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第3章 ナイトパーティと変わる狼 5

「久しぶりだね! リーズ!」
 そう言って、出会って一番に、明るい声を出してリーズへと駆け寄ってきた小鳥遊 美羽(たかなし・みわ)は、リーズとは初対面になる自分のパートナーを紹介した。
コハク・ソーロッド(こはく・そーろっど)っていうの。はい、コハク、あいさつあいさつ!」
「は、初めまして、コハク・ソーロッドです。美羽から、よく話は聞いてました」
 コハクはそう挨拶を交わすと、まずは慌てて頭を下げた。そんな彼に感化されるように、リーズも慌てて頭を下げる。
「こ、こちらこそ。リーズ・クオルヴェルです」
「もう、二人とも堅っ苦しいよ〜。ほら、リーズもコハクも、タメ口で、ね!」
 美羽に促されて、リーズとコハクは二人とも恥ずかしそうに苦笑した。しばらくは雑談がほとんどであったが。なんとか気を許して話せる程度には美羽がしばらく取り持った。とは言え――元々、気は強いが気を許した相手には境界線をなくすリーズである。コハクと気兼ねなく話せるのも、そう時間のかかることではなかった。
「あ、ねえ、ダンスパーティの時間だって!」
 美羽が胸躍らせながら、ステージ上から聞こえてきた知らせに飛びついた。立食会の中を中心に、音楽とともに野外ダンスが始まる。皆、それぞれの相手と一緒にステップを踏み始めた。
「コハク、一緒に踊ろうよ!」
「え、ぼ、僕?」
 そこに、美羽がコハクを誘って参加した。
 二人は、ダンスを専門的に習ったことがあるわけではなかったが、持ち前の美羽の運動バランスでコハクを引っ張るようにして華麗にステップを踏む。コハクも、そんな美羽の呼吸がよく分かっているのか、彼女が一番踊りやすいように合わせて足を動かした。
「すごい……」
 リーズは思わず感嘆の声をあげた。
 周りの人たちを魅了するほどのダンスで、美羽とコハクが優雅に舞う。それは何かのダンス、というわけでもなく、型にはまらない感性だけに従った創作ダンスだった。だが逆にそれが、見る人の心を掴んで離さない。
 恥ずかしそうに頬を赤らめるコハクであったが、それを美羽が無邪気に引っ張っていく。端から見て、二人は心の通じ合った、素晴らしいカップルであった。
 だからこそ……だろうか? リーズは、それを羨ましく思う心に戸惑っていた。これまで、どれだけカップルを見たとしても、こんな気持ちになることはなかった。
 静かに、心臓が鼓動している。それを感じ取れるほどに、自分の中の時間も、感覚も、全てが熱くなっている気がした。
 だが……いつもの自分じゃないその気持ちに、恐れも、不安も抱く。リーズは震えそうになった。まるで、知ってはいけないものを知ってしまったかのように、不安が彼女の肩に触れていた。
「どうした、殊勝な顔をして」
「え……?」
 リーズはいつの間にか目の前にいた女性にはたと気づいた。それは、彼女にとって馴染みの多くない、どこかつかみ所のない女性――綺雲 菜織(あやくも・なおり)だった。久方ぶりに出会ったリーン・リリィーシア(りーん・りりぃーしあ)から紹介された彼女は、リーズを見透かすような目で見つめてきた。
「こういうイベントも、さほど悪いものではないと思うが」
 ダンスを踊るカップルたちを見やって、彼女は呟いた。リーズも、今となってはこんな恋愛のイベントを悪いこととは思わない。むしろ、こんな光景を見れば、それを誰かと踊っている自分を想像してしまい、怖くなるのだ。
 リーズの心の声が聞こえているかのように、菜織はそっと目を閉じて、告げた。
「私にも好きな男がいるよ。告白はまだだが」
 話の男を思い描いているのだろうか。彼女は、普段の凛とした雰囲気とはまた違った、女性らしい幸せそうな笑みを浮かべた。
「菜織さんに……?」
「酷く不器用で、おどけた態度ばかりだが、その中に芯のある『可愛い男』なのだ」
 くすっと、彼女は声をもらして笑ってみせた。逆に、それがリーズにとって疑問への取っ手となる。
「どうして……告白しないんですか?」
「私も、怖いんだ。自分が死んでしまうと思ったら、大事なときに、もしもその彼ではなく自分のことを優先してしまったら……そんな今の気持ちだけでは分からない本当の自分を考えると、一歩踏み出すことは、難しい。それになにより、今の関係が崩れる事が、最も恐怖だ」
 苦笑する菜織を、リーズは不思議と自分自身を見ているような気分で見つめた。
「誰かの幸せだけでなく自身の幸せも掴む。女とはね、酷く強欲な生き物なのだ」
 そう告げられると、リーズは酷く責められているような気分にもなった。誰かの幸せを願っても、その人は、その獣は――生きることを許されなかった。いや、自分が殺したも同然で、それは、自分の幸せのための一振りだったのではないか?
 リーズに、鈍い重責の念が背負われる。だが、菜織はそれも理解しているかのよう、自身の言葉に続けた。
「……だが、だからこそ、それを受け入れてこそ、人も自分も愛し守っていける」
 リーズの縋るような瞳に、菜織は穏やかな微笑を浮かべた。
「誰かを傷つけることもある。自分が傷つくこともある。その可能性を含めて、恋は戦争なのだと、私は思うよ」
 菜織は言い残すと、すくっと立ち上がった。
 呆然と、彼女の言葉を噛み締めるリーズにそれ以上のことは告げず、その場を立ち去る。その際に、向かい側から木刀を二本携えた男が歩いてきた。
「……どうだった?」
「不安は多いようだよ。あとは……君次第だな」
 問いかけた男の肩をぽんと叩いて、菜織は彼を見送った。自分がリーズに言えるのはあそこまでだ。あとは、不器用ながらも何かをやり遂げてくれる若者に、任せるとしよう。
 リーズは、菜織の言葉を反芻しながら、様々な渦巻く思いに顔を俯けていた。
 そんな彼女を夢の中から引き戻すように、すっと手が差し出された。その手に握られているのは、一本の木刀だ。
「スカっとしてみないか?」
「緋山……」
 緋山 政敏(ひやま・まさとし)が、そこにいた。精悍な顔だちの黒曜石の瞳がじっとリーズを見つめ、飄然とした仕草で彼女に木刀を手渡す。彼の横には、カチェア・ニムロッド(かちぇあ・にむろっど)やリーン・リリィーシアも一緒にいた。
「これ……」
「汗でもかいてみたら、少しはスッキリするんじゃないか?」
 給仕として今回のパーティに参加していた彼は、仕事も終わってこちらにやってきたのだろうか、くいと、彼はステージにあごをしゃくった。
「イベントの一種だ。リーズっていうスペシャルゲストの剣舞と思えばいい」
 そう言い残して、政敏はリーズを置いて先にステージの方へと歩んでいった。
 木刀を見下ろすと、なぜか、それは久しぶりに握る武器のように思えた。普段から鍛錬を怠らない彼女にとって馴染みのあるはずの武器が、このときばかりは、新鮮なものに思えた。
「…………よし」
 リーズは決意したようにぐっと木刀を握り締めると、政敏の後を追った。

 普段はあまり穿かないスカートを着ていたリーズは、カチェアの勧めで簡素な布当てに手甲を加えた、ごくごく簡単な戦闘服に着替えていた。
 対峙する政敏もまた、同じような格好である。二人の模擬戦は、ステージ上の一つのプログラムとして組み込まれていた。司会者が合図をすると同時に、魅せる戦いを披露するのだ。
 二人は口を開かないまでも、お互いにわずかな緊張と不安を抱えていた。ともすればリーズは、不安に引き込まれそうになるのを抑えて、木刀と政敏という空間だけに集中する。
 剣舞の醍醐味は、魅せることにある。
 ステージの袖で、皮を張った打楽器の演奏が鳴り始めた。それは、徐々に間隔を狭め、始まりの瞬間の訪れを予感させてくる。そして――二人は舞った。
「…………っ!」
 言葉は剣舞を邪魔してしまう。無言で、お互いの剣戟が木刀の鈍い音を打ち鳴らした。
 されど木刀、なれど木刀。木と木のぶつかりあう音は、心地よく観客の心を揺さぶった。政敏が防戦へと移れば、そこに速い間隔でリーズの太刀が幾度となく続く。かたや、リーズが退くときには、政敏の剣は容赦なく降り注いだ。
 戦いのようでいて、それは踊りのようでもある。コハクとともにリーズを観ていた美羽も、リーズの燃える赤髪が靡くたびに目を奪われていた。
 やがて――演奏の終末と踊りの終わりが見えてきた。リーズの足が一歩踏み出すと、凛とした熱き一太刀が政敏へと剣線を描き、そして、
「…………」
 木刀が弾かれて、ステージの袖に鈍い音を立てて飛んだ。
 武器をなくした政敏が降参のポーズを取るのは、打楽器の演奏の終わりとほぼ同時であった。
「はーい、リーズさんによる剣舞(ワルツ)でした! 皆さん、盛大な拍手を!」
 リーンの声を合図に大喝采を浴びて、二人はそれに恥ずかしげな苦笑いを浮かべながらステージから退場した。舞台袖で、お互いに疲れきった体を崩し落として背中合わせになる。
「なんかさ……」
「ん?」
 政敏は、言いずらそうに口を開いた。
「生きる意味も誰かに恋するのも、それを知るってのは人それぞれタイミングがあるからさ」
 ぽりぽりと鼻を掻きながら、恥ずかしげに、彼は告げた。
「在りのままを受け入れてみればいい。それだって君の心なんだ」
 まさか、政敏がそこまで言ってくれるとは思っていなかったのだろうか。リーズは目を丸くして驚いていた。もしかして、それを言いたくてえこうして……。が――
「い、いや〜、それにしても、汗ばんだ女性ってのはこうソソラレルヨネ!」
 背後から聞こえたそんなエロ真っ盛りの声に、リーズは心の声を前言撤回して拳をわなわな奮わせた。
「少しは格好良いと思った私が馬鹿だったわ。この……地獄に落ちろ!」
「へぶっ!」
 振り返りざまに後頭部を殴り飛ばして、リーズは地を踏み鳴らしながらその場を去った。後に残された政敏は、自嘲するような苦笑を浮かべて、後頭部を押さえるのだった。

「気分が晴れたのなら良いのですけれど。……政敏は、あれでいて不器用だから」
「不器用すぎるわ」
 汗でぐっしょりになった服を着替える為に、リーズはカチェアの用意してくれた衣装に腕を通していた。憤然とするリーズに、着替えを手伝うカチェアとリーンは苦く笑う。
「せっかくのシリアスなんだから、もうちょっと続けたらいいのに…………って、ちょっと……なんか、大胆すぎない?」
 ぶつぶつと文句を言いながら着替えていたリーズは、着替え終わってようやくはたと気づいた。大きなスリットの入った赤色のチャイナドレスは、果実のように柔らかそうな太ももが見え隠れし、なんとも艶かしい。
「大丈夫、大丈夫、格好良いですよ」
「ほ、ほんと?」
「ほんとほんと、良い仕事をしてると書いてグッジョブよ」
 カチェアと、なぜかぐっと親指を立てるリーンに後押しされて、リーズは仕方なくこの格好のままパーティ会場へと戻ることにした。