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【9】


  PM 18:00
    ヴァイシャリー某所 崩城家別宅



 崩城家、別宅。亜璃珠が寝込む部屋のすぐ近くで。
 ナコト・オールドワン(なこと・おーるどわん)は息を殺して潜んでいた。
 やろうとしたら、部屋には必ず誰か居て。
 チャンスが掴めないまま、夜を迎えた。
 だが、都合がいい。そう思う。
「崩城亜璃珠。『神楽崎分校』分校長……」
 夜の闇の中、呟く。
「地位があり、人望もあるようですわね。誰であれ構いませんが」
 そろそろだと思う。
 亜璃珠が一人になるタイミングが来るのは。
 今日、ナコトが潜んでから一度も部屋の外に出ていない亜璃珠だから。
「トイレですわよっ、ついて来ようとしなくてよろしい!」
 一人になるタイミング。
 それはトイレ。
「ああもう、私は静かにお見舞いされたいだけなのに……」
 呟いて廊下を歩く亜璃珠の後ろから、スッ、と首に短剣を突き付けた。
「……え、」
「お静かに、崩城亜璃珠。闇術で苦しみ死ぬか、短剣で首を掻き切られて死ぬか――どちらがよろしいかしら?」
「…………」
 答えは返ってこない。突然の事にパニックを起こしているのかもしれない。口元を歪ませた。
 マイロード。わたくしのただ一人の主人。喜ぶ顔が目に浮かぶ。
「言い残すことはございまして? 今日のわたくしは機嫌が良いんですの。一言くらい――」
 聞いてあげましてよ?
 と、言おうとして。

「ナコちゃん?」

 小さな小さな低い声が、聞こえた、ような、気が――。
 暗転。


*...***...*


「あっりーすーちゃーん」
 ナコトに剣を突き付けられて、茫然としていた亜璃珠に牛皮消 アルコリア(いけま・あるこりあ)は抱きついた。
「ごめんねー? ナコちゃん早まっちゃってた。説明めんどいからさっくり止めたよ、それでねー太い座薬とぶっとい座薬と大きい座薬持って来たんだけど、どれがいい〜? え、全部纏めてイっちゃう? きゃー大胆ー☆」
「ちょっとアル子、離れなさいっ」
「えーなんでー?」
「私はトイレに行くのっ」
「あ、一緒に行くって? あーんどうしたのありすちゃん、今日は本当、スゴイ大胆……☆」
「あんたねっ、こら……!」
「嫌がらないで?」
「ひゃっ……!?」
 ぺろぉー、と首筋を舐めたら、あられもない声が飛び出して、それはもう楽しくなった。
「あーあーありすちゃんかーわーいーいーっ」
「なっ、こら! もう、いい加減になさいっ!」
「もっと舐めていいー?」
「冗談じゃないっ!」
「むしろ食べちゃいたいー」
「だからやめなさいって! あっや、だ、もうっ、どこ触ってんのよ!」
「ぺろっ。これは嘘を吐いている味……さてはありすちゃん、あなたツンデレね? やーだーそんなこともう知ってたのになー、別の味ないかしら」
 ぺろぺろ、もきゅもきゅ。
 舐めて、揉んで、亜璃珠の反応を楽しんでいたアルコリアを、
「こら、アルコリア。その辺にしておかぬか、まったく」
 ナリュキ・オジョカン(なりゅき・おじょかん)が声を掛けて止めた。
「……助かった」
 小声で亜璃珠が呟き、安堵で胸を撫でおろす。そして止めてもらっている間に行ってしまおうと、トイレまで走って行った。
「ナリュキちゃーん。折角ありすで遊んでたのに〜。っていうか大人モードじゃないですか。ナリュキちゃんも風邪?」
「放っておけ。とにかく、そろそろ止めるのじゃな。ありすが倒れてしまうぞ?」
「む〜。まあ、あのまま続けてたら大変だったかもしれないし。うん、止めておいてあーげる」
「うむ、今日は素直じゃな。そんなアルコリアに一つ教えてやろう」
「?」
「ベッドの上で、円が眠っておる。送ってやれ」
「ラジャー☆」
 すったかたー、と部屋に戻って行くアルコリアを見送って、トイレの近くまでナリュキは歩く。
 亜璃珠は、頑張りすぎだから。
 たまには甘えさせたりしないと。
「……ナリュキ」
 トイレから出てきた亜璃珠が、警戒心を出したままナリュキの名前を呼んだ。
「あなたも私の脇腹をぷにぷにと揉みしだくおつもりかしら? 言っておきますけど、もうあられもない声を出したりなんてことは」
「馬鹿者」
「あいたっ?」
 強がっているような、相手を牽制する言葉の最中で頭を叩いた。ごく軽く。
 そして先に歩いて行ってしまう。亜璃珠の部屋へと向かって。
「?? な、なに?」
「妾は今日、大人モードじゃ。……少し真面目な話をするぞ」
 真面目モード、というナリュキを、少し不審そうに見ながらも、亜璃珠は話に耳を傾ける。
「ありすは多方面で気張りすぎなのじゃ。百合園では大変じゃろうが……あまり無茶はするでないぞぇ」
「無茶なんて、そんな……」
「しておるだろう。こうして倒れたりして、まったく。おぬしは何人もの人間に好かれておるのじゃぞ」
「…………」
「そうやって、好かれてる人間なのだ。支えてやりたいと思ってる者もたくさん居る。居らぬなどと言うなよ? おぬしの目の前にもそう思っている人間が居るのじゃからな。まあ、手伝えることなんてささやかかもしれぬがな」
 言い終わるとほぼ同時、部屋に着いた。部屋のドアを開ける。
「おかえりなさい、ありす、ナリュキ!」
 と、桐生 ひな(きりゅう・ひな)がお粥の鍋を手に、にっこりと微笑んで待っていて。
「食べられる? お夕飯ー。ナリュキの作ったドリンクもあるよ」
「え、ええ。少しおなかが空いていましたし……いただくわ」
 テーブルに置かれた鍋。椅子を引いて、そこに座って、鍋の蓋が開けられて、「え?」となった。
「なに、これ」
「マヨ粥。マヨネーズベースのお粥で、美味しいよ?」
「……ごめんなさい、ひな。どこが美味しそうなのか理解できないわ……」
「そんな馬鹿なっ! このマヨネーズの香ばしい匂いが食欲を引き立てないはずは……」
 がーん、という文字を背負っているのが見えそうなほどに項垂れて、ひなは取り皿にお粥を取った。そして食べた。
「……美味しい」
 ぽやぁ、と幸せそうな顔で、自分で食べはじめてしまう。ああ、本末転倒。でも美味しい。
「ナリュキもどう?」
「ふむ、結構じゃ。ありす、ドリンクは妾お手製特製ドリンクじゃ。何も変でないから飲め」
 きっぱりお粥は断って、ナリュキは亜璃珠に向き直る。
 ずい、と出されたはちみついろの飲み物に、ひなの一件があったせいで多少警戒する。
「……味は?」
「レモンと生姜をベースに、メイプルシロップとある隠し味を少々配分した優しい味じゃ」
「その隠し味がマヨネーズなんてことは」
「あらぬ。そもそもマヨが入っていたら分離しておるわ」
「それもそうね」
 受け取って、飲む。何も変な味はしないし、特製を自負しているだけあって、美味しい。
「……美味しいじゃない」
「ふふふ、愛情たっぷりじゃからな♪」
 褒めると、ナリュキは胸を張って嬉しそうに笑った。
 不意に、いい香りがした。
「亜璃珠」
 香りとほぼ同時に声を掛けられ、振り返る。と、シーマ・スプレイグ(しーま・すぷれいぐ)が鍋を手に立っていた。
「お粥」
「マヨネーズ?」
「は?」
 との反応を見て、マヨ粥というものがポピュラーではないということを確認。
 疑問符を浮かべたシーマは、亜璃珠の隣の椅子を引いて座った。
「ボクが作ったのは、玉子粥だ。ネギと生姜を入れて、葛で少しトロみをつけただけ。ほら、亜璃珠。口を開けろ」
 説明をしてから、れんげの上で冷ました粥を、つい、と向けられた。
 美味しそうで、何の抵抗もなく口を開いてしまうようなそんな匂い。
「……ん、……美味しいじゃない」
「調理は苦手じゃない」
 言いながら、二口目。
 三口……といきかけて、シーマの手が止まった。
「…………なあ亜璃珠」
「?」
「ボクがこれをやる必要は、ないよな?」
 ぐるり。
 椅子の上からシーマが大きく視線を彷徨わせる。そして手近なところに居た、草薙 庵(くさなぎ・いおり)にれんげを突き付けた。
「え、え?」
 戸惑う庵だが、シーマは気にせず席を立ち、れんげを受け取らない庵にれんげを持たせて、
「帰る」
 と宣告。
「粥は任せた」
「あ、あの? シーマ様!」
 言うが早いか、くるりと向き直ってドアへ一直線。
 ばたむ、音を立ててドアを閉め。
 しばらく歩いてから、ブースト全開。走った。


*...***...*


 何を恥ずかしい事をしていたんだ。
 ボクまで熱に侵されたのか?
 そんな思考や、先ほどしてしまった行為を振り払うかのように、走って、走って、
「……アル?」
「シーマ? そんなに慌ててどこ行くの〜」
「いや、家に。アルこそ何を?」
「まどかちゃんをおうちまで送っていったの。その帰り道よ。一緒に帰ろうか」
 にこにこ、話しかけ。
 その笑顔の裏に何があるのか、気になった。
「置き手紙してきちゃった♪」
 どんな内容を書いてきたのか、知らないが。
 ひどく楽しそうに笑うから、ご愁傷様、と。
 シーマは手を合わせたのだった。


*...***...*


 余談だが、翌朝円が起床すると、ベッド脇に書き置きがあった。

『ここが まどかちゃんの ハウスね あハっ うフふふ つきトめ タ
 いとシの いヶま ヨり』

 そして円は、
「……とりあえず、戸締りはしっかりしたほうがよさそうか、な……」
 そう、思わず呟いたと言う。


*...***...*


 閑話休題。
 場所は戻って、崩城家別宅。
 シーマにれんげを託された庵が、「あーん」と亜璃珠に玉子粥を食べさせているのを見て、
「……どういうことですか……亜璃珠様……」
 橘 舞(たちばな・まい)が低く低く呟いた。目は据わっていて、まとう空気は傍から見ていて恐ろしく感じるようなもので。
 しかし低すぎた声は亜璃珠に届いておらず、「あーん」と口を開けた。
 それを見て、何かがぷつんと切れた、気がする。
 空気がさらに一段階、沈み込む。
 舞の様子に気付いたブリジット・パウエル(ぶりじっと・ぱうえる)が「ちょっと、舞?」と慌てたような声を上げたが気にしない。舞は一歩前に出て、椅子に座る亜璃珠の横に立った。
「? 舞、どうかしたの? 空気が怖いわよ、あと顔も」
「……亜璃珠様。これはどういうことですか」
「どう、って」
「このような人たちに、いいように弄ばれて慰み者にされて……無様です」
「いや、弄ばれるって、慰みって――」
 反論しかけだ亜璃珠だが、ベッドの上や廊下で脇腹を揉まれたことを思い出して口を噤んだ。
「崩城の名が泣きます。亜璃珠様のことは、百合園本校に在籍していた頃から存じていましたが――こちらに来てから変わられたのではありませんか。日本におられた頃は、こんなちゃらちゃらした方ではなかったはずです。……今の亜璃珠様には、名門崩城一族としての威厳が微塵も感じられません。嘆かわしいです」
 言いながら、舞が俯いた。心の底から悲しいのだろう、嘆かわしいのだろう、肩を小刻みに震わせて、両手をぎゅっと握り締めて。
 そんな舞を見て、ブリジットは戸惑うばかりだ。
「ねえ、ちょっと。舞がおかしいんだけど……」
「うむ、熱でおかしくなっておるの」
 隣に居た金 仙姫(きむ・そに)に耳打ちすると、あっさり肯定された。
 熱か。いっそ頷けた。
 だって、いつもの舞は、常に頭の中は春真っ盛りで、それはもう花畑は満開だし蝶々は飛んでいるし、そこを両手広げて走り回るような無邪気で可愛い、ちょっと空気が読めなかったりの……。
「……風邪、なのね」
 それにしては人格が変わりすぎていやしないか?
 思いっきり暴言を吐いているし、雰囲気は威圧的だし、ああほられんげを持ってあーんをしていた庵なんて固まっているじゃないか。
「ていうか、あまりにも酷い物言いよ。暴言だわ」
「暴言吐くな、とか、立場がなくなる、とか、おぬしが言うでない、アホブリ」
「なんですってぇ?」
「日頃ラズィーヤのことをツインドリルだとか根性が曲がってるとか暴言吐いておるのはどこの誰じゃ」
「……それはそれ、これはこれよ。止めないと、私の立場も舞の立場もなくなるでしょ」
「まあ、それもそうじゃな」
 ちらり、と再び舞を見遣った。舞は静かに淡々と、変わらず両手を握って俯いたまま、
「私たちは、地球人の代表なのですから……その言動には注意して頂かないと困ります。良い機会ですから亜璃珠様には生活態度を改めていただきます」
 お説教モードに入っていた。
「ま、舞? いい加減止めなさいよ、団長だって戸惑ってるでしょ?」
「この程度でうろたえられる精神力では困ります」
「いや、だけどね?」
「ブリジット。私は今、亜璃珠様とお話しているの。どうしてあなたがしゃしゃり出てくるのかしら?」
「う……」
「ほっほっほ、舞よ。かりかりするでない! いくぞ、マイクスイッチ☆オンじゃ!」
 すきとおる綺麗な声で笑い声を上げ、高らかに宣言した仙姫がマイクを持ち――歌った。
 それはもう、綺麗な声だが。
「あんたちょっとうるさいのよ!」
 何分音が大きい。ブリジットが止めるように抗議するも、
「ららーららららららららららー」
 心地よく歌っている仙姫に届くはずがなく、
「………………仙姫」
 舞の怒りは煽ってしまい。
「そこに、座りなさい。正座なさい」
 静かに、低く、しかししっかり仙姫に聞こえるような、そして歌声を一発で止めてしまうような威圧と殺意に似たそれを向け、ピシリと床を指差した。座らせる。次にブリジットを見て、
「ブリジットもです。人の話し合いに口を挟む無作法を直さないと」
 ぴしゃりと一言。
 座るしかない。そう思わせる舞の言葉に、二人は座り込んだ。

「……えと、あの……お話し中、申し訳ないのですが……」

 そんな舞へと、果敢にも声を掛ける者、一人。
 稲場 繭(いなば・まゆ)が、両手を胸の辺りで組んで舞を見ていた。
「……何か?」
「舞さん、お顔がとても赤いです。さきほどから、少しふらついていらっしゃいますし……、お身体の具合が優れないのではないでしょうか?」
「……これくらいで、橘を名乗る者が弱音など吐けますか」
「そのお心は素晴らしいと思います。けれど、悪化してしまってからじゃ、遅いです」
「…………」
「ブリジットさんも、仙姫さんも、舞さんのことを心配なさっています。どうか、お身体を休めてくれませんか?」
「身体を休めると言うのなら」
 そこで、今まで威圧されていた庵が口を開いた。
「私、亜璃珠様へのお見舞いの品とハーブを持って参りました。これでハーブティーを淹れますので、召し上がられませんか?」
 にこり、と微笑んでから、返事を待たずして席を立つ。
 そう言われて、そして行動にも移されて、まだあれこれ言うのは無様な気がする。
 ふう、と息を吐いて、椅子に座った。それを見てからブリジットと仙姫も立ちあがる。
 少し待って、庵が人数分のハーブティーを淹れて戻ってくる。
「どうぞ」
 と目の前に置かれたティーカップ。ミントのいい香りが広がる。
 亜璃珠も配膳を手伝おうと立ちあがりかけて、
「あ、私がやりますから亜璃珠さんは寝ててください。いつまでも起きていたら、それこそ悪化してしまいますから」
 繭に微笑まれた。

 そうね、と言ってベッドに戻る。ぶん投げ気味だが、後の事は任せてしまおうと思った。
 言われたように、起きていたら悪化しそうだし、それに、
「……無様で悪かったわね。見てなさい、すぐに治して――」
 あなたの言う、崩城亜璃珠の威厳、見せてやろうじゃないの。
 布団をかぶった。

 ハーブティーを飲んで、いくらか気分が落ち着いたらしい。
「……ごめんなさい、取り乱して」 
 舞が謝った。ただ、後悔はしていないらしく、目に宿る力は強いままだ。
「もういいから、早く帰って休むわよ。それじゃあね、繭。団長によろしく」
「はい、わかりました。ゆっくりお休み下さいね」
 舞に肩を貸して、ブリジットが部屋を出る。
「わらわの歌声、もっと披露したかったのだがのぅ……」
 残念そうにマイマイクを手中で弄びつつ、二人の後を追って仙姫も出て行き。
「ハーブは冷暗所で保存すれば日持ちします。お伝えくださいね」
「もう帰りますか?」
「ええ、パートナーも高原さんのお見舞いから帰ってきているでしょうし。二人で風邪予防しますので」
 庵も帰って行った。
 繭はちらりと亜璃珠を見る。亜璃珠の傍では、七瀬 歩(ななせ・あゆむ)が甲斐甲斐しく世話をしている。ちょっとはしゃいでしまうような人ももう帰ったし、亜璃珠はこれからゆっくりと身を休めることができるだろう。安心する。
「亜璃珠さん」
 帰ろう、と思って亜璃珠に声をかけに行くと、亜璃珠は閉じていた目を開き、「繭?」名前を呼ばれた。
「はい。私、そろそろお暇しますね。一日も早い復帰をお待ちしております」
「ええ、わかったわ」
 上半身を起こして、亜璃珠が繭の頭を撫でた。
「今日はありがとう。うがい手洗いをしっかりして、風邪を引かないように気をつけるのよ?」
「……亜璃珠さん、もしも私が風邪を引いたら、お見舞い……来てくれますか?」
「一日中繭のことを考えて落ち着かなくなるでしょ? 仕事ができなくなっちゃうわ」
「……えへへ、そんなこと言われたら、亜璃珠さんの一日を独占したい気分になっちゃいますね」
「やめてよ、私は健康な繭と一緒に居る方が好きよ」
 亜璃珠が笑った。そうだな、と繭も思う。繭だって、こうしてベッドで眠っている亜璃珠よりも元気に動き回っている亜璃珠の方が好きだ。
「えと、じゃあ、私、帰りますね。うがいも、手洗いも、します。加湿とかも、気をつけます」
「そうして。帰り道も気をつけるのよ?」
「はいっ」
 と、繭も部屋から出て行って。
「歩はいつまで居るの?」
「あたし、もしかして迷惑ですか?」
「迷惑じゃないけれど」
 部屋に居るのは歩と、歩のパートナーの七瀬 巡(ななせ・めぐる)のみとなった。
 巡はテーブルでずっと何か書いているし、歩は部屋に来てからというもの、休まず動き回っている。
 水分補給用のスポーツドリンクを作って、サイドテーブルに常備させておいたり、氷枕や額の冷却シートをこまめに取り替えたり、パジャマを着替えさせたり、そのパジャマを洗ったり。
「ならよかった! メイドさんですからね! 頑張りますよー。あ、亜璃珠さん。お熱はもう下がりましたか? 計りましょう?」
「やっていることはメイドというよりもナースみたいだけど」
 体温計を手渡した歩にそう言うと、「えへ」と笑われた。
「至れり尽くせり、な点はどっちも同じですよー」
「そうかもね。……ところで、巡は何をしているの?」
「ん?」
 突然声を掛けられて、巡が顔を上げる。その顔がにぱっ、と笑顔に変わった。
「へへ、亜璃珠ねーちゃんへのお見舞い〜。できた!」
 できた? 何か作っていたのか? 書き物をしていたように見えたが。
 そう思ったのは一時のこと。すぐに理解する。巡が亜璃珠のベッドへ歩み寄って、大漁のそれを、どっさりと亜璃珠に手渡したから。
「……なに、これ?」
「肩叩き券!」
 色画用紙にクレヨンで書かれた文字。確かに、『かたたたきけん』と書かれている。
 しかしなぜ肩叩き券なのか。いや、様々な雑事をやったりすると肩が凝ったりするが。いまは寝ているだけで、別に肩が凝ったりしないのに。
 疑問が顔にまで出ていたのか、巡が胸を張って「いーい? 亜璃珠ねーちゃん」得意気に話しはじめた。
「ボクね、勉強したんだよ」
「勉強?」
「テレビでね、やってた! 小さい子から貰ったら嬉しいプレゼントのランキング! 堂々一位が肩叩き券だよ!」
「……ああ、それで?」
「そう! 肩くらいならいつでも叩いてあげるんだけど、亜璃珠ねーちゃんが喜ぶならたくさん作ってあげよーって思って!」
 確かに、たくさんだ。クレヨンによって両手をさまざまな色に染めて、嬉しそうに笑って。
 そんなプレゼントを喜べない人が居ますか。
「まったく、もう。……いまは肩凝ってないから頼まないけど、次から使わせてもらうわね」
「えー、使ってくれないの?」
「いまは、って言ってるでしょう?」
「ボク頑張るのに」
「こら、巡ちゃん。亜璃珠さんが困っちゃうでしょ?」
「えー、だってボクも亜璃珠ねーちゃんのために何かしたいもん」
 歩が窘めて、巡がぶーたれて。
 すごく微笑ましい光景だけど、今の時間を考えると心配になる。
 不審者なんてこの辺りには居ないと思うけれど、それでも女の子たちが出歩くには危ない時間になってきた。
 時計を気にする亜璃珠の近くに椅子を引いてきて、歩が座った。
 歩の口から紡ぎ出されるのは、言葉じゃなくて歌声。
「これは、」
「歩ねーちゃんの子守唄だ。……しまった、ボクまで眠くなっちゃう」
 うつらうつら、と早くも船を漕ぎはじめた巡に微笑みかけて、歩は歌を続ける。
 愛しい我が子をあやして寝かしつける母親の歌。母親の愛を歌って、子を想う気持ちを歌って。
 綺麗な声と、聞きやすい声量。
 いつの間にか、亜璃珠は眠りの世界に落ちていて。
「……おやすみなさい、亜璃珠さん。いつも色々考えててお疲れ様です」
 安心しきって眠る亜璃珠にそう声を掛けて、うとうととしていて歩みの怪しい巡の手を引き、部屋を出た。


*...***...*


  PM 19:45
    ヴァイシャリー某所


「あれ? 社、女の子が二人きりで歩いていますよ。危ないですね」
 寺美が社の手を引いて、そう声を掛けた。
 昼間。百合園の寮へ元気を届けに行こうとして、嫉妬に狂った血盟団に邪魔をされ。
 寮への見舞いは諦めて、個々の家を訪れて笑わせて、さあそろそろ家に帰ろう。そう決めて歩いていた時、歩と巡を見かけた。
「やー兄、あっちの子、足取り危ないー」
 危ないとの言葉に目を凝らしてみると、アリスロリータの服装の子がよろりよろり、ふらりふらり。覚束ない足取りだった。
「……ていうか、あゆむんやないか。あゆむーん」
 呼びかける。歩はすぐに社に気付いて、ふりふり、左手を振った。
「どないしたん? めぐるん、風邪引きさんか?」
「こんばんは社さん。巡ちゃん、眠くなっちゃったみたいで」
「うぅ〜……」
 唸る巡を見て、笑う。よかった、風邪じゃなかった。誰かが風邪で辛いのは嫌だけど、知り合いが風邪で苦しんでいるのはそれに輪をかけて辛い。
「ほな、送ってったる。もう夜も遅いしな〜。めぐるん、ほら、おんぶするからはい、乗って〜」
「……う〜、……おんぶ。……」
 しゃがんで、巡を抱え上げておんぶして。繋いでいた千尋の手は、寺美に任せる。
「やー兄、あとでちーちゃんもおんぶ!」
「はいはい、あとでな〜♪」
 へらりと笑って約束して、夜道を皆で並んで歩く。
「お見舞いとかしてきたん?」
「うん。崩城亜璃珠さんのお見舞い」
「へえ、あの人も風邪引いてもうたん? なかなか強い風邪だったんやねぇ」
「……風邪は、嫌だね。見ていて辛そうだもん」
 少し歩が悲しそうに言うから、社はとびきりの笑顔を歩に向けた。
「あゆむん、笑って?」
「えっと、……こう?」
「そうそう。ええやろ、笑顔。自分が笑ってれば、いずれ相手さんも笑ってくれるし。病気の時にふさぎこんでたら治るモンも治らんし」
「えへへ。ありがとう。社さんは病気に罹らなさそうだよね」
「罹らないよ、社馬鹿だもん。ねー、社?」
「やー兄、ばかー?」
「寺美後で覚悟しとけー?」
 風邪なんて引かなさそう。
 ある意味、褒め言葉だろうなと社は思う。
 だって、いつだって明るく元気。
 そういうことだろう?


*...***...*


 百合園女学院で流行った風邪は、三日と経たずにそのなりを潜めて。
 こんなに早く治っていったのは、きっと皆が皆を想って、見舞ったりしたから。
 だって、風邪に効く一番の薬は。

*...***...*

担当マスターより

▼担当マスター

灰島懐音

▼マスターコメント

 お久しぶりです。あるいははじめまして。
 ゲームマスターを務めさせていただきました灰島懐音です。
 参加してくださった皆様に多大なる謝辞を。

 やー、いいですね! ラヴ! 友情! 時々ギャグ!
 こういうの大好きなんです。ほのぼの、まったり、日常。
 ええ、大好きなんです。2回言ったのは大事なことだからですよ。灰島はほのぼの大好き。

 というわけで、風邪引きシナリオ完成です。
 皆様は風邪など召されてないでしょうか? 灰島は、ほら、なんとかは風邪を引かないと言うでしょう? だから大丈夫です。
 嘘です。ちょっと風邪気味です。チクショォ……。

 今回なのですが、時間や場所がころころ変わっているため、区切りあるところでちまちまと時間を明記してみました。
 わかりやすかったのか、それとも逆にわかりにくかったのか……不安です。

 またリアクションの話に戻りまして。
 今回はたくさんのイチャラブを書かせていただいたと思います。
 ただね。ほらね、ガイドでも書いたけれど、灰島未熟だから、濡れ場とかね……どうも本当未熟でした。
 期待していた人に土下座して参りたいくらい。あ、迷惑ですね。そうですよね。
 でも書いていて楽しかったです。また書いてみたい。リベンジリベンジ。

 さて今回も長くなってしまいました。締めます。
 全ての参加者様に感謝を。楽しく書けた自分にも感謝を。
 最後まで読んでいただきありがとうございました。