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『スライムクライシス!』

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『スライムクライシス!』

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■1.スライムクライシス


 場所は変わって現在の葦原明倫館。
 正午頃の廊下を影月 銀(かげつき・しろがね)とパートナーのミシェル・ジェレシード(みしぇる・じぇれしーど)がのんびり歩いている。
「んーっ、いい陽気ね〜」
 窓から差し込む柔らかな日差しに、ミシェルは大きく伸びをした。
「銀は今日は何を食べる?」
「うーむ、そうだな……」
 いつもと同じような何気ない会話を交わして、いつもと同じように廊下の角を曲がる二人。しかし曲がった先は、いつもと同じよう、とはいかなかった。
「あれ?」
 ミシェルはおかしなことに気が付いて立ち止まる。廊下の先の一人の生徒が、色を失くして立ち尽くしているのだ。ミシェルは少し訝しげな表情を見せた。
「ねぇ銀、あれってもしかして石化――うわっ!?
 ミシェルが喋り終わらないうちに、銀は彼女の手を引いて反対へと駆け出していた。
「ちょっと、銀っ……!」
「石化」
「えっ?」
 ミシェルは思わず前を行く銀を注視する。
「あれは確かに石化だ」
「だったら、助けてあげないと!」
 彼女のその訴えにも、銀は速度を緩めない。
「何が起きてるかわからない以上、とにかくまず避難するぞ」
「銀……」
 ミシェルが名前を呼ぶのにも聞く耳を持たず、代わりに銀は一瞬だけ見た先ほどの映像を頭の中に蘇らせる。
 銀は確かに見ていた。石化を目撃した時の、視界の隅に捉えたアレは――

「――スライム?」


     #

「すみませーん」
 賑わい始めてきた明倫館の食堂で、蒼空学園生の黒木 カフカ(くろき・かふか)がにこにこしながら声を上げた。
「はいはい。おや、見ない顔。別の学園からいらしたんですか?」
 気さくそうなおばさんがカフカに受け応える。
「はい。今日は美味しい和食が食べたいなぁと思って、蒼空学園から来ました」
「それはご足労様だねぇ。それで? 何にします?」
「じゃあとりあえず、お品書きの端から端までで!」
 もちろん、注文を受けていたおばさんは無言で目を見開く。
 カフカのパートナーの白鳥 鷺(しらとり・さぎ)には、このおばさんが今何を思ったかが手に取るようにわかる。「『とりあえず生』みたいな勢いで恐ろしいこと抜かすな!」に違いない。なぜなら、自分も今しがたそう思ったところだからだ。
「はは、すみません」
 鷺は苦笑しながらカフカとおばさんの間に入る。途端におばさんが安堵の表情へ変わったのを見て、鷺はまたおばさんの心を読んでしまう。
 きっと鷺が謝ったことに対して、「なんだ、やっぱり冗談よね」と思っているのだろう。しかし鷺が謝っている理由はそっちじゃない。
「すみません。冗談じゃないんです。先日のとあるダンスパーティーでも、彼女は会場中の料理をほとんど食べ尽くしてしまいまして」
 衝撃を受けたおばさんが無言のまま再度表情を激変させたのを見て、自分の言葉が足りなかったかと察知した鷺は慌てて付け加える。
「あ、大丈夫です。お金ならちゃんとあります」

 明倫館の厨房から「本気かァァァァァァァァ」という絶叫が響いたのはこの日が初めてだそうだ。

     #

 同じく蒼空学園からやってきていた十田島 つぐむ(とだじま・つぐむ)は、上機嫌で手洗い場へと向かっていた。

 無性に蕎麦が食べたくなった彼も、カフカと同じく明倫館まで足を運び、ついさっきざる蕎麦を注文したところだ。
 それを待っている間、鼻歌でも歌いながら手を洗おうと彼が蛇口を捻ったその時。水道からは水ではなく、何かぷるるんとした別の物体がにゅるりと出てきた。

「あ?」

     #

「ねぇねぇ、どうせ近くを通ることだし、明倫館でお昼にしない?」
 パートナーの漆髪 月夜(うるしがみ・つくよ)が、友人のところへ遊びに行く途中の蒼空学園生・樹月 刀真(きづき・とうま)にそう言ったのが、二人が今、明倫館の食堂に座しているきっかけだ。
「お腹減ったね〜」
「そうですね」
「私のお蕎麦、まだかな〜」
「さっき頼んだばかりじゃないですか」
 テーブルに顎を乗せて待ち焦がれる月夜に、刀真はせっかちですねと笑った。
 しかし和やかな時を過ごしていたのも束の間、何やら食堂が騒がしくなってきた。

きゃああああああああ!

 そのけたたましい悲鳴に刀真は振り返る。
「何事でしょう?」

     #

 その頃の明倫館の廊下は、どこから沸いたのか色とりどりのスライムに埋め尽くされていた。

「おいおいおいおい」
 明倫館に遊びに来ていた蒼空学園生のエヴァルト・マルトリッツ(えう゛ぁると・まるとりっつ)は、そのスライムの数に圧倒される。行こうとしていた廊下が今では足場も見えないほどだ。
「何が起こってるんだ……?」
 エヴァルトはそう呟くと、なんとか自分の冷静さを取り戻す。
 これだけの量のスライムが白昼堂々と一体どこから現われたというのだ。
 不意に近付いてきた白いスライムが粘液を飛ばしてくる。間一髪、エヴァルトがそれをかわすと、反射的にSPAS15の引き金を引いていた。
 確かに発砲音はした。多くの弾がスライムたちに命中したはずなのだが、怯むだけで消滅する気配はない。
 エヴァルトは一歩後ずさる。
 こいつらは普通のスライムじゃない。普通のスライムは粘液攻撃なんてしてこないし、そもそもこんなにカラフルじゃない。
 そう思うと、エヴァルトはあることに気付いた。
 スライムたちは後からどんどん押し寄せてくるが、個々が分裂しているわけではないようだ。外から来ているわけでもなさそうだし、となると校舎内のどこかから生み出されているということになる。
 考えたくはないが、何か元凶がいるのではないか――。
「しかし何故……? スライム騒動と言えば、イルミンスールがお約束のはずだが……」
 また複数の粘液攻撃をなんとか避けると、エヴァルトはある考えに至る。スライムたちが増殖するにも、その分のエネルギーが必要ではないだろうか。
「となれば、怪しいのは食堂か……?」
 エヴァルトは一旦そこから離れ、食堂へと駆け出した。

     #

「本当に、どこをどうなればここに辿り着くんだよ」
 パートナーのルアーク・ライアー(るあーく・らいあー)は明倫館の食堂で和定食を咀嚼しながら、天御柱生の水鏡 和葉(みかがみ・かずは)を見る。

 和葉は天性の方向音痴である。
 本当は彼らが今いる葦原明倫館に入学するはずだったのに迷子の挙句天御柱に入学した顛末だし、そもそも彼がこのパラミタ大陸を行き来できるようになった契約自体も迷子の成した業だった。
 もはや、水鏡和葉という人物から方向音痴を引いてしまうと個を保てなくなると言っても過言ではない。
 今日も例外なく目的地から遠ざかっている。

「いつものことでしょ」
 良家の出である和葉は丁寧に食事を続けながら、何のこともないという素振りで返した。
「まー、面白いからいいけどね」
「とりあえず、今はご飯を最後まで頂こうよ、ルアーク。せっかく明倫館なんだし」
「こういう機会に食べておかないと、またいつ食べられるかわかんないしね〜」
 へらへらと応えたルアークが今しがた口に運んだ焼き魚に舌鼓を打つと、和葉はおかしなことに気が付いた。
「あ、ねぇ。それスライム?」
 和葉がルアークの足元を指差すと、彼も下を覗き込む。
「お、ほんとだ。誰かのペット?」
 このスライムがルアークに飛びかかるのはそのすぐ後のことだったが、すかさず彼は赫奕たるカーマインでスライムを打ち抜いていた。
「ねぇ、食事の邪魔、しないでくれるよねー?」
 ルアークがスライムに向かってそう微笑んだ先で、誰かがテーブルに上がっていた。


俺のさんまァァァァァァァァァ!!
 この声の主は焼き秋刀魚定食をスライムに横取りされた明倫館の棗 絃弥(なつめ・げんや)だ。我を失った絃弥は、飛びかかってくるスライムをウルクの剣で手当たり次第に攻撃してテーブルから叩き落す。

 明倫館の焼き秋刀魚定食といえば、食堂の中ではそこそこ値の張る名物料理の一つだ。旬の時期でなくとも脂の乗った濃厚な秋刀魚を出せることで有名である。
 久しぶりの美味しそうな魚に喉を鳴らしていた絃弥が早速箸を伸ばすと、突いた先は秋刀魚ではなくぷるるんとしたスライムだった。笑顔のままの絃弥が二度、三度と突いても、それに応じてぷるんぷるんと反応するだけ。
 スライムが絃弥の秋刀魚の上にのしかかっている――。それをようやく認識した彼が声のない絶叫を上げると、無意識のうちに剣を手にしていた。

おらァァァァァァァァッ!!
 そして現在に至る。
 しかし切れ味が売りの絃弥の剣も、ぷるぷるしたスライムたちにはあまり効いていないようだ。剣の衝撃でスライムを跳ね飛ばすことは出来るものの、数が減っているようには見えない。それに気付き始めた絃弥だが、とにかく今はスライムを剣で吹き飛ばしてやりたいのだ。荒く剣を振り回すが、冷静さを欠いている絃弥の死角からスライムが飛びかかる。
うりゃぁぁぁぁぁぁぁッ!!
 怒声と共にどこかから飛んできたリターニングダガーが、絃弥に襲い掛かろうとしていたスライムを物凄い勢いで弾く。戻ってきたダガーを受け止めながら、黒髪をふわりとなびかせるカフカが絃弥の背中についた。
僕のごはァァァァァァァァァん!!
俺のさんまァァァァァァァァァ!!
 テーブルの上で咆哮をあげる二人の周りから、スライムが弾き飛ばされていく。
 意図しているわけでもないし、互いに名前も知らないはずなのだが、お互いの死角をカバーする二人の息はぴったりだ。

「ああいうのを戦友と言うんでしょうか。どちらかと言えば、二頭の怪獣ですけど……」
 手のつけられなくなったパートナーと、顔も知らないけど同じ理由で怒っている誰かに呆れると、鷺は足元のスライムを蹴飛ばした。

     #

 一方の百合園女学院では、シリウス・バイナリスタ(しりうす・ばいなりすた)が校舎の入り口で棒立ちになっていた。
 今しがた、スライムの大群に追われる女生徒が目の前を通過したところである。
「な、なんじゃこりゃ……」

 現在はイコンについて学ぶため天御柱に短期留学している彼女だが、今日は天気も良いし、中間報告のため百合園へと戻ってきた。
 帰りがけに、泉 美緒(いずみ・みお)のために空京神社の厄除け御守を買ってきたのだが、いざ辿り着いてみると学園内は右を向いてもスライム、左を向いてもスライムという状況だった。これでは男子禁制の花の園も台無しである。

 シリウスのパートナーのサビク・オルタナティヴ(さびく・おるたなてぃぶ)が笑顔で腰に手を当てる。
「どうやら、少しいない間に大量のスライムが入学したみたいだね」
そんなわけあるかッ! この学園がスライムに襲われてんだよ!」
 思わずサビクに突っ込むと、シリウスは溜め息をついた。
「ったく、中間報告だけでも面倒くせぇのに、挙句これかよ」
「キミが『スシはもう飽きた』とかいうからだぞ、シリウス」
 ボケ倒すサビクを無視して、シリウスはスライムの海を鋭い眼差しで見た。
「とりあえず、この場を切り抜けねぇと何もできないか……!」