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 夕暮れの海 
 
 
 夕暮れが近づくと、海で遊んでいた人々は急ぎ足に帰路につく。
「葵ちゃん、綺麗な夕日ですよ……」
 さっきからずっと黙っている葵にエレンディラはそう言って空を指したけれど。
「あらあら、静かだと思ったら寝ちゃったのですね」
 今日1日、浜ではしゃぎ回った疲れからか、葵は気持ち良さそうに寝入っていた。その肩にタオルをかけてやると、エレンディラはもう一度座りなおした。帰るのはもう少しだけ……、そう夕日に染まる葵の寝顔を見てからにしよう。
 例年に無く賑わっていた浜茶屋も、店じまいの準備に入った。
「ジュレ、ちょっとそっち持って」
「まったく誰がこんなに散らかしていったのであろう」
 皆が店内の片付けをしている間、カレンとジュレールは浜辺のゴミを片付けた。浜茶屋で出されたものは、ゴミが少なくなるように工夫されていたけれど、外から持ち込まれたゴミは集めて見ると相当な量になる。
 それらを掃除してきれいな浜に戻すと、これで今日も1日良く働いた、という充実した気分になった。
「みんなお疲れー、氷の残りでカキ氷を作ったから、これ食べて明日も頑張ろうねー」
 ミルディアは皆にカキ氷を振舞うと、今日1日のバイトの疲れも見せず、
「ではこれから日課の走りこみをするので、これで〜!」
 と、身軽に駆けて行った。
 
 西にオレンジ色の太陽が今まさに沈もうとしている頃。
 今日1日、皆と海で遊んだ渋井 誠治(しぶい・せいじ)シャーロット・マウザー(しゃーろっと・まうざー)を誘って、海辺の散歩に出た。
 昼間はあんなに賑やかだった海なのに、今は人の姿もまばらで、それももう海を後にして帰ろうとしている。
 そんな人の流れとは逆に、2人は波打ち際をゆっくりと歩いた。
「夕暮れ時の空ってとても綺麗だと思いません?」
 この時間帯が一番好き、とシャーロットは夕日を眺めた。誠治はそのシャーロットを横目で眺める。ピンクのツインテールも白い頬も夕日の色に染まり、いつも以上に可愛く見える。
「誠治?」
 返事がないのをいぶかしんでこちらを見たシャーロットとまともに目が合いそうになって、誠治は慌てて視線を夕日に持って行った。
「ああ綺麗だ。けど、どこか侘しくもあるな」
 静かに今日最後の光を投げかけてくる夕日は、人を物思いに耽らせる。言葉少なになりながら、誠治はパラミタに来てからのことを振り返った。シャーロットと付き合い始めたのは、パラミタに来て少し経ってからだったから……。
「ちょうど1年ぐらいか」
「ええ。そう思うと、時が過ぎるのって本当に早いですね」
 思わず漏れた呟きに、同じことを考えていたシャーロットが答える。
 夏秋冬春、そしてまた夏。
 季節をひと巡りしたのかと思うと感慨深い。
 その間にもいろいろなことがあった。シャンバラは東西に分かれて建国され、誠治の通う蒼空学園とシャーロットの通うイルミンスール魔法学校も、西東に分かれてしまった。
 これからどうなるのだろう。
 不安が無いわけではないけれど……だからこそ。
 誠治はシャーロットの手を取るとぎゅっと握りしめた。かつん、と当たる感触はお揃いのペアリング。いつも共にある印。
 ……この手は放さない。何があっても。
(あ……)
 誠治に手を握りしめられて、シャーロットは軽い後悔を感じた。
(また誠治任せにしちゃいましたね……)
 好き。という気持ちはあるのだけれど、シャーロットは自分から行動を起こすのが苦手。ついついいつも受身になってしまう。
 もちろん、誠治から行動してもらえるのは嬉しいのだけれど……。
 たわいもない会話を楽しみながら、海辺を歩く。
 足が自然に止まると、夕日の海を背景に引き寄せられて。
 その時、ずっと迷っていたシャーロットは、勇気を振り絞った。
(んー……えいっ!)
 誠治からされるより先に、背伸びして。ほんの軽く口唇を触れ合わせる。
「シャロ?」
 シャーロットからキスをするのは初めてのこと。驚く誠治にシャーロットは恥ずかしさを隠してにこりと笑った。
「誠治、今までありがとう……そして今後もよろしく、です」
 この先季節が何度巡ろうとも、ずっと。
 こうして一緒に過ごせますように――。
 
 
 塩辛い水 
 
 
 昼間の疲れでバイトたちが眠りに落ちる頃。沢渡 真言(さわたり・まこと)はそっと源太の家を出た。
「マコト、どこ行くの? 海?」
 出かけようとする真言を目ざとく見つけ、ユーリエンテ・レヴィ(ゆーりえんて・れう゛ぃ)が追いかけてきた。真言は水着にタオル地のパーカーという格好だから、どこに行こうとしているのかは一目瞭然だ。
「なんだか眠れないので、海で遊んでみようかと思いまして」
「じゃあユーリも行く!」
 昼間は真言はバイトをしているからパートナーと一緒に遊んではいられない。遊んでもらうチャンスとばかりにユーリエンテは真言に飛びついた。
「良いですよ。行きましょう」
「では俺も行こう」
 ユーリエンテが真言の邪魔をしないように、とマーリン・アンブロジウス(まーりん・あんぶろじうす)も上着を1枚羽織ると、共に外に出た。
 源太の家から浜まではすぐだ。
「……海で遊ぶのは実に久しぶりになりますね」
 昼間と比べて冷たい海の水に足を浸し、真言は呟く。
 幼馴染と家族ぐるみで海に行ったのが最後になるだろうか。足下に寄せる波にそんなことを思い出す。
 今頃のぞみは何をしているだろうか。パラミタから地球に呼び戻された彼女がどうしているのか気になるけれど、連絡が禁じられているために近況は分からない。
 ついても詮無いため息をひとつ落とすと、真言はパーカーをマーリンに預けて海に入っていった。ユーリエンテは下がキュロットパンツになった女の子ものの水着姿で、浮き輪につかまって海にぷかぷかと浮かぶ。
「海の水、ちょっと冷たいね。でも気持ち良いー」
 はしゃぐユーリエンテにしばらく付き合った後、真言は沖合いへと泳ぎ出した。そうすれば、少しはこの心の憂いも晴れるだろうかと。
「あ、マコト! ユーリも……」
 後を追おうとするユーリエンテをマーリンが止める。
「やめておけ。真言にも1人で泳ぎたい時はあるのだろうからな」
「うん。マコト、たまにちょっと寂しそうだもんね……やっぱりあの子が一緒じゃないからかなぁ」
「恐らく、な」
 浜茶屋には友達同士で海に遊びに来ている人々が多く訪れる。その楽しげな様子に、自分たちも……と思わないではいられないのだろう。
「ねぇねぇマーちゃん、マコトとあの子が会えるように出来ないの? 夢の中とかで」
「ユーリ、お兄さんはそんなに万能じゃないんだ」
 ねだるユーリエンテにマーリンは肩をすくめた。出来ること出来ないこと、していいことしてはいけないこと。この世にはさまざまな制約があるものだ。
「なんだー、残念」
「まぁ、真言の父から聞いた話では、勉学課題の修了まで直接の連絡が遮断されているような状況らしい。彼女が帰ってくるのはそんなに時間はかからないだろう」
 それまでの辛抱だからというマーリンに、ユーリエンテは納得したように1人で遊び始めた。
 パラミタと同じく日本も夏真っ盛り。勉学課題に縛り付けられている彼女は海で遊ぶことは出来ないだろうけれど……真言と同じく、夏の夜空を見上げて離れて暮らす幼馴染のことを思い出しているだろうか。
 ひとしきり泳いで戻ってきた真言は、まだ元気を取り戻してはいなかった。
 冷えた身体にパーカーを渡しながらマーリンは真言に囁く。
「遠くない将来、みんなからも認められてずっと一緒にいられるようになる。……だから、泣いてすっきりして寝てしまえよ。誰にもいわないから、さ」
 すべてを包み隠す夜の中。海水に濡れた頬にあと少し塩辛い水分が流れたとて、どうということもないだろうから。
 
 
 
 
 
 頭上には月と満天の星空。
 昼は人が溢れていた浜辺も、今は波が打ち寄せるのみ。
 一度昼間に来たのだけれど人の多さに閉口して出直したのは正解だったかも知れない。
 水無月 零(みなずき・れい)と寄り添って、神崎 優(かんざき・ゆう)は幻想的な浜辺の風景の中を歩いた。
 どこまでもどこまでも、2人で歩いていけそうな夜。
 自然と言葉少なになりながら波打ち際に沿って進んでいくと、両側に岩がせり出した奥まったところに出た。
「せっかく海に来たんだからココで遊んでいく?」
 優が言うと、零は肯いて水着の上に羽織っていた薄手の上着を脱いだ。
「どうかな?」
 水着を露わにして零は尋ねる。零が中に着ていたのは白と水色のさわやかな水着。濃いブルーのリボンがアクセントになったそれは、零にとてもよく似合っていた。
 だから答える優も素直に言える。
「綺麗だよ」
「ありがとう」
 褒められると嬉しいけれど、恥ずかしい。照れ隠しのように零は手で水を掬って優にかけた。
「冷たっ……やったな」
 ばしゃばしゃと派手に優が水をかけ返す。
「もう〜、私そんなにいっぱいかけてないのに」
 零は髪を伝わって顔に滴ってくる海水を手で払うと、お返し、とばかりに二の腕まで海につけて、思いっきり優に水を飛ばした。
 逃げて、追いかけて、水をかけて、水を避けて。
 童心に返ったように遊んでいるうちに……。
「きゃ……っ!」
 不意に深くなっている箇所に足を取られ、零がバランスを崩した。転びそうになるのを、優が慌てて支える。
 けれど、不安定な足下で伸ばした手は零を支えるには不十分すぎた。
 一緒になって倒れつつ、せめて零は怪我させまいと優は全身でかばった。
 バシャン。
 水しぶきを上げて2人は海に倒れこんだ。
 しっかりと零を捕まえたまま、大丈夫かと聞こうとした優の口が止まった。
 放すまいと抱き寄せていた零の顔が思いの外近くにあったから。
 言葉を発することが出来ず、優はぎゅっと目を閉じている零の顔を見つめる。
 と……その目が開いた。
「あ……」
 無事だったことにほっとしかけた零の息も止まる。
 ……そして。
 どちらから動いたのかも分からない。それほど自然に優と零は口付けを交し合った。
 重なる2つのシルエット。
 そこから滴る水はきらきらと、月明かりに輝いて――。
 
 
 夜の浜辺に咲く花 
 
 
 月明かりが夜の浜辺を照らしている。
 月の光に浮かぶ月崎 羽純(つきざき・はすみ)の横顔から遠野 歌菜(とおの・かな)は目が放せなかった。柔らかな月明かりで見ると、羽純の端正な顔立ちは精緻な細工物のように綺麗だ。
 つい見とれてしまって言葉少なくなる歌菜の代わりのように、羽純は話題を振った。
「潮の満ち引きについて知っているか? これは月の引力で海水が引っ張られて起きるんだ」
「なんだか不思議だね。普段は月の力なんて感じることないのに」
 知らず知らずのうちに、天に輝く月に引き寄せられて。引き寄せられた水は大きなうねりとなって浜に打ち寄せる。
 月に揺らされる波音と何時に無く饒舌な羽純の声を心地よく聞きながら、歌菜は足を止めた。
 静かで吸い込まれそうな夜の海に背を向けて、持ってきた袋の中身を羽純に示す。
「ね、花火しようよ」
「何を持ってきたのかと思えば」
「だって、夏と言えばやっぱり花火でしょ」
 いそいそと準備をはじめた歌菜から花火を受け取り、羽純は考える。
(……俺は花火をやったことがあるんだろうか?)
 過去の記憶は曖昧で、花火を手にしてもよみがえることはない。
「はい、羽純くんもこれ持って。揺らすと落ちちゃうから、そっと大事にね」
 細く紙で作られた線香花火は、火をつけると炎をあげて短く燃えた。
 燃えてできた火の玉がじじっと音を立てながら丸い玉となる。
 ぱちっと火の花が咲く。1つ、2つ。そして幾つも幾つも火花を散らす。
 繊細な光の模様を散らしながら光の玉は小さくなってゆき、そしてはかなく燃え尽きる。
 線香花火が火花を咲かせるのはほんのわずかな時間だけ。
 けれど、今のこの花火のことを自分はきっと忘れない……目の中に火花の残像を残し、羽純は思った。
 そして歌菜も同じように思っていた。この瞬間をきっと自分は忘れない、と。
 もう1本、もう1本とつける花火が羽純の横顔を照らす。月明かりで見るのも綺麗だったけれど、こうして見る羽純の顔はとても穏やかだった。
 最後の1本が燃え尽きてしまうと、歌菜はきちんと後片付けをした。
「うん、これでよし、っと」
 周囲を確認すると、歌菜は帰ろっか、と羽純を振り仰いだ。
「ああ」
 答える羽純の手は自然に歌菜に差し出される。歌菜は照れたような笑みを浮かべたが、素直に手をつないだ。
 きっと忘れない。ずっと忘れない。
 月夜の海、夜に咲く火の花、そしてこうして繋いだ手のぬくもりを。
 ――いつまでも。
 
 
 闇と月 
 
 
 夜の海は波の音ばかりが大きく聞こえる。
 昼間は青く輝く海も、今は黒く闇に沈んでいる。
 まるで自分の心の奥底のようだ、とシェイド・クレイン(しぇいど・くれいん)は自嘲的に思う。さまざまなものをただただ暗く底に隠して、打ち寄せる波頭だけがわずかに白く目に映るだけ。
 そんな闇を見つめる目の端を、乳白金の髪がよぎった。
 反射的にそちらを見れば、心配そうなミレイユ・グリシャム(みれいゆ・ぐりしゃむ)の顔が覗きこんでいた。浜辺には明かりらしい明かりもないけれど、淡くまとわりつく月の光の所為かミレイユの髪は輝いているように目に映る。
 夜の導となる月のように、ミレイユがそこにいると自分の中の薄暗い気持ちがうすらいでいくようだ。
 こういう何気ない行動に自分は救われてばかりだと、シェイドはミレイユの頭を撫でようとしたけれど……ミレイユのきれいな赤い瞳が泣き出しそうに曇っているのに気づいてその手を止めた。
「シェイド……顔色良くないね」
 ミレイユはしょんぼりと肩を落とす。昼間からこちらを気にしている様子だった。夜の散歩に誘ったのも、自分の調子を確かめるためだったのだろう。
「いいえ。月明かりの所為ですよ」
 けれどミレイユの不安は治まらない。
「でも最近ずっと元気がないよね……。体調、良くないのって……やっぱり……」
 これまでにもミレイユは、シェイドが吸血を控えていることが気になっていた。大丈夫だからと言い聞かされてきたけれど、この様子だとそれはミレイユを心配させまいとして言っただけなんじゃないかと思えてくる。
 このままだとどうなってしまうのか。そう考えると鼻の奥がつんとしてくる。
「心配はいりませんよ。今日はたまたま顔色が悪いだけですから……」
 シェイドはやさしく言い聞かせながら、ミレイユの背を撫でてくれた。その動作で余計に泣きそうになった目元を、ミレイユはゴシゴシと擦った。
「今度、顔色が悪いのに気づいたら……無理矢理にでも血を吸わせるからねっ」
 叱るように言うと、頭の上でシェイドがふっと微笑む気配がした。
「ありがとうございます。でも大丈夫ですよ」
「……ほんとうに?」
「ええ。だから心配しないで下さい」
 なだめるシェイドの声は打ち寄せる波のよう。繰り返し繰り返し砂浜を撫でるように、不安の足跡を消してゆく。
 どうかその言葉が真実でありますようにと願いながら、ミレイユは目を閉じた……。
 
 
 海に向かって叫ぶ会 
 
 
 暗い海に打ち寄せる波が鳴っている。
 空気を揺るがして伝わるその音を、椿 薫(つばき・かおる)は岩場に陣取って聞いていた。
 薫の傍らには、こんな看板が立てられている。

 『 青春の1コマ! 海に向かって叫ぼう!
    ――貴方の叫び録音します。記念にどうぞ』
 
 果てしない水平線が続く海を眺めていると、何かをぶちまけたくなってくるものだ。
 さすがに叫んでいる姿を見られると恥ずかしくなるかも知れないので、身を隠す場所のあるこの岩場を選んだのだった。
 が、それが仇になってしまったのかもしれない。
 ここで『海に向かって叫ぶ会』が行われていることに気づかない人が多いのか、参加者は面白がった子供が数人、近所から遊びに来たというシャンバラ人が1人、あとは顔出し厳禁録音即消去を条件に覆面を被った怪しさ満点の生徒が1人……といったところ。
 手ぬぐいをかぶり、スポーツドリンクを飲み飲み待機した今日もそろそろ終わり……とみて、薫は立ち上がった。
 すっかり暗くなった海と空の区別は、星の有無。
 遠く水平線となる境界を眺めつつ、薫は深く息を吸った。
 かの人は今頃どうしているだろう。絵本に囲まれたあの場所でぐっすりと寝入っている頃だろうか。
 『サリチェさん 好きでござる〜!』
 思いっきり叫んですっきりしたような、余計にもやもやしたような、そんな気分を抱えながら薫は立て看板を片付けるのだった。
 
 
 海という場所は、人に様々な想いを起こさせる。
 今日1日遊んだ者も、働いた者も、笑った者も、泣いた者にも。
 母なる海の懐に抱かれるような安らかな眠りが訪れますように。
 明日また、新たに始まる日を良きものにする為にも――。
 
 

担当マスターより

▼担当マスター

桜月うさぎ

▼マスターコメント

 最近リアクションの遅れが取り戻せずに御迷惑をおかけしております。申し訳ありません……。
 
 皆さまは今年はもう海に行かれたのでしょうか〜。
 これから行かれる方はどうかお気をつけて、楽しんできて下さいね。
 
 今年も海には行けそうもない私ですけれども、このリアクションを書かせていただいて、海気分を
たっぷりと味わえました〜。
 読んで下さった皆様もそうだといいな〜、と思いつつ。

 ご参加くださった方、読んでくださった方、ありがとうございました☆