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【空京大学・2】


「ようこそ、空京大学に」
 ユニゾンした声に振り向いて、破名は彼女達の名を口に出した。
「さゆみ? アデリーヌ?」
 出迎えた綾原 さゆみ(あやはら・さゆみ)アデリーヌ・シャントルイユ(あでりーぬ・しゃんとるいゆ)、二人の登場に破名の声が疑問系に持ち上がってしまったのは、彼女達が俗にいう『女子大生』だったのかと此処で初めて知ったからだ。
「ねぇ、クロフォード?」
「そうかシェリーは初対面だったか」
 そう気づいた破名はいつぞやの下の子供達が巻き込まれた異世界ぱんつ騒動や、クリスマスのプレゼントの時に協力してくれた人達だと説明し、内容に頷いたシェリーは最年長としてまた子供達の代表として自己紹介も兼ねて、丁寧に、丁寧に礼を述べるのだった。

 そうして歩き出して暫く、オープンカフェの前を通りがかった時、シェリーの目があるテーブルに釘付けになった。
 黒くて丸い小さな生き物が皿を囲んで、口の周りをシロップや生クリームで汚しながら腕より大きなフォークで必死にパンケーキを頬張っているのだ。
 シェリーの暮らす系譜の子供達は人間に近い容姿を持った者ばかりで、ギフトやポータラカ人と言った種族は見慣れなかった為、不思議な光景に暫く目を奪われてしまう。
 ふと、テーブルの上の手に気がついて視線を上げたシェリーは、瞬きを忘れた。同時に呼吸まで止めたのを息苦しくなってから気づき、慌てて息を吸い込む。院で見慣れている相貌を上回る容姿。長い足を強調するようなスリムなトラウザーズに、ネクタイ迄締めたパリッとしたシャツ、しかしその上のキャンパス地のカーコートは明るい色合いで嫌味が無い。徹頭徹尾で白衣の破名と、私服はがっかりする程普通のアレク、ぼさぼさの髪に眼鏡だけは素敵なかつみと歩いていれば、いよいよその男性は輝いて見えた。
 今は年長者として幼い子供達に読聞かせている物語の中の登場人物――つまり少女が焦がれるような異性――に、シェリーは人生で初めて遭遇したのだ。
 そうしてシェリーが必死に自分の呼吸を思い出そうとしているうちに、彼の方も視線に気がついてしまったようで、目が合って微笑み掛けられる。
「……あれは、ハインツか?」
「知り合いなのクロフォード!」
 張り上げる声は何時もより1オクターブは高い。明らかに興奮した顔でシェリーは保護者に詰め寄る。ハインリヒの名を口にした破名は、黄色い声をあげた少女に驚き、半歩下がった。
 そんなやり取りの間に、彼が立ち上がり此方へやってくる。早くなった鼓動が止まり掛けると、彼はシェリーにもう一度視線を合わせて、それから破名達へ向き直った。
「Hallo(*独・こんにちは)」
 と、親しげな挨拶は、彼等を知っているからだろう。シェリーは緊張に強張っていた肩をガクリと落とした。
 さゆみと言いアデリーヌと言い、今破名を通して紹介されているハインリヒ・ディーツゲン(はいんりひ・でぃーつげん)と言い、大学生になるには学力の他に優れた容姿まで問われるのだろうか。
「――見学だっけ。さゆみさんとアデリーヌさんが案内してるの?」
「折角だからこれから講義に連れてっちゃおうとしてたところよ」
 さゆみが答えるのに、破名は突然何を言うかと驚いて彼女を見つめた。
「予定には聞いてないぞ?」
「まぁ、もぐりになるわね」さゆみが、あっけらかんと答える。
 アデリーヌもまた、頷いて彼女に続いた。
「まずは口で色々言うより、実際に授業を受けた方が分かりやすいと思いますわ」
「目立たないように後ろの席に座れば、余程じゃない限り見つからないわよ。
 大学は高校の延長だと思ってると痛い目に遭うわ。そういうのを知るのも、悪く無いんじゃない?」
 経験潭を話して最終的にさゆみは、自分達がついているし心配ないからと付け加えた。それから彼女達はハインリヒとどの講義に行くかだとか、あの教授ならバレても大丈夫だとか二三言葉を交わして、一行へ向き直る。
 三人が出した結論は、大所帯だと流石に拙いという事だった。こうして一行は、さゆみとアデリーヌと講義へ向かうグループと、居残りで二手に別れることになった。
 居残りになった男性陣は、そのままオープンカフェの椅子の上に座る流れになる。買い物かかつみが席を立った後、ハインリヒの向かいに丁度渋い顔をした破名の顔がくる。
「――気に入らないですか?」
 事情は伝わっているらしく、破名へハインリヒがぶつけた質問は的確で直球だった。
「そうだな。……わからなくなった」
「正直ですね」
 悪い事ではないと言うような笑顔でハインリヒが頷くと、椅子に凭れていたアレクが突然口を開いた。
「ハインツ、起こして」
「帰って来たらかな」
「帰って来る前。寝ぼけたまま運転したら危ないだろ」
 言ったっきり一分もしない内に、アレクの肩が規則的に上下し始める。命じるのが当たり前で、命じられるのが当たり前だと言うような二人に、破名は彼等の関係がそういうものであったと思い出した。
「ハインツは軍人だろう?」
「そうですね」
「上官から下られた絶対の命令は、上官が死んでも遂行するか?」
「失礼。『絶対の命令』って? どんなものを指してるんですか?」
 聞き返されるとは思っておらず、破名は数秒ほど口を閉じ、「――例えば」と開く。
「捕虜を見張ってろとか。逃げるなら容赦するな、とか。ああ、これでは具体性が無いな。捕虜の価値が曖昧過ぎる。
 否、捕虜の価値は特別だ。軍にとっても特別だが、自分にとっても――監視している自分にとっても他に代えがたい存在だから、その捕虜が『逃げたい』と言い出したら、ハインツは、どうする?」
 破名は『系図』という古代文字を身に有している人間――研究サンプル『被験者』の話し相手であると同時に『監視者』である。
 時代を超えて、現代で目覚めてから孤児院という囲いを作ったことで、条件が整い、『監視対象』が出来てしまった。
 シェリーを――系図を持つ被験者を系譜という囲いから放つのは、つまり、逃亡幇助であり、『命令違反』なのだ。
 シェリーに反対すれば、遵守であり、シェリーに賛成すれば、違反である。
 系譜の研究に心酔している破名にとって、それは秤に掛けることも、本当は出来ない。出来ないはずなのに。
 ただ……
 過去なぜ被験者を逃したのか。
 その答えを出せない破名は自分の抱えている『矛盾』に気づいていない。その顛末がシェリーとの言い合いで、今回の騒動だった。
 シェリーは何かを察しているが、それがこんな理由だったとは思いも寄らない事だろう。それでもシェリーに何も言わないのは、破名の従う命令の所為だ。もしかしたらその中には、『子供を大人の難しい事情に巻き込みたく無い』親たるプライドが含まれるのかもしれないが。
「勿論、捕虜を見てろって言ってた上官は死んで居て、もういない。
 ただ、軍も『自分にとって存在意義そのものだった』場合、捕虜の望みを叶えさせるべきか? それとも命令を遵守すべきだろうか?」
 逃亡を防ぐためにと声高に反対してきた破名は、今日、学校を巡り、シェリーの反応を眺め、命令順守か、少女の未来をか、どちらを取るべきか選択の時が来たのかもしれないと密やかに戦いている。
 そうして何時迄も眉を寄せている破名に、ハインリヒは隣で眠るアレクを一瞥してふっと息を吐き出した。
「僕の答えは多分、あなたの為にならない」
 皮肉げな笑顔で一言そう言って、ハインリヒはまた口を開く。此処からはもう笑顔は消えていた。
「君は此処迄一日中馬鹿みたいに何も考えず、ただあの小さなフロイラインの後をくっついて歩いてたの? 今日君は何人の人間と関わった? 彼等が使った時間と労力は何の為?
 さゆみさんやアデリーヌさんのような人達と接して、思うところが無かった訳じゃないだろ。
 破名さん。正直君は僕から言わせれば、甘え過ぎだ。
 それから君のその質問、僕には答えが出ているように思えてならない。
 同意が欲しくて騒いでるのなら、まるで女のヒステリーだ。見苦しいよ」
 絶句する程きつい回答に、破名はもう一度考える。
 自分はどうするべきなのだろうか、を今一度考えなければならない。
 シェリー等は次代の子を成す親になるかもしれない、いうなれば未来ある子等なのだ。
 責任を担う破名は考えなければならない。
「――あと4校、5校だったっけ」
 戻ってきたかつみが言うと、丁度講義を受け終わった五人が帰ってくる。


「――高校までなら学校が用意した時間割に沿って授業を受けるけど、大学では時間割を自分で作らなきゃならないわ」
 しかも時間割の中から自分が受けようと思う授業を、取得する単位の数も計上しなくてはならない。
 さゆみが何を言わんとしているのかミリツァとナオは理解しているらしく、真面目な顔になって聞き入っている。
 シェリーの方はどうだろうか。さゆみは「――それに」と続けた。
「他にも自分で決めなければならないことがたくさんあるの。
 だから、よくよく考えて決めないと駄目よ」
 念を押されて、シェリーは首を傾げた。
「どんな風に選んだらいいのかしら?」
「その質問って、あれね、自分がやりたいのがわからないって感じの質問ね?」
 さゆみに、こくりとシェリーは頷く。何を学びたいのか、根幹が抜けている、間抜けた質問ではあったが、さゆみはあえてそこに注意しなかった。学校が何かを知るために彼らは見学に回っている。何を学ぶのかは二の次なのだ。
「ああ、じゃぁ、例えばね」
 二の次だから、代わりにと例題を出して、自分の考えの導き方を教える。
「私は今地理学を専攻しているの。なんでかわかる?」
「わからないわ」
「地理学を勉強したら方向音痴が治ると思ったからよ」
 地理学で方向音痴が治るはずもないと隣で聞いているアデリーヌは思うが、静かに黙ったままだ。それに常に連れ添う自分がいる限り、さゆみが道に迷うことはない。
「つまり、何をしたいのかそれさえしっかりしいれば、後はやるべきことが見えてくるわ」
 授業の選択も、単位のやりくりも、全部根底がしっかりしていれば枝葉は自然と伸びてくれる。
「よく自分と相談してね」
 気楽にさゆみは言う。
 言うが、あれほど念押ししたり力説したのだ、彼女もまた悩みに悩んだんだろうと思い、シェリーは真剣な顔で頷いた。