じく、ですわ。同じパラ実生として一緒に仲良く、教導団の邪魔をしましょう?」
 グロリアーナ・ライザ・ブーリン・テューダー(ぐろりあーならいざ・ぶーりんてゅーだー)上杉 菊(うえすぎ・きく)は口調と態度こそ違えど、同じ提案を告げる。
 ともすれば高慢とも受け取れる程に気品に満ちたグロリアーナと、花のような微笑を浮かべる菊に、けれども蛮族達は疑いの眼差しのみを向ける。
「オメーら、何企んでやがる?」
「……嫌ですわ。何故そのような事をお聞きに?」
 困惑の色を笑顔に滲ませて、菊はお茶を濁した。蛮族の群れの先頭に立つ男は、歯を軋ませて、表情に険悪に染めて答えを返す。
「……自慢じゃねえがなあ! ウチの学校にゃオメーらみてーな高貴で可憐でオシトヤカな奴はいねーんだよ!」
「ホントに自慢じゃねえな、それ。事実なのがまた悲しいけど」
「うっせえ!」
 何やら愉快な漫談を繰り出す蛮族達とは裏腹に、グロリアーナと菊は表情に陰りを差す。
「困ったのう。早速バレてしもうたか」
「困りましたねえ。これからどうしましょうか?」
「どうするもこうするも……」
 そうして平然と、自分達が偽りを述べていた事を吐露した。グロリアーナに至っては悠然と、右手を突き出してすらいる。蛮族の顔を覆う険が、忽ち業火と燃え上がる。
「……っ! ふざけやがって! 叩きのめして玩具にしてやらあ!」
 激情に任せ蛮族は携えていた岩の棍棒を振り上げた。そして憤然と、何かをする間も与えずグロリアーナと菊の頭を薙ぐようにして振り払い――見事に空を切った。
 空振りの寸前、急に棍棒が軽くなった違和を感じた蛮族の彼は、右手の棍棒を注視する。棍棒は、相手を殴打する部分が根元から消えていた。
 一拍遅れて、彼の耳孔を乾いた破裂音が撫ぜた。
 彼らから遙か遠方に潜んだローザマリア・クライツァール(ろーざまりあ・くらいつぁーる)による、狙撃の銃声である。音すら置き去りにした弾丸が、棍棒の頭を見当違いの方向へと連れ去ってしまっていたのだ。
「……バレてしまいましたか。まあ、れっきとした正当防衛の名目を得られましたし、問題ありませんね」
 岩陰からの伏射を行いつつ、ローザマリアは呟いた。
 覗き込んだスコープ越しに、グロリアーナの掌から火炎が迸るのを、彼女は認める。
 驚愕に表情を支配されていた蛮族は、グロリアーナの繰り出した火術に顔を呑まれ、昏倒していた。
「……真っ向から成敗する他、無かろう」
 呟き、他の蛮族達が動く隙も許さずグロリアーナは彼らに恐ろしい幻覚を刻む。
 浮き足立った彼らから、ローザマリアは正確無比の狙撃で武器を弾き飛ばす。無力化された蛮族達にトドメを刺す形で、グロリアーナと菊が火術や雷術で昏倒させていく。
 そうして積み上がった蛮族達の山を、彼女達はことごとく簀巻きに仕立てて、立ち去っていった。
 銃撃は武器の剥奪だけに留め、直接の攻撃は魔法のみに留めていたとは言え、ここは魔物の潜む荒野であり、更にはそろそろ太陽も昇り切ろうとしている。
 放置されれば、遅かれ早かれ死に至るのは避けられない。
「さて……ここら一帯はもうクリアですね、次の的を探しましょうか。そろそろ伏射も飽きましたし。次は……市街地戦を想定して遺跡の上から、と言うのも面白そうです」
 にも関わらずローザマリアはそのような事は考えもせず、或いは度外視しているのか、パートナー二人と共に次なる標的を索敵しに行ってしまった。
 彼らが立ち去った後には点々と、簀巻きにされた蛮族達の一団が転がっている。
 偏にこのままでは為す術なく死を迎えるだけの彼らに、しかし一人の男が駆け寄った。
「オイどうしたお前ら! 大丈夫か!」
 声を荒げて問い質し、蛮族を手当たり次第に簀巻きから解放していく彼は、蛮族らと同じく教導団の流した情報に釣られやってきた、国頭武尊(くにがみ・たける)だ。
 彼は誰にやられた、とは問わなかった。聞くまでも無く、彼の心中に燃える憎悪と憤怒の矛先は、決まっているのだから。
「す……すまねえ……。畜生……奴ら狙撃手を使って……女の……」
 火術を食らって顔の爛れた男は、癒着する唇に無理を強いて、言葉を紡ぐ。武尊の面の上で、義憤の炎が瞬時の内に燃え盛る。
 握り拳を地に打ち付け、彼は哮る。
「ゴール前で待ち伏せしてやろうと思ってたが……その前にやる事が出来ちまったぜ! こんな事されて大人しく待っていられる訳がねえ!」
 轟々たる烈火と燃え上がった彼の憤慨は、収斂し、標準を教導団と言う大きな括りから一人の少女へと定めた。
 ローザマリアを仕留めるべく、彼は抱き起こした蛮族の男をそっと寝かせ、立ち上がった。


「おうアイン! こっちは仲間ぁ確保出来たぜ! そっちはどうだぁ!?」
「そんな我鳴らんでも聞こえとるがな。こっちも面白そうな連中を見付けたわいな」
 携帯の受話口から耳を劈く竜司のダミ声に顔を顰めつつ、アイン・ペンブローク(あいん・ぺんぶろーく)は怠惰と陰謀の声を返す。
 彼が見付けたのは、ついさっき武尊に助けられた蛮族の集団だ。助けられはしたが、未だ苦渋を口腔内に留め燻っている彼らに、アインは歩み寄る。
「おうおうおぬしら、良かったのう助けてもらえて。……しかし情けないとは思わんのか? 助けられた挙句、ただ仇を打ってもらうのを待つばかりとは」
 挑発染みた物言いに蛮族達は微かな苛立ちを示し、アインの狙いはそれだった。一度相手をイラつかせる事で、却って話に引き込みやすくする事が。
「……実はのう、わしは今相棒と共に、教導団の奴らの妨害を画策しておりましてな。……どうだ、一口乗らんか?」
 巧みな舌先から、アインは甘美な蜜の如き言葉を垂らす。アインに植え付けられた怒りを屈辱感のそれと錯覚した蛮族達は、容易に彼の話を心に浸透させていく。
「……アホですなあ、こやつら。そもそも教導団の邪魔などしたところで一銭にもならんと言うのに、竜司の奴め……。まあ、こやつら数だけはおりそうですからな。いざという時の駒として取っておくしますかの」
 決して蛮族達には聞こえぬよう口腔内での響きに留めながら、アインは呟いた。


「……あら? 一体何があったのかしら? 首が沢山、切り易い形で転がってますけども」
 大荒野に住む蛮族、その中でも『首狩族』と呼ばれる集団――の簀巻きを、藤原 優梨子(ふじわら・ゆりこ)は発見した。
 他の蛮族と比べて一等異常、かつ凶暴な首狩族だが、姿も見えない相手からの狙撃には為す術も無く破れたらしい。
 とは言え、危険な連中には違いない。違いないのだが、優梨子は特に躊躇いも感じられない手付きで彼らをせっせと解放していった。
「御機嫌よう、皆さん。実は私、面白そうな噂を聞き付けてここまで来たのですが……皆さんも同じですよね? でしたら、一緒に遊びませんか?」
 小首を傾げて尋ねる彼女に、首狩族は小刻みに首を縦に振った。
「オマエ、ナカマ。イッショニ、アソブ」
 片言の言葉で、蛮族は答えた。だが彼らが優梨子をナカマと認めたのは、何も助けられたからではない。
 優梨子の首元に、お嬢様然とした風貌の彼女には到底似合わぬ干首が、吊るされていたからだ。それにより彼女は、首狩族から同様の嗜好と狂気を持つ者だと判断された。
 もし干首がなければ、蛮族達の答えは「オレサマ、オマエ、マルカジリ」とかになっていただろう。
 ともあれ優梨子は首狩族を仲間として、揚々と待ち伏せを開始した。


「あ、あのー……その、助けて下さい……。蛮族に襲われて……携帯や食料を奪われてしまって……」
 ソルファイン・アンフィニス(そるふぁいん・あんふぃにす)は遭難者を装い、教導団のゴール地点を訪れていた。
 パートナーであるリカイン・フェルマータ(りかいん・ふぇるまーた)に頼まれて、教導団の訓練生が何処を通るのかを聞き出しに来たのだ。教導団の妨害などソルファインは乗り気ではなかったが、リカインとシルフィスティ・ロスヴァイセ(しるふぃすてぃ・ろすう゛ぁいせ)は既にノリノリで、拒否も説得も出来そうにない。結局、彼は言われるがままに動く羽目となったのだ。
 とは言えその作戦は「携帯を通話状態にして隠し持っておき、何気ない雑談の流れで情報を聞き出す」と、不安が飽和状態になって溢れ出んばかりの物だった。
「あ……あの、そう言えば皆さんは何でこんな所にいるんですか? もしかして……何か演習をしているとか?」
 出来る限り自然な切り出しを心掛けて、ソルファインは尋ねる。
「ん? 何だ、情報を聞き付けてやってきたって訳じゃないのか。俺らは見ての通り教導団の人間なんだけどな、今この大荒野で演習をやってるんだよ」
「へ、へぇーそうなんですかー。通るルートとか……決まってたりするんですかー? ……もしそうなら、そこを通れば良かったなあって、ははは……」
 額に冷や汗を滲ませ軽く引きつった笑顔を浮かべながら、ソルファインは核心に踏み込む。
「ははは、まさか。ウチがやってるのは行軍じゃなくて訓練だからね。決まったルートはないよ。ただ一応、指針を記した地図は渡してある。でないと誤って魔物や蛮族の巣窟に迷い込んだら大変だ。……ちょうど君のようにね」
 教官然の男が冗談めかして説明するが、ソルファインは相変わらず緊張で固まった笑顔を返すばかりだ。
「えっと……その地図とか、貰えませんか? 今後の為って事で……」
 その地図さえ手に入れれば、妨害活動は格段にやりやすくなるだろう。暫し沈黙する教官に、ソルファインの鼓動は早鐘と化ける。ゆっくりと開かれる教官の唇を、彼は凝視していた。
「……勿論構わないよ。おーい、この荒野の地図、まだ余ってたろー? 一枚持ってきてくれ」
「おぉいいぞ。だが代わりにこの演習中のコーヒー係はお前な」
「地図一枚でどんな暴利だよ! いいからさっさと持って来いっての!」
 近くにいた同僚と思しき男に呼びかける教官を見て、ソルファインは安堵の嘆息を零す。だが、
「……ちょっとソルー? まだなのー? もう待ってるの飽きちゃったんだけどー」
 不意に彼の衣服の内から、隠し持った携帯越しにリカインの声が響く。
 ぎょっとして、彼は弩に弾かれたように顔を上げて教官の顔色を伺った。
「……何だ。そう言う事なら、もっと早く言ってくれれば、ちゃんとした対応をしたのになあ……」
 けれどもその言葉だけで、彼の脅えは爆発してしまった。
 それから続く教官の言葉を、彼の耳は捉えない。ただただ、恐慌の態を示すばかりだ。
「ソルファインさん……何だか分かりませんが、マズそうですね……!」
 遠くに身を隠していたヴィゼント・ショートホーン(びぜんと・しょーとほーん)は彼の様子を認め、すぐさま軍用バイクを走らせる。
 ソルファインを拾い上げ、すぐに遁走するつもりだったが――駐屯地に飛び込みソルファインに到達した時点で、周囲は既に教官達に囲まれていた。
「……分は悪いですが……やるしかありませんか……!」
 獣化を果たし、トミーガンを片手で携え、ソルファインは肩に担ぎ上げる。
 軍用バイクと銃撃で場を乱し、機を見て脱出する算段だ。
 とは言え相手は生粋の軍人ばかり。分は悪いどころか、逃げ切れる可能性など万に一つだろう。それでもやるしかないのだと、ヴィゼントは咆哮し――
「……いやあ、何だ君達! わざわざ突っ込んできたりして、やる気満々だなあ! これは期待出来そうだ。ほら、地図だよ。持って行きなさい」
「……はい?」
 ――教官の一人が、にこやかに笑いながらヴィゼントに地図を手渡した。
「……えっと、あの、いいんですか? これ。機密とかじゃ……」
「んな訳ないじゃないか。これは言ってみれば「荒野を比較的安全に通過出来るルートの地図」だからね。似たような物は普通に出回ってるよ。……と言うか君ら、俺達が流布した情報を聞いてきたんじゃなかったのかい?」
「……何の情報ですか?」
 ヴィゼントの肩に担がれたまま、ソルファインが問う。
「だから、『教導団が護衛訓練をします。外部参加、襲撃役での参加OK』ってさ。色んな学校に流布した筈なんだよね。だから君らもそれを聞き付けてきたのかなと」
「……リカさん? これ、どう言う事ですか?」
 携帯を取り出して、ソルファインが問い質す。
「んー? その方が面白いかなーって。それより地図は手に入ったんでしょ? それよりもうフィス姉さんが退屈過ぎるってごねてるから、どんなルートがあるのか教えてくれない?」
 悪びれも無く答えた上で、リカインは問いを返す。
 暫しの沈黙を経た後、教官の一人がソルファインの肩に手を置いた。
「……かわいそうになあ、青年よ。俺には見えるよ。遙か未来まで変わらず尻に敷かれる君の姿がな……」
「まあ、お前は尻に敷いてくれる人もいないんだけどな」
「……青年よ。俺は今からコイツを射殺せねばならなくなった。前途ある君にそのような痛ましい光景を見せるのは心が痛むから、そろそろ行きなさい。妨害役頑張っておくれよ」
「ははは、お前は相変わらず冗談が下手だな。……おい待て何で銃を構えてる冗談にしちゃやり過ぎ……ひぃいこっち来んなぁあああああああ!」
 乾いた笑い声と銃声を背後に、ソルファインとヴィゼントは呆れと諦観に表情を染めてその場を後にした。


「あの! 私は今荒野のど真ん中を走ってます! 皆で協力し合いましょう! そうすれば、この訓練だって簡単に合格出来る筈ですよね! 繰り返しますね! 私は今……」
 右手のみで軍用バイクを運転しながら、琳 鳳明(りん・ほうめい)は左手の通信機で様々な周波へと、嘘の現在地情報を流していた。そうする事で、妨害者達が一箇所に集中すると踏んだのだ。
 現に先程テクノが垂、朔両名に対して有利に事を運んでいながらパートナー達を撤退させたのは、彼女が原因だ。「声からして小心者だ。玩具にし甲斐がある」と、テクノは上機嫌でエー テン達に命令を与えていた。
 だが荒野には彼女の通信とは関係なしに、多くの訓練生が通っていた。
「……いやいや、こんな通信垂れ流したら却って人来ちまうだろ……。こりゃここは危険になるかも知んねーな。嫌な『予見』も見えちまったし、ちょいとばかし面倒だが、ルート変えるか……」
 運良く広い周波数を拾い上げる、元々は遭難者用のラジオを備えていた瓜生 コウ(うりゅう・こう)は幸いにして、いち早く荒野の中央ルートから離れる事が出来た。
 しかし何も知らない他の面々は、依然変わらず荒野を進み続ける。
「……よし、ここから先は狙撃手の隠れられるような場所もないだろう。今まで辛かった分、一気に楽になるな」
「そうですね。頑張って斥候した甲斐がありました」
 レーゼマン・グリーンフィール(れーぜまん・ぐりーんふぃーる)そのとパートナーイライザ・エリスン(いらいざ・えりすん)も、荒野の中央ルートを選んでいた。
 探知に使える技能に乏しかった彼らは、しかしその分堅実なクリアリングによって歩を進めていた。
 今隠している岩陰から身を出せば、後は延々、遮蔽物も何もない荒野が続く。幸いにも日が昇り陽光が地を強く照らしている事で、迷彩柄の布も注意すれば見抜ける程度には迷彩効果を失っている。
 ここに来るまで時間を掛けた分、これから先は楽に進行出来そうだと、彼らは一時の休憩を終え進行を再開した。

「……もうかれこれ、30分くらいはこうしてますなあ」
 セオボルトは自らが身を隠した岩に軽く後頭部を預けて、呟いた。
 荒野を軍用バイクで突っ切る事を選んだ彼は殺気看破を用いて順調に敵を排除してきた彼は、しかし教導団の配置した他よりも手強い――所謂『ハズレ』の狙撃手にかち合ってしまったのだ。
 殺気看破で居場所を見抜いたまではいいが、相手方も同じく殺気看破を持っていた為に迂闊には接近出来ず。結果こうして膠着状態に陥ってしまったのだ。
 恐らくこれは相手の思い通りの展開なのだろうと、セオボルトは思考する。
「この呆れるほど徹底した足止め……。今更ですけども、貴方教導団の人間ですよねえ? まあ、予想出来てた事ではあるんですけど、退屈じゃありませんか?」
「……訓練と言っても任務だぞ。お前は敵にもそうやって話しかけるつもりか?」
「そうは言っても、今の所口くらいしか動かせる場所がないのでね。あ、あとその発言はそっくりそのままお返ししますよ」
 投げ返された皮肉に狙撃手は微かに歯噛みして――同時にセオボルトは短兵急に岩場から飛び出した。気性を見出していた狙撃手は一瞬対応が遅れ、迎撃の機を損ねる。
 先の先を制したセオボルトはそのまま猛然と狙撃手が隠れる岩場へと接近する。だが、既に狙撃手は平静を取り戻していた。
 小回りの利かない狙撃銃は置き、代わりに拳銃を抜く。殺気看破による気配探知と聞こえてくる足音を併せれば、セオボルトが何処にいるのかは相当正確に判別出来る。
 どのように攻めて来ようとも、アンブッシュして迎撃出来る。彼にはその自信があった。
(さあ……どっちから来る……! 右か……左か……?)
 けれどもセオボルトの足音は、岩の真正面から聞こえる。曲るような気配は、一切感じられない。疑問を抱いた狙撃手は、しかしすぐに得心を得た。
(さては岩の上から来るつもりか! 甘いな、撃ち落としてやるさ!)
 狙撃手は銃口を上に構え、足音は極限にまで近付いた。
(……? どうした? 何故来ない?)
 だが、セオボルトは現れない。足音は立ち消え、殺気だけが残る。岩を挟んで、すぐ裏側に。
(……何がしたかったんだ? 状況は変わらない……いや、この距離だ。精神的な負担を考えれば一層面倒になっただけ……)
 狙撃手は思索を巡らせる。そして直後――彼の目前で、岩が砕け散った。
 四散する飛礫を率いて彼へと迫るのは、幻槍モノケロス。ドラゴンアーツによって強化された膂力に突き出された尖鋭な穂先は、彼に触れる直前で静止する。
「……通っても、よろしいですか? それとももう一押しした方が?」
 岩の向こう側から声が聞こえる。狙撃手に死を幻視させた槍の持ち主の声が。
「……やられたよ。さっさと行っちまえ」
 悔し紛れにそう言うや否や、槍は引き抜かれセオボルトはバイクへと引き返す。そうしてようやっと面倒事の潜んでいそうにない開けた視界に、軽く苦笑を零した。
 
 無言で、ハンドサインによる合図のみによって意思疎通を図り、歩を進める三人の集団がいた。全員、迷彩として砂色のローブを被っている。
 先頭にはリース・バーロット(りーす・ばーろっと)が殺気看破、ディテクトエビル、禁猟区と万全の探知スキルを用いて周囲をクリアリングしている。その少し後ろを、戦部 小次郎(いくさべ・こじろう)はヘキサポッド・ウォーカーに搭乗しゴーレムを守りつつ、リースの手信号を見逃さないように見張っている。
 不意に、リースが手信号を三度繰り出す。それぞれ、敵発見とその数、方向を示していた。方向は進路に被っており、数に至っては十を超える。明らかに待ち伏せされている。一瞬の思考時間を経て、小次郎はリースとアンジェラ・クリューガー(あんじぇら・くりゅーがー)に手信号で指示を出した。
 指示の内容は、機先を制してレールガンで威嚇射撃。尚も向かってくるようなら六連ミサイルポッドで援護。等だった。指示通りに、アンジェラは敵方が隠れていると思しい岩のすぐ横に、レールガンを通過させる。俄に爆音が響き、岩陰から蛮族達が慌てふためき逃げていく。
 アンジェラはレールガンの標準を逃げ惑う蛮族達に合わせながら、小次郎に視線を遣る。追撃の有無を問うているのだ。やはり手信号で、必要なしとの答えが返された。
 周囲を安全と判断したリースは、人差し指を二度自分の方へ屈伸させて、合流を促す。そうして後続の二人が追い付くと、ほっと一息吐いてようやっと口を開いた。
「……この先はもう、誰かが隠れるような場所は見当たりません。一安心ですわ」
「まったく、息が詰まっちゃいそうだったわ」
 嘆息を交えて、二人のパートナーは零す。
「仕方ないだろう。警戒を怠ればもっと面倒な事になる。それに、ここからはもう歩くだけだ」
 誰かが隠れるような場所はなく、多少前を進んでいる二人組の姿も認められる荒野を見据えて、小次郎は自信満々に断言した。

「迂回は……無理でしょうか?」
「逆に他の脅威に捕まるであります。むしろただの魔物であった事は僥倖であります。狙撃手に見つかった場合自分達では苦戦は必至であります!」
 レジーナ・アラトリウス(れじーな・あらとりうす)の提案に、金住 健勝(かなずみ・けんしょう)は奇妙な三段論法で答える。灰汁の強い口調に若干辟易の色を見せながらも、レジーナは頷いた。
「ゴーレムの護衛と周囲の警戒をお願いするであります。自分は奴を……」
 背負っていたルミナスライフルを構え、健勝は地面に伏せる。狙撃用の銃ではないが、シャープシューターの技能を持つ彼ならば、代用を利かせる事は出来る。
 普段より少し大きく息を吸い、徐々に吐いていき、胸の内側が吸気に圧迫される感覚が消えた瞬間に、呼吸を止める。十分な酸素を保持しながら、肺に無理な力の掛かっていない、狙撃に際しての理想な状態だ。
 静寂が場を包み――健勝の指が澱みなく、トリガーを引いた。乾いた炸裂音と眩い閃光が迸り、十字線の中心にあった魔物の頭が弾け飛ぶ。
 緊張の残滓と安堵の気配を含んだ吐息が、吐き出される。
「排除完了であります。……さて、ここから先は見渡す限り荒野であります! 今まで難航牛歩してきた分、楽に素早く移動出来るであります!」
「あはは……やりましたね」
 相変わらずの口調に、相変わらずの微かに引きつった笑顔を返して、レジーナは先行する健勝に付いていった。

「……だから、ガトリングの花嫁って言うなって何回言えば分かるのよー!」
 本日何度目かになる激昂の台詞を叫び、ついでにガトリングによる撲殺記録も順調に更新しつつ、半ば八つ当たり気味に翼はガトリングを掃射する。
 軍用バイクを乗り回し、何処に隠れていようがお構いなしの徹底的な殲滅だ。いっそ辺り一面更地にすれば安全、と言わんばかりの勢いだ。
「まったく……翼、無茶はするなよ!」
 彼女が撃ち漏らした、或いは隙だらけな彼女を狙う脅威を、悠は機関銃で排除しながら銃声に負けぬよう声を張り上げた。一通りの排除を終え、一度悠は帽子を被り直す。
 あくまでフォローが目的である為、機関銃は本来の用途通り地面に置いて使用している。その為超感覚は変わらず使用出来ていたのだ。
「任せといてよー! ……うん、もう大丈夫! 辺りには誰も居ませんよね?」
 殺気探知を持つ悠に、翼は尋ねる。一旦俯き口元に右手を運んでから、翼は頷きを返した。
「やった! じゃあ、進みましょうか。ここから先は隠れるような場所もありませんし、もしいてもガトリングを掃射すれば一発ですからね!」
 禁句を言われ過ぎた為か、若干危険なテンションに染まりつつある翼は、意気揚々とガトリングを振り回しながら軍用バイクに飛び乗った。


「オイオイ、どう言うこったこりゃ!?」
 荒野のど真ん中を展望出来る高台に登り詰めたテクノは、双眼鏡から見える光景に声を荒げた。
 お人好しそうな美少女は何処にも居らず、代わりに見当たるのは、
「ムサそうな野郎にコブ付きが三組! 挙句の果てに眼鏡野郎まで! ぬがぁあああああああああふざけやがって! おいテメエら! アイツら一人残らずぶっ飛ばしちまえ!」
 怒りに任せて、テクノは命令を我鳴り散らす。
「むう、それが主のご命令とあらば!」
「僻みカッコワルイネー。マ、いっちょヤリますカ、アイボウ」
「上官の命令は絶対であります! 出撃するであります!」
 何処か呆れを孕んだ口調で了解しつつ、エー テン、イー ツー、エムエルアールエス・エムツーセブンオーの三機は出撃する。
 手始めとして遙か上空から、爆撃と機銃掃射が行われた。


「……やれやれ、何だか向こうの方が騒がしいねえ。空にも何か飛んでたし、他の連中がいない遠回りのルートを取って正解だったかな? ……その分、狙撃手やらは一杯いるけどねえ」
 遠くから響いてくる爆音や銃声に耳孔を撫でられて、久多 隆光(くた・たかみつ)は呟いた。傍らではシュネー・ベルシュタイン(しゅねー・べるしゅたいん)が芳しくない面持ちで待機している。とは言えその表情の正体は、不安ではないようだ。
「ぎゃぁあああ!」
「なっ……一体どこか……ぐわぁあああ!」
「ニャハハハ! 芋ってんじゃねえよ芋砂野郎がニャッハアアアアアアアア!」
「っ! そこか! ……クソ外し……ぬわーっ!」
 断続的に響く悲鳴に混じって聞こえてくる、猫のような――と言うより実際猫のものなのだが――哄笑。彼女の表情に影を差しているのは、辟易の表情を浮かべさせているのは、他ならぬ彼女のパートナー。クラウツ・ベルシュタイン(くらうつ・べるしゅたいん)の笑い声だった。
「……クラウツの馬鹿、あれだけ騒がないようにって言っておいたのに……」
 見てみればクラウツの大騒ぎを聞き付けて、遠くから蛮族や魔物さえ押し寄せてきている。
「もう……! どうするのよこれ……!」
 間誤付いていれば、彼女達は魔物と蛮族に包囲されてしまう。だが前方にはまだ排除し切れていない、それどころか騒ぎによって一層警戒を強めた狙撃手達がいる。
「……よし、シュネー。先に行っといてくれ。……オッサンはここで奴らを相手してから行くとするかね」
 一体どうしようかと思索を回らせ、しかし何も打開策の浮かばなかったシュネーに、隆光はそう告げた。
「そんな……! 出来ません、置いていくなんて……!」
「おいおいひどいなあ。置いてかれるつもりなんて更々ないさ。ただちょっと、遅れていくだけだ。すぐに追い付くさ」
 冗談めかした苦笑いを見せて、隆光は強がってみせた。
 今の彼には何を言った所で、きっと冗談と笑いで流されてしまうだろうと、シュネーは根拠はなしに、だがはっきりと予感した。
「ほら、連中が集まってこない内に行くんだ。クラウツがいれば前方の狙撃手はどうにかなるだろう。あぁ、あと俺のゴーレムも連れて行ってやってくれ。庇ってる暇は無さそうだ」
 隆光の言葉は「言っといてくれ」から「行くんだ」と推移する。即ち、頼み事から、命令へ。それに伴ってシュネーの予感は確信へと変わり、彼女は一度隆光に頭を下げると二体のゴーレムを連れて前方へ駆けていった。
 彼女が走り去るのを見届けてから、隆光は深く溜息を吐く。その中に含有された感情は諦観か、それとも他の何かなのか。彼以外には知る由もない。或いは彼自身も、分からないかも知れない。
「やれやれ……これでフラグの一本でも立てばいいんだがね。こんなオッサンにゃ精々死亡フラグが関の山だぜまったく。はっはっは……オイ、どうしたお前ら」
 背負ったアーミーショットガンを構え、面から感情を排して、彼は蛮族達と魔物共に語りかける。
「ここ、笑うトコだぜ? ……笑えよ」
 蛮族と魔物、そして隆光のショットガンが、吼えた。


「……あっぶなかったなあ。福、怪我は無かったか?」
 前方で猛威を振る空の襲撃者達を岩陰から覗き見て、大岡 永谷(おおおか・とと)は呟いた。
「うんっ! 光学迷彩も使ってたしね! ただちょっと、着ぐるみが焦げちゃうかと思ったけど、大丈夫だったよ!」
 彼らよりも先行して、光学迷彩を使い斥候の役割を担っていた熊猫 福(くまねこ・はっぴー)は、空襲に巻き込まれ慌ててここまで逃げてきたのだ。危険な目には遭ったが、そのお陰で彼らのチームは危機を免れる事が出来た。
「とは言え、あれじゃ通過は無理だな。違うルートを考えないと」
 地図を取り出し、永谷は現在地を確認する。
「……マズイな。こっから迂回するとなると、魔物の巣の近くを通る事になる。だけど更に迂回するとなると、今度は大きく遠回りする事になっちまう……」
 唇を軽く噛みながら、永谷は地図とにらめっこを始めた。
 だが不意に彼の視界の横から兆した白い手が、制止を掛ける間もなく彼から地図を奪ってしまう。
「悩む必要などありませんよ。進んで命を投げ打つのは蛮勇であり愚かな事ですが、安寧を惜しむ余り出来る事を為せぬまま終わるのもまた、愚かな事です。ゴーレムの護衛と回復は完璧にこなして差し上げましょう。だからほら、行きますよ?」
 永谷の顎にそっと右手を添えながら、ファイディアス・パレオロゴス(ふぁいでぃあす・ぱれおろごす)は彼女の耳元で囁く。途端に彼女の表情が、激情からか僅かに赤く染まる。
「いちいち変な事すんな! あとそれ返せ! さっさと行くぞ!」
 奪い取られた地図を分捕り返し、永谷はファイディアスから距離を置くべく彼を突き飛ばし、勢いよく立ち上がる。
「む? もうでござるか? わらわはもうちょっと休んでいたいでござるよ……。何だかいつもよりずっと疲れるでござる……」
 岩に背を預け切った滋岳川人著 世要動静経(しげおかのかわひとちょ・せかいどうせいきょう)が、疲れを顕にした表情で懇願する。
「……そりゃこんな荒野に十二単着てきたら熱さで参るに決まってるだろ! いいから行くぞ! 消費し過ぎない程度なら氷術使ってもいいから!」
 辟易の感情を燃やして声を張り、永谷は折衷案を告げる。
「むう……かたじけないでござる。……と言うか、福殿も着ぐるみを着ていると言うのにこの差は一体……」
「食べ物じゃないのー? あたいはおいしいご飯をいっぱい食べてるからねー」
「む……わらわも食事は豪勢にしとるでござるよ? 松の実や柘榴、鮑や雉と……」
「……それ、平安時代の豪勢だよね? そんなのじゃなくても、カレーとかハンバーグとか美味しいものは沢山あるんだよ!」
「ふむ……なるほど、忘れぬ内に書き留めておかねば……。カレーとハンバーグ……」
 呑気な会話を繰り広げる福と世要動静経に、永谷は呆れも怒りも通り越して諦観の溜息を吐くに至った。
「……そのメモ、訓練や任務には十二単を着てこないとも書いといてよ……」
「む、これはわらわの正装じゃ。言わば軍服と同じ。妄りに脱ぐ事は出来ぬでござるよ」
「……あぁ、そう」
 溜息を重ねる永谷の肩に、ファイディアスの手が置かれる。
「口を動かしながらでも、足は動かせるでしょう? さっさと進みますよ。今の騒ぎを聞き付けて何者かが来るかも知れませんしね」
「……それ、俺に言う事じゃないよな? あといちいち体に触んのやめろって言ってるだろ!」
 冷たくあしらわれたファイディアスに、福がにやにやと視線を向けた。
「やーい、やぶへびー」
「フッ、ペットがちょっとそっぽを向いたくらいで尻込みするわたくしではありませんよ。それに、これくらい可愛げが無い方が調教のし甲斐があると言うもので……」
「……口を動かしながらでも足は動かせるんじゃなかったのか? 早くしろよな」
「ぬぐっ……!」
 冷冽な反駁と福の嬉々とした視線に、ファイディアスはそれっきり口を噤んでしまった。


「おぉ? んだありゃあ。とんでもねえ事になってやがんなあ」
 前方で巻き上がる戦火をジャジラッド・ボゴル(じゃじらっど・ぼごる)は呑気に眺めていた。
「やーれやれ、他の奴らを斥候代わりに前に行かせて正解だったな。あんなモンに巻き込まれたら面倒なんてモンじゃねえからな」
 その凶暴で無骨な面に似合わず狡猾な作戦を立てていた彼は、当然この後の展望も既に用意してある。
 地図を確認して、彼は最も近場にある蛮族達の集落へと向かった。道中で、予め用意してあった眼帯を装着して。
「あぁ? んだあテメエは。パラ実生か?」
 彼の容姿の為か、蛮族達は然程敵愾心を見せる事もなく、ジャジラッドを迎えた。
 順調な出だしに口端を吊り上げて、彼は虚言を肺臓の内から吐き出す。
「……俺は、ドージェの影武者だ」
「はぁ? どう言うこった?」
 予想外の返答に、蛮族は頓狂な声を上げる。
「……お前等も知ってると思うが、先日ドージェは闇龍との戦いに参戦した。ともすれば、幾らドージェと言えど万一の事はあり得る」
 容姿からは想像出来ぬ程巧みに、ジャジラッドは声色を操る。
「もしそうなっちまったら、パラ実生は他校の奴らや他の勢力に呑まれちまう。だから、俺と言う影武者が立てられたんだ。……ここまでは分かるな?」
 蛮族達を見渡し、異論反駁が無い事を確かめた後に、ジャジラッドは続ける。
「だが……情けない事に、俺は今教導団に追われているんだ。一人じゃあこの荒野を逃げ切れそうにない。だから、手を貸して欲しいんだ」
 一呼吸置いて、彼はトドメの一声を紡ぎ出す。
「……こんな面と図体で、俺は誰からも疎まれてきた。だが、こんな俺が初めて! 役に立てるかも知れねえんだ! あのドージェの役に! 俺はドージェの熱い思いに胸を打たれてこの影武者を名乗り出た……! 頼む! どうか俺に、この任務を成功させてくれ!」
 単純極まりない、お涙頂戴な、事実無根の作り話だ。それでも蛮族達には、十分な効果を発揮したらしい・
「……おうよ! 任せとけ! 俺達が責任持ってお前を守り切ってやるぜ! なあお前等!?」
「勿論だ! アンタはドージェの思いに胸を打たれたと言うが、俺はアンタの思いに胸を打たれちまったぜ!」
 蛮族達は口々に、賛同の言葉を上げる。
「ありがとう……! 感謝してもし切れねえよ……!」
「よせやい! 水くせーな!」
(…………いやいや、バッッッカじゃねーの? コイツら。単純過ぎんだろ)
 心の内で彼らを思いっきり侮辱しつつも、しかしジャジラッドの仮面は剥がれない。
「……そういや、そのゴーレムは何なんだ?」
「……あぁ、コイツは教導団の奴らが運んでてな。何とか一人打ち倒した時に奪ってきたんだ。これも改造すれば、影武者に使えるかもってな」
 予想していなかった問いも難なくいなし、大勢の護衛を得て、ジャジラッドはこの上なく安全な進行を得る事に成功した。


「……良かったぁ。誰もいないし、それなりに安全に進めそうだね!」
 琳 鳳明の流布した嘘の発信はテクノの他にも、教導団によって配置された狙撃手達も何人かは「引っ掛かったと言う事にして」移動していた。
 残った少数の狙撃手達も、殺気看破を用いながら慎重に進めば大した脅威にはならない。
 自らの気運に順風満帆の気配を感じながら彼女はバイクを走らせて――突然、サイドカーに乗せた、ブラックコートを着せた人形の頭が吹き飛んだ。
「えっ……!?」
 俄に揺れる車体を表情を強ばらせながらも立て直し、鳳明は人形の頭が吹き飛んだ先とは対極。つまり攻撃が行われたと思われる方角を見遣る。
「えっへっへー、まずは一体頂きぃ!」
 遠方から人形の頭を撃ち抜いたのは、シルフィスティだ。通信機など持たぬ彼女には鳳明の情報撹乱も何ら意味はない。更にシルフィスティはカモフラージュとシャープシューターの技能によって、鳳明の殺気看破の範囲外から、つまり彼女が講じた回避策を両方共すり抜けて狙撃を行ったのだ。
「……っ! とにかく、ここから離れなきゃ!」
 グリップを力強く捻りアクセルを全開にして、鳳明はその場からの逃走を図る。だがバイクは思うように速度が出ず、更には車体も安定しない。
「むー、何か物足りないなあ。……そうだ、タイヤを撃って、ブレイクダンスとか踊ってもらおっかな! うん、決めた!」
 無論そのような事になれば運転手である鳳明はただでは済まない。だがシルフィスティは、そのような事は度外視しているらしい。何処までも無遠慮に、タイヤへの狙撃を繰り返す。
 バイクの走行が不安定な事が逆に幸いして、シルフィスティの先読みを阻害してはいるが、それにしても限界がある。
「よーし、次こそ……!」
 そしてついに、シルフィスティの星輝銃の標準がバイクのタイヤと重なった。彼女の指がゆっくりと折り曲げられていく。
「……って、何よあれー! あれじゃ見えないじゃないのさー!」
 けれども彼女が引き金を引く直前、鳳明の進路で白煙が巻き起こった。その煙幕に突っ込んで、彼女のバイクは影も形も見えなくなってしまう。
「きゃっ……! 何なのこれ!?」
 突然の事に再び車体が揺らぐ。今度は走行しながらの制御は無理だと、彼女は煙幕の中でバイクを停車した。
「いよっし、止まったな! 『予見』通り、お陰で骨折り損にならずに済みそうだ! ゴーレムはもう駄目そうだから下ろすぞ! ……よし、乗り込んだ! さっさと出しちまってくれ!」
「え? ……あ、はい!」
 煙幕の中で、鳳明のバイクに何者かが駆け寄った。何やらサイドカーに乗り込んだようで正体も不明だが、「煙幕を張って助けてくれた誰か」と言う事は何となく、鳳明にも理解出来た。故に彼女は姿の見えぬ声に反発する事なく、寧ろ信頼すら抱いてバイクを走らせる。
 煙幕を抜け、狙撃の届きそうにない岩陰にまでバイクを走らせて、鳳明はようやく一旦停車する。そうしてバイクから下りて、サイドカーの人物に頭を下げた。
「あ、あの……さっきはありがとね!」
「……別にいいよ。オレだって無償の愛で助けた、って訳じゃねーしな。……どうした? んな呆けた顔して」
 顔を背けてぶっきらぼうに答えるのは、瓜生 コウだった。彼女は何故か自分の顔を見たまま呆然としている鳳明に問いを放つ。
「あ……いや、その、さっき煙の中で顔が見えなかったから……てっきり男の人なのかなって……。それだけだよ!」
「……んだそりゃ、声で分かるような気がするモンだけどなあ。……声と言えばアンタもしかして、さっきの通信の奴じゃないか?」
「えっ? ……あっ、うん。そうだよ。……邪魔してきそうな人がどっか行ってくれたらなーって……」
「はぁー……そりゃまた、顔に似合わずエグい事するねえ、アンタ」
「えっ? エグいって……?」
 きょとんとした表情を浮かべる鳳明に、コウは答える。
「自覚なしだったのか? そりゃまた、尚の事タチが悪いねえ。妨害を仕掛けてくるような連中を一箇所に集めりゃ、その分そこを通る連中はエラい目食うに決まってんだろ?」
「……あっ! そ、そう言えば……。全然考えられなかったよ……。自分の事で精一杯だったから……」
「ん、まあいいんじゃねーの? 連中に関しちゃ運が無かったとしか言いようがねーよ。……そういや、アンタも運が無かったな。折角作戦は上手くハマってたのに、あんな呆気無くゴーレムがやられちまうとはなあ」
「……ううん、それなら大丈夫だよ」
鳳明の返答に、コウは首を傾げた。少しだけ自慢げに、鳳明は説明を始める。
「実はさっきまでサイドカーにいたのはね、ゴーレムじゃないの。武者人形にブラックコートを被せてただけなんだよね」
「……ん? じゃあ本物のゴーレムは?」
 バイクの荷台に積んであるダンボール箱を、鳳明は軽く叩いた。
「これこれ。ちょっと狭いけどね、この中に入って貰ってるの」
「……確かコレ、一応護衛対象の貴族様って設定だったよな? ……やっぱアンタ、エグいわ」
 サイドカーで窮屈そうに二人乗りしていた自分のゴーレムに視線を遣りながら、コウは改めて呆然を孕んだ声を零した。
「……そのくせ、どっか抜けてやがるしなあ。折角ゴーレム隠してたなら、言っちゃ駄目だろ。オレがアンタを助けたのは信頼させる為ってだけで、妨害ついでに足を奪おうとしてたらとか、考えなかったのか?」
「……えぇ!? そ、そうなの!? だ、駄目だよ! それは困っちゃうよ!」
「……いや、ちげーけどさ。何かアンタ見てると無性に不安になってくるぜ。……と言うかちょっと待った。そのダンボールがゴーレム入ってるなら、他の物資とかは何処にあるんだ?」
 コウの問いに、鳳明は首を傾げる。
「いや、だからさ……まさか寝ずの行軍敢行するって訳でもないんだろ? だったらテントとか、テントは目立にしても保温用のブランケットとか色々あるだろ!?」
「……あっ!」
 鳳明の反応に、コウは最早溜息を零すのみとなった。
「今の反応で不安が確信に変わったよ……。あぁもう、いい足を見付けたと思ったらこれだぜ……!」
「ど、どうしよう……! 私、魔物とか食べた事ないんだけど……」
「オレだってねーよ! って言うか泣きつくな! 軍人だろ!? それくらい自分で何とか……あーもう涙ぐむなしゃくり上げるな! 分かったよ! 手ぇ貸してやるよ! その代わりゴールまでしっかり運転してもらうからな!?」
 今にも泣き出しそうな鳳明に、諦めたようにコウは叫ぶ。忽ち、鳳明はぱぁっと表情を輝かせた。
「う……うん! 任せといて! ありがとうね!」
 先程までの怯んだ表情など残滓も見られぬ明るさで答える鳳明に、
「……やっぱコイツ、エグいよなあ」
 溜息を交えて、そう呟いた。


「あーもう! 何だったのよおさっきの煙幕は! あと一歩だったのにい!」
 完全に捉えたつもりの獲物を逃して、シルフィスティは憤慨していた。しかしふと、遠くに人影を捉え、途端に彼女は星輝銃を構えてその場にしゃがみ込んだ。
 人影は五つ。内一つはゴーレムである為、実質は四人だ。見る見る内にシルフィスティの表情からは怒りの色が鳴りを潜め、代わりに好奇の色が浮かぶ。
「えっへっへー……二体目ゲットォ!」
 標準を定め、彼女は引き金を引いた。光弾は大気を裂き、ゴーレムへと猛進する。
「……あれ?」
 だが光弾はゴーレムの直前で弾かれて、霧散した。ゴーレムの傍らに立つ筋骨逞しい半裸の男、霧雨 泰宏(きりさめ・やすひろ)の突き出した試作型星槍によって。殺気看破によって狙撃を事前に察知した泰宏は、そのまま女王の加護による第六感を頼りに弾丸を弾いたのだ。
「うっそー、そんな事出来ちゃうのー? ……でも、これならどうかなあ?」
 そう言って、彼女は星輝銃を再度放つ。今度は連続して、三発。
 けれども結果は変わらない。泰宏が二発を弾き、ナックル型の光条兵器『緋想』を装備した緋柱 陽子(ひばしら・ようこ)が残る一発を撃墜する。
「……えへへー、ついに襲撃者が来たみたいだね! さっきまで見付けたのは人間は教導団の人ばかりで殺せなかったけど、今度は違うみたいだし大丈夫だよね!」
「透乃ちゃん、折角だから勝負しない? ここから同時にスタートして、どっちが先にあの狙撃手を仕留めるかで」
「いいね! やろっか! やっちゃんと陽子ちゃんはゴーレムを守っててね! それじゃ……よーいドン!」
 霧雨 透乃(きりさめ・とうの)月美 芽美(つきみ・めいみ)は無邪気に笑い合って、同時に駆け出す。直後に背後から聞こえた泰宏の制止の声は、一切無視して。いや、ヒロイックアサルト『殺戮の狂気』を見に纏った二人には、最早泰宏の声など聞こえてもいないのだろう。
「クソッ……! また透乃ちゃんは無茶な事を……!」
 切迫した声を紬ぎながらも、泰宏は再び飛来する弾丸を撃ち落とす。光弾の数は、五つに増えていた。だがこれは幸いと言える。無防備に走る透乃と芽美を無視して、旧態依然とゴーレムを狙ってくれているのだから。
「……へえー、迫ってくるんだ! 面白いねえ! 乗っちゃうよそのゲーム!」
 何故ならシルフィスティもまた、相手を攻撃する事に楽しみを見出す気がある。だからこそ透乃達のゲームが、彼女の感性に合致したのだろう。
 弾丸を六つに増やして、再び彼女は狙撃を行う。一気に弾丸を増やさないのは、これが彼女にとってもゲームである事と、反動の制御の感覚を確固とする為だ。
「っ! まだだ! 陽子さん、大丈夫か!?」
 四発の弾丸を弾き、泰宏は哮る。左拳しか武装の無い陽子にそう多くの弾丸を任せる訳には行かないと。
 けれども、陽子の返事は無かった。泰宏には彼女の様子を伺う余裕も無かったが、彼女は酷く恍惚とした表情を浮かべていた。
 圧倒的な危機的状況。一歩間違えば自らが大怪我を負うリスク。切迫した声で叫ぶ泰宏。様々な要因は重なりあって、陽子の身の内に潜む被虐願望を燻らせていた。
 陽子は朦朧とした頭で妄想を巡らせる。もしもあの弾丸が身を掠めたら、どうなってしまうのか。電撃のような痛みの幻覚が脳を更に麻痺させて、視界は鮮血の色を幻視する。
「――陽子さん!」
 そして気が付いたら、彼女は光弾に肩を貫かれていた。
 脳髄の奥で蠢いていた痛みの幻覚が、現実の物として産声を上げる。妄想と現実がマーブル模様に混ざり合うような錯覚に、陽子は完全に茫然自失に陥っていた。
「おー? 何か知らないけどチャンス到来! 行くよー!」
 シルフィスティが銃撃を繰り出す。弾数は七。
 守り手は一人減り、代わりに的とされるモノは二つに増えた。絶望的なまでに、不利な状況。
「……透乃ちゃんはあんな風だから……! どうあっても安全には生きられないから……!」
 それでも泰宏は奥歯を、決意を噛み締める。
「私が守らなきゃ、いけないんだッ!!」
 大地を揺るがす咆哮と共に、泰宏は槍を振るう。決意と覚悟によって加速を得た槍は、幾本もの閃光と変貌した。
 七発の光弾は、一瞬の内に全て弾かれ、霧と果てる。
「うっそお!? そんなのアリ!? ……うぅ、何かあの二人もかなり近付いてきてるし……よし、ここは!」
 決意の表情を見せるが早いか、シルフィスティは立ち上がり、
「……逃げる!」
 そのまま脱兎の如く遁走を始めた。
「あー! こらー! 逃げるなー! ひきょーものー!」
「……興醒めね。何だか泰宏君達も危なそうだし、一度戻りましょうか」
 徐々に小さくなっていく背中が岩場に消えるまで、透乃はずっと罵倒の言葉を吐いていた。
 一方で泰宏は、肩を撃ち抜かれた陽子にヒールを施していた。
「……私は本当に守れた、のか?」
 ぽつりと、泰宏は呟く。
 陽子は負傷し、決して十全の結果とは言えない。だが少なくとも大事に至る事はなく、何より透乃から任されたゴーレムも無傷のままだ。
「……一歩前進、と言う事にしておくか」
 彼はそう言って、陽子の治療を終えて安堵の息を零した。


 何とか無事に逃走を果たしたシルフィスティは、岩場の影を進んでいた。
「あー危なかったあ。まあいっか! さーて次は何処に……」
「……よう、やっと見付けたぜ。教導団のスナイパーさんよお!」
「……へ?」
 突如として、シルフィスティの背後から険悪な声が響く。
 岩場の影に潜んでいた国頭 武尊が、光条兵器の大型拳銃を構え彼女の後頭部に狙いを定めてた。
「あ、あの、何の事だか分かりませんけど、私は教導団の人間じゃ……」
 言いながらシルフィスティは振り返り、直後に彼女の顔面のすぐ隣を銃弾が突き抜ける。螺旋を描く風が彼女の髪を揺らし、銃弾が如何に自分の傍を通ったかを彼女に告げた。
「オイ、勝手に動くんじゃねえよ。危うくお前をブッ殺しちまう所だっただろうが。……懺悔の言葉を吐かせる前になあ!」
 凄む武尊に、シルフィスティは内心で悲鳴を上げた。一体どんな勘違いをしているのか彼女には知る由もないが、ともかくこのままでは殺されるのは時間の問題である。
「その……だから私は教導団の人間じゃなくて……懺悔とか一体何の事やら……」
「……そうかよ、あくまで自分たちゃ悪くねーと言い張るか! だったらいいぜ! 上っ面だけだとしても謝罪させてやろうと思ったが、望み通り早死させてやらあ!」
「ひぃぃ〜!?」
 彼女は弁解を図ったのだが、どうやら逆効果だったらしい。完全に逆上の態を見せる武尊は荒々しい所作でシルフィスティの額へと標準を合わせ、思わず彼女は目を瞑る。
 直後に、銃声が大気を震わせた。
 それから一秒、二秒と時が流れる。
「……あれ?」
 にも関わらず自分が生きている事に、シルフィスティは気の抜けた声を漏らした。顔を手の平で触ってみたり身体を見回してみるが、五体満足のままである。
 武尊へと視線を向けてみると、彼は何やら身体ごと別の方向を向いていた。
「あのう……」
「オイお前、今すぐどっか消えろ」
 おずおずと話しかけるシルフィスティに、武尊は振り向きすらせずにただ一言告げた。
「へ?」
「聞こえなかったかあ!? デコにスッキリした風穴開けられたくなかったらとっとと消え失せやがれ!」
「は、はぃい!」
 逃げ去る彼女を、武尊の視線が追う事はついぞ無い。彼はただ一点を凝視していた。数ある岩場の上から、自分を見下ろす金髪蒼眼の。そして何よりも、狙撃銃を凛然と構える少女、ローザマリアを。
「……彼女はどうやらお客様のようだから、殺されては不味いの。ついでに今の一発は、アンタへの警告も兼ねてるわ。さっさと帰ってくれる?」
 蒼眼から冷ややかな眼光を放ち、ローザマリアは眼下の武尊に警告する。
 だが武尊はわなわなと震えるばかりで、彼女の声などは聞こえてもいない様子だった。
「お前か……! お前が奴らの言ってたクソアマかあ! よくもまあ、蛮族達の土地で好き勝手やってくれやがったなッ!」
 武尊を足元に落とし、背負った狙撃銃を構えて乱射する。語調に反してその動きは素早く、狙いは正確だったが、一手早くローザマリアは身を隠した。
 舌打ちと共に、武尊も拳銃を拾い上げその場を離れる。相手も狙撃手である以上、居場所の割れた所に居続けるのは撃って下さいと言っているような物だ。
 適当な岩陰に隠れた後、武尊は胸中で燃え上がる憤怒を抑え切れず、叫ぶ。
「ここは蛮族の土地だ! 訓練がしたかったら何故ヒラニプラでやらねえ!? 蛮族だったら、パラ実だったらぶっ殺してもいいってか!? ざけんじゃねえぞ!」
 激情に任せた叫び声にローザマリアは溜息を吐き、しかし言葉を返すべく息を吸う。
 本来ならば答えなど返さず、割れた居場所をさっさと狙撃する所だ。だが武尊は彼女ではなく教導団そのものを馬鹿にした。それは私情ではなく、寧ろ軍人として憤慨すべき侮辱だ。
「失礼な。教導団はあくまでも通過するだけです。事実私も、攻撃を仕掛けたのは教導団への害意が伺えた方々だけです。それにぶっ殺すだなんて、私は至って人道的に、彼らを無力化した後に拘束しただけですよ」
 落ち着き払った語り口に、武尊の激情は増々凄まじく炎上する。
「この荒野で簀巻きにすりゃ結果死ぬって事くらい分かるだろうが! お前らがここを通れば奴らを刺激して襲いかかってくる事も! 自分達は正当な防衛を行っただけってか!? お前等一体何様だ!」
「……平行線、水掛け論ですね。話し合うだけ無駄でした」
 一方的な終結を言い渡し、ローザマリアは音もなく岩場を駆けた。先程のやり取りで、大まかな方向は察知出来ている。更に地形を鑑みれば、潜んでいる場所の候補は自ずと限定されていく。
 慎重にそちらを覗き見ると、彼女は微かな閃きを視界に捉えた。スコープの反射光だ。
「……対狙撃手戦が行えたのは収穫かと思ったのですが、如何せん相手の力量不足でしたね」
 呼吸を整える事を兼ねて呟き、ローザマリアは愛銃SR-25を構える。
 そしてスコープを覗き込み――彼女の呼吸が急変して乱れた。
 十字線の先に、人影は無かった。代わりに映るのは、取り外されて放置された狙撃銃のスコープのみ。
「そんな手が……!?」
 驚愕と共にスコープから目を離し、肉眼で遠方を見渡す。迷彩を被っていたが辛うじて、彼女は武尊の姿を発見した。スコープの反射光によって完全に彼女を捉えていた、武尊の姿を。
 彼女は咄嗟に身を引き、一応の牽制として弾丸を放つ。同時に、彼女の愛銃のスコープを銃弾が貫通した。
 あとほんの一呼吸、瞬き程の寸隙でも動くのが遅れていれば、間違いなく彼女は命を落としていただろう。
 牽制の銃弾の行方は分からなかったが、ローザマリアはとても覗き込む気にはなれなかった。もしも当たっていたとしたら、それは僥倖の極みと言うものだろう。
「……クソッタレ……! 悪運のいいクソアマだぜ……!」
 そしてその僥倖は、実現していた。ローザマリアの撃った銃弾は岩場に跳ね返り、武尊の狙撃銃に命中していた。機関部がやられ、最早銃としては使い物にならない。
 やむなく、彼は光条兵器の大型拳銃を構え直す。元々彼は独自の、銃器を用いた近接格闘術『銃闘法』を得意としている。
 狙撃自体には手応えもあった。今距離を詰めれば間違いなく仕留められると、彼は身を隠していた岩陰から駆け出した。
 しかくして奇しくも、ローザマリアもまたグルカナイフによる近接格闘を得意としており、じっとナイフの刀身を見つめていた。
「……くたばれクソアマがあ!」
 ローザマリアが隠れているであろう岩陰に飛び込み、武尊は銃を構える。
 ――だがそこに人影は無かった。ローザマリアはいなかった。
 殺気探知も、身を隠す技術が必修科目とも言える狙撃手である彼女には通用し難い。警戒しながら辺りを見回すと、地面に煌く破片が幾つか見つかった。先程打ち抜かれた、スコープの残骸だ。更に注視してみると、一度靴底で躙った跡が見られる。
 それを見て、武尊は悟った。ローザマリアは既にこの場から逃走していたのだと。
「……何処まで悪運いいんだよ、あのクソアマ。次会ったら……今度こそ仕留めてやらあ……!」
 足元の破片を蹴散らし、苦虫を噛み潰したような表情で武尊は呟いた。

「……まさかあんな手を使ってくるとは……完全に不覚を取りました」
 逃走を果たしたローザマリアは岩陰で息を整え、深く息を吐いてから口腔内に沸き起こる屈辱を奥歯で噛み潰した。
「……とは言えあの後、あの男はこちらへ向かってくる気配がありました。恐らくですが、狙撃銃は破壊出来たみたいですね。まあ、試合に負けて勝負に勝ったと言う事にしておきます。……逆でしょうか?」
 独り言を綴りながら、彼女は使い物にならなくなったスコープを取り外す。
「……そろそろグロリアーナと菊が『釣り』を終えている頃合いでしょうか。次はスコープ無しの、照門と照星のみの狙撃に挑戦してみますか」
 作業を終えた彼女は立ち上がり一度だけ、今さっき逃げてきた道を振り返る。
「……次があれば、負けません」
 そう言い残して、彼女は立ち去った。


「……うおぉ! さっきのでタイムロスしてしまったからな! 急がねば!」
 旧態依然として、正義は地図も確認せず突っ走っていた。
 地割れを飛び越え、魔物を避け、岩場を颯爽と飛び越え――見渡す限りの魔物が、彼を出迎えた。
「……あれ?」
 地図を確認していなかったばかりに、彼は魔物の巣へ飛び込んでしまったのだ。
 騒々しく住処を荒らされた魔物達が、鳴き声を上げ大気を震わせる。
「の、の……のわぁあああああああああああああ!?」
 次の瞬間一斉に襲い掛かってきた四足歩行のハイエナに似た魔物達に背を向け、正義はゴールとは反対方向に、全力疾走する事となった。