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チェシャネコの葬儀屋 ~大切なものをなくした方へ~

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チェシャネコの葬儀屋 ~大切なものをなくした方へ~

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第三章 抱えるもの 1

 兄妹に案内されてようやくたどり着いたのは、全員が席についてもまだ余裕がある広さを持つ和室だった。
 本郷 涼介(ほんごう・りょうすけ)に迎えられて足を踏み入れると、鼻をくすぐるおいしそうな匂い。整然と配置された机の上には、既に精進料理とおかずが並んでいた。
「本日のメニューは精霊流しに合わせた精進料理。精進揚げにがんもどきの炊き合わせ、胡麻豆腐、新ショウガご飯、けんちん汁と茄子田楽になっています。今日は大切な人のために楽しんでいってくださいね」
 涼介が早くから腕を振るった料理は、ひとつずつ丁寧に繊細に仕上げられていた。
「お野菜が苦手な方は特製ハンバーグもありますので、召し上がってくださいね」
火村 加夜(ひむら・かや)も微笑む。
「こういう場には、やはり音楽が必要であろう」
「同感!」
 ヴァイオリンを手に藍澤 黎(あいざわ・れい)が立ち上がる。持参したリュートとハーモニカ、それから先ほど葬儀屋に借りたヴァイオリンを手に五月葉 終夏(さつきば・おりが)が続く。
「終夏殿もヴァイオリンを弾くのか。ここはひとつ、競演といこうか」
「いいねそれ」
 ヴァイオリンを抱くように構えると、終夏はにっと微笑んだ。
 周囲の雰囲気をメロディに乗せて、会話の妨害をしない程度の抑えた音量で静かに二人の即興が始まった。
「きれいな音色ですわねぇ」
 イハ・サジャラニルヴァータ(いは・さじゃらにるう゛ぁーた)が優しげな笑みを浮かべ、曲に聞き入っている。それはどこか儚げで、ここではない遠くへ想いを馳せているようにも見えた。蓬生 結(よもぎ・ゆい)は複雑な気持ちだった。聞いてもいいものか、聞きたくないような、けれど彼女が失ったという大切な相手に興味がないはずもなく。
 聞くなら、今日はいい機会だった。
「以前、ちらりと耳にはさんだのですが……、イハさんの亡くした方は少し俺に似ていたそうですね」
 イハは少しだけ驚いたような表情を浮かべたが、すぐにまたにっこりと笑った。
「そうですわね……。契約の時、確かに思いましたわ。とても良く似ていると」
「……大切な、方だったのでしょう?」
「ええ。大切な……それはそれは大切な方で。私たちは恋人でした」
「……」
「不思議ですわよね。パートナーになってからも、時折結のふとした仕草やちょっとした考え方に懐かしさを感じることがありますわ」
「そう……ですか」
 素直に、記憶を愛おしむように話すイハはとても穏やかで誠実なのに、結はぎゅうと胸が引き裂かれるような気持がした。
「(俺が聞いたからイハさんは答えてくれてるのに、情けない)」
「穏やかな最期でした。彼は人としての生を全うして、次の世へ向かわれたのですわ。彼を好きになった時に覚悟はできていましたのよ。私と人とは、根本的に寿命も違うのですから……」
 それは変えようのない事実で、結とイハの間でも言い換えられることだった。イハは何でもない風に受け止めているようだったが、結にはそれもショックだった。
「けれど、わかってはいてもどうしようもなく悲しいのは仕方がないことですわね」
 何と言っていいものかわからず、結は料理を口に運んだ。
 レイチェル・ロートランド(れいちぇる・ろーとらんと)が人々の合間をぬって、追加の料理や飲み物を配っている。
「本日の料理は、この後の精霊流しで船に乗せるものと同じメニューになっています。あちらの世の皆さんと同じ食事をお楽しみください」
 世渡りを得意としない彼女はそれだけ言うと、真面目に頭を下げてから忙しそうに次のテーブルへと移って行った。
「向こうであの人も食べるのでしたら、私も少しだけいただこうかしら……?」
「…………。……俺を見ていて、辛くないですか?」
 じっと黙っていた結が、ぽつりと尋ねる。
「何故?」
「いえ、だって……」
「わたくし、もう寂しくありませんのよ。結、あなたがいますもの」
「……!」
 途端、自分の考えが馬鹿のように思えてきて結は黙ってうつむいた。
「(俺は、自分で思っているよりも幸せなのかもしれません)」
 自身の偏食を理由に料理を断っていたイハだったが、結からもらって一口だけけんちん汁を含んだ。
「……おいしい」

「おいしい〜!」
 ノア・サフィルス(のあ・さふぃるす)が微笑むと、火村 加夜(ひむら・かや)はほっとした表情を浮かべた。ノアが食べているのは加夜が作った彼の大好物、ハンバーグだ。
「よかった。たくさん食べてくださいね」
「……」
「? ノア?どうかしましたか?……やっぱりおいしくなかったですか?」
「えっ、ううん!そんなことないよ!!すっごくおいしいよ〜」
 ぼんやりした様子を覗き込むと、ノアはぶんぶんと頭を振りはにかむように笑った。
「ただちょっと……昔もよくこうやって、ハンバーグ作ってもらったなぁって」
 その言葉を聞いて、加夜はノアも大事な人をなくしてここに来たのだということを改めて実感した。
「(ノアだけじゃない。ここに来た人はみんな……。私がもし、涼司くんを失ったら……)」
 想像するだけでもぞっとして、加夜は身を竦ませた。そんなこと、絶対にさせない。もしそんなことになったら、自分は正気でいられるだろうか……?
「加夜」
 ハッと気持ちを切り替えて顔を上げると、ノアがニコニコしながらこちらを見つめていた。こうやって笑いかけてくれるノアは、もしかしたら自分なんかよりもずっとずっと強いのかもしれない。
「な、なんですか?」
「ボク、精霊船に乗せてもらおうと思ってパパとママに手紙を書いてきたんだぁ。それで、それでね〜。加夜のこともお願いしちゃった」
 見せてもらった手紙の文末には加夜の恋を応援する一文が書かれていて、加夜は照れくさくなりながら、けれどノアの優しさが素直にうれしかった。
「ボクはもう幸せだから、加夜にも幸せになってほしいんだ〜」
「ノア……ありがとうございます」

 千歳 四季(ちとせ・しき)イエス・キリスト(いえす・きりすと)は、船に乗せるための手紙を書きに席をはずしたパートナーの綾瀬 悠里(あやせ・ゆうり)を待ちながら、先に食事をとっていた。イエス・キリスト――通称ヨシュアは、チラシが見えたという彼女の過去について聞いていいものか迷ったまま箸を動かしていた。
「悠里のこと、聞きたくはありませんこと?」
「えっ、でも……」
 四季に言われて箸が止まる。悠里のいないところで許可なく耳にすることが、なんとなく心苦しかった。
「ヨシュアにも、知っておいてほしいんですの。……悠里のために」
 そう言った四季の目は真剣だった。
 ――きっと、深い事情があるのだわ。ヨシュアは箸を置くと、きっちりと座りなおした。
「……わかりました。教えてください」
「ええ。……悠里の目の色が、感情の高ぶりなどで変化することはヨシュアもご存じですわね? 悠里の故郷では、その特徴を持つものは不吉――つまり鬼の化身、なのだとされ忌み嫌われていましたの。信憑性なんてありませんのにね。当然家族は疫病神扱い。酷い扱いに耐えながら暮らしていましたわ。……でも、ある日」
 四季は深く息を吐き、目を閉じた。
「ついに、悠里を殺そうと村人は決起したのです。何の罪も力もない幼い悠里は、逃げて、逃げて…………。今日送るのは、悠里のお母様にですわ。悠里をかばい、村人たちによって殺された……ね。ヨシュア、あなたは彼女に少し似ているそうですわ」
「……」
 四季はそれだけ語ってしまうと、話は終わりだといった様子でお茶を含んだ。ヨシュアはうまく言葉を紡ぐことができなかった。悲しい、腹が立つ、愛しい、寂しい、辛い、苦しい。どの言葉でも表現しがたい感情がうずまいていて、ただ、ただ自分は悠里のそばでこれからも彼女を支えようと、そう感じた。
 手紙を書きに行っていた悠里が戻ってきた。
「お待たせ」
「おかえりなさい。先に食べていますわよ」
 何事もなかったかのように微笑む四季を横目に、ヨシュアはどんな顔で悠里に向き合えばいいかわからなかった。悠里はそれで悟ったらしい。少しだけ苦しそうな笑顔を浮かべると、何も聞かずにただ二人のパートナーが開けておいてくれた席につく。
「……お待たせ、ヨシュア」
「おかえりなさい、悠里」