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【三 ルナパーク】

 てんてんてこてん
 てんてこてこてん

 どこかから囃子の軽快なリズムが鳴り響いてくる。かと思えば、
「ほらほら、そこのねぇちゃん、ちょっと寄ってかへん?」
「さぁ見てよ触ってよお立会い! これなるは世にも珍しい……」
 などといった呼び込みの声が左右から輪唱のように次から次へと飛び交い、雑踏の中を縦横無尽に駆け巡ってゆく。
 賑やかなのは、何もルナパークとその周辺だけではない。
 この新世界全体がひとつのテーマパークと化しているかのような様相を呈しており、街のどこを見ても、目を見張るような活況が全面に押し出されていた。
 仲見世がずらりと並ぶ通りで、セレンフィリティは嬉しそうに次々と軒先を覗いてゆく。その後に、セレアナが若干苛々した様子でついていっていた。
 ふたり揃って、美晴と同じく海老茶式部という格好で街中を散策しており、丁度これから、ルナパークへ向かおうとしているところであった。
 幾つ目かの仲見世を覗き終え、さぁこれからルナパーク正面ゲートへと向かおうというところで、とうとうセレアナがセレンフィリティの腕を取り、語気を強めて詰め寄った。
「セレン、分かっているの? 今はこんな呑気なことをやっている場合じゃないでしょ?」
 ところが、対するセレンフィリティは尚一層、陽気な笑顔を作って明るく応じる。
「何いってんのよ。折角こんな珍しい世界に居るのよ? もっと楽しまなくてどうするの?」
 いいながら、セレアナの手をそっと引き離し、セレンフィリティは踵を返す。
 既にふたりはビリーさんとは接触を果たしており、この電脳過去世界で異常が発生している事実を知らされていたのである。つまり状況を分かった上で、セレンフィリティは尚も観光を続けようとしていたのだ。
 更に何かいおうとするセレアナを制するかのように、セレンフィリティは肩越しに振り向いて、明るく笑いかけた。
「こんな時に焦ったって、仕方無いじゃない。だったらせいぜい、今の状況を楽しみましょ」
 何となく、こういう言葉が返ってくるのは予想がついていた。だがそれでも、セレアナは不安と苛立ちを隠せない。性格だから、といってしまえばそれまでなのだが。
 だが、放っておくとセレンフィリティはどんどん先へ行ってしまう。
 結局セレアナとて、パートナーを放置する訳にもいかず、一緒にルナパークへと足を運ぶ破目となった。

     * * *

 さて、そのルナパークである。
 明治42年、天王寺公園が第5回内国勧業博覧会跡地の東側に設営され、その反対に当たる西側の土地2万2000坪が大阪土地建物株式会社に、一括で払い下げられた。
 この払い下げ用地の北半分には、パリの街並みに見立てて、三方向からなる放射状の通りを配置し、その根元となる中央部にはエッフェル塔を模した鉄塔を建造する運びとなった。
 この鉄塔は、儒学者・藤沢南岳により『通天閣』と名付けられた。また更に、払い下げ用地の南半分にはコニーアイランド(ニューヨーク)に似せた遊園地を開園する計画が実施され、『ルナパーク』と命名された。
 そして明治45年、初代通天閣およびルナパークが完成し、その年の7月に開業した。
 初代通天閣の形状はといえば、凱旋門を土台として、その上にエッフェル塔を乗せたような形となっており、現在の二代目通天閣とは外見がまるで異なる。
 そして初代は現在の二代目よりも、南側に位置していた。

 ルナパーク内の、とある一角。
 急造で設置された木造の建屋前に、鎧武者姿がひとつ。甲冑の内側はというと、見るも恐ろしい骸骨である。骨右衛門であった。
 彼の背後の建屋はというと、その玄関口に、『恐怖館』というおどろおどろしい墨書の看板が立て掛けられていた。要するに骨右衛門は、彼特有の容姿から、この恐怖館の支配人に呼び込み係として見込まれ、こうして臨時のアルバイトをしていたという次第。
 だが悲しいかな、彼は以前にも同じような業務をこなしていた経験があり、この場に於いても、びっくりするぐらいサマになっていた。
 と、そこへ。
「あ……真さん、あの、えっと……あそこ、ちょっと……」
 ややか細い声で骨右衛門の立つ位置を示しながら、みのりが真の手を引いていた。
 ここまで、みのりの思うように遊ばせてやろうと付き合ってやっていた真だが、さすがに骨右衛門の余りにリアルな骸骨武者姿に、一瞬変な表情を浮かべていた。
 対するみのりは、骨右衛門よりも恐怖館の方にすっかり目が行ってしまっており、あからさまに興味津々といった笑顔を、その面に張りつけていた。
「いらっしゃい、お客人。ようこそ、お越しくだすった」
 骨右衛門の微妙に陰鬱な声音は、しかしみのりを怖がらせるどころか、むしろ適度な演出と映ったらしく、一層みのりの好奇心をくすぐったらしい。
 逆に真の方が、骨右衛門に胡散臭そうな視線を投げかける有様であった。ところが、そんな真の警戒心を解消するきっかけが別方向から現れた。
「おいおい……何もこんなところに来てまで、懐かしの本業に精を出さなくても良いじゃないか」
 ルナパークの白塔方向から、やや呆れ気味の顔つきで志保が現れたのである。彼は骨右衛門のパートナーであった。
 ここで真は、口の中であっと声を漏らした。志保が薔薇学の制服を身につけているのを見た時点で、ようやく骨右衛門がコントラクターであると悟ったのである。
 であれば、無用の警戒心をこれ以上抱き続ける必要は無い。
「そうだな……じゃ、入ろうか」
「あ、うん! ありがとう、真さん」
 真のひとことに、みのりは心底嬉しそうな笑顔を浮かべて、大きく頷いた。

 初代通天閣とルナパークの間には本邦初の旅客用ロープウェイが設置され、ルナパーク内に置かれた幸運の神(現在は二代目通天閣内に同様の像が設置されている)と共に名物になっていたという。このロープウェイは、ルナパーク内の白塔(ホワイトタワー)の展望台と繋がっていた。
 そしてルナパーク内には幾つものアトラクションや娯楽用建造物が、豊かな緑の中に点在している。
 記録に残っているだけでも、先に述べた白塔を筆頭に、真澄池ほとりに建つ八角形の音楽堂、サークリングウェーブ、水禽舎(各種の鳥類を飼育する施設)、埃及(エジプト)館、不思議館、美人探検館、ローラースケートホール、野外大演舞場などがあった模様。
 ルナパーク外での有名施設としてはラヂウム温泉塲がまず挙げられるが、シズルが足を踏み入れた時点ではまだ竣工していない。同様に後の話となるのだが、電気旅館が大正7年に、新世界国技館が大正8年に建設され、まさにこの一帯は大正年間を通じて大阪の一大観光都市として大変な賑わいを見せていたのである。

 白塔と初代通天閣を結ぶロープウェイのゴンドラ上に、あうらとノートルドの姿があった。
 矢張りこのふたりも歴史体験の為にログインしていたのだが、つい先ほど、ビリーさんの方から接触を取ってきて、電脳過去世界内に異常が発生している旨を告げられたばかりである。
 ところが、それでもあうらは観光気分を失わず、ノートルドとふたりでロープウェイに乗り込み、大正時代の大阪の街並みを、のんびりと眺めていた。
 この非常事態にも関わらず、あうらが落ち着いた態度で観光を楽しんでいるものだから、ノートルドも最初のうちは緊張する仕草を見せていたが、今はあうらと同じく、落ち着きを取り戻して素直に観光を楽しむようになっていた。
「それにしても、やっぱり大正時代って、現代とは全然違うんだねぇ」
「本当だ……前に大阪のガイドブックを見たことあるけど、全く違う街並みだね」
 さもありなん。今でこそ、大阪市内の主要道路、特に交差点付近は高層建築物によって視界が遮られる場所が多いのだが、この時代はとにかく建築物そのものの絶対数が少なく、勿論この界隈も例外ではない。
 木造、煉瓦造り、或いは石造り等色々種類はあろうが、大抵は二階建てか三階建て程度であり、また密集性も低い。好意的にいえば見通しが良いと表現出来るし、悪くいえば締まりの無い街並みである。
 立て付けの悪い戸板や、隙間だらけの板壁の群れなどに、人々の生活の息吹が生々しい程に垣間見えた。
 例え陽光が眩しく降り注ぐ昼間であろうとも、何となく斜陽の侘しさのような雰囲気が漂っているのは、ネオン光やLED看板などの人工的な光がほとんど全くといって良い程に存在しないからであった。
 そういった光景が、あうらとノートルドにはひどく新鮮に見えた。
 だが、そんなふたりの前に、妙な影が現れた。
 ふたりを乗せたロープウェイのゴンドラが、もう間も無く初代通天閣に到着しようという頃合になって、あうらが初代通天閣の頂きに立つ人影に気づいたのである。
「あのひと……あんなところで何やってんのかしら」
「え? なになに? あ……本当だ。あんなところに、ひとが立ってる」
 いささか呆れたようにその人影を指差すあうらとノートルド。
 その人物とは、即ち、エヴァルトであった。