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恋歌は乾かない

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chapter.8 宵月に思ふは白む御空の陽 


 夜を迎えたみなとテラス。
 照明がテーブルを照らし、あちこちで乾杯の声が聞こえていた。

「わあっ、ビアガーデン、ビアガーデンだよ桃花!」
 芦原 郁乃(あはら・いくの)は、パートナーの秋月 桃花(あきづき・とうか)を引っ張りながら、大声ではしゃいでいる。
「ビアガーデンって、なんだか大人の響きだよねぇ」
「ええ、そうですね郁乃様」
 大人みたい、と子供のようにはしゃぐ郁乃を見て、桃花は思わずくすりと笑って相槌を打った。
「いらっしゃいませ! お好きなお席へどうぞー!」
 ふたりのところに来た店員が、手を広げた。郁乃は少し考えた後、とんでもないことを店員に言う。
「喫煙席はどこですか?」
 それを聞いた桃花が、ぎょっ、と目が飛び出そうなリアクションをして横にいる郁乃に首を向ける。
「郁乃様」
 いくらなんでも悪乗りが過ぎる。怒りの眼差しを向けつつ、郁乃の頬を軽く叩いた。
「ちょ……ごめん! ごめんってば! うー、一度言ってみたかっただけだよぉ……」
「テンションが上がるのはいいですけど、ハメを外し過ぎるのはどうかと思いますよ郁乃様」
「わ、分かったよ桃花……分かったからみんなを探そう、って、いた!」
 桃花の説教が馬の耳に念仏状態である。とにかく郁乃は、みんなで飲み会という楽しそうな企画にわくわくしていたのだ。小走りで郁乃が、少し遅れて桃花があるテーブルに駆け寄る。
 いくつかのテーブルを合わせてつくられた巨大テーブルを囲むようにたくさんのイスが置かれており、既にそこにはこの企画の参加者が集まっていた。
「おう、来た来た。これで全員揃ったか?」
 幹事と思われるポジションの五条 武(ごじょう・たける)がざっとテーブルを一瞥して言った。
「じゃあ注文しようぜ。未成年もいるから、ひとりずつ飲めるもの頼んでくれ! 俺はとりあえず生!」
「うむ、この季節はビールがうまいよな。こっちもジョッキ3つだ! あ、それとお子様ランチを頼む」
 武の隣で、林田 樹(はやしだ・いつき)がちょっと変わった組み合わせをオーダーする。
「お子様ランチ?」
「まあまあ、久しぶりにこうして会って酒を飲み交わすのだ、いちいち細かいことを突くな」
 どうやら武と樹は既に交友関係があったらしい。アルコールが入る前から、軽口を叩き合っていた。
「俺は……未成年だから、ソフトドリンクな」
 彼らの正面に座っている武神 牙竜(たけがみ・がりゅう)が、メニューを指しながら注文した。その一連の流れをじいっと見ていた郁乃は、胸を張って店員を呼ぶ。
「すみません、生中をジョ……むぐっ」
「ええと、ソフトドリンクをふたつ、お願いします」
 横の桃花に口を押さえられ、手をばたばたさせる郁乃。振り返ると、そこには引きつった笑顔の桃花がいた。
「郁乃様、ちょっとお話があります。こちらへ」
 そう告げた彼女は、ただならぬ威圧感を放っていた。
「い、言ってみたかっただけだからっ……」
 郁乃の言い訳も桃花には届かず、席を外した桃花にさっきよりも強いビンタを受ける。席に戻った時、郁乃のテンションが若干下がっていたことに皆気付いたが、同時に赤くなった頬にも気付き誰もそこには触れなかった。
 ほどなくして全員分の飲み物がテーブルに並び、全員が武の方を見る。武は「俺かよ」とちょっとだけ嬉しそうに立ち上がると、ジョッキを高々と掲げた。
「みんな今日は集まってくれてありがとな、楽しく飲もうぜ! かんぱぁああーーい!!」
「かんぱーい!!!」
 一斉に喉がこだまする。一気に飲み干した武は、ぷはぁっ、と大きく息を吐き、早くも次のお酒を注文していた。
「モスコミュール! それと、ソルティドッグもくれ!」
「……そんなにお酒強かったか?」
 樹が驚いた声をあげると、武は空のジョッキを脇にどけながら答える。
「最近色々溜まってるっつうか、色々ツいてなくてよぉ。いや、憑いてたっちゃ憑いてたんだけどな。気晴らしってやつだな」
「? まあ、無茶な飲み方はするなよ」
 どうやら武は、以前以来で幽霊船に乗り込んだ際、レイスに憑依された時のことがトラウマになるほど嫌な記憶として残ってしまっていたらしい。それを酒で洗い流そうとしているのだろう。
「樹ちゃん、僕にもビールと枝豆ちょうだい」
 武の隣でジョッキに口をつけている樹に、パートナーの緒方 章(おがた・あきら)が話しかけた。すると、それに張り合うようにジーナ・フロイライン(じいな・ふろいらいん)がテーブルから身を乗り出す。
「はいっ! ワタシも! ワタシも飲みますっ!」
「カラクリ娘!? の、飲めるの?」
「あんころ餅に飲めて、ワタシに飲めないものなんてありません!」
 カラクリ娘、あんころ餅とはそれぞれジーナと章が互いに呼び合っているあだ名のようだ。ジーナは強引に章からジョッキを奪うと、一気にそれを飲み干した。と、見る見るうちに顔が赤くなり、ろれつが回らなくなりだした。
「あれぇ、こたちゃん、なんでここにー?」
 酔ったジーナは、同じく樹のパートナー林田 コタロー(はやしだ・こたろう)に絡み始めた。
「あろねえ、こたちゃん、ワタシ、こないらダイエットに成功したんれすよお。何キロ痩せたと思います? ねえ、当ててみてくらさいよお」
「う……う!? ね、ねーたん、じにゃがこわいおー」
 コタローはささっと空ジョッキの陰に小さなその体を隠した。怯えつつも、お子様ランチをちびちびと食べ進めることはやめない。
「……樹ちゃん、これ知ってたの?」
 べろんべろんのジーナを見て、章が樹に尋ねた。
「まあ見ての通りだ、洪庵。しかし一杯ならまだ平気かと思ったが、ここまでとはな」
 樹は答えながら、「大丈夫か?」とあやしていた。もちろん、ジーナではなく怯えているコタローを。
「こらぁ、餅ぃ! なにそこで樹様とこそこそ喋ってんの!? 大体餅が樹様の隣にいることが……」
 ジーナは酔った勢いで、章の悪口をこれでもかと口走った後満足したように眠りについた。
 気がつけば、お子様ランチを食べていたコタローもお腹がいっぱいになったのか、樹の膝の上に飛び移りうつらうつらと船を漕いでいた。テーブルに突っ伏しているジーナと、幸せそうに眠りこけているコタロー。周りでは、ソフトドリンクを手にした牙竜や郁乃たちが楽しそうに喋っていて、武は半分くらい出来あがっていた。
「ね、樹ちゃん」
 言ってみれば、こんなにみんなが近いところにいるのに互いの会話が耳まで届かないような状況。章は、そんなタイミングで樹に声をかけた。
「僕も、名前で呼んでくれない? このふたりみたいに」
「ん? 洪庵だろ? いつも呼んでるぞ」
「だあめ、それは『号』」
「え、あっ、ああ、そうか。ええと……緒方」
「……そっちは名字。樹ちゃん、じらすの上手だねえ」
 章がぐい、と顔を樹に近づけた。ジーナやコタローは名前で呼ばれるのに、自分だけ呼んでもらえないことに章は軽い焼き餅を焼いていた。加えて、樹が以前初対面の人を名前で呼んだことも知っていた。他人を名前で呼ぶことなんてまずありえないはずなのに。
 そういったモヤモヤを今の今まで彼は押さえていたが、今この瞬間、それが胸から飛び出る。
「でも、あんまりじらされすぎるのも勘弁かな」
 数センチ先に、章の顔がある。樹は慌てて目をそらしながら、ぶっきらぼうにその名を口にした。
「そ、そんなに近寄るな! あ、あき……ら。ほらっ、これでいいだろ?」
「んー、まあ及第点、かな?」
 直後、頬に章の唇が当たる。一瞬何が起こったか理解できなかった樹は、少ししてようやく何をされたのか自覚した。
「隙あり、なんて……」
「緒方章っ! そこへ直れ!! 今私に何をした!!」
 樹はジョッキを持って立ち上がり、そのまま章に殴りかかろうとする。笑いながら素早く席を立ち逃げる章を、樹はジョッキを振り回しながら追いかけるのだった。
「うー? ねーたんとあき、おっかけっこしてうー。なかいーねー……むー……」
 樹の膝から落ち、目をしぱしぱさせたコタローは眠そうな声でそう漏らし、樹と章を眺めていた。

 そのそばで、目が座り始めていたのは武だった。序盤からハイペースで飛ばしていた彼は、大分出来あがりつつあった。
「いやほんと、最近マジついてないわ……幽霊船では取り憑かれるしよぉ。ついてないのに憑いてるってってのもアレだけどよ……」
「それ、さっき聞いたぞ」
 仕方なく相手をしている牙竜。武の愚痴は、次第にエスカレートしていった。
「ついでにこないだ、パラ実の入り口で新入生に『ここは危ないから、送っていくぜ』的なこと言ったら、同じ学校のやつに『実はこいつ、ツンデレなんだ』とか根も葉もないこと言われるしよぉ……」
「そうだな、武は悪くない」
「大体、俺のどこがツンデレだっていう証拠の理由だよ! 冤罪だぞ冤罪!」
「そうだな、その通りだ」
 日本語がちょっとおかしくなっていたが、つっこむのも面倒で牙竜は適当に相槌を打つ。
「つーかその……ほら、アレだよ! お、俺がデレる相手なんて、今んとこその……ひ、ひとりしか……って何言わせてんだよ馬鹿野郎!!」
「ああ、悪かった、済まないな」
「あの金髪巨乳美人と恋してぇえええ! 彼女にしてえええぇえ! 恋ってなんだ? 恋愛ってどうすんだよ、えぇ!?」
「難しい問題だな」
 それっぽい返答を繰り返していた牙竜は、もう武の方を見てはいなかった。テーブルの上にある揚げ物を、箸でつまみながら相手していただけだった。
「……武?」
 しかし、そこから武の愚痴が聞こえなくなり、牙竜は顔を上にあげた。武は、いつの間にか酔い潰れてテーブルに顔を沈めていた。ふぅ、と一息吐き、テーブルの上にこぼれたビールを牙竜は拭きとった。
「……」
 牙竜は、ぼんやりとさっき自分で言ったセリフを思い起こす。
 難しい問題だな。
「ほんと、そうだな……」
「え? 何か言った?」
 声に出したつもりはなかったが、自然と外に出てしまっていたらしい。郁乃に首を傾げられ、牙竜は言葉に詰まった。そんな彼が咄嗟に言えることができたのは、ありきたりなセリフだけだった。
「わりぃ、ちょっと風に当たってくる。みやねぇと飲んでてくれ」
「牙竜……」
 不意に名前を呼ばれたパートナーの武神 雅(たけがみ・みやび)は、小さくなっていく牙竜の背中を見つめていた。

「あの時……俺は……」
 テラスから出てすぐのバルコニーで、牙竜は自問自答していた。
「赫乃、君の思いに気がつけなくてすまない……」
 それは、以前自分に思いを告げてくれた者の名。牙竜は、告白を受け入れることが出来なかったことの罪悪感に襲われていた。そんな彼の背中に、声がかかる。
「そんなことだろうと思ったぞ、愚弟」
「みやねぇ!? なんでここに……」
 振り向いた牙竜は、雅の姿を見て驚く。
「ソフトドリンクしか飲んでない者が、風に当たりにいく必要などないだろうに。次はもうちょっと上手に理由をつくるんだな」
「……」
 自分が余計に駄目な人間な気がして、牙竜は黙りこんでしまった。
「迷い、悩むなんて自分はどうしようもない」
「っ!?」
 不意に、雅が口を開く。
「そんな風に考えているとしたら、そもそもそれがおかしいのだぞ。恋とは迷うものだ。悩むものだ。お前だって、赫乃という女だってそうだ。本当にどうしようもないのは、後悔をすることだろう。それは、誰にとっても一番失礼なことだからだ」
「後悔……」
「思いを貫くか、身を引くかは本人が決めることだしな」
 牙竜の心の内を全て見透かしたような雅の言葉。牙竜は、救いを求めるように彼女に質問を投げかけた。
「みやねぇがもしその立場だったら、どうするんだ?」
「ふむ。簡単だな。恋人同士になっていないなら、諦めないだろうな。これでも情熱的な女性なのだぞ」
 少しおどけるように、雅が答える。
「一度駄目でも、本当に敗北するまで自分を磨き、周りも巻き込んでアプローチして……とまあ、あらゆる手段を使うだろうさ。覚えておけ、本気の女は強いぞ?」
「……!」
 体の芯を杭で打たれたような衝撃が、牙竜に走る。
 自分だけ弱さを見せてる場合じゃないな。そう悟りを受けた気がした。牙竜は雅の横を通り抜け、テラスへと戻っていく。
「思われたことは決して忘れない……けど、後悔もしない!」
 もう、牙竜の顔にさっきまでの不安定さは残っていなかった。
 テラスに戻って、あの酔っ払い共を起こしてやろう。そんなことを考えていた時だった。
 不意に、彼の視界の端に黒髪を横に束ねた少女が映った。
「……えっ? 今のは……」
 彼が見た少女は、笑っていた気がした。今の君が一番いいね。そんなことを言いそうな顔で。牙竜は目を擦る。もう、その姿は見えなくなっていた。
「まさか、な」
 過去に恋人がいたことのある牙竜。彼は一瞬その過去がフラッシュバックしたが、頭を振ってその映像を消すと、早足でテラスに戻った。
 月はぼんやりと滲んでいる。一体この月は、どれくらいの恋に影をつくり、残すのだろうか。