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我らに太平の時は無し――『護衛訓練』――

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我らに太平の時は無し――『護衛訓練』――

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第三章:巧遅


 皆が各々の道を進んでいる中、スタート地点から殆ど進んでいない面々もいた。
 フィルテシア・フレズベルク(ふぃるてしあ・ふれずべるく)も、その内の一人だ。彼女は訓練開始時に、
「亡命した貴族ねぇ…こんな無骨なゴーレムじゃ良くて田舎の大将さまねぇ♪ もっと洗練されたフォルムじゃないとぉ♪」
 などと世迷い事を零し、そのまま日曜大工セットで改造を初めてしまった。のっぺら坊だった顔部は彫刻刀で彫った上でヤスリ掛けを施し、胴体部分は強度の下がらぬよう断層を作るようにして肉抜きを行う。
 更にデザインにも拘り、額には改造を行った際に出た断片を再利用してV字型のアンテナを生やし、軽く輪郭を作っただけの顔には再び彫刻刀でロボットのような目を刻む。加えて強度を多少落とす代わりにさらなる軽量化を兼ねて関節や各部を流線型に削った。
 最後に日曜大工セット備え付けのペンキで、迷彩効果も期待して黄色を基調とした塗装をして、仕上げだ。
「……あっ、これ忘れてた〜」
 と言って、彼女は持ってきたアーミーショットガンをゴーレムに持たせた。これで正真正銘、完成である。
「やっぱりこうでなくちゃ〜♪ いけぇゴーレムちゃ〜ん♪」
 ノリノリで、彼女はゴーレムを邁進させる。
 魔物や蛮族は一蹴し、狙撃手達も予想から遙か彼方にかけ離れたゴーレムの造形に驚いている内に、排除されてしまう。
 フィルテシア自身が女王の加護によって第六感を得ている事も相まって、改造ゴーレムは奇妙な猛威を振るっていた。


「なんてこった! 結局今日までに梅琳の居場所が何処か分かんなかった!」
 スタート地点付近で、橘カオル(たちばな・かおる)は頭を抱えていた。元々李梅琳と会いたいが為にこの訓練に参加したと言っても過言でない彼にとって、梅琳の位置が分からないのは致命的な事なのだ。
 事前に他の訓練生がどのような作戦を取るかまで調べ尽くした彼だが、それでも梅琳が何処に配されているのかは分からなかった。なぜならば、教官達が救護員と狙撃手役を兼ねているように、梅琳もまた救護員と共に伏兵役を併せて請け負っているのだから。
 襲撃者が何処にいるかが分かってしまえば、訓練にならない。故に梅琳の位置もまた、この訓練における機密扱いとなっていた。
「……どうする? 梅琳に会えなきゃこんな訓練に参加した意味がない……! どうにかして梅琳を見つけないと……探し回るか? この広い荒野を? 馬鹿げてる……」
 口元に手を当ててぶつぶつと呟きながら、カオルは思案を続ける。
「……ん? 何やってんだ、アイツら?」
 ぼんやりと考え事をしながら歩いている内に、彼はふと岩陰に隠れた車と、その傍で顔を付き合わせる集団を見付けた。
「アイツらは……確かルカルカだったっけ? ……成る程なあ。車じゃ狙撃に対応し辛いからな。動きあぐねているってトコか。まあどうでもいっか。それより今は梅琳だ……!」
 どうでもよさげにカオルはルカルカ一行から視線を逸らす。
「……いや、待てよ?」
 しかし唐突に何かを思いついたのか、逸らした視線を再び彼らへと戻した。
「アイツらアレだけいれば、一人くらい探知系のスキルが使えるんじゃないか? そしたらその応用で梅琳を……! これだ!」
 指をぱちんと打ち鳴らし、カオルは合点する。
「……いや、でもそもそもアイツらが探知系のスキル持ってなかったら無駄骨だしなあ。……あ、試してみりゃいいのか」
 今度は握り拳を縦に手の平に打ち付け、そのままカオルは拳銃を抜く。銃口を向けて引き金に指をかけ、気付かれたら探知系スキルを持っている者がいる。気付かれなかったら、そのまま立ち去ればいい。そう言う寸法だ。
 そうして彼は拳銃を構え、最も目立ったルカルカの後頭部へと標準を合わせる。
 引き金に指を掛け、けれども誰もカオルを振り返る事はない。
 ハズレか、と彼が嘆息を吐いたと同時、ザカコがローブの裏から投擲用のカタールを抜き、振り向きざまにカオルへ投げ放った。
 鋭利な刃はカオルの頬を掠めて紅の線を刻み、彼の後方にあった岩に深々と突き刺さった。
「……外しましたか」
「うえぇえええええええええ!? 何だよ! 探知スキル持ってたのに黙ってたのか!? あっぶねえ!」
 騒ぎ立てるカオルに対して、ルカルカ達の対応は迅速だ。ダリルの指示の下、ルカルカやカルキノス、クマラ カールッティケーヤ(くまら・かーるってぃけーや)は車とゴーレムの防衛。
 武装が銃器であり近距離に対応策に乏しい強盗 ヘル(ごうとう・へる)やエース、メシエ、砲手である淵は前衛の援護。
 そして前衛にはカタールを得物とするザカコと、騎士である鷹村 真一郎(たかむら・しんいちろう)が務めた。
 飛行艇を封じられた彼らだが、その程度で瓦解する程彼らのチームワークは柔ではなかったのだ。
「……俺が何より許せないのね」
 魔法の力場を用いカオルとの距離を一瞬で詰め、真一郎は彼に囁く。
 穏やかな顔色を、ライトブレードを振り上げると共に激情で染めて。
「よりにもよって貴方が……ルカルカを狙った事だ!」
 裂帛の気合と共に、刃が振り下ろされる。
 懐に入られた事で、カオルは銃を仕舞い、素早く雅刀を抜いて辛くも真一郎の一撃を受け止めた。
 だが息吐く暇も与えず、今度はザカコが体勢を低くして踏み込み、逆袈裟の軌跡でカタールを振るう。
 受け止めきれないと判断したカオルは、慌てて大きく一歩飛び退いた。
「お、おい待ってくれよ! 別に本気で撃つつもりは無かったんだって! ただちょっと頼みたい事が……!」
「頼み事があって銃口を向けるか! 見下げた根性だな!」
「まったくだ! お前みたいな悪党は、地獄に落ちちまいな!」
 問答無用で振るわれるライトブレードが、ヘルの放つ散弾が、【デザート・ローズ】達の連携がカオルを追い詰める。
 このままでは梅琳を見付ける前にやられてしまうと、カオルは表情に切迫の気配を滲ませる。そんな事になってしまったら、一体何の為に訓練に参加したのか分からない。
 切羽詰まった彼は、とうとう暴挙に出た。
「だぁあああああああああ!」
 雅刀を大上段に構え、彼は自身のゴーレムへと向き直った。そして袈裟懸けに、ゴーレムを真っ二つに断ち切ってしまった。
「……どうよ、見ての通り俺は訓練の成否はどうでもいいんだ。ただ本当に、頼み事があっただけなんだよ。分かってもらえたか?」
 想像外のカオルの行為に、ルカルカ達は暫し無言を貫く事しか出来なかった。
「……ま、まあ、敵意が無いのは分かったけど……。そうまでして頼みたい事って、一体何なの?」
 ようやく、ルカルカがそうとだけ肺腑から言葉を絞り出した。
 よくぞ聞いてくれたと、カオルが小さく二度頷く。
「あぁ、それはな。……君達探知系のスキル持ってるんだろ!? それを使ってめいり……李少尉を探して欲しいんだよ! 超感覚で必死に李少尉の匂いを探したけど、どうしても見つからなかったんだ! 勿論タダとは言わない! 君達見たトコどうやって進むか迷ってたろ!? 俺が安全なルートを教えてやるから!」
 カオルの熱弁に一瞬ルカルカは硬直し、それからドン引きした様子を見せた。
「あ……うん、えっと……じゃあ、確かカルキノスも殺気看破使えたよね? やってあげて?」
「面倒事押し付けやがったな!? ……あぁクソ、分かったよ。安全なルートってのは魅力的だしなあ……」
 苦々しい表情を隠そうともせず、カルキノスは梅琳を探知する。同じ教導団と言う事もあって、探知はそう難しくはなかったらしい。大まかな方角と距離が、カオルに告げられる。
「よっしゃありがとう! これ、約束通り安全なルートの地図な!」
 ちなみに安全なルートと言うのは、他の誰かが通ったであろうルートを繋いだ物だ。誰かが通った後ならば、危険の類は排除されているだろうと言う事だ。
 ルカルカ達としてはそれよりも、重度の――限りなく変態に近い――変人と距離を置ける事の方が大きそうではあるが。
「よっしゃー待ってろよー梅琳!」
 間違った方向に意気盛んに、カオルは馬に跨り駆けていった。

 そうしてどれ程の時間が経っただろうか。カオルは梅琳が担当しているとされる地域にまで辿り着いた。
 馬を降りるや否や、彼はせっせとトラッパーの技術で地面に罠を仕掛け始める。他人を嵌める為にではなく、自分で掛かる為にだ。そうすれば梅琳に救護してもらえると言う寸法である。
 とは言え何もない荒野で出来る罠と言えば、地雷や虎鋏、落とし穴の類くらいしかない。前者二つは自分で引っかかるには少々厳しい物があるので、彼が選んだのは落とし穴だ。
 けれども、カオルは知らなかった。考えもしなかった。梅琳が襲撃役を務めているなどとは、塵ほどにも。
 それどころか上機嫌になる余り、彼は自身を狙う銃口――他ならぬ梅琳のそれに、気が付けなかった。
 銃声が響き、放たれた弾丸は見事にカオルの額を捉えた。非殺傷弾とは言え、額に受ければとてつもなく痛い。と言うより、昏倒に至る。
 訓練の一環で相手を倒した事にするなら何も胸や腹を狙っても良かったのだと梅琳が気付いたのは、カオルが仰向けに倒れ、彼に駆け寄る羽目になってからだった。

「……非殺傷とは言え、額に撃ち込むのはやり過ぎたわね……。彼、大丈夫かしら」
 救護用に与えられた応急処置用の湿布薬を見覚えのある顔の額に乗せて、梅琳は呟いた。
 ひとまずこれからの動向を、彼女は寝かせたカオルの隣に座り思案する。何はともあれ、まずはカオルが目を覚ますまでは待たねばならない。彼が覚醒したら、最低限動けるようになるまでは更に待機。その後他の教官達の援護を要請しつつ、カオルをゴール地点まで運べばいい。
 既にカオルはゴーレムを失っており、更に訓練上では彼は『死亡』扱いとなっている。一連の予定に、何ら問題は無い事を反復して、彼女は小さく数回頷いた。
「……教導団の人間、ですね?」
 不意に背後から突き刺さった刃の冷たさを孕む声色に、梅琳は立ち上がると同時に腰の銃へ右手を運ぶ。
 振り返ってみれば、そこには鎧の上に黒のコートを羽織った、一見すれば成人と思しい女性が立っていた。
 白金の挑発を風に棚引かせる彼女は、ガートルード・ハーレック(がーとるーど・はーれっく)。洗練された容姿と出で立ちからは想像出来ぬがパラ実の生徒であり、ついでに年齢も外見より一回りほど下である。
「……そうですけど、どうかしましたか?」
 ガートルードの蒼い瞳が放つ穏当ならぬ眼光に、梅琳は銃に右手を添えたまま答え、問いを返す。
「この大荒野での訓練、どう言うおつもりですか? 敵対するパラ実勢力に対する掃討作戦。もしくは蛮族の権利を認めない対人実弾訓練としか思えませんが。それ以外の意図があるのならば」
「……人聞きが悪いですね。私達教導団はあくまでこの荒野を通過しようとしているだけです。武力行使はあくまでも、反撃と自衛の手段でしかありません」
「貴方達教導団が近付けば、蛮族達が危機を感じ自衛に走るのは容易に予想出来るでしょう? 襲ってくるのを承知でわざわざ通って、正当防衛を謳いますか。そして道理は我らにあり、と? ……教導団は余程戦争がお好きなようですね」
 互いに睥睨し合う二人はの言葉は交わる事なく平行線を貫き、絶対的な正解などない水掛け論を重ねる。いずれかが折れない限り、永遠に答えの出る事のない堂々巡り。
 交差するのは剣呑な視線のみ。
「……何だあ、そりゃあ」
 硬直状態に陥った場に、三つ目の声が兆した。出所は梅琳の足元、そこに転がるカオルの口からだった。
 震える足を大きく開き踏ん張って、彼は立ち上がる。際して傍らに転がっていた雅刀を拾い上げ、それを携えて梅琳の前へと歩み出た。
「……君の言う事にも一理ある。確かに教導団は蛮族達が襲ってくる事を前提にしてもいた。けど、だからと言って襲い掛かった連中が絶対に悪くないって訳でもないだろ?」
「それは勿論そうです。ですが、それはパラ実生のみに、蛮族達のみに我慢を強いる理由にはなりませんよ?」
「うぐっ……それはそうだけど……、だけどこれってどっちかが絶対折れなきゃならないんじゃ……」
「蛮族達はずっと前からこの荒野に住んでいます。対して貴方達は、他の場所で訓練を行う事だって出来た筈です。どちらかが折れるべきは明白でしょう」
 ガートルードは静かに、だが雄弁に語る。対してカオルは、たじろぎ気味となっていた。
「うぐぐっ……! ヤ、ヤッベ……勇んで出て行ったのはいいけど俺こう言うの苦手なんだよなあ……」
 ぼやく彼を細めた視線で射抜き、ガートルードは言葉を続ける。
「……ともかく、私はこの訓練の中止と教導団の即時撤退を要求します。貴方達がこの要求を通さないならば、或いは通せないならば……目には目を、無法には無法を。少々道理は外れますが、貴方達を拿捕し取引材料としてでも」
 言葉尻に伴って、ガートルードはブライトシャムシールを抜き放った。光の織り成す刃が、ガートルードの確固たる決意を表すかのように凛然と輝いている。
「……梅琳は下がっててくれ。俺が相手をする」
 雅刀を抜き、構えを取りながらカオルはそう告げた。返事は待たない。待つつもりもなく、また待つ時間も与えられなかった。
 一足飛びにガートルードは距離を詰め、光刃を正しく閃光の如く縦横無尽に振るう。
 反面でカオルの防御とたまに苦し紛れに繰り出す反撃は、どちらも著しく精彩を欠いていた。ついさっき脳震盪から回復したばかりで、身体が十全の機能を発揮し兼ねているのだ。無論その事を度外視しても、ガートルードの剣筋は凄まじいものがあったが。
「……つっ!」
 受け損ねた一撃が防御をすり抜け、カオルの脇腹を裂いた。幸いにして傷は浅いようだが、これ以上の手傷を受けるのも、時間の問題でしかない。
「潮時、ですよ。刀を納め、大人しく従って下さい。私の望みはあくまでも教導団の撤退。決して血を見る事ではないのです」
「……っ、やなこった! ここは絶対に退けないぜ!」
 一撃一撃を受ける事に必死となり、最早反撃を織り交える事すら出来なくなったカオルは、それでもガートルードに反駁する。
「……何が貴方にそう言わせるのですか?」
(……梅琳の前でカッコ悪い真似出来ねーとか、言える雰囲気じゃないよなあこれ!)
「……いいでしょう。あくまで教導団に準じて死にますか」
(ちげーって! あぁクソこりゃヤバい!)
 一層激化するガートルードの剣戟を辛くも凌ぎ続けるカオル。その背後に立つ梅琳の、更に後方から物音が響いた。
 地面の小石を踏み躙ったような音だったが、振り返る余裕などある筈もないカオルにはその音の主が誰なのかまでは知り得ない。
「……ぐへへ、話は聞かせてもらったぜえ。だが人質なら一人いれば十分だろ? 女は俺達がちゃーんと保護しとくからよ、アンタはそのままソイツをやっちまってくれよ」
 だが足音に続く下卑た声色で、振り返らずともカオルは全てを悟る。
「ほーら嬢ちゃん、こっちに来いよ」
 自分のすぐ後ろで、梅琳に薄汚い蛮族達の手が迫っているのだと。
「……させるかよぉおおおおおおおおおおおお!」
 瞬間、彼は身を翻し梅琳へと迫っていた蛮族を斬り付けた。
 ガートルードの刃を防ぐ事を、放棄してだ。
 慌てて身を引いた蛮族は、元々はカオルが自分で掛かるつもりだった落とし穴に落ち、気絶に至った。
 元々はガートルードに対する最後の切り札のつもりだったが、梅琳を守る為であれば惜しくなどない。
「な……馬鹿が! オイアンタ、やっちまえよ!」
「構うかああああああ!」
 背後のガートルードなど気にも掛けず、カオルはもう一人いた蛮族へ刃を振るう。
 しかし彼の刃が蛮族を捉えるよりも早く、ガートルードの光刃が彼の身体を突き抜けた。
 鮮血が迸る。
「なっ……!? テ、テメエ、何しやがんだ!」
 ただし斬られたのは、蛮族の胸のみだった。
 彼女のブライトシャムシールは光条兵器を基とした武装だ。故に光条兵器が元々持ち合わせる、『対象の選択』は問題なく行う事が出来る。
 光刃はカオルの身体をすり抜け、蛮族の胸のみを浅く裂いたのだ。
「……今すぐこの場から立ち去りなさい」
「はぁ!? 何寝言抜かしてやがる! テメエもパラ実生なんだろ? だったら……!」
 訳が分からない様子で怒鳴る蛮族の男を、ガートルードは極寒の視線で貫き、黙らせる。
「……貴方が同じパラ実生だからと言って、私が道を外れた行為を助長する理由にはなりません。三度目は言いませんよ。……立ち去りなさい」
 彼女が放つ圧力に気圧され、蛮族は落とし穴に落ちた仲間を引き上げ、引き摺りながら逃げていった。
 深く嘆息を吐いて、それからガートルードはカオルと梅琳に向き直る。
「……私も、ここは退かせて頂きます。……パラ実にも正すべき所は、あったようですので。自分の周りを正せない者が、他人にのみ正す事を求めるのは無様な事ですからね。……ですが貴方達が、教導団が常に正しいなどとは、夢々思わない事です」
 剣を納め、カオルと梅琳が何かを言う暇もなく、彼女は瞬く間にその場から去っていった。

「……っはー、死ぬかと思った……!」
「ちょ……大丈夫!? 何であんな無茶したのよ!」
 緊張の糸が切れその場に座り込んだ自分に駆け寄る梅琳に、カオルは乾いた笑いを返す。
「……そこに梅琳がいたから、かな」
 などと臭いにも程がある決め台詞は脳内に留め、彼は「無我夢中で」とお茶を濁した。気恥ずかしいのか何なのか、肝心な所で押しの弱い男である。
 そして不意に、カオルは自分の身体が意図に反して平衡感覚を損ねていくのを感じた。
 原因は、何となく察しが付く。先程ガートルードに受けた、脇腹の刃傷だ。傷は恐らく浅い筈なのだが、詳しくは分からない。
 そのまま身体の制動を失って、彼はこてんと横倒れになった。
「え……ちょっと! 大丈夫!?」
 慌てて梅琳が彼を抱き起こし、応急処置を始める。
「……大丈夫ですか? 大分騒々しかったですが」
 丁度先刻までの騒ぎを不審に思ってか、近くにいた救護班クロス・クロノス(くろす・くろのす)が彼らを訪れた。
 彼女はカオルの様子を見るなり、駆け寄り傍にしゃがみ込んで、患部を診断する。
 梅琳の不安げな視線を受けて、クロスは呟く。
「……大丈夫そうですね。傷も浅く、内蔵に達してもいません。待って下さいね」
 応急処置のセットから止血剤を取り出し、傷口に塗りたくる。
「いででででででで!?」
「教導団員がこれぐらいでぎゃあぎゃあ騒がないで下さい」
 そうは言っても、痛いものは痛い。だが梅琳がいる事を考えると、あまりに格好悪く喚くのもカオルには憚られた。やむなく、彼は歯を砕けんばかりに食い縛って、声を上げるのを堪える。
 止血剤が塗り終わると、クロスは鮮やかな手際でガーゼを当て、その上から包帯を巻いていく。
「はい、これで終わり。傷口の方は変な事しなきゃ大丈夫だけど、血が出ちゃってるから頭はふらふらするかもね」
 包帯を巻き終えた傷口を冗談めかして軽く叩かれ、カオルは短い悲鳴と共に跳ね上がる。
 だがクロスの言葉通り、彼は軽い貧血によって意識を朦朧とさせていた。
「……大丈夫? 今からゴール地点まで貴方を運ぶけど、動けそう?」
 ゆらゆらと頭を揺らす彼を心配して、顔を近づけて梅琳が尋ねる。
 だがカオルには彼女が何と言っているかまでは、聞こえていなかった。ただ自分の目の前に梅琳がいて、彼女の唇が優美な曲線を描いている事だけが見えていた。
 そうして、貧血によって判断力を著しく欠如させた彼の頭は、何を思ったか。
 ありとあらゆる過程をすっ飛ばして、この訓練の最終目的を彼に遂行させた。
「梅琳ー……んー」
「……へ?」
 カオルが揺れる頭を前に突き出す。彼の目の前には梅琳がいて、となればどんな結果が待っているかは、言うまでもない。
 慌てて梅琳は顔を引いたが、不意を突かれた分反応が遅れた。
 カオルの唇に、一体それが彼女の何処の部位かまでは彼には分からないが、柔らかいものが触れる。
「へへー……梅琳の……いただ……」
「あ、あ、あ……貴方なんて事を!?」
 余りに唐突な出来事に、梅琳は俄に正気を失う。
 半ば反射的に右手が動き、腰の銃を抜き――さっきよりも更に至近距離から、非殺傷弾がカオルの額に打ち込まれた。
 カオルは瞬きの内に再び昏倒の深淵へと意識を落とし、後には呆然とする梅琳と、彼女ほどではないにしても驚いた様子のクロスが残された。


 影野 陽太(かげの・ようた)は安全策を取り、遺跡を幾つか経由して、着実にゴールを目指していた。けれども彼は幾つ目かの遺跡の途中で、輪子とイルミース・アンダーワンを見かける。
「あの……どうかしたんですか?」
「……フン、こやつが疲れたなどと言い出してな。暫し休憩しとるだけだ。気にせず進むがよかろう」
 一応彼らを案じて話しかけてみるが、邪険にしか扱われず、彼はそのままイルミースが顎で差した進路へと歩を進める。
「……って、アレ?」
 進路を示されたが為に何気なく進んでしまったが、自分が踏み入った部屋の違和感に彼は立ち止まる。
 行き止まりの部屋、上の階層から落ちてきたのか所々に溜まっている砂、部屋の隅にはミイラ化や白骨化した死体が転がっている。
「これってもしかして……!」
 視界に映った情報と彼の持つ『遺跡の知識』が合致して、途端に悪寒を呼び起こす。
 踵を返して陽太は今入ってきたばかりの入り口へ戻る。だが彼の目前で、床から迫り上がった石版によって出口が塞がれてしまった。
「やっぱり……! 罠だったんだ……!」
 俄に額に冷や汗を浮かべ、蒼白な顔で陽太は零す。
「や、やりましたね……アンダーワン卿……。わた、私の見込みでは……これで別の通路への道が……」
「ふむ、開きよったな。よくやったぞ輪子。では出口へ向かうとするか」
 石版の向こうから、輪子とイルミースのやり取りが聞こえる。どうやら罠が働くと同時に、別の道が開く仕組みだったらしい。
 要するに、陽太は生贄とされたのだ。
 加えて、この罠は単純に誰かを閉じ込める為だけのものでもない。不自然に降り積もった砂や死体。それらから導き出せる結論は、
「……上から、何か来る……!」
 と言う事だ。見上げてみれば、天井には小さな穴が一つ開いていた。
 そしてその穴から、彼の目前へと魔物が一匹、降ってきた。
 巨大な牙と見るからに堅牢な鱗、鞭のようにしなる尾を持った、悍ましい魔物が。
 魔物はゴーレムには見向きもせず、陽太を真正面に捉える。
「うわ……うわぁあああああああああああ!?」
 思わず、陽太は悲鳴を上げた。部屋の四隅の死体は、この魔物から逃げられなくなった者達の辿った末路なのだろう。
「あ……うわ……あ……」
 陽太は図らずも一歩後退り、伴って魔物が一歩迫る。それを幾度か繰り返した所で、陽太の背中が壁にぶつかった。そうなれば今度は左右に逃げるしかなくなる。先人達の後を辿るように、隅へと追い遣られる他なくなる。
「駄目だ……どうしようもないよ……」
 どうしようもない絶望が、陽太の心に到来する。膨大な絶望は糸と細り、彼の腕に繋がり、無意識の行動を強要する。彼の右手は心の拠り所、御神楽 環菜の生写真へと伸びる。手の平に収まる程の長方形の中でも、環菜の瞳からは強い意志が伺えた。
「……駄目だ」
 同じ言葉を、彼は繰り返す。ただし、そこに込めた感情は真逆の物として。
「……これじゃあちっとも、“まし”になんかなれていないじゃないですか……。僕は怯えて震える為にこの訓練に参加したんじゃない……! いつかカンナ様に認めて貰えるような『英雄』になる為の、長い道のりの一歩を踏み出しに来たんです!」
 決意の炎を瞳に宿し、陽太は魔物を凝視する。博識の知識を以って、打開策を見出すべくだ。
 牙と鱗に、長い尻尾。この魔物は爬虫類、中でも蛇の性質を色濃く反映した魔物なのだと、彼は判断する。
 ならばと、彼は身に付けていたチェインメイルを脱ぎ去り、魔物の手前へ放り投げた。元より魔物の牙は刺突剣と似ている。穴だらけで突きに弱いチェインメイルでは、防ぎ得ないだろう。
 故に彼は防具を捨てて身軽さを選んだ。更にチェインメイルには先程まで装備していた自分の体温が宿っている。加えて鎖を連ねて出来たそれは、大きな音も立ててくれた。
 蛇が獲物を察知する際に頼りとする熱と音の両方が偽装出来た。蛇の性質を持つ魔物に対してなら、この上ない情報撹乱が。
 魔物は足元のチェインメイルへと襲い掛かり、牙を突き立てる。即座に、陽太は銃を抜く。
 そして自分の目前で蹲る形となった魔物の頭部に、有らん限りの銃撃を撃ち込んだ。魔物は断末魔の悲鳴を上げる事すらなく、身体を痙攣させて息絶える。
「……はぁー、助かったぁ。……でも、これからどうしよう」
 危機は退けたが、自分が閉じ込められている状況に変わりはなく、陽太は周囲を見回す。
 彼は遺跡の知識から、何処かに罠を解除する為の仕組みがある筈だと予想し、捜索の特技を用いてそれを探し始めた。
 暫くして、彼は壁の一部が奥に押し込む事に出来ると言う、遺跡の定番とも言える仕組みを見付ける。
 それを押し込むと、二つの道が開かれた。一つは退路。そしてもう一つは、前へと進む道だった。
 奥する気持ちを固唾と共に飲み下して、陽太は開かれた進路を進んでいった。
「……あれ? でもそれじゃあ、さっきの人達が開いた道は何だったんだろう……?」

 輪子とイルミースは罠の待ち構える道ではなく、別の道を得た。
 だがそれはあくまで『別の道』であり、『正しい道』では無かったのだ。
 踏み込んだ途端に退路は断たれ、その上やはり天井から降ってきた魔物に追われ、二人はひたすらに走る。
「こん……の阿呆めが! ほれ、もっと速く走らんか! すぐ後ろに来ておるぞ!」
「ひ、ひぃ、も……申し訳ありませぇん……」
 咄嗟に見付けた階段をゴーレムを背負い駆け上がり、イルミースは前を走る輪子の尻を馬頭交じりに蹴飛ばす。
「あ、で、でも……この階段上に向かってますし……多分……出られるんじゃ……ぎゃふん!?」
 イルミースを振り向きながら走っていた輪子は、突如として固い何かに激突する。
 前に向き直ってみれば階段は途絶え、代わりに石の壁が行く手を阻んでいた。
「言っとる傍から行き止まりではないか! この……!」
「まま、待って下さいアンダーワン卿……! この壁、私がぶつかった拍子に少し動きました……。だから……」
「成る程! つまり我にまた力仕事をせよと! 随分と偉くなったものよなあ輪子!」
 皮肉を吐き散らしながらも、他に手はないとイルミースは渾身の力で壁を押す。徐々に徐々に壁は進んで行き、やがて隙間からは光が差し込み始めた。
「ア、ア、アンダーワン卿……もうすぐそこまで魔物が……!」
「やかましいわ! ……ぬぉお重い! えぇい輪子! さっさと隙間に身体を押し込まんか! 全部を押し切るのは骨が折れる!」
 命じられた通りに、慌ただしく輪子は岩壁の隙間に身体を滑り込ませた。凹凸に乏しい彼女の身体は突っかかる事もなく、脱出を果たす事が出来た。
 イルミースも続いて後を追う。マントやドレスが岩で擦れるが、気にかけている場合ではない。
「……まったく、ようやく一息……」
 自身も脱出し、魔物が岩を押す事も隙間を抜ける事も出来ないと確認して、イルミースは溜まりに溜まった鬱憤を発散させるように溜息を吐く。
 そうしてふと空を見上げ――そこに飛び交う戦闘機に呆然と口を開いた。
「……オー? ダンナー? 何か知らないけどメガネが一人増えてるヨ? 女だけど、コブ付きっぽいネ」
「んだとぉ!? 何処だ! 何処にいやがる!? いや、何処でもいいから吹っ飛ばしちまえ!」
「アイヨー。アイボウ、ミーの六時方向、遺跡の上だヨ。お任せしたネー」
 急旋回して接近してくるエー テンに、イルミースは嫌な予感を満面で表現する。
「おい待てまさか……えぇい走れ輪子! また何か来よったぞ!」
二人は慌てて走り出し、直後に彼らのいた地点が爆撃される。その拍子に岩が吹き飛び、外へと出る事が叶った魔物が再び輪子とイルミースを追い始める。
「いい加減貴様が疫病神か何かではないか疑わしくなってきたぞ! 結局貴様の作戦ロクに回っとらんではないか!」
「い、いえその、じゅじゅ準備期間とし資金の不足が……」
「その言い訳はもう聞いたわ! ああもう、もっと速く走らんか!」
 再び輪子の尻を蹴飛ばしながら、イルミースはうんざりしたと言わんばかりの叫び声を荒野に響かせた。


 曖浜 瑠樹(あいはま・りゅうき)は狙撃への対応やゴーレムが貴族であった場合天候に対しても虚弱であろうと、荒野にある地割れによる谷間を通っていた。
「貴族様……足元にお気を付け下さい。壁が崩れたりして、非常に……って、うぉっとあっぶね。たっはは、自分がコケかけてちゃ世話ないねぇ」
「まったくですよぉ……。りゅーき…真剣なのはいいことですけど、ゴーレムに話しかけるより、護衛しきる事を考えて下さいー……」
 溜息交じりに、瑠樹のパートナーマティエ・エニュール(まてぃえ・えにゅーる)が懇願する。訓練が始まってからずっと、瑠樹はこの調子なのだ。
 突然「え? 疲れた? ……分かりました。自分が背負いますので、どうぞお乗り下さい」などと、小芝居を始めたり。
 彼らが今、狭く進行速度も落ちる地割れの谷間を通っているのも、
「熱い……ですか? 分かりました。でしたらあの地割れの谷間を通りましょう。まず自分が下りて安全を確保しますので、マティエの傍から離れないようにお願いします」
 と言う小芝居を経ての事だ。もっとも瑠樹本人としては至って真剣なのだろうが、だからこそマティエはどうにも居たたまれない温度差を感じてしまっていた。
 二度目の溜息を吐き俯いていたマティエは、しかし唐突に視界に入り込んだ瑠樹の手に彼女は立ち止まる。彼は言葉を介さず、指で前方を差し示す。注視してみると僅かに、だが岩と暗闇ばかりの空間ではこの上なく目立つ白い布端が、前方の岩陰に見えた。
「……少しの間、ここで待っていて下さい。安全を確認したらすぐに戻ってきます。……もしも五分待っても俺達が帰ってこなかったら、その時は……」
「そう言うのもう良いですよぉ……。バレたらどうするんですか……」
 小声で小芝居を打ち切って、マティエは瑠樹の服の裾を引っ張る。本人としては真剣なやり取りを中断され多少憮然としながらも、いざ銃を構えると、瑠樹は見違える程の表情を覗かせた。
 眠気と怠惰は消え失せ微塵も気配を感じさせず、面には真剣さのみが漲っている。
 白布まであと数歩と言った所で、瑠樹は一度止まった。アサルトカービンは右手と肩で保持して、三本指を立てた左手を後方のマティエに見せる。指の数はゆっくりと等間隔で減っていき、瑠樹は握り拳を作ると同時に飛び出した。
 左手を銃に添えて、一番初めに目に付いた人影に銃を突き付ける。
「……オイオイ、ウチのお嬢様に物騒なモン突き付けないでもらえますかね?」
 だが同時に、瑠樹の目と鼻の先に銃口が突き付けられる。岩陰に予想外の奥行きがあったのか、ルース・メルヴィン(るーす・めるう゛ぃん) が身を乗り出してスナイパーライフルを構えていた。
「……あなたこそ、りゅーきにそんな物を向けないで下さい!」
 直後に、マティエのアサルトカービンの銃口がルースを捕捉する。射線が交錯し、状況は暫しの静寂と停滞を迎える。
「……いや、銃を下ろそうか、マティエ。こいつは俺が悪かったみたいだからねぇ」
 銃口を下ろし、瑠樹は自分が誰に銃を向けたのかをマティエにも見えるように体を逸らす。
 彼に促されるがままに彼女は岩陰を覗き込み、
「……うげっ」
 思わず顔を顰め、拒絶反応を如実に表した声を零してしまった。
 岩陰にいたのは、長い黒髪のウィッグと純白のドレスを着せられたゴーレムだったのだ。
「……見た所良いトコのお嬢様かな? そりゃぁこんなお方に銃を向けちゃ、申し開きは出来ないよなぁ」
「なに、大きな声じゃ言えませんが、ここじゃ我侭な小娘と変わりませんよ。わざわざこんな所通ってるのも、あのお嬢様が暑い暑いと駄々を捏ねるからでしてね」
「へぇ、奇遇だねぇ。こっちの貴族様も暑いだの歩くのは疲れただのと煩くて。オマケにこっちはムサいオッサンと来たもんだから困ったもんだよ」
 先程までの険悪な空気は何処へやら、ゴーレムを本気で人扱いしている者同士で気が合ったのか、二人は小声で自分のゴーレムの文句を語り合い始める。
「あぁ……あのゴーレム、オッサンって設定だったんですねー。……じゃなくて! りゅーきの他にこんな変な事してる人がいるなんて……! 私ちょっとドン引きを禁じ得ませんよ!?」
 ぶんぶんと頭を振って、マティエは妙な空気に侵されつつある自分の常識を取り戻す。
「……すいません、ですが日差しを避けられるような場所と言えばここくらいしか……」
 そんな時、背後から何やら人の話し声が聞こえて、マティエは振り返った。
 断片的に聞き取れた言葉の内容に何となく、嫌な予感を覚えながら。
「……そんな、冷房車なんかで荒野を走ったら、あっと言う間に追っ手や刺客にバレてしまいますよ……。この荒野さえ抜ければ、また幾らでも贅沢や快適な環境で過ごせますから……」
「また何か変な人来ちゃいましたよー!? どうなってるんですかホントにもー!」
 ヘコヘコとゴーレムに頭を下げながらこちらにも気付かず歩み寄ってくる夜住 彩蓮(やずみ・さいれん)に、思わずマティエは声を張り上げてしまった。
 しかも彼女とゴーレムの前後には三体ずつ計六体もの武者人形が隊列を組んで歩んでいるのだから、驚きは一際どころの騒ぎではないだろう。
「おやおや、こりゃまた面倒そうな貴族様を受け持ったみたいだねえアンタも。そう考えると、オレんとこのお嬢様は案外当たりくじだったりするのかもねえ」
「ははは、オレのところの貴族様より面倒臭そうだねぇ、そちらさん。……おっと、声が大き過ぎたかな?」
「ちょ……あぁ、すいません! すいません! 勘弁して下さいよー……。この方、すぐに機嫌損ねちゃうんですから……」
 更に一人加わって、しかし和気藹々とした空気にはヒビ一つ入らない。
「何でそんなすぐ仲良くなれちゃってるの!? もうそろそろ私突っ込み入れるのも疲れたよ!?」
 先程から叫び通しだったマティエは、肩を上下させて息を整えていた。
「……うん、この辺なら壁から突き出た岩も少ないし、安全だな。おーいゴレ吉! 降りてこいよ! 大丈夫だって!」
 怯えた様子を見せながらも意を決して飛び降りたゴーレムを宣言通り、しかと受け止めた彼は田桐 顕(たぎり・けん)。ゴレ吉と言うのは、彼がゴーレムに付けた名である。
「ほーら言ったろ大丈夫だって! んじゃ、行こうぜ! ……って、先客さんがいたのか。俺は田桐 顕、こっちはゴレ吉って言うんだ。よろしくな! ほら、お前も頭下げて!」
 極々自然に、自身が名付けたゴーレムの名を紹介する顕に、
「おー、よろしくだねぇ。見た所貴族のお坊ちゃん、って感じかね?」
「ですねえ。見て下さいよあの無邪気な姿、貴族なんて皆同じと思ってましたが、子供はやっぱり可愛いモンですねえ」
「よろしくお願いしますね。田桐さん、ゴレ吉君。……貴族様、あの子に変な事吹き込まないで下さいよ?」
 瑠樹やルース、彩蓮はやはり自然に受け答えしていた。
「……もしかして、これって私がおかしいんですか? そうなんですか?」
 ぽつりと呟くマティエは軽く茫然自失の状態に陥っている。
 しかしそんな彼女の肩を、誰かの手が叩いた。彼女は振り返るが、背後には誰の姿も見当たらない。
 ただ金属同士がぶつかり合うような、鎧かロボットの動作音のような物だけが彼女の耳を撫でる。
「……少女、安心するといい。君は、まともだ」
「……あ、ありがとうございます」
 姿なき声の主は、彩蓮のパートナーデュランダル・ウォルボルフ(でゅらんだる・うぉるぼるふ)である。
 どうやら光学迷彩を被っているようだが何故そのような事をしているのかは聞いていけない気がして、とりあえずマティエは常識を取り戻させてくれた彼女に礼を述べた。

「……っ、誰か来ます!」
 突然、彩蓮が叫んだ。同時にただでさえ暗い谷間の中で、彼らに一層濃い影が被さる。それが意味する事は一つ。
 谷間の上に、誰かがいるのだ。
 見上げてみれば、光り輝く刃とドラゴニュートの鋭利な爪を振りかざした二人組が、飛び降りてきている。
「上だけじゃないですよ! ……狙われてます!」
 谷間の一直線、その彼方に狙撃銃を構えた女の姿を捉え、ルースが声を張り上げた。
 だが、どうしようもない。遮蔽物もなければ武器を抜く暇もない。二組の攻撃を防ぐ術は何処にも無いのだ。せめてもの出来る事と言えば、全員が各自のゴーレムを庇うように動く事だけだった。
 そして刃と爪が閃き、銃声が響く。
「……危ない所だったね。荒野での脅威は何も蛮族や魔物、狙撃手ばかりじゃないよ」
「ったく、雁首揃えてボサボサしてんなよな。誰も刺されちゃいねえよな?」
 谷間の上から降ってきた松平 岩造(まつだいら・がんぞう)ドラニオ・フェイロン(どらにお・ふぇいろん)は地面に突き立てたそれぞれの得物を抜きながら、その場にいた面々に穏当な声を投げ掛けた。
「……刺されたって言うと、もしかして……」
 何かを察したように彩蓮が足元を、より正確には岩造とドラニオの貫いた地面を見下ろした。そこには両断され、また地面ごと抉られてバラバラになった虫の残骸が転がっている。
 辛うじて判別出来る部分には、緩やかな曲線を描き徐々に尖鋭となっていく――つまりはサソリの尾があった。
 もし人が刺されていればただ事では済まず、ゴーレムが刺されていたならばゴールでの減点、最悪は『護衛』失敗の判定も免れなかっただろう。
「うへぇ……危なかったねぇオレ達……」
「って事は、そっちのアンタ方も、もしかして?」
 狙撃銃を納め歩み寄ってくる一組の男女、クレア・シュミット(くれあ・しゅみっと)ハンス・ティーレマン(はんす・てぃーれまん)に、おずおずとルースが尋ねた。
「……足元に蛇が這い寄っていたぞ。歓談も結構だが、ここは戦場と大差ないのだ。もう少し自分の命を大切にする事だな。命を大切にしない奴が、私は嫌いだ」
「……申し訳ありません。ですがこれも、どうかクレア様の優しさの裏返しなのだと受け取って頂ければ……」
 クレアの辛辣な物言いにハンスは若干の苦味を帯びた笑顔で補完に当たる。
「いやいや、クレアさん……でしたかい? その人の言う通りですねえ。まったく、カッコ悪い所をお見せしました」
 だがルースは自嘲するかのような笑みを浮かべて、彼の言葉を遮った。

「……ともあれ、改めて礼を言わなきゃだねぇ。えっと……」
「松平岩造だよ。姓名どちらで呼んでくれても構わない。こっちはパートナーのドラニオ・フェイロンだ。よろしく……だけど、礼ならこの竜介に言っておくれ。こいつが吠えなかったら、私も君達の事になど気付かず素通りしていただろう」
 そう言って、岩造は足元で静かに控えている忍犬の頭を軽く一撫でした。
「クレア・シュミットだ。こちらはパートナーのハンス・ティーレマン。私は私がしたい事をしただけだ。礼などは必要ない」
 その後彼らは一通りの自己紹介を終えた。
 しかくして、岩造が一つ提案をする。
「……ここで私達が君達を助けたのも何かの縁だ。クレアさんも同様にね。だからここから先は協力しながら進まないか、と提案したいんだが……どうだろう」
「別にいいんじゃないかな? オレとしては助けてもらったんだし、とやかく言うような事はないねぇ」
 真っ先に答えたのは、瑠樹だった。考えなしに、と言うよりは考えるまでもない、と言った所なのだろう。
「オレも構いませんよ。むしろこれ程心強い事もない。万々歳て奴です」
 割かし楽観主義のルースもまた、殆ど時間を置く事なく結論を述べる。
 提案者である岩造としては、嬉しい展開だった。こうなると、事態は勢いを得る。僅かに悩む態度を見せていた彩蓮も、
「……そうですね。大勢でいた方が安心ですし、それにもしさっきみたいな事があっても、私がいれば少しはどうにか出来るかなって。ほら、私実は衛生科なんですよ」
「ふむ、奇遇だな。私も衛生科の所属だ。そう言えば貴女は何回か見た覚えがあるな。……とは言え、あなただけでは些か心配な気もするな。もし良ければ私も付いて行っていいかな?」
「えっ、ひど……」
「大丈夫ですよ、夜住様。クレア様は本当は皆さんを心配しておられるのです。ですがそれを素直に口に出せないだけなのです」
「……ハンス、余計な事を言うんじゃない」
「ははは、怒られてしまいましたか」
 言葉とは裏腹に、ハンスは彩蓮に生命感と幸福感を感じさせる笑みを向けた。
「さて……じゃあ話は決まりだな。ゴールまでよろしく。そしてもし君達が良ければだが、ゴールをしてからもね。まあ、今話すのは気が早いと言うものか。ひとまずは進もう」
 言い終えてから、「そう言えば」と松平は思い出したように呟く。
「君達は随分と、ゴーレムに名前を付けたり設定を加えてたね。私達はそう言った事はしてこなかったのだが、もしかしてした方が良かったのかな?」
「……お願いです、お願いですからこれ以上私の常識を崩さないで下さいぃ……」
 若干げんなりとした調子で、マティエは岩造に懇願した。


「誰かあああああああああ! 助けてくれええええええええええええ!?」
「こっちくんなバカァ! ボクまで巻き添えになるだろ! 人が折角安全なルートを通ってたのに何で魔物を連れてくるんだよ!」
「まったくでございますわ……。これだから殿方は苦手なのです……!」
 ゆっくりと、しかし確実に安全なルートを探して進行していた笹奈 紅鵡(ささな・こうむ)稲荷白狐(いなり・しろきつね)は、不運にも前方から魔物に追われ逃げてきた正義とかち合ってしまった。
「って言うかその格好は伊達なのかよ!? 自分で何とか出来ないの!?」
「無理に決まってるだろこんなのおおお! 助けてくれえええええええ!」
「駄目だこいつ! 完全に見掛け倒しだ!」
 雪崩の如き魔物の群れに追われていると言う状況に対して、正義は完全に萎縮して混乱状態にすら陥っていた。
 このままでは彼らは疲弊し切るまで追い回され、挙句の果てに失格となる末路しか待っていないだろう。
 しかしその時、正義の視界に小さな影が映った。夕日に照らされた、額にV字型の飾りを付けた、人影が。