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あなたと私で天の河

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あなたと私で天の河
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●Shape of my Heart

 いつもオレの役に立ってくれてるお礼だよ、そう言って、蘇芳 秋人(すおう・あきと)蘇芳 蕾(すおう・つぼみ)を、七夕の祭に誘ってくれた。
 そのことは嬉しい蕾なのだ。彼の誘いを効いたときには、「え……連れて行って……もらえるの……?」と問い直したくらいだ。それくらい嬉しかった。
 屋台を巡って食べ歩くのは楽しかった。
 各学校の校長など、有名人を多数目にできたことも嬉しかった。
 だが、やがて秋人の真意を知るにつれ、蕾の喜びは少しずつ萎んでいった。
 人混みでも、
「うわぁ、人がいっぱいだなぁ。もしかすると義姉さんも居たりする。そんなわけないか……そんなに簡単にあえたら苦労はしないよな」
 と彼は呟いており、短冊を書くときでも、
「大願成就……オレの願いはたった一つ……」
 と宣言し『義姉さんと再会したい』と彼は書いた。
 それは、ただ弟が、姉を恋しがるのとは違う。
 義理の弟が、恋い焦がれている義理の姉を求めているのだった。
(「やっぱり……秋人様は……義姉様のことばかり……私が……ここに……いるのに……」)
 蕾は、心にナイフが突き刺さるのを覚えた。
 秋人は自分を見ていない。
 すぐ目の前にいるのに、彼が見ているのは蕾ではなくどこか遠くにいる義理の姉だ。
 もう家に帰りたい、と蕾は思った。
 ところがようやく、意志が通じたのか秋人は、蕾が落ち込んでいるのを察知した。
「ん? 蕾……なんか機嫌悪い? おなかでもすいたのかな?」
「別に……」
「じゃあ、あの高台まで行ってみようか」
 まただ――蕾は思った――また彼は、こんな優しい目を自分に見せてくれている。
 義理の姉に夢中、つねに義姉を追っている秋人であれば、とうの昔に蕾は彼を諦めていただろう。
 それなのに、いつも一歩か二歩遅れてではあるが、彼は彼女に愛を与えてくれる。
 それは、秋人が義理の姉に向ける愛とは違うのかもしれない。
 けれども、温かくて価値あるものだと蕾は思うのだ。
「ほら、はぐれないように、しっかり手を繋いで。離しちゃだめだよ、蕾はいつもはしっかりしてるけど、たまに変なときもあるし」
 彼は手を伸ばし、蕾の手を握ってくれた。
「っつ……秋人様……私なんかの手を……」
 感謝の言葉があふれかかるが、逆にその勢いが強すぎて、正式な回答を蕾はできなかった。
 だからせめて、握られた手を、ぎゅっと握りかえしていた。
 星灯り注ぐ高台だ。暗い場所でよかったと思う。
 そうでなければ彼に、自分が赤面しているのが露呈してしまっただろう。
 二人は手を繋いだまま、高台を登った。
「下調べは一応してきたからね、ここがいい場所……他に邪魔も入らないしね」
(「邪魔が入らない、なんて……まるで……デート……な、何考えているの私は……そんな恐れ多い事……」)
 蕾の動揺を察さぬまま、秋人は眼下の光景を指さした。
「見てごらん、ここからなら、祭の会場が一望できる」
「綺麗……」
 蕾は見とれてしまった。
 たしかに、ここからだと七夕祭りに沸く校庭がよく見えた。
 暗がりに浮かび上がるその光景は、ミニチュア模型のようでもあった。
「今だけは……この時間……ずっと続けばいいのに……」
 蕾はそう告げて、そっと秋人に寄りかかった。
(「申し訳ございません……今だけですから……そう……今だけ……」)
 そして手を伸ばし、開いた両の手、その手首を合わせた。
 指を拡げると、蕾が祭の会場を手に頂いているかのようだ。
 暗いので、秋人がどんな表情をしているか、蕾には知る方法がなかった。しかし彼が、
「この光景に誓おう、オレは絶対に義姉さんをみつけだすって……」
 と呟くのは聞こえた。
 けれども、
 けれど、今だけは。
「秋人様……お風邪……召されませぬように……」
 蕾は、彼の身体に腕を回した。
 今だけは。

(「アイリス、もうちょっと遅くなるみたいなんだよな」)
 まあそれはそれでいい。
 なら、待ち時間に短冊でも書くとしよう。
 屋台で買ったホットドッグを平らげ、永井 託(ながい・たく)はぶらぶらと、短冊のコーナーに足を向けた。
 迷わず、黄色い短冊をとった。
(「片思いが成就しますようにっていうのも考えたけれど……」)
 今はこれだな、と、黄色の短冊に書いた。
『僕の大切な友人たちがみんな幸せになりますように』っと。
 これぞ、託が一番望むことだ。
 自分の幸せより、みんなで一緒に幸せのほうが嬉しい。そう思ったからこそ託はこう記したのである。
「アイリス、こっちだよ」
 託が短冊をつるした直後、アイリス・レイ(あいりす・れい)が姿を見せた。
「ダディクール祭りでいっぱい食べようと思ったのに、こっちに呼び出さないでよ」
 ところが彼女はあまり気に入っていないようである。栗色の髪を無造作に束ねた状態で、腰に手を当てて不機嫌そうな面持ちだ。
「あはは、アイリスはご飯大好きだものねぇ、ごめんね。まあ今日くらいはこっちでいいよね」
「七夕の星も願い事の短冊も食べられないじゃない。まあ、あとで屋台に行くけど……」
 それで、と託は言った。
「プレゼントを持ってきたんだ」
「プレゼント?」
「こんなものしか用意できなかったけれど、誕生日おめでとう」
 小さなギフトパックを鞄から取り出した。
 白い包み紙、リボンがかけてある。バースディカードも添えられていた。
「……」
 しばらく、アイリスは黙った。
 腰に手を当てて、つぎに口にするべき言葉を探しているようだった。
 数秒経ちようやく気持ちの整理が付いたらしく、彼女は改めて言った。
「せっかくだけれど、受け取りたくないわ」
「どうして?」
 意外な反応に託は眉を曇らせるが、驚きは小さかった。
 心の中で、この反応を予想していたからかもしれない。
「だって、託は私の事を見てないもの」
 アイリスはぽつんと、投げ捨てるように言葉を発した。
「託が昔、大切な人を失ってその人と私がそっくりだということは聞いたわ。だから私をその人の代わりとして見てる。でも私はアイリス、その人じゃないの」
「……気づいてたんだねぇ、まあ、何年もいれば当たり前かな」
 託とてこれに気づかないほど鈍感ではない。
 待ち受けていたものが来た、そんな気がした。
 むしろ、この機会に一度、はっきりさせることができて良かったのかもしれない。
「だからちゃんと、私を私としてみなさいよ!」
 託は少し傷ついたような、困ったような顔をした。
 軽く息を吸うと、彼は彼女に告げた。
「なんだか告白みたいだねぇ」
「そ、そんなんじゃないわよ! それに、託には好きな人がいるんでしょ!」
 あっ、と驚いたような顔をしたのは、発言を聞いた託ではなく、発言をしたアイリス本人だった。
 ここまで言う気はなかったのかもしれない。
 言葉を取り消せるなら取り消したい――アイリスはそんな目をした。
 だが託は、笑顔でそれを受け止めていた。
「あはは、うん、そうだね」
「わかればいいのよ」
 アイリスは勝利宣言をするように告げた。でも本当は、むしろ敗北宣言に近いということを彼女は知っていた。
 託はプレゼントの小箱をしまった。もう話は、ここまでにしようと思った。
「今までごめんね、そして、これからよろしくね、僕のパートナー」
 行こうよ、と彼は屋台の集まっているところを指した。
「クレープ屋が人気らしいよ」
 アイリスも、もうこの話にはこだわらないことに決めたようだ。
「待ちなさいよ」
 そう言って、彼を追いかけた。

 澱(おり)が溜まっていた。
 レギオン・ヴァルザード(れぎおん・う゛ぁるざーど)の心に溜まっていた。
 生きていれば人は誰しも、心に澱を溜めてゆくものである。
 されど大抵の人にとって、澱は、意識されぬうちに浚(さら)され、浄化され、消えていくものだ。
 しかし、レギオンの「それ」は容易には消えそうもない。
 凍土に降る雪のように、音もなく沈積されていった。
 レギオンは、昼間の出来事を思い出す。
「今日の夜、祭の会場でつるすんだから!」
 そう言ってカノン・エルフィリア(かのん・えるふぃりあ)は彼に短冊を手渡した。
 書け、と言う。自分も書くから、と紅い短冊を手にしてカノンは背を向けた。
 見るつもりはなかった。
 しかし隠し方が甘かったか、彼女がしたためる文字が、一瞬だがはっきりとレギオンの視界に入ってしまった。
『レギオンと両想いになれますように』
 それから夜が訪れ、二人は祭の会場へ足を踏み入れていた。
 しばし食べ歩いたりしたものの、どちらからということもなく、笹を求めて歩き出していた。
 人気(ひとけ)のない場所にひっそりと、柳のようにたたずんでいる笹があった。
 さがっている短冊もまばらだ。
 他に人もなく、二人きりだった。
「話があるの」
 ぽん、と言葉を置くようにしてカノンが言った。笹の緑が見おろすこの場所で。
「知ってる」
 レギオンは応えた。
(「どこか心の欠けた俺でも話の内容は予想が付く……」)
 彼の言葉に出鼻を挫かれた格好だが、それでもカノンは、勇気を振り絞るようにして告げた。
「訊いていい? レギオンにとってのあたしって、何……?」
 これまで考えなかったわけじゃない。だが知ろうとする勇気がなかった。
 レギオンと出会って一年半、今の学校に入って半年ほど経った現在だ。
 もう知らずに、見て見ぬふりをして、済ませることはできそうもなかった。
 そろそろ……知りたい。
 知らなきゃいけない。
(「カノン……」)
 口を真一文字に結び、黙ってカノンを見つめるレギオンには、彼女の考えていることが手に取るようにわかった。
 浴びてきた返り血が消えないものだとしたら、レギオンは全身、真っ赤だろう。ぼたぼたと、殺してきた敵の黒い血をしたたらせていることだろう。一分の隙もなく血に汚れ、赤い怪物のようになって、白い目だけ鈍く、光らせているように見えることだろう。
 その目で、彼はカノンを見た。
 傲慢な大人どもに、兵として無理矢理戦わされていたカノンを。
 カノンだって血に汚れている。けれど、それはごくわずかだ。洗えば落ちる程度の血しか浴びていない。
 もうカノンは、すっかり普通の少女らしくなった。
 その彼女の手に彼が手を置けば、あるいは、抱きしめたりすれば……。
 たちまちカノンまで、血で汚してしまうことになる。
(「俺はもう救えない。手遅れだ。染みついてしまった。傭兵として人を殺し続けた罪が」)
 カノンを伴侶とすることは、彼女を自分の世界に引っ張り込むことと同義だ。レギオンはそれを痛いほどに理解していた。
 カノンのことを大切に思うからこそ、彼女にはもっと綺麗な世界を歩んでほしいと思うのだ。
「その質問、すぐに返事をしなきゃならないのか?」
 ようやくレギオンは口を開いた。
「べ、別にすぐでなくても……いいけど……」
 カノンは弱気になる。この夜が、二人で過ごす最後の夜となるかもしれない――突然そのことに気づき、恐ろしくなった。決意してきたはずなのに、勇気がするすると縮んでいった。
「でも、ずっと意識はしておいてよね、この質問のことを。あたし、知りたいんだから……」
 カノンに触れてはいけない、これ以上距離を縮めてはいけない、レギオンの頭は胸に、警告信号を送り続けていた。
 だがその一方で彼の心臓は、カノンを抱きしめたい、包み込みたいと願い、頭に抗っていた。
(「何故だ……俺は、俺はあいつの想いを断ち切らなければならない……しかし……」)
 葛藤するレギオンを救ってくれたのは、カノンが作ってくれた逃げ道だった。
「戻らない? そろそろ、日付が変わるよ」
「そうしよう」
 去り際、レギオンは後ろ手で自分の黒い短冊をつるしていた。
『カノンが俺以外の誰かと共に、健やかな道を歩むことを』
 レギオンの「頭が書かせた」文字がそこにあった。