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リアクション
●恋心を七夕に
初七夕、ひらがなにすると『はつ☆たなばた』――どこから星マークが? ということはともかく、心ときめく七月七日なのである。
「これが日本の七夕パーティ! 盛り上がるわよ!」
イランダ・テューダー(いらんだ・てゅーだー)は屋台を巡り、色とりどりの短冊が風に揺れる様にも目を輝かせる。あれは何? 何はアレ? などとほうぼうを指さしては、彼女はお供のよいこの絵本 『ももたろう』(よいこのえほん・ももたろう)に説明を求めてやまないのだ。しかしそれでも、
「あれは人形焼きと言って……」
と説明したり、
「これですか? こうやって食べるんです」
と実演したり、いちいち、きっちりとこたえてくれる我らがももたろう(愛称は『もも』)である。
さてそんなこんなで一行は練り歩き、いよいよ、イランダを一番エキサイトさせるメインイベントの刻がきた。七夕の歌にも出てくるあれ、すなわち、自身、短冊を手に取って記入、そしてつるすというおごそかな儀式(?)だ。
イランダは真剣な面持ちで述べた。
「これが秘密のブラック短冊……危険な願いを書くことが許されるという必殺の一枚よね」
ごくり、などと彼女は、大仰に唾を飲み込んでみせる。手には黒い短冊がある。
「ほどほどにしとけよ」
全身鋼でできてるんじゃないか、そう思いたくなるほどぎっちり鍛え上げられた肉体の男、柊 北斗(ひいらぎ・ほくと)がイランダをたしなめた。といっても、北斗は目が笑っていた。
これに比し、
「ちょ……あんまり物騒なこと書いたらダメですよ、いや、本当に」
ももたろうは頭からイランダの言葉を信じているようで、不安げな顔になっていた。止めた方がいいのでしょうか、と、おろおろ、イランダの顔と彼女の短冊に交互に目をやっている。
ところで今夜、イランダのもう一人の同行者姫月 輝夜(きづき・かぐや)は、空に光る月だって飲み込めそうなくらい大きなあくびをして、自分は眠たいのだということを強烈アピールしていた。
「面倒くさいからちゃっちゃとやってよ……ふぁ〜ぁ」
「じゃあ、書くわよ」
イランダは短冊を机に寝かせた。
北斗は(「どうせ異常なことは書かないだろう」)と安心しきっており、
これに反してももたろうは、(「危ないこと書いたら天罰が下る、とか言えば良かった……」)と、右往左往していた。
北斗が正解。
実際、イランダが書いているのは『無病息災』という実にシンプルで安全なメッセージなのだった。黒い短冊なので誰にも内容はわからない。
「まあ、なにを書いたにせよ、ですね……覚えておいたほうがいいことを、ひとつ教えておきます」
こほん、と軽く咳払いしてももは言った。
「短冊を上の方に飾ると織姫様と彦星様からよく見えるから、願い事もよくかなうんですよ〜」
言い終えると意味深な笑みを浮かべ、ももは二三歩下がって、輝夜の手を取った。
その輝夜といえば、とうとうウトウト、立ったまま船を漕ぎ始めているではないか。
「この笹はもうスペースがないですね。ボクたちはあっちの笹に吊してきます」
ももはぺこり一礼してその場を離れた。輝夜も連れられていく。
「スペースがない? たしかに埋まってきてはいるが、つるす場所ならこの笹にもまだあると思うが」
北斗は肩をすくめた。彼にしてはうかつなことだが、ももが気を利かせてくれたことを理解していない。
「ところで、北斗はなにを書くのー?」
興味津々の顔で、イランダが彼に身を寄せてくる。
「別に考えてなかったな……」
言いながらそっと、イランダから微妙に距離を取る北斗である。
イランダが近づいてくることが嫌なのか?
否。
むしろ正反対だ。
つい最近、北斗はイランダの実年齢を知ってしまった。これは驚きをもたらした。
彼女のことを子どもだと思い込んでいたのだ。ところが、実は自分より年上、レディ扱いしなければ失礼にあたる年齢だった。
そうすると、女性を苦手とする自分としては、少々辛い――これが北斗の思いである。
最近、イランダを『女』として意識してしまう。
ただ、(「女性は苦手なので」)というのが、その理由のすべてだと思い込んでいるあたり、北斗もまだまだ自己認識が甘いのだが……それはいずれ明らかになるだろう。
『健康第一』
硬派かつ正統に、彼は力強い書体で書き上げた。
「輝夜あたりだったら『……地味』とか言いそう」イランダは笑った。「あと短冊の色間違ってる気がする」
「ほっといてもらおう」
「でも北斗らしくて、好きだよ」
「そうか」
短く返答したものの、『好き』と言われた瞬間、なんだか胸の奥、身体の芯に、熱いものを感じ、北斗は自分に戸惑った。なんだこの感覚。恥ずかしいような、嬉しいような……。
「で、ももの話だと、一番上に短冊を飾れば願いはより叶えやすくなるらしいよね」
イランダは北斗に、体をすり寄せるようにして言った。
「肩車」
「なんだ」
「だから、肩車して! 高いところにつるすんだから!」
「……いつまでもガキなんだから、まったく」
口を『へ』の字にして北斗は答えるものの、やはりまた、恥ずかしく嬉しい気持ちを感じてしまってなんだかクラクラする。
「足ふらついてない? 大丈夫?」
「大丈夫に決まっているだろう。ほら」
北斗は、彼女を肩車した。
軽い。
なんと軽いのか。やはり子どもではないのか。
けれどイランダから良い匂い――子どもではなく女性の香りがただよってきて、思わず北斗の額には、じわりと汗がにじむのだった。
「さっさと短冊をつるしてしまえ」
「わかってるわよー」
言いながら彼女は、黒い短冊の下にこっそり隠した紅色の短冊を取り出した。
こっちが本命だ。こちらの短冊は家から用意してきた。いわば、黒い短冊はダミーだった。
(「誰にも見られないように、見られないように」)
肩車の関係で、北斗には絶対見えない。それだけは安心だ。
彼女はそっと、短冊をつるした。つるす直前、願をかけてそっと口づけておく。
「おい、まだか?」
北斗の声がする。彼の低い声は骨格から、イランダの身体にも伝わってきた。心地の良いものだった」
「つるしたよー。でも、もうしばらくこのままでいさせなさいよ」
「どうして?」
「……えと、天の河をもっと近いところで見たいから、かな?」
我ながらよくわからない理由だとイランダは思った。
しかし、
「しょうがないやつだな。ほら、ももたちと合流するぞ、このまま」
北斗はのしのしと、肩車したまま歩いてくれたのだった。
彼女が書いた短冊は、笹の一番高いところに飾られている。
『一日でいいから、大人っぽい姿に成長して、北斗に女の子として見てもらいたい』
そう書いてある。
さて、そんな二人を草葉の陰……もとい、笹の陰から、ももたろうは見つめていた。
自然に笑みがこぼれてきた。「高いところにつるすといい」と偽アドバイスすれば、この肩車イベント(?)が発生するだろうというのは、ももの作戦なのであった。
「なぁ、いつまでこんなところに隠れるつもりだよ。正直、飽きたよ」
生あくびしつつ輝夜が言う。
「あっ、ごめんごめん。じゃあ、これ、ボクがもらったんだけど、あげるよ」
年長さんぶって度量の広いところを見せ、ももは輝夜に緑の短冊を手渡したのである。
「なんだこれ」
「願い事を書くんだよ。健康に関することがいいかな。ボクは今が十分しあわせだから、願い事は、いいんだ」
「んー……でも、願い事なんか特にないんだよね……」
ふぁ〜ぁ、ふたたびび大口のあくびを漏らすと筆をとり、のったりした一筆書きで輝夜は書いたのだった。
『ねむい』
「もー、なんだよそれー!」
ぷんすかと両手を挙げてももたろうは不満を表明した。
「いいじゃん」
夢見心地の表情で、輝夜は軽く舌を出した。
星空の下、茫洋とひろがる蒼空学園の芝生は、濃い緑色の海原のようだ。
本宇治 華音(もとうじ・かおん)は小舟のように、その上に膝を崩して座っていた。
ウィーラン・カフガイツ(うぃーらん・かふがいつ)はニコニコと楽しげに、彼女のすぐ隣に腰を下ろし、古井 エヴァンズ(こい・えう゛ぁんず)は、少し離れて退屈そうに横臥していた。
ウィーランはビニールパックから輪ゴムを外すと、ハフハフと、華音に屋台で買ってもらった焼きそばを頬張る。たっぷり特盛、菫色の髪の女の子が、うんとサービスしてくれたものだ。
その間、華音は一生懸命に、黄色の短冊に持参のペンで字をしたためている。
短冊は二枚あった。
うち一枚はエヴァンズが、「書くことないし」と言って彼女にくれたものだ。
華音はそれぞれに願い事を書いた。
一枚目は、『ウィーランが一人前の獣人になって里帰りできますように』と、
もう一枚には『エヴァンズの記憶が戻りますように』と書いた。
一人前になるまで帰ってきてはいけないと言われ、ウィーランはは住んでいた森から放り出されて修行中の身なのである。
エヴァンズは長い時間封印されていたため、自身の記憶を失っているのである。
「できた」
と言って華音が立つと、
「見せて見せて」
とウィーランはのぞきこんだ。
「ありがとう、華音」
彼は笑った。
「でも……、自分の願い事は書かないの?」
「いいのいいの。二人にとって良いことが、私の願いなんだから」
といって心から見せた華音の笑みは、そこにわずかな嘘のないことのなによりの証明だった。
「笹に架けてくるね。そこにいてよ、二人とも」
「うん」
ウィーランはうなずいて焼きそばに戻り、エヴァンズは黙って、寝転んだまま片手を挙げた。無視しているようで、しっかり聞いているあたりがエヴァンズらしい。
「華音、ああは言ってるけど、自分の願いを優先、っていうの? 先にすべきだと思うんだよなぁ……」
ここで「そうだ!」とウィーランは思いついた。急いで焼きそばの残りを口にかきこむ。
やがて華音が戻ってみると、ちょうどウィーランは短冊を書き終えたところだった。
「見て見て−」
彼は黒の短冊を彼女に手渡す。ウィーラン自身の短冊だ。
「ウィラは何を書いたのかな? 見ていいの?」
こくこくとうなずくウィーランを確認してから、華音は短冊に目を凝らす。
黒の短冊に黒文字で書いてあるのだから判読に時間がかかった。
やがて、みるみる華音の顔色は変わっていったのである。
ごちっ。
無言でげんこつを、ウィーランの頭に見舞う。
その拍子に、『華音の胸が大きくなりますように』と書かれた短冊が、ひらひらと舞い飛んでいった。
「なんで、なんでー!」
げんこつパンチの理由がまったくわからず、痛みと理不尽さを感じウィーランは芝生の上をごろごろと転げ回った。
「華音が悩んでることだから、こうしてお星様に願ったのにー!」
「おちおち寝てもいられねえ……」
背を向けて寝転がっていたエヴァンズが、ぐるりと首だけ巡らせた。
叫びながら芝生を転げまわっているウィーランが見えた。
そして、
「確かに気にしてはいるけど……でも……」
と独り言を呟きつつ体操座りで、空を見上げている華音が見えた。
元々、七月七日が誕生日というだけの理由で、なんの興味もない七夕祭りに連れてこられたエヴァンズである。こんな行事まったくもって乗り気ではなかったが、こんな二人を見れば興味も湧く。
そんなエヴァンズの手元に、ひらりと黒い短冊が舞い降りてきたのである。
手に取って、読む。
彼の口元に、ニヤニヤ笑いが浮かんだ。
「まったく……この二人といれば退屈しないな」
声に出して笑い出したいところだが、エヴァンズはそっと音もなく立ち上がるほうを選んだ。
笹につるしに行くのである。この短冊を。
彼は悠々と、笹の方へ歩いて行った。
武士の情け、せめて目立たないところにつるしてやろう。