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ハート・オブ・グリーン

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ハート・オブ・グリーン

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}SCENE 11

 その少女は右腕がなく、右の足を引きずるようにして歩いていた。
「損傷……悪化」
 少女は機晶姫、それゆえに生き延びていた。彼女は『クランジ』と呼ばれている。
 どっ、とクランジは木の幹に背をもたれさせ、座り込んでこれを見上げる。凶暴な樹のはずだが何の反応も見せない。クランジは呼吸回数が人間に比べ極端に少ないため、これら怪植物が反応することはないのだ。
 しかし休んでいる暇はない。少女は立ち上がると、自分の足跡を後ろ向きに踏みながら辿って引き返し、カムフラージュを行う。その後は、あらかじめ見つけておいた洞窟の入口目がけ、人間を遙かに超越した脚力で飛び込むのだ。原始的な方法ではあるが、GPSの狂うこの場所では、追跡者の目をくらますのに効果があるかもしれない。
 だがクランジにも、目測を誤ったことがある。
 飛び込んだ先が……。
「お前は……!」
 飛び込んだ先が、ローザマリア・クライツァール(ろーざまりあ・くらいつぁーる)の目の前だったのだ。
「クランジ……クランジΥ(ユプシロン)!?
 ローザは、突然目の前に飛び込んで来た少女に声を上げた。
 菫色の髪で色白、すっきりした細面の顔立ち、切れ長の一重まぶたは、さぞや和装が似合うと思われた。確かに彼女は和装ではある。ただし、ほうぼうズタズタに破れ、左右ともに袖がない浴衣を『和装』と呼べるのなら。痛々しいのはとりわけ右側だ。肩から下が、ばっさりと斬り落とされている。袖の残りと思われる部分が、失われた腕を求めるようにひらひらと揺れているのが悲しかった。
 ローザマリアはユプシロンとは初対面だ。とはいえ、既にその外見に関する詳しい情報は得ている。ただひとつ予想の外だったのは、ユプシロンが激しく損傷しているということだった。
「標的……破壊します」
 抑揚のない機械的な声で告げると、ユプシロンは眉を怒らせ、さっと腕を向けた。左掌の中央にカメラのレンズシャッターのような丸い射出孔が開き、そこから10センチほどの鉄串が飛び出す。
 しかしユプシロン対策は、既に念入りに打ち合わせてきた彼らである。まず動いたのは典韋 オ來
「しゃーねぇなぁ。それじゃ、やるかよ!」
 ローザ達への合図も兼ねて声を張り上げる。眼光鋭く射出孔を睨み、サイコキネシスを発動させた。見えぬ力は鉄串を空中で捕らえている。叩き落とすには至らぬもその発射角度をねじ曲げ、明後日の方向へ飛ばしてしまった。
「放熱装置は踵であったな? なれば足首ごと持って行くまで――赦せよ!」
 弾かれたように飛び出すはグロリアーナ・ライザ・ブーリン・テューダー(ぐろりあーならいざ・ぶーりんてゅーだー)、大剣を抜くや地を蹴り、体重を乗せて横薙ぐ。
 手応えが、あった。
 ユプシロンは飛んで避けようとするも果たせず、右足を切断され空中で制御を崩して地面に転がった。
 クランジΥが通常の状態であれば、この連係攻撃もかわしたに相違ない。だが今の彼女はその能力の過半を喪い、倒れる寸前であるためかなわない。急な事態にも速反応できるローザマリア隊の沈着と団結力も効果を発揮していた。
 洞穴内のぬかるみに落ちうつぶせの状態、苦痛に満ちた表情ながら、それでもユプシロンは左手を向け、次の鉄串を放とうとしている。
 バチッ、とエメラルド色の光が明滅した。
「菊媛からクランジのデータは引き継いでいる。問題は、ない」
 光は、パワードスーツから洩れているものだった。正しくは、パワードスーツ状の全身鎧である。これをまとうはエシク・ジョーザ・ボルチェ(えしくじょーざ・ぼるちぇ)、二刀一対の七支刀を抜き、切っ先をユプシロンに向けた。
「このような場所、そして状況で相まみえようとはな。……傷ついている機体があるとすれば、Φ(ファイ)のはずと我々は予想していた。だが我々からの、メッセージは同じだ」
 起き上がろうとしたユプシロンが弓なりに背を反らせる。背に、ナイフが深々と突き刺さっていた。
「心配ないわ。殺すつもりはない、自爆装置を貫いただけ……。正確には、その起爆スイッチね」
 声の主はローザマリアだ。いつの間にか光学迷彩で姿を消し、ユプシロンの背後を取っていたのである。その手には四角いパーツが握られていた。
 ローザは今日の日までずっと、ある作業に没頭していた。それは以前、塵殺寺院の秘密工場で遭遇したクランジΧ(カイ)の残骸の調査である。目的は、カイの命を散らせた自爆装置の所在を探ることだった。根気強い調査が必要であり、作業は困難を極めたものの、出発の前夜、ついにローザは装置の所在について予想を立てることができた。
 このときユプシロンの背を観察し、予想が間違っていなかったことを確信したローザは、装置を取り除くことに成功したのだ。
「エシクが言いかけたメッセージを言うわね。……Χの犠牲を無駄にする訳にはいかないのよ」
「本機……私は……」
「もう心配はいらないから。私たちと一緒に来ない? ユマ・ユウヅキさん」
 その名は、夏祭りの夜ユプシロンが咄嗟に口走った偽名らしかったが、ユプシロンなどという個体名より、ずっと美しい名だとローザは思っている。
 クランジは左手を下ろした。下ろした手は、ローザマリアの手の上に乗っていた。
「立てる?」
 ユプシロンが何か言いかけたとき、
「!」
 本能的な動きで典韋は一歩踏み出していた。それがなければ若竹をナタで割るかのように、真二つになっていたかもしれない。しかれど背中を抉る一刀は鋭く、強く、浅からぬ傷口から鮮血が飛沫のように吹き上がった。痛みと衝撃で膝を付く。このとき暫時、典韋ほどの勇者が振り返るのを躊躇った。背後から何か、恐ろしいものが接近している。痛みより衝撃より、恐怖が勝った。
「R U(are you) OK? アッハッハハ。ガール、そこ動くナヨ、次こそ真っ二つにするカラ」
 強力な光源を足元に設置、返り血を存分に浴びて鼻歌まじりに告げるのは、ハスキーだがしばしば上ずる、なんとも不快な声だった。
「手負いのウサギを追ったレバ、ネズミの一群に出会いまシタ♪」
 舌なめずりしながら、すらりとした少女が姿を現す。
 ファッション誌のモデルのように決まっているが、その『どぎつい』センスは、第一印象で激しく好悪が別れることだろう。アンクレットにブレスレッドにネックレス、それぞれ原色のものをじゃらじゃら複数ずつ下げている。星条旗柄のタンクトップは布面積が極めて小さく、ヘソ出しの下にこれまた極端なミニスカート、足はブーツ、あとは長い脚を剥き出しにしていた。はっきりした目鼻立ちであり、ウルフシャギーにした髪はショッキングピンクで、それに青のアクセントを入れているのが目に痛いほどだ。さらに腕には、ギリシャアルファベットの一文字を象ったタトゥーを入れていた。
「……追いつかれてしまいました……クシーに」
 ユプシロンは息も絶え絶えに、両手を突いて半身を上げた。
「この戦力ではタイプII(ツー)には決して勝てません。クシーの狙いは私……私を置いて逃げなさい……早く、お逃げなさい……さもなくば……私は、あなたたち敵と見なします」
 ユプシロンの口調は、それが決して嘘偽りでないことを物語っている。
「RLY(Really)?」
 クシーと呼ばれた少女は目を三日月型に歪め、チェシャ猫のような笑顔を作った。
 彼女は塵殺寺院からの追跡者、そして処刑人――第五のクランジである。
 腕のタトゥーは確かに、『Ξ(クシー)』であった。