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ここは蒼空荘

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■光の先は

 芦原 郁乃(あはら・いくの)は迷子の理由をこう語る。
 急に人が来たので。
 死ぬほど驚いた。ちょっと驚かしてやろうとした住人が、逆に驚くようなリアクションで飛び上がって走った。全速力だ。どこを走っているのか分からない。どれだけ走ったのかも分からない。気がつけばすっかり人気もない見知らぬ廊下。行き当たりばったりでうろうろしても事態は改善しない。これを世間一般では迷子という。
「うう、困ったよう。ごめんね、荀灌。すっかり迷っちゃった」
 郁乃が固く握った手は荀 灌(じゅん・かん)のもの。荀 灌はふるふるとかぶりを振った。
「私は、お姉ちゃんが私の手を離さないでいてくれて、嬉しいです」
 逃げるさなか、互いの手を離さなかったことにほっと一息ついて、二人は壁に背中を預けた。
「へ?」
 ぐるりと壁が回る。不動の壁だと思い込んでいた郁乃と荀 灌の体は、あっさりと壁にさらわれる。どんでん返しと呼ばれる忍者屋敷の仕掛け扉だ。閉まった扉が軽く音を立てた時には壁の向こう側。ぴったりと閉じた扉はもはやただの壁にしか見えない。
「この下宿、一体どうなってんのよ〜」
 とはいえどのみちどこにいるかなど分かりはしない。ならば壁の向こう側もこちら側も同じことだと考え、郁乃は再び歩く。こういう行動が遭難を招く。
「油断しちゃだめよ、荀灌。どんな仕掛けがあるか分かったもんじゃないんだから」
「はい、お姉ちゃんと一緒なら大丈夫です」
 慎重に慎重に、抜き足差し足忍び足、少し慎重すぎる歩みで二人は行く。幸いにしてしばらくは一本道で罠らしきものもない。
 やがて行きつく突き当り。一見して行き止まりだが、一度仕掛け扉を経験した郁乃は同じ仕掛け扉だと確信する。そうに違いない。そうであってほしい。
「いい、荀灌。一,二の三,で開けるわよ。心の準備はいい?」
「はい、いつでもやるです」
 互いに固く手を握って深呼吸。呼吸を合わせてカウントダウンを開始した。
 一,肩を引く。
 二の、指先一本一本すみずみまで力を入れて。
「せーのっ!」
 三、勢い良く体を押し出した。傍から見れば壁を壊すつもりにしか見えない一撃だった。
 果たして壁はぐるりと回った。郁乃の確信通りに仕掛け扉であったのはまさしく幸いで、そうでなかったら壁を弁償することになっていたかもしれない。
 勢い余って倒れ込んだ。なにやらにぎやかだ。二人は顔を上げる。
「お帰りなさいませ、お嬢様!」
 倒れ込んだ二人を迎えるのは騎沙良 詩穂(きさら・しほ)。ダイナミックに入室してきた二人を、にっこり笑顔で迎える姿は一流メイドの趣。
「ここは……?」
 狭くて暗い廊下から、広くて明るい部屋へ。そうはいっても一般民家の居間と大して変わらない広さではあるのだが、そこにはテーブルがあって何人かが席についている。
「新しいお客さん? ちょっと待っててなー。今じゃんじゃん作ってるから」
 ここが食堂だと気づいたのは奏輝 優奈(かなて・ゆうな)がキッチンでオーブンレンジを使っていたからだ。
「こっちはそろそろ出せそうです」
「うん、それじゃお願いなー」
 ウィア・エリルライト(うぃあ・えりるらいと)が取り出したるは大皿いっぱいのクッキー。
「二名様をお連れするねー」
 詩穂に連れられて、わけの分からないまま郁乃と荀 灌は席についた。住人と思しき数名もくつろいでいる。
「なにこれ?」
 レン・リベルリア(れん・りべるりあ)が二人の前にクッキーの皿を置いて説明した。
「優奈が住人のみなさんにお菓子を配って挨拶したいって言ってね、結構持ち込んできたんだけど、あっという間になくなっちゃったから、食堂を借りて交流会を開くことにしたんだ」
「詩穂さんにも手伝ってもらってるおかげで、なかなか評判いいんよ」
「いえいえ、優奈ちゃんの力だよ」
 またまたそんな。優奈と詩穂が謙遜し合う。
「どうぞ、お召し上がり下さい」
「早く食べないとなくなっちゃうからね」
 ウィアとレンに勧められるまま、郁乃と荀 灌はクッキーを口に含んだ。
「あ、おいしい」
 どちらともなく自然に出た言葉に、優奈と詩穂は顔をほころばせた。