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【初心者さん優先】『追憶のダンスパーティー』

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【初心者さん優先】『追憶のダンスパーティー』

リアクション


■?.Waltz Op.69-1


「どうですか、モードレット殿。このレモン風味のチキンなんかもおいしいですよ」
「あまり腹は減ってない」
 モードレット・ロットドラゴン(もーどれっと・ろっとどらごん)は、パートナーの久我内 椋(くがうち・りょう)が勧めるのも素っ気なく断った。
 パートナーとの絆を深めるパーティーだが、モードレットには別の目的がある。彼は先ほどから、何かを探すように辺りを見回している。しかし広めの会場内で所狭しと踊る人々は立ち位置を交互に替え、モードレットの視界を遮っていた。
「モードレット殿……楽しんでますか?」
 椋が彼を気遣ってそう言った瞬間、モードレットは何かに反応してぴしっと背筋を伸ばした。
 まだ目視は出来ないが確かにいる。よく見知った空気を持つ人物が、この会場内に。それがわかると、モードレットは不敵に笑んだ。
「ああ。楽しくなるのはこれからだ」
 
     #
 
「アムリアナ陛下も、理子様と出会ってようやく夢が叶ったのだと。だから、地球から来た人たちにもパラミタやこの国のことを好きになって貰えると嬉しいです」
 取り皿をテーブルに置いたティー・ティー(てぃー・てぃー)は、パートナーの源 鉄心(みなもと・てっしん)を真っ直ぐに見て、それから口を開いた。
「私は鉄心と出会えたお陰で、地球や、日本のことも好きになれました」
 ティーが言葉を切ると、辺りは彼女の穏やかな空気に包まれた。鉄心はそれを受けて、少し照れていた。
「ですから、この大陸で活躍することは勿論ですけれど、地球とパラミタを繋ぐことの役にも立てたらいいなと思います」
「なんだか、すごく立派だねぇ……」
 話を聞いていたケイ・フリグ(けい・ふりぐ)が感心すると、ティーは「そうですか?」と柔和な笑みを浮かべた。
「お二方が出会った時はどうだったんです?」
「シド、話してあげなよ」
 ティーの問いに、ケイがパートナーであるクロイス・シド(くろいす・しど)の脇腹を小突く。
「お? おう、ちょっと待て」
 口をもぐもぐさせているクロイスがローストビーフをもう一切れかじると、それをグレープジュースで流し込んだ。
「俺たちが出会ったのは――」

「おーい、爺ちゃーん。工房見せてー」
「おー、また来たのか」
 クロイスはオイルの匂いが鼻を突く小屋に好んで足を運んでいた。
 クロイスの祖父はガラクタいじりが好きだった。工具を集め、自ら小屋を立て、年がら年中そこで何かを壊してはまた何かを作っていた。
 少年であるクロイスもまた、そこが好きだった。老人のくせにやたらガタイのいい祖父は、その風貌には似つかわしくない器用な手つきで少年を魅せていた。
 廃車を拾ってきてはエンジン付きの自転車を作ってみせ、黒煙・爆発は日常茶飯事だった。祖父の下を訪れる度、自然と助手を務めていた少年は、いつの間にか構築・修理もお手の物にしていた。
 そんな少年がいつもと同じように祖父の工房を訪れたある日のこと。
「クロイス、電ノコの刃ァ持って来てくれぃ」
 祖父がそう言うと、少年は替え刃の箱を振った。
「あ、空だ。爺ちゃん、新しいのは?」
「あ〜……」
 祖父は手を止め、頭を掻きながら背中を伸ばす。その仕草は錆びついた金属音が聞こえてきそうだ。爺ちゃんの背骨にも油を差してやらなきゃならないかなとクロイスは思った。
「あれだ。倉庫の奥だ」
 祖父が無精髭の生えた顎で奥を示すと、クロイスはとことこと走っていった。
 重い金属の扉を、体重をかけてやっと開ける。狭い窓から差し込む光が、倉庫内の埃を見せびらかしていた。
 そういえば、クロイスが倉庫の奥まで入るのは初めてのことである。これまで工具を取りに何度か入ったことはあるものの、すべて手前にあるものだった。
 無秩序に置かれた棚の迷路をくぐり抜けていくと、クロイスは目当てのものを見つけた。
「お、あった」
 クロイスは自分が手にした空き箱と同じパッケージを見つけると、一番奥の棚に向かって歩みを進めた。
 ただ、僅かな日光しか差さない薄暗い倉庫内である。クロイスは自分の足に大き目の防塵シートが引っかかったことに気が付かなかった。そのまま右足を踏み出してしまった。
うわぁっ!?
 シートに足を取られたクロイスが盛大に転ぶと、その振動で棚の上から錆びたバケツやら工具やらが大きな音を立てて次々と落ちてくる。
ぎゃあああああっ!
 あっという間に、クロイスはガラクタ道具の下敷きになっていた。
「いててて……」
 言いながらガラクタを掻き分ける。その山の中からなんとか顔を覗かせると、クロイスは動きを止めた。
「人……?」
 クロイスの目を奪ったのは、覆われていた防塵シートから姿を現したツインテールの可愛い人型の何かだった。しかしそれは人にしてはどこか機械的な格好をしている。よく見ると、それらもどうやら体の一部のようだ。
「人形……ロボットか?」
「おいクロイス、すごい音がしたけど大丈夫か? お、こりゃまた散らかしたなぁ」
 先ほどの音を聞きつけた祖父が、外から倉庫内を覗いていた。
「爺ちゃん、これ何?」
「ああ、それか。それはだいぶ前に知り合いの美術商から買い取ったもんだ」
 祖父は話しながら、クロイスの隣に並ぶ。
「相当精密に作られててな。機構を見る限り自律式っぽいんだが、どうにも扱いがわからん。以前にさじを投げてから忘れておった。お前さん、よく見つけたなぁ」
「いや、事故なんだけど……それにしても随分可愛い――痛っ!?
 クロイスが覗き込みながらそれの顔に触れようとすると、指先とそれの間で小さな光が弾けた。
「どうした?」
「いや、今……静電気?」
 クロイスが不思議そうに自分の指をさすると、それは突然目を覚ました。
うわっ!
おおっ!
 クロイスが飛び退くと、祖父は目を輝かせた。
 少女型のそれは立ち上がり、自分の体から埃を払うと二人を見据えた。
「初めまして、私は機晶姫。名前はケイ・フリグ」
 そう言ってから、彼女はクロイスと目を合わせた。
「どうやら、私とあなたの間に契約が結ばれたようなの」
「契約――?」

「――ってな感じだ」
「よく覚えてないんだけど、私は古代の戦いで基盤にダメージを負ったの。それで停止しちゃったんだと思う」
 二人が話し終えると、熱心に聞いていたティーは疑問を抱いていた。
「それは不思議ですね。確か、機晶姫さんの基幹部分を修復する技術は、現在ではほとんど失われているんですよね?」
「そう、そこが不思議なんだよな。あの時は特に中まで開けていじくったってわけでもないし――」
 クロイスが眉をひそめてそう言いかけると、会場内に怒声が響いた。
てめぇっ!
 クロイス、ケイ、ティーが声のした方を向くと、鉄心は眼差しを鋭くした。
「穏やかじゃないな――」

     #

 話はさかのぼること少し前。
「どこにいやがる……」
 マーリン・アンブロジウス(まーりん・あんぶろじうす)は、そのパーティーとは少し違った空気を纏い、獲物を探すような目つきで会場を歩いていた。

「今度、蒼空学園で新年のダンスパーティーが開かれるみたいなんですけど、そこで運営スタッフとしてお手伝いすることになったんですよ」
「へぇ」
 パートナーの真言が楽しそうに言うのに対し、また面倒なものを引き受けたなと言わんばかりの顔でマーリンは相槌を打った。
「あなたもどうですか? ほら、ここに参加者のリストがあります。飛び入りもオーケーみたいですよ?」
「俺が誰と踊るってんだよ。大体、俺はダンスなんか……」
 真言が手渡したリストになんとなく目を通していると、マーリンは急に言葉を止めた。その目を釘付けにしているのは、参加者リストにかかれたモードレット・ロットドラゴンという文字だった。
「なっ、こいつは――!」

 会場に来るまでは、もしかしたら同姓同名なんてことも考えた。だが今のマーリンの頭の中に、もうその考えはなくなっていた。モードレットがこの会場にいることを強く感じるのだ。
 二人はもはや運命的な因縁の仲だった。モードレットが参加することも、真言がそのパーティーのスタッフをやることも、それによってマーリンが参加者リストに目を通したことも、偶然で片付けるにはあまりにも必然的すぎる。もしかすると、もっと手前から偶然の連鎖は始まっていたかもしれない。
「マーリン殿、仮に彼と対峙しても、争いは避けるようにせねばなりませんよ」
 沢渡 隆寛(さわたり・りゅうかん)は宥めるようにそう言った。彼もまた真言のパートナーである。
「わかってるよ」
 マーリンがそう視線を振った瞬間だった。
 ダンスフロアで凛々しく踊るペアの向こうの人物が、完全に同じタイミングでマーリンと目を合わせた。モードレットが口角を少しだけ上げる。マーリンにはその鼻で笑う息遣いが間近に聞こえるようだった。
「モードレット……!」
「あ、マーリン殿!」
 隆寛の呼び止める声も聞かず、マーリンは踊っている人にはお構いなしでダンスフロアを横切る。
「やっぱりいたな」
 マーリンが近付くなり、モードレットは口を開いた。
「なぁ、俺がお前に何を言われてもしょうがないとは思ってるが――」
 真言は関係ないから巻き込まないでくれ。マーリンはそう続けるつもりだった。
「なかなか可愛らしい顔じゃないか」
 瞬時、モードレットが何を言っているのかわからなかった。目の前に自分がいるのに、睨みもしないでどこを見ているんだ。そう思いながらマーリンが彼の視線を追うと、その先には笑顔でサービスを提供している真言がいる。それを認識すると、マーリンの体温は一気に上昇した。
てめぇっ!
 思わず口を突いて出た怒声を抑えることもせず、マーリンはその勢いのまま相手の胸倉を掴む。
「おいなんだ? 俺はまだ何も言ってないぞ? 大事な物は、大事にしまっておいたほうがいいと思うがな」
「こンの、クソ野郎っ……!」
 マーリンがどれだけ息巻いても、モードレットはにやけたまま、いやらしいほどに平然としていた。むしろマーリンの生み出す怒りを喜んで食い潰しているようである。
「そうかそうか、そんなにあの子が大事か。どうやら俺が思っていた以上に――」
 モードレットの言葉の途中で、マーリンは突然彼を離した。
「抜け」
「マーリン殿!」
 マーリンは自分の杖に手をかけ、モードレットの武器を示した。隆寛が遅れてやってくるが、マーリンの耳はそれを聞かなかった。
「おいおいまさか、ここでやる気か?」
「抜けって言ってんだよ。感謝しろ、今ここでケリをつけてやる」
 マーリンは荒く息を洩らした。それを見たモードレットの表情から笑みが消える。
 誤算だった。モードレットはただの挑発で終わるつもりだったのだが、彼のパートナーを巻き込もうとしたことで殊更短気になっているようだ。
 以前なら喜んで受けて立つ。だが英霊となったモードレットの力はまだ熟していない。今の奴とやりあったところで勝ち目の一つもないのだ。さて、どうしたものか。
「お前が抜かないなら、こっちから先に――」
 完全に火のついたマーリンが杖を抜きかけた刹那、二人の間に男が入り込んできた。
「そこまでだ」
 現れたのは、真っ先に騒ぎを聞きつけた鉄心だった。彼の右手がマーリンの杖を抜く手を抑え、もう一方の手はモードレットを牽制していた。
「誰だよ、お前。邪魔するならお前もまとめて――!」
「俺様もまとめるか?」
 挑発するような声にマーリンが振り返ると、そこには龍牙が立っていた。
「これは俺様の運営するパーティーだ。相手が誰だろうと妨害することは許さねぇぞ。それでもやるってんなら運営全員で手前を潰す」

「ねぇ、英一。どうしよう?」
 シエラはピアノを弾きながらパートナーに尋ねる。
「いい、お前は弾き続けろ。ここで演奏をやめたらもうパーティーは立て直せなくなる。お前の演奏でかろうじてまだ空気を留めてるんだ」
「う、うん……」
 頷きつつも不安がるシエラを見て、英一は笑んだ。
「大丈夫だ、連中に任せとけ」

「さぁ、その手を杖から離すんだ」
 鉄心がマーリンを説く。周囲は騒然としていた。マーリンは少し冷静になって辺りを見やると、短く舌打ちをして手を下ろした。
マーリン!
 血色を変えた真言が、人混みを掻き分けてマーリンの下へ飛んできた。
「真言……」
何してるんですか、皆様にご迷惑をおかけして!
 真言がマーリンに詰め寄ると、隆寛が間に入ろうとする。
「マスター、これには訳がありまして……」
どんな訳があっても! パーティーを壊したことには変わりありません!
 どうやら彼女はかんかんに怒っているようである。そんな彼女を見兼ねた龍牙は溜め息を吐いた。
「沢渡」
 龍牙に呼ばれた真言は、振り返るなり何度も頭を下げた。
「この度はうちのマーリンが本当にご迷惑をおかけしまして――!」
「それはいい。こいつらにも事情がありそうじゃねぇか。今日のところは、そいつ連れて帰っていいぞ」
「そんな――」
 真言は彼の眼を見て言葉を止めた。
 龍牙は私たちを責めているわけではない。彼の瞳の奥にあるのは怒りではなく、この場を治めることだ。その為に彼は、私がマーリンを連れて帰ることが最善だと判断したんだ。それを理解した真言は、もう一度だけ深く頭を下げた。
「申し訳ありません。ご迷惑をおかけしました」
 それに倣って龍寛も頭を下げると、マーリンも渋々同じようにした。
「マーリン。帰りますよ」
 閉口するしかなくなったマーリンが真言に連れられると、彼は一度だけ振り返った。
 彼とモードレットが最後にもう一度、視線に火花を散らした。それを見逃さなかった龍牙はマーリンの相手を探すが、彼が後ろを見た頃にはもうモードレットも人混みの中へと消えていた。
「一触即発、か」
「獅子導さん」
 呼ばれた龍牙が振り返ると、そこには鉄心がいた。
「おお、誰かと思ったら貴様か。真っ先に騒ぎを止めてくれたことには感謝するぞ」
「いや、当たり前のことをしたまでだよ」
 龍牙は鉄心を労うと、辺りを気にした。
「しかし連中、せっかくの空気をブチ壊してくれたな」
 ここからどう運ぼうかといった具合に龍牙が腕を組むと、鉄心が一歩前に出た。
「じゃあ、もう一役買わせてもらうことにしようか。おーい、ティー!」
「お?」
 その言葉に龍牙が小首を傾げている間に、鉄心のパートナーはとことこと目の前に現れた。
「なんでしょう、鉄心?」
「みんなはもう踊る気を無くしてしまったようだが、音楽はまだ鳴り続けている。そんなのはもったいないよな。じゃあ、俺たちは踊ろうか」
 周囲にも十分聞こえる音量でそう言った鉄心は、ティーに片手を差しのべた。突然のことに一瞬困惑した彼女だったが、一度鉄心の顔を見ると、微笑んでその手を取った。二人が優雅に踊って見せると、踊りを中断していたペアも次第に手を取り合い、会場の空気は元へ戻っていく。
「貴様、なかなかにデカい男だな」
 龍牙はふんと鼻を鳴らすと、鉄心の背中にそう呟いた。
 
     #
 
 一方、カクテルカウンターには一組のペアが訪れる。
「ちょっと、フェイミィ、こっちへ来て」
 リネン・エルフト(りねん・えるふと)が口早に言うと、フェイミィ・オルトリンデ(ふぇいみぃ・おるとりんで)は喜んでついてきた。
「いらっしゃいませ」
 玉兎が丁寧にもてなすと、フェイミィは無邪気な笑みを見せる。
「お、なんだ、未成年なのに酒か?」
「違うわよ。あなたと話すために静かなところに来たかったの」
 リネンは言ってから慌てて加夜を見た。
「あ、ごめんなさい。そういう意味じゃないの」
「いえ、今日はアルコールは不人気のようで」
 開き直ったように加夜が笑う。そもそも、このパーティーに集まったのは年齢的に酒を飲めない人が大半だった。
「やぁキミ、綺麗な色の髪と目だねぇ」
「え、えっ……?」
 加夜がそう戸惑うのも当然だ。露出も多く胸もたわわなフェイミィは、正真正銘の女性である。そんな彼女に言い寄られては、普通の女性は男に迫られるよりどうしていいかわからない。
フェイミィ!
 それを見たリネンはきつく言い放った。
「私は、あなたのそれについて言ってるの!」
「なぁんだよ、リネン。目の前にこんなに可愛いコがいるんだからほっとけないだろ?」
 フェイミィが自然なことだと主張すればするほど、リネンの溜め息は深くなる。
「……忘れたの?」
 リネンのトーンが低くなると、さすがにフェイミィも少し顔色を変えた。加夜と玉兎は状況を察して二人から距離を取る。
「たまたま通りかかった私がボロボロのあなたを拾った時、あなたは言ったわ。『カナン再興のためなら何でも、どんなことでもやってみせる』って」
 自分の顔をうっすらと映すカウンターテーブルを見つめたままリネンが言うと、フェイミィは面倒くさそうに頭を掻いた。
「こんなところでする話じゃ――」
こんなところ!?
 リネンは思わず声の音量を上げていた。
「そうよ、あなたにとってはこんなところでしょうね! だからずっとそんな態度なんだわ! でもあなたにとってのこんなところは、カナン再興の足がかりとなる場所なのよ!」
 リネンは出されていた水を飲んだ。フェイミィは何かを言おうとするが、また口を噤む。
「私は、あなたにこの学園をよく知ってもらおうと思ってこのパーティーに参加することにしたの。あの時のあなたの言葉を信じてるのよ! それなのに、あなたと来たら……」
「リネンには感謝してるさ」
 リネンがコップを強く握るのを見ると、フェイミィはいつにない真剣な口調で言った。それにはリネンも視線を上げる。
「カナンを再建したいっていうオレに、手放しで協力してくれるって言ってくれた。だからオレもリネンの力になれることなら全力でやる。征服王は必ず潰す。そこは死んでも変わらない」
「フェイミィ……」
 リネンが見た彼女は、瞳の奥に闘志を燃やしていた。しかしそれも束の間のことで、その炎はすぐに姿を隠してしまった。
「だからって、普段から突っ張ってるわけにもいかないだろ? オレだって、一日中しかめっ面はしてたくねぇよ」
 そうフェイミィが笑う。
 確かに、今から堅く構えていたってすぐにカナンを取り戻せるわけではない。彼女の気持ちも考えなきゃいけない。そう思うと、リネンは彼女に向き直った。
「ごめんなさい……。ちょっと、言い過ぎちゃったかも」
「いいっていいって。それより、これからもよろしく頼むな」
 フェイミィが水くさいといった仕草で軽く受け流すと、リネンの表情にも笑みが戻った。
「ええ、よろしく」

 その丁度真横を、スタッフらしき男女が料理を持って通りがかる。特製芋もちの香ばしさが周囲を魅了していた。
「何度言ったらわかるんですか、月夜。その料理は、料理っていうかソレは、お客様に出したらダメですってば」
 刀真は歩きながら月夜を説得する。かくいう月夜は不満な顔を隠さない。
「えー……どうしても?」
「どうしてもってなんですか。月夜には悪いですけど、ソレは何かの罰ゲームにでも使ってもらいなさい」
ばっ、ばつげ――!?
 刀真にとどめの一言をもらうと、月夜は口をあんぐり開けたままその場に立ち尽くした。刀真はお構いなしに客の下へと去っていく。

「わーぉ、この学園は食い物も女の子も美味そうでいいねぇ」
 月夜をしっかり目で追っていたフェイミィは、ここぞとばかりにカウンターを離れた。リネンはまた溜め息をつく。
「やぁ彼女。どうしたんだい?」
 フェイミィが甘い口調で話しかけると、月夜の首がギッギッと軋むようにフェイミィを見た。
「ば、ば、罰ゲームって言われた……」
「それはひどいなぁ。こんなに美味しそうなのに」
 そう言うフェイミィに偽りはなかった。確かに彼女が作ったらしいモノは、見た目も香りも『美味しそう』なのだ。それを聞いた月夜はぐいぐいと皿をフェイミィに押し付ける。
「ね? ね? 美味しそうよね?」
「ああ、それでこれは何なんだ?」
「ちょっとしょっぱいモノを作ってみようと思ったの。とりあえず食べてみて!」
 月夜の言うことはいまいち答えになっていなかった。それでもフェイミィはそれを食べることにした。この純粋そうな女の子と少しでもお近付きになれればと。
 フェイミィが月夜の料理(らしきモノ)を口に挟んだまま、意識を失くして床に倒れたのはそのすぐ後のことだった。驚いて駆け寄ったリネンは半分心配しながらも、もうこれで少し懲りてくれればと終始口にする。自分の力作のあまりの破壊力に、月夜はまたあんぐりと口を開けていた。
 遠くでは、ハイコドペアが刀真の作ってくれた思い出の料理にこれでもかというほど舌鼓を打っている。その画はさながら天国と地獄だった。
 
     #
 
「ひどいな……」
 かつて東京の隅で、セレアナ・ミアキス(せれあな・みあきす)はそう呟いていた。その一言ではとても片付けられない姿をした女性の前にセレアナは足を止めた。
 彼女がこの路地を通りかかったのは全くの偶然である。道を間違えた彼女が横着をして狭い路地を抜けようとしなければ、この二人は生涯出会わなかっただろう。
 しかしセレアナは、そこから次の動作に移るまでに時間を要した。立ちすくんだと表現した方がいいのかもしれない。壁にもたれかかって地べたに座る女性は、上着一枚でそこに放置されている。それは、彼女が凄惨な一夜を過ごしたことを見事に物語っていた。目も見開いたまま、微動だにしていなかった。
 死んでいるのだろうか。わけのわからないまま息絶えたなら、それは不幸中の幸いと言えるかも知れない。セレアナは、彼女をこんな目に遭わせた誰かに憤りすら覚えられなかった。ただほんの僅かな憐れみが、セレアナにこう語りかけていた。
 せめて、静かに葬るくらいしてやろう。
 それは現代日本の法的視点から見れば犯罪である。犯罪ではあるが、それと引き換えに彼女の名誉くらいは守ってやれる。いつしか行方の知れなくなったこの子は、きっとどこぞの誰かと駆け落ちでもしたのだ。
 彼女なりの道徳観点が彼女をしゃがませると、セレアナは異変に気が付いた。
 小さな風の音が聞こえる。慎重に聞くと、それは無残な彼女の呼吸音だった。
 この最悪の出会いの後しばらく、セレアナは拾った彼女の扱いに苦労した。
 彼女は名をセレンフィリティ・シャーレット(せれんふぃりてぃ・しゃーれっと)と言った。しかし彼女はそれ以外を語ろうとはしなかった。セレアナも余計な詮索はしなかったが、問題はそこではなかった。
 出会った夜のことがあってなのか、セレンフィリティは人生を捨てているように見えた。心身共に深く傷を負った彼女は、さらに傷を重ねようとしていた。まるで、新たな傷を負うことによって以前の傷を癒せるとでも信じているかのように。
 拾ってしまった以上、セレアナは彼女を見捨てなかった。だが決してその意志は固かったわけではない。セレンフィリティを止めながら、せめて普通の生活が出来る状態にしようと努めながら、反面私はなぜ彼女を拾ったのかと悩む日もしばしばだった。それでも根気強く彼女についていられる理由を、セレアナは次第に自覚していった。

 そうして幾重かの時が流れた。
 日常を取り戻したセレンフィリティは今、ラインの際立つ真紅のドレスを身に纏い、音楽の中をセレアナと共に静かに揺れている。
 こんなに穏やかな時はない。言葉なくして、ただメロディに身を預けているだけでパートナーと心を通わせることが出来る。
 このまま時が止まれば。そう思うセレンフィリティの頬に、いつの間にか一筋の涙が伝っていた。セレアナはそれを拭ってやることもせず、ただ静かに彼女を抱き寄せる。
 始終、お互いに何も言わなかった。この溢れんばかりの想いを表現するには言葉が足りなすぎる。二人は温もりを確かめ合い、ただ静かに絆を深める。

 やがて、音楽は鳴り終えた。