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●給仕たちの戦場

「今のうちに行っとかないとさ〜」
 少年の声が聞こえる。
 休憩中のため、賑やかな声がいたるところに響いていた。
 興奮気味な少年たちの姿はどこか眩しい。
 休憩の後はまたオペラが始まるため、離れて座っている友人のところにでも行こうとしているのだろう。
 招待客は休憩がてら、手近な人、親しい人との歓談に花を咲かせる。九条 ジェライザ・ローズ(くじょう・じぇらいざろーず)もその一人で、パートナーのヴァンビーノ・スミス(ばんびーの・すみす)と話し込んでいた。
「ヴァン? おま、いや…君、変なものでも食べた?」
「僕だって紳士的な振る舞いはできるんですよ」
「ふ、ふーん…そう…オペラってすげぇんだな…皆が頑張って一つの物語が完成するんだなぁ」
「いやぁ〜いいねぇ、勧進帳はまるでバイヤーやギガ・ムービーの絢爛のような劇だった」
「え?」
「劇になってたのは勧進帳だけですよ〜? あとは、アリアとかオペラの中の歌を披露していただけで…」
「そうなのかぁ」
「女性の歌唱者呼べないしねぇ」
「なんで、勧進帳がギガ・ムービーなのか…」
「はっはー…次の演目が楽しみだねえ。その前に飲み物でも貰いに行こうかねぇ」
 ヴァンビーノはふらふらと歩き始める。
 二人が向かった先はドリンクを頼めるカウンターだった。
「お飲み物はいかがですか?」
 清泉 北都(いずみ・ほくと)は言った。
 カウンター担当の者が休憩に行ってしまったため、急遽、北都が手伝いに入ったのだった。
 それとなく話しに耳を澄ませ情報収集をしていたところ、九条がやってきたのでそちらに集中する。
 薔薇学がどう思われているのか気になるし。来賓の方には気付かれないようにと気を使っていた。
 血を求められたらどうしようかと思っていたが、幸いにして、今までそのような要求はされたことがない。
 半ば、ホッと安堵し、自分としても好きな給仕という作業に集中できることに楽しみを感じていた。


 一方では…
 バトラーやメイドに扮した生徒たちは、各貴族たちのいる突出し個室観覧席へと向かい、飲み物などの給仕を始めてた。
「お茶は、いかがでしょうか?」
 蒼空学園の本郷 翔(ほんごう・かける)は事前に責任者の方に挨拶しておき、執事として行動することの許可を得ていた。
 周りを見渡して必要そうな準備を万全に出来るよう、翔は努力していた。
 洗いたてのグラスから水滴を拭い、冷蔵庫で冷やす。製氷機で作られた氷は飲み物の質を下げるので、別のケースで保存されていた。それを持ってきてもらおうとスタッフに声をかける。
「あ、すみません。氷をペールに入れて持ってきていただけませんでしょうか?」
「あ、はい。今すぐ持ってきます!」
 可愛らしいショートカットの子が返事をして走っていく。
 細い身体は少女のようだが、首の辺りが不自然なので、本当はオトコノコなのかもしれない。

(そういうことがあるんでしたねぇ…)

 翔はぼんやりと考えた。
 飲み物を作ると、それを待っていた客に渡す。
「楽しいひと時をお過ごしください」
 笑顔で翔は言った。


 そして、そんな休憩時間の中で、ちょっとした事件が起こった。
「紅茶はいかがでしょうか?」
「こっちにも一つ頂こうか」
「はい」
 久途 侘助(くず・わびすけ)は客に向かって微笑んだ。
 その様子を彼の恋人、ソーマ・アルジェント(そーま・あるじぇんと)はじっと見つめていた。
 自分だけでは不安だからと言われ、ソーマは接待の手伝いをしていたのだった。侘助の給仕姿を見れるのは、それなりに楽しい。だから満足ではあった。
 だが、ソーマは家を出たとはいえ、まだ家に籍はあるらしく、貴族たちに声をかけられる。
 それが少し苦痛を伴った。
「やぁ、ソーマ…こんなところで奇遇だね」
「ん? あぁ…まあな」
「つれないね。うちの妹が最近、君を見ないと言ってうるさくてねぇ」
「ここにいるからな。見ないはずだ」
「だろうね…そうそう、男爵の一人娘の噂を聞いたかい?」
「知らないな…」
 ソーマはそっけなく言った。
 遠くで侘助が様子を伺っている。
 相手の飲み物の好みを知りたいらしい。
 ソーマは溜息を吐いた。
 こいつが好きなのは、ワインとゴシップと…可愛いヤツだ。
 ついでにつまみ食いも好きだから手に負えない。
「…ワインを」
 ソーマは侘助の方を向いて言った。
「はい、かしこまりました」
 まるで、ソーマの執事のような返事に、思わずソーマは口角を上げる。
 これは楽しいかもしれない。
「50年ぐらい前ので…タシガン産の赤、渋みの強いもので」
「はい」
 侘助は答えた。
 今度、奉仕でもさせてみようか…などと考えていれば、侘助が意図を読み取ったのか、「何考えてるんだっ」といった視線を投げてくる。
(…わかってるじゃないか)
 ソーマは笑った。

「ワインはここのでいいのか?」
 侘助はセラー担当の人間に向って言った。
「違うよ。そこにあるのはまだ若いから」
「あ、本当だ。ヴォジョレー?」
「そうだよ。解禁まではまだ早いしね。それに貴賓に方々の口に合うかどうか…」
「合わないかもな」
「だろうねぇ…。で、どんなのがいいって?」
「えっと…『50年ぐらい前の、タシガン産の赤。渋みの強いもの』だったけな」
「随分と適当だなあ…詳しい産地の指定なしか。相手は地球産がイヤってだけじゃないの?」
「かもしれないな」
「うほー…ある意味、それってイヤガラセだよね」
「どっちが美味しいんだ?」
「どっちもだよ」
「両方?」
「あぁ…好き嫌いってさ、ただの好みだから。そこに正しさはないよね? 自分にとって正しかったら、それでいいのさ」
「へぇ…」
「そゆーわけで、今、君が触ってる瓶じゃなくって、下のやつの方がいいかもしれないな」
「これがそうなのか?」
「そうさ」
「…待て…地球って書いてあるぞ」
「はっはっは……地球産の赤、ヴォジョレーだよ。ただし、モンペラの赤だけど。グランクリュと同じ品質なら、騙せるよ?」
「ちょっとマテ(笑)」
「薔薇学のセラー担当を舐めるなよ〜…ふふふ」
「ど、どうした?」
「えー? さっき、からかわれた仕返しってことでー」
「おいおいおい…」
「ラベルさえ見せなかったら大丈夫だから♪ …というわけで、休憩行ってきまーす」
「ちょ、ちょっと…」
「大丈夫だよー、じゃぁ〜ね〜♪」
 そう言って、セラー担当の人間は行ってしまった。
 たぶん、すぐに変わりの人間は来るとは思うが、待っている時間もない。
 しかたなく、侘助はそのワインを持ってその場を離れた。

「大丈夫なんだろうか…」
 侘助は呟いた。
 貴族の中に自分のコネを作ろうと思って、ソーマを手伝いに呼んだのだ。
 何かあったらフォローしてくれるとは思うが、失敗はしたくない。
 どうしようかと迷っていると、一人の青年に声をかけられた。
「やぁ、ワインはあったかな?」
 さきほど、ソーマと話していた貴族の青年だ。
「はい、お待たせしてすみません。すぐお注ぎしますので…」
 侘助はラベルを見せないように、リネンタオルで隠した。
「あぁ、慌てる必要なんてないさ」
「え?」
「ワインはあとでも飲めるしね…」
 青年は笑った。
 綺麗な顔なのに、侘助は彼を美しいとは思えなかった。
 伸ばした手が、侘助を掴む。
「!」
 振り解こうとした瞬間、侘助の足は萎え、その場に座り込んでしまう。

(やられたっ!)

 そう思ったのも束の間、身体が傾いだ。
 急激に吸血鬼独特のあの能力を使われれば、さすがに倒れかける。
「おや…気分が悪くなったかな?」

(こ、このっ…!)

 その青年は侘助を小部屋に連れ込もうとした。
 焦る侘助は青年を見つめた。
 罠にはまった小動物にでもなった気分だ。助けを呼ぼうと視線を巡らせる。
 そして、後方に救いを見た。
「貴族ならばこそ、下賤な行動は避けるべきだろう」
 冷ややかな声が響く。
 ソーマだ。
「下賎だって!?」
 その言葉に若い貴族は逆上した。
「自分を律せずして貴族を名乗るな。お前のためにワインを探しに行ってくれたんだ。礼を言って然るべきなんだぞ…それを」
「フンッ…偉そうに何を…」
「黙れ」
 ソーマは睨んだ。
「うぅっ…」
「家柄が全てを決めるんじゃない。お前が全てを決めるんだ…そのザマは何だ」
 ソーマは吐き捨てるように言った。
「それに…これは俺のものだ」
 それだけ言うと、ソーマは侘助を抱き上げる。歩けそうには見えなかったからだ。
 振り返り歩き出そうとした時、一人の老貴族がこっちを見ていた。
「……」
「アルジェント家の小僧…あいかわらずのようだな」
「嫌なヤツにあった」
 ソーマは言った。
 貴族としての籍を持つものになら、この老人の名は知られていた。
 フォルスブロム伯だ。
「はっきり言うな。まあ、わしを好くやつなどおらん。いつも誰かの目の上の瘤だからな…おい、我が不肖の孫よ。行くぞ」
 フォルスブロム伯はそれだけ言うと、小さな声で言い訳を連ねる孫を置き去りにして歩き始める。
 その後を若い貴族が追いかけた。
 ソーマと侘助はその後姿を見ていた。