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リアクション
●惹かれあい、求め合う
時間をいくらか、巻き戻す。
舞台も移そう。ここはふたたび、七夕祭り会場だ。
「いやあ、盛り上がってるな。なかなか混雑しているが、まずは笹を目指そう」
色っぽい浴衣姿は林田 樹(はやしだ・いつき)、このところひときわ、彼女の女っぷりが増しているのは、やはり私生活が充実しているからだろうか。
それは、緒方 章(おがた・あきら)からの正式なプロポーズだった。
六月に彼は、彼女に対し、生涯幸せにすると誓ったのだ。
樹はそれを……受けた。
いま、彼女は照れくさげに章と手を繋いでいる。樹はこういうのは苦手なのだが、章の求めに応じていた。
それに、なにをはばかることがあろう。すでに二人は恋人同士、いや、それより進んだ婚約関係なのだから。
「………樹ちゃん」
「なんだアキラ?」
「呼んでみただけ」
「なんだもう、バカ」
こんなやりとりが楽しいだなんて、これまで夢想だにしなかった樹なのだった。
もちろんそれは章も同じだろう。握る手に熱が籠もっていた。
(「面白くない……」)
頬を膨らませながらジーナ・フロイライン(じいな・ふろいらいん)は、二人の後ろをついて行く。
本日の服装コーディネイトはすべて、ジーナが担当していた。
せっかく綺麗な浴衣を用意して、樹を飾ったのにそれも、究極的には章のためだとは……。まず、ジーナにはこれが面白くない。
章のために、似合う浴衣を選んでやった。そうすれば樹が喜ぶからだ。とはいえ、章のためというのが気にくわない。
新谷 衛(しんたに・まもる)にも浴衣を選んでやったら、「へー、面白いなこれ」と変な反応であった。それは許すとしても、衛はあろうことか、浴衣姿の自分に向かって「オマエ、女っぽい格好もできるんだな」と言い放った。侮辱だ。腹立たしい。
まあしかしジーナは気を取り直すことにした。短冊に、願いをすっきり綺麗な字で書けたからだ。
『素敵な恋が出来ますように』
「……これでよし、っと。樹様は緑の短冊なんですか?」
「ああ。ジーナ、やはりこれが大切だと思ってな」
樹が書いたのは一言、『家内安全』だ。こちらも達筆である。
「アキラ、お前は黄色のに何を…っと、相変わらず読めない字だなぁ」
樹は章の短冊を覗きこんだ。
「ん? なんて書いてるのか読めないのか? 『最低三人』と書いたんだよ。ほら、少子化を防ぐなら子供は三人必要でしょ?」
ようするに、家族計画なのである。
それにしても大きな声で言ったものだ。丸聞こえだ。あちこちに。
「……んなっ!」
ジーナは絶句し、
「ばっ……バカ野郎! 何を公衆の面前で言っているんだお前は!」
みるみる赤面して樹は怒鳴った。
「えっ、何? 僕のお願い聞いてくれないの?」
そんな樹をからかうように、ひーらひら短冊を舞わして章は笑った。
「……せっ、世界が平和になったら、考えてやるっ!」
きらりと章の眼鏡が光った。彼はその腕で、するりと樹を抱きすくめる。そして耳に囁いた。
「……樹ちゃん、逃げるよ」
そして、樹の返事を聞かず手首をつかむと、下駄をからころ鳴らして走り出したのだ。つられて樹も走らざるを得ない。もどかしいのか、途中から樹は、ひょいと彼女を横抱きにして走った。さすが武士の英霊、下駄履き走りの速いこと速いこと。
これにジーナが激怒しないはずはない。
「あーっ!! バカ餅が逃げたっ! 追いやがりますよ! バカッパ!」
クワー、と激昂して追わんとしたが、彼女にとっては慣れぬ下駄履き、うまく走れない。
結局、二人を見失ってしまった。
「うっき〜っ! 逃げられましたっ! んもう! 今日こそは最後まで観察って思ってましたのに〜!」
ぷりぷりしながらジーナが戻ると、衛が丁寧に、四人分の短冊をつるしていた。
衛自身のものは黒い短冊のようだ。
「………んあ? なにナニ何が起こったのじなぽん!」
「一部始終見てたでしょうが! もう、監視ができなくなりましたよっ!」
すると衛はあははと笑った。
「またいっちーのデートのぞき見しようと思ってたのかよ。そーゆー事やってるから、オマエはオレ様に比べてお子ちゃまなんだよ」
「お子ちゃまぁ! アンタ言うに事欠いてお子ちゃまって何ですかっ!」
途上の不機嫌が、みるみるジーナに戻ってきた。頭から湯気を上げて彼女は怒声を発す。
「今日という今日は徹底的にヤッて差し上げやがりますわっ!」
「おう何だ、ヤろうって言うのか? だったらヤってやろうじゃないの」
ケンカするつもりだったジーナである。
だから、衛の次の行動はまったく予期していなかったし、できなかった。
虚を突いて盗まれてしまった。
ジーナは、唇を彼に、盗まれてしまったのだ。
「……!!!!!」
声にならない。
衛はジーナを抱きすくめ、キスをした。
唇と唇をつつきあうような軽いキスじゃない。もっと激しく、深い、舌を絡め合う濃厚なキスだった。
頭の中が痺れる。振り回していた両腕を、ジーナはだらりと降ろした。
衛の舌が入ってくる。生ぬるくてざらざらしてて、堪えず熱気を放射するような舌だった。
嫌悪感は不思議となかった。むしろジーナは、弱々しく舌で応じてしまった。
小さな爆発が、胸の内からはじまって、指先、爪先、身体の端へと拡がっていった。
息が苦しくなってきたとき、やっと彼は解放してくれた。
彼の唇から糸がのびて、自分の口に繋がっている。
唾液の糸であることに気づいて、ジーナは拭おうとしたが身体に力が入らない。
どさ、と尻餅をついてジーナは座った。
「……かっ」
ようやくジーナが言えたのはこれだけ、
「アンタ、今、何しやがりましたですか?」
泣きたいような気持ちだった。いま、確実に、自分のなかでなにかが変わったと思う。
なにかが終わったと思う。
それは、良いことなのだろうか。不幸だろうか。
「あー……うまく説明できないけどよ、これがオレの気持ちだ」
衛はジーナに手をさしのべ、びっくりするほど優しく立ち上がらせてくれた。
「ど……どういう意味ですのよ、これは……」
「言わせる気かよ……そんなもん、『好き』ってことに決まってるだろ。好きでもねぇヤツにこんな事するかよ。嘘だと思うんなら」
衛は、彼女のに腕を回して告げた。
「おかわりするかい? ジーナお嬢さん?」
ジーナは渾身の力で衛を突き飛ばしていた。
「好きって……おかわりって……そんなの、要りませんでございやがりますよぉっ!」
涙があふれでる。ジーナは、ぼろぼろと涙を零しながら走った。小さな子どもみたいにわあわあ声を上げて泣いた。
悔しかった。
憎かった。
あんなことをした衛が憎かった。
でも……悲しくはなかった。
こんなに腹が立つのに、悲しくて泣いているのではないのだ。
じゃあ、なぜ泣いているんだろう。
なぜだろう。
そんな騒ぎがあったとは知らず、息を切らして樹と章、二人はうっすらと汗をかいて会場中央あたりまで来ていた。御神楽環菜がクレープを売っているあたりだ。
「何をいきなり逃げ出すんだ? 別に七夕は家族行事なんだろう?」
「……まぁ、気を利かしてもらったというか、こちらが気を利かせたというか、ねぇ」
などと章は微妙な言い回しをする。
「ていうか、もう降ろしてほしいんだが」
樹はぽそりと言った。そういえば今日は、鋭鋒団長も来ているという。団長にこういう姿、有り体に言ってお姫様抱っこされているところは見られたくなかった。
「歩こう。バカラクリたちはあれで、結構うまくやるさ」
「だといいがな」
いつの間にか二人は、人気のない方向へ足を進めていた。
人の往来がたえた辺りで、そっと章は言った。
「樹ちゃん、浴衣姿、綺麗だよ、似合ってる」
「あ……あああ、ありがとう。アキラ、お前も、似合ってる、ぞ」
近くの茂みに樹は眼を向けた。
ちょうど良い感じの茂みである。
ちなみに、一時間ほど前には、ここで、秋葉つかさと加能シズルが愛を交わした場所だったりするのだが、それには気づかない。
けれど茂みを見て、樹は察したのだった。
「………まさか、こんな屋外で事に及ぼうとか思っては……」
耳まで真っ赤になる。恥ずかしいことだが、少し興奮していた。女が、男に対して抱く種類の興奮であった。滅多にこういう状態にならない樹では、あるのだけれど。
「ああ、無い無い。短冊に書いたからって、こんな所ではやらないって」
さすがに面くらい、章は慌てて否定した。けれど、
「でも、僕の嫁だってことは確認したいから……」
と告げるや、甘い甘いキスを、彼は彼女に与えたのだった。