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チェシャネコの葬儀屋 ~大切なものをなくした方へ~

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第四章 乗せる想い 2

「本当なら、あいつがここに居るはずだったからな」
 船に順番に品物を積みこむ様子を眺めながら、アルツール・ライヘンベルガー(あるつーる・らいへんべるがー)ソロモン著 『レメゲトン』(そろもんちょ・れめげとん)にちらりと目をやると肩を竦めてみせた。
「パラミタに来るのも、レメゲトンと契約するのも。……ずいぶんとここの暮らしには慣れたが、正統な継承者でもない俺がこの場にいるということが今でも時々不思議になるよ」
「妹さんのことは、事故だったのでしょう?」
 エヴァ・ブラッケ(えう゛ぁ・ぶらっけ)の問いかけに、アルツールは苦笑した。
「ああ。もしあいつが生きていたら、君と契約することもなかっただろうな」
「そう考えると不思議ね」
 本来、パラミタに来るのはレメゲトンとその正統契約者であるアルツールの妹のはずだった。が、事故で急死した彼女の代わりに、アルツールがエヴァと契約し、追いかけてきたレメゲトンも共にパラミタにいる。そして現在、妹の供養のために精霊流しをしている。奇妙な縁だった。
「……レメゲトン、お前も妹に会いたいとは思わないか?」
 アルツールは少し悪戯そうな笑みを浮かべた。
「? それは、我も彼女にまた会いたいが……」
「では船に乗せて、妹のところに流してやるか。来い、レメゲトン」
 手を引き、そのまま本気で船に投げ込みそうなアルツールに戸惑ってレメゲトンが悲鳴を上げる。
「ちょっと待てぇーーい!!パラミタに来る前に放り込まれたライン河から抜け出すのも大変だったのに、また我に遠泳をさせるつもりか!!」
「ハハハ……冗談だ、冗談」
 泳いで帰ってくるつもりなのか。ぷりぷりと肩を怒らせるレメゲトンをしり目に、アルツールは涼しげにエヴァに尋ねた。
「そう言えば、先ほどエヴァも船に何か乗せていたな?」
「ふふ、秘密よ」
「そうか」
 お茶目に片目をつむってみせながら、エヴァは最初で最後の恋人へと想いを馳せた。
 今でこそ悪の始まりのように言う人や、勘違いの記憶を信じる人ばかりだけれど。本当はスケベなくせにシャイで嫉妬深くて、画家の夢も諦められなかった普通の人。自らの力を過信して道を踏み外し、夢破れた魔術師の青年。一緒に死ぬと約束したのに、自分だけ生き残ってしまった。
「(絵の道具と、現在のベルリンの写真がのった絵葉書。受け取ってくれるかしら)」
 まだ騒いでいるレメゲトンと、それをかわすアルツールを眺めながら、エヴァはひっそり微笑んだ。


 カシス・リリット(かしす・りりっと)は不満げな態度を隠しもせずパートナーを睨んでいた。ヴァイス・カーレット(う゛ぁいす・かーれっと)はさすがに知らないふりすることもできず、やれやれと笑って見せた。
「なんだい、坊ちゃん」
「それは、お前が探している母子に送るんじゃないのか」
「そうだよ。二人が好きだったから、せめて感謝と謝罪の気持ちを込めてね」
 金平糖を見せながらヴァイスは言った。その母子というのは、ヴァイスがパラミタに来たそもそもの目的の相手だった。
「古王国時代、身寄りのない俺に親切にしてくれた二人だ。ろくに恩返しもできないまま、母親は病で、息子は戦争で死んだ。傍にいたのに、助けることができなかった……」
「……ヴァイス。お前は、その亡くなった彼らの霊が実体化している可能性を求めて俺と契約したはずだ。まさかそれを流したら探すのはもう諦めるなんて言い出すんじゃないだろうな」
 見下すような高圧的な物言いだったが、カシスの目は真剣だった。
「この俺を付き合わせておいて、途中放棄するのは許さないぞ。責任を取って完遂しろ」
「ああ……」
 励まして、くれているのか。
 見つかるかどうか、ここにいるのかすら確かでない、途方もない人探し。ただもう一度会って、感謝と謝罪を告げたいという自身のエゴ。それを、カシスは応援してくれているらしい。
「あの子の霊を探すのはやめないよ。こうして一方的に想いを流すのではなく、直接告げたいからね」
「! 当たり前だろう」
 ふん、と鼻をならしながら、幾分ホッとしているカシスの表情に気づいて、ヴァイスは思わず笑ってしまった。
「なんだ、いきなり人の顔をみて……馬鹿にしているのか?!」
「いや、いや違うんだよ坊ちゃん、つい……」
 うれしくて。
 殴りかかってきそうなカシスの手を取ると、ヴァイスは満面の笑みで言った。
「ありがとう、坊ちゃん」
「ああ、感謝しやがれ」
 そのまま笑い続けていたら、後でカシスに思いきり脛を蹴飛ばされたのはここだけの話。


 船の上に佇んで、椎堂 紗月(しどう・さつき)はある人に想いを乗せていた。有栖川 凪沙(ありすがわ・なぎさ)がそれを複雑な表情で見守っている。
「(紗月の大切な友人、ってどんな人なんだろう。……好きだった人、なのかな?でも、どうして私を連れてきたのかな)」
 彼の大事な人なら一緒に祈りたいと思う反面、紗月に一度振られている身としては、どうしても釈然としない気持ちがあった。
「(やだな、私。紗月の妹分として、この思いはもう自分の胸にだけとどめておこうって決めたのに)」
 けれど、紗月がその友人について凪沙に明かさないのには理由があった。
「(よ。元気か?……って死んでるのに元気かってのはちょっとおかしいかな)」
 凪沙にはとても言えなかった。大事な友人の正体。傷つけるだけだし、これからも言わないだろう。騙している罪悪感は、自分が抱えていればいい。
「(凪沙は元気だ。俺のことずっと思ってくれていたのに、傷つけちまってごめん……。これじゃアンタに怒られちまいそうだな)」
 紗月はぎゅっと目を閉じると、苦笑して頭を下げた。
「(けど、アンタの代わりに凪沙は俺が絶対守るから。恋人にはなってやれないけど、大切な妹として。だから……)」
 視界を上げると、凪沙がよくわからないなりに一緒に祈ってくれているのが映った。紗月は申し訳ないような、ホッとしたようなごちゃごちゃと混ざり合った気持ちのまま締めくくった。
「(だから、凪沙のことこれからも見守っててくれよな。……凪沙の、ねーちゃん)」
 凪沙には孤児院で引き取られた際、離ればなれになっている姉がいた。凪沙は、姉を探してここに来ていた。紗月は、自分によく似ているという凪沙のねーちゃんを一緒に探すと約束した。けれど、彼女はもう死んでいることを知った。
 凪沙を傷つけないために、最初に優しい嘘をついたのは彼女の養父たち。凪沙はその嘘を信じて、今も姉がほかの家に引き取られてどこかで生きているものだと思っている。紗月に、それを壊すことはできなかった。
 説明できなくても、どうしても凪沙と一緒に凪沙のねーちゃんに挨拶がしたかった。騙していることに、胸が痛くなりながら。険しい顔の紗月を不思議そうに見て、凪沙は首をかしげた。
「紗月?」
「いや……、もういいぜ。付き合ってくれてありがとな」


「母と、父と、妹……それから、猫に」
 六鶯 鼎(ろくおう・かなめ)が差し出したのは、年季の入った懐中時計だった。文字盤の針は8時16分00秒で時を刻むのを止めてしまっている。
「これは?……流してしまって、いいの?」
 コが尋ねても、ゆるゆると首を振るだけで何も話そうとはしない。双子はうなずくと、時計を受け取って船の一角にそっと乗せた。ぽろりと、一滴の涙が鼎の頬を伝って落ちる。滅多に見ないその姿に、大久保 泰輔(おおくぼ・たいすけ)はそっとつぶやいた。
「泣きたいんやったら、今日くらいは思いきり泣いてええと思うで?俺でよければ、話聞くし」
「……ふふ、お優しいのですね」
 妖艶に微笑む様子は不遜でもあり、今見た涙が嘘のようだった。泰輔が、思わず見間違いかと疑ってしまうほどに。
「お気持ちだけ、ありがたく受け取っておきますね」
 優雅に一礼して去る後姿は相変わらず不敵であったけれど、なぜかそのまま放っておいてはいけない気がして、泰輔はそっと後を追うことにした。