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バレンタインに降った氷のパズル

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バレンタインに降った氷のパズル

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第一章

 新と猫が呆然としている施設の一階には、カフェへと続く厨房が居を構えていた。
 そこでは例年この時期に開催される、チョコレート作りの教室が、今年も開催されている。カフェのオーナー兼メインパティシエのレンナが、生徒を募って地球製の洋菓子の作り方を教えているのだ。彼女の作るケーキは、とても人気が高い。そのため空京の辺境にあるにも関わらず、このカフェはいつでも落ち着いた雰囲気ながらもひと気が絶えない。その為、普段からアルバイトをしている月谷初花も大忙しだ。
 現在も、チョコレート作りの初心者から、さらに技能の向上を目指す料理上級者まで、様々な者が、この教室には参加していた。守護天使であるグレッグ・マーセラス(ぐれっぐ・まーせらす)などは、上級者の一人である。彼は料理上手であり、パートナーの姫神 司(ひめがみ・つかさ)に、ひっぱられる形で教室へと参加する事にしたのだが、教示される数々の手法は、既に知っているものが多かった。対照的にセルファ・オルドリン(せるふぁ・おるどりん)は、大変苦労している様子である。見かねてグレッグが声をかけた。
「大丈夫ですか?」
「だ、大丈夫よっ」
 チョコの湯煎に苦戦しながら、セルファが応える。
「うーん……困りましたね。チョコの一部が熔けきっていないのは個性ですか……」
「うるさいわねっ。べ、別に私は、気合いの入ったチョコを作るためにこの教室に参加した訳じゃないわよっ」
「手伝いましょうか?」
「い、良い。一人で大丈夫。これでも、ど、努力は一応してるのよ」


 二人がそんなやりとりをしている隣で、グレッグのパートナーである司は、久世 沙幸(くぜ・さゆき)と楽しそうに会話をしていた。
「私は仲の良いお友達やパートナーの二人に持って行ってあげようと思っているんだよね」
 あげる相手について話しながら、沙幸は脳裏に、ツインテールの少女や、乳白金の髪をした姉のような存在のパートナーの事を思い出していた。
「司は? 私は料理が下手だけど、司は習う必要が無いほど、チョコを上手に作ってるように見えるんだけど」
「しゃ、社会勉強というやつなのだよ」
「またまたぁ。誰にあげるの?」
 沙幸の陽気な声音に、司は黒い瞳を揺らした。
「そなたと同じようなものであろう。わたくしも、折角だからな、チョコレート作り教室に参加して、美味しいバレンタインチョコを用意しようと思ってな。そうしてお世話になった人や家族に贈ろうと……」
 そう続けた司は、ほのかに頬を赤く染めた。瞬きをすると、空京大学のアクリト学長の顔が瞬時に浮かんでは、消えていく。
「喜んでもらえるであろうか」
「きっと喜んでくれるよ、みんな。だって美味しそうだもん」


 沙幸はそう言って笑うと、少し離れた位置で試行錯誤を繰り返している柊 北斗(ひいらぎ・ほくと)へと視線を向けた。この室内の中で、俗に言う家庭科室に最もよく似た作業台にて、彼は奮闘している様子である。
「――随分頑張ってるみたいだけど、北斗は誰にあげるの?」
 外見はガチムチのおっさんであるというのに、フリフリのエプロンを着けた彼の手際は、とても良い。女性が苦手である北斗は一瞬硬直しながらも、おずおずと顔を上げた。彼の手元には、丁寧に成形されようとしているチョコレートケーキがある。
「別に俺はおまえらと違って、バレンタインのチョコを作ってるわけじゃないんだ」
 北斗の青い瞳が揺れている。彼の手には、HAPPY BirthDAYと綴る為のホワイトチョコのチューブが握られていた。実は明日、二月十五日は、彼のパートナーであるイランダ・テューダー(いらんだ・てゅーだー)の誕生日なのである。
「それにしては、そなたのケーキは随分と意匠が凝らされているのう」
 北斗に頷き返しながら、司がその隣を見る。すると、北斗の隣で作業をしていた宙野 たまき(そらの・たまき)が顔を上げた。
「別に変に凝る必要はないと思うぜ」
「や、たまきの作ってる奴も、かなり凝ってると思うよ」
 沙幸が朗らかに笑う。彼女が言う通り、たまきは、現在口紅のスティック部分を作成している最中だった。
――ルージュチョコ。
 たまきはシガーレットチョコからヒントを得て、独創的なチョコレートを作っているのである。
 ――彼は考えていた。あまりにも強すぎる想いは、相手の負担になるかも知れない、と。
「……ほどほどが重要なんだ。程々が」
 呟いた彼は、腕を組みながら、ビターチョコで既に形作ったルージュの部分を一瞥する。
「あまり凝ったものじゃなくて良い。良いんだ。これくらいだよな」
 一見不良っぽいが優しさの滲むたまきのそんな声に、一同は視線を彷徨わせた。




 丁度その頃、展示会場側には、風に吹かれるようにカフェの裏手から、氷で出来たパズルのピースが舞い散っていた。
 ベンチに似た椅子に座っていた夜月 鴉(やづき・からす)が天を仰ぐ。
 雪のように、霙のように、降ってくるパズルのピースの色は蒼い。思わず手を伸ばしながら、彼は首を捻った。鴉はパートナーであるユベール トゥーナ(ゆべーる・とぅーな)達に呼ばれて、この場所へとやってきたのだ。一見しても、その温度も、明らかに氷だというのに、不思議なパズルのピースは掌の熱で解ける気配がない。
 彼同様訝るように、あるいはその華美さに歓喜するよう、会場中で声が上がる。
「みなさん、落ち着いてください。真実はまだ深い雪の中にありますが、一つずつ解き明かして行きましょう」
 そこへ、テスラ・マグメル(てすら・まぐめる)の言葉が響いた。地球では「オーシャンボイス」と呼ばれていたこともあった程の、流麗な声音である。同時に浮かんだ穏やかに微笑みのおかげで、テスラの周囲にいた人々の混乱が鎮まった。
 しかしそこから離れた位置など、会場全ての来客者が混乱を止めたわけではない。
 そんな周囲の喧噪を耳にしながら、黒崎 天音(くろさき・あまね)もまた、パズルのピースを手にした一人だった。その傍らでは、パートナーであるドラゴニュートのブルーズ・アッシュワース(ぶるーず・あっしゅわーす)が首を捻っている。
「これは、僕の知的好奇心を満足させてくれる存在だろうか」
 これまでにも度々耳にした事がある天音の言葉に、ブルーズが嘆息する。
「行ってみようか。ピースが舞い散ってきた場所へ」
 パートナーのその声に、ドラゴニュートである彼は、赤い瞳を静かに揺らした。二人は、大々的に宣伝されていた氷像を観覧するために、この場を訪れていたのであるが、まれに見る美しき氷の彫刻よりもなお、天音の興味を惹く事象が起きてしまったのだろう。半ば慣れているブルーズは、歩き出した天音の後を、溜息をつきながら追う事にした。




 会場外で、そんな事が起きている事などつゆ知らず、チョコレート作り教室は続いていた。異変の端緒が、彼女達の前に現れたのは、グレッグと司がやりとりしている時の事だった。
「司、それは私が片づけますから。そちらの作業を続けて下さい。アクリト学長に喜んで頂けると良いですね」
 沙幸との会話で、頬に朱を指したままのパートナーに、グレッグがそう声をかけたる。微笑みながらも、あからさまに照れをのぞかせている司が、湯煎にかけたチョコを勢いよくかき回していた。ガシガシとヘラとボールが音を立てる。そんな中チョコレートが、グレッグの方へと飛び散った。
「あ、痛っ」
 熱も適度に冷めていて柔らかくなっているはずのチョコレート。だが、グレッグを直撃したのは、突如として硬くなり、礫と化した小さなチョコの破片だった。石のように感じさえする異物というのが正しい。グレッグが患部を掌で押さえた時、丁度、教室中にざわめきが広がった。
「うあ、痛っ、歯が折れた……!!」
 そんな声が響いてくる。


 トゥーナや鴉と日々行動を共にするアグリ・アイフェス(あぐり・あいふぇす)もまた、驚いた一人だった。彼女は元々料理上手で、教室に通うまでも無かったのであるが、鴉により美味しいチョコを渡したいと考えて、トゥーナや白羽 凪(しろばね・なぎ)と共に、この教室に参加していたのである。
アグリは、ビターチョコをベースにした焼き菓子を作っていた。焼き菓子とはいえ、とろける食感をいかにして出すかが鍵となる、難易度の高いケーキである。
 ――だが。
 いざ完成した作品を試食してみたところ、とろける感触どころか、酷く固い。まさか失敗したのだろうか、そんな不安に駆られて、というよりは、『そんなはずがない』と思いながら、彼女は凪へと歩み寄った。すると凪は、まるで小動物のように青い瞳に涙をためて、小刻みに震えていた。彼女はチョコレートをうまく作る事が出来るよう、この教室に参加しており、本日はナッツ入りのチョコを作っていた。勿論教室へ参加するまでにも充分に練習を重ねてきたのである。だが作成したチョコがあまりにも固かったため、本番になって、失敗してしまったのではないかと思ったのだ。そんな想いから、彼女は涙をまつげの上に溜めていたのである。今にも零れそうだ。
「凪のものも固くなっていますね」
 アグリの声に顔を上げた凪は、何度か瞬いてから大きく頷いた。
「ワタシのチョコも固くなってしまったんです」
 その声を聴いて、凪が驚いたように短く息を飲む。そこへ顔をホワイトチョコで汚したトゥーナがやってきた。
「ねぇあたしのチョコ、固くなっちゃったんだよね」
「失敗したのでは?」
 アグリのそんな言葉に、凪のチョコをしげしげと見据えながら、トゥーナがかぶりを振った。
「凪のも固いじゃん。アグリのは平気なの?」
「いいえ。固くなってしまいました」
「じゃあみんなのが固くなったって事だよね」
 凪の隣に立ちながら、トゥーナが腕を組む。


彼女達がかしましく現状理解に努める横で、火村 加夜(ひむら・かや)が悲しそうに眉を下げた。
「このままじゃ涼司くんにチョコを渡せなくなっちゃいます」
 せっかくチョコの作り方を教わりに来ていたというのに、まさか氷のように固くなってしまうだなんて、そう彼女は困惑していた。
「一体何が起きたんだろう?」
 その隣で、猫型のチョコレートを作っていた朱宮 満夜(あけみや・まよ)が首を捻った。実際の所、到底猫には見えないチョコだったが、彼女は彼女なりに頑張って猫を表現していた時の事だった。
「なんだか問題が起きたようだわ」
 室内の一角で、鳳 フラガ(おおとり・ふらが)がそう呟いた。
「どう思う? ルーイ」
 水を向けられたパートナーのルートヴィヒ・ルルー(るーとう゛ぃひ・るるー)は、手にしている自作のチョコレートを凝視したまま、声を震わせる。
「心を込めて作ったわたくしの力作が……フラガさんへの愛の結晶が……ただの茶色いオブジェと化してしまうなど……!!」
 憤怒ゆえなのか悲壮ゆえなのか、半ば眼鏡の奥に涙さえ溜めながら、彼は唇をきつく噛みしめている。
「ええと、この硬度だと……え、本当に熔けない」
 氷のように固まったチョコを魔法の火であぶってみながら、イナ・インバース(いな・いんばーす)が呟いた。
「あ、そうだ、それより、怪我した人がいたら、私の所へ来るんだ!」
 各机を回りながら、チョコの状態を観察していたイナが、よく通る声出そう告げる。彼女の頭部では、黒猫の耳をもしたヘアバンドが揺れていた。


 カフェ内部の料理教室も、そして氷像の展示会場もまた混乱している最中、そこから僅かばかり離れた場所にて。
「痛いのとか、苦しいのとか、誰だって御免だろ?」
 元来優しい目つきの青年が、顔をこわばらせながらそう呟いた。彼――日比谷 皐月(ひびや・さつき)は、その時まさに、チョコレートアンデッドに食べかけられていた。チョコレートアンデッドとは、人肉を貪り喰らうチョコレートのアンデッドである。彼のパートナーである雨宮 七日(あめみや・なのか)いわく、「バレンタインのチョコを作る練習をしていたら急に動き出しました」との事であり、元からアンデッドだったものがチョコレートになったのか、チョコレートだったものがアンデッドになったのかは不明である。
 人生で初めてチョコレートに喰べられそうになっている皐月は、嬉しくない気持ちでいっぱいだった。
――頼むから動きを止めてくれ!
 そんな心境だった時、丁度周囲に、氷製のパズルピースが舞い散った。
「!?」
 チョコレートアンデッドの新たな攻撃だろうかと瞠目していた彼は、直後、眼前で動きを止めた敵の姿に眉を顰める。
「……ええと」
 皐月が呟くと、七日が険しい表情で目を細めた。
「何事でしょう――先程までは元気に動いていたチョコが固まりました。……これは、事件に違いありません」
 ネクロマンサーである彼女は赤い瞳を瞬かせながら、小首を傾げた。
「一体どういう事でしょう――速やかに原因を究明し、犯人にはそれ相応の罰を与えるべきです」
 ――一応これは助かったんじゃねーの?
 そんな心境は口にはせずに、皐月はチョコが固まった理由を思案した。何か原因がありそうである。兎にも角にも原因究明。それが最優先の命題であり、可能であれば七日よりも先にそれを知りたいと彼は思った。
 そして何とかしてチョコを封じ込め、処理できないだろうかと、皐月はひっそりと溜息をついたのだった。