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リアクション
●叡智の人、アクリト
ジェイダスがいるのと同じ笹のもとに、褐色の肌を持ち、知的な目と、精悍な顔つきを有する男の姿があった。彼の形の良い目からは、高い教養と知性が感じられた。よく似合う口髭と眼鏡も、叡智に満ちた容貌を高めている。
彼はアクリト・シーカー(あくりと・しーかー)だ。かつて空京大学の学長を務め、今はその座を退き、第一線で活躍する研究者として復帰を果たしていた。
そんな彼の姿を求め、姫神 司(ひめがみ・つかさ)は会場を歩いていた。
「何とも賑やかだな……アクリト学長はどこにいらっしゃるのだろう」
藍染に白抜きの朝顔柄という浴衣姿。髪はアップにして結い上げ、司は大人っぽい雰囲気をかもしだしていた。
立っているだけで華やかさを発散するジェイダスの近くにいるため、アクリトはやや、目立たないように見えるかもしれない。
しかし司の瞳には、すぐにアクリトの姿が映った。
彼女の目には、アクリトこそ宝石のように、きらきらと輝いて見えるのだった。
(「……アクリト学長!」)
心の中で呼びかけた。すでに学長ではないにもかかわらず、つい司は、彼をそう呼んでしまうのである。
シャープな姿のアクリトは今日も普段着だ。いま、笹の前で、なにやら水心子 緋雨(すいしんし・ひさめ)の質問に答えているようだった。
「アクリトさんにちょっと聞きたい事があるのよね」
緋雨は、眼帯のない側の目で碩学を見上げていた。
「何かな?」
「ちょっと事情があって、ある武器の製作を考えているの。武器の素材となる金属を元に、金属の特性などを把握した鍛冶作業になるのよね」
突拍子もない話のようだが、このパラミタの地ではそう極端な話ではない。アクリトが頷くと緋雨は問うた。
「専門分野が違うけどいいかしら? パラミタには、地球にない未知の金属とかないの?」
「あるとも。希少度はいったん置いておくとして、多数の新金属が発見されている」
きらりとアクリトの眼鏡が光ったように緋雨は思った。専門分野外としても、アクリトにも興味のある話らしい。彼は言った。
「『アトラスの傷跡』で採れるキマク鋼は、パラミタ独自の鉱物のひとつと言えるだろう。地球では空想上の金属と思われていた『アダマンタイト』や『ミスリル』も存在が確認されている。もっとも、魔法の鑑賞力が強いイルミンスールでの話だが」
「ありがとう。さすがアクリトさんですね!」
「いや、このあたりの知識についてはまだ勉強途中だよ。逆に、知っていることがあれば教えてほしい」
(「熱心じゃのう……」)
と、そんな二人のやりとりをぼんやり眺めながら、天津 麻羅(あまつ・まら)は屋台で購入したシシカバブー(焼き串)を頬張りながら笹を見上げた。アツアツに焼いた羊肉は、柔らかくて大きくて、一口かじるだけで口の中に肉汁があふれそうだ。
「短冊に願いをとは他力本願じゃのう……ま、悪くはないが」
麻羅の左手にはキンキンに冷えたビールジョッキがある。ぐっと呷って肉の旨味を流し込む。
どこかに緋雨の書いた短冊もあるはずだが、すでに多数短冊が下がっているので見つけられなかった。
見つけたら、麻羅は照れたのではないか。
なぜなら緋雨の短冊には、『長い間、麻羅と一緒にいられますように』とあったのだから。
「ま、折角じゃから、わしも一つ願いを書くかのう」
ふふ、と笑んで麻羅は短冊を手にする。
書く言葉はすぐに決まった。
『緋雨の目標達成を最後まで見届けられますように』
「こんなとこじゃろ」
緋雨に見られぬよう、そっとその短冊を笹の葉に隠す麻羅である。
「さあ、ダディクール祭にも行ってみるとしようか」
麻羅は緋雨の袖を引き、緋雨は一礼してアクリトから離れた。
一人、アクリトはたたずんでいる。彼は短冊を書くでもなく、人混みから逃れるように笹に近づいた。そこから静かに、行き交う学生に目を向けている。
そんな彼の背は、司にはどことなく寂しげに見えた。パートナーのパルメーラと離れているということが、彼の胸に一抹の孤独感を呼び覚ましているのではあるまいか。
このところ司はほぼ毎日、手作りの弁当や菓子の差し入れを持って訪ねアクリトと接している。だから彼の、小さな表情や仕草の変化でもわかってしまうのだ。
あの日――司は思い出す――空京大入学説明会の日、壇上にあったアクリトは、自信に溢れ輝いていた。
しかしそんな彼がいま、憂いを見せている。
この人を守ってあげなければいけない――言葉ではなく感覚として、ふと司は思った。
「こんばんは。アクリト学長はもう短冊に願い事は書かれたか?」
思い切って彼女は話しかけた。
「こんばんは、司くん。前も言ったかもしれないが私は、もう学長ではないのだよ」
「ごめんなさい、つい……」
「いや、そのほうが呼びやすいならそれでも構わない」
アクリトがかすかに、気遣うような表情を見せた。それが司には、嬉しい。
「あ、アクリト学長。せっかくだし、短冊を書いてつるさぬか?」
無意識的に彼女は、彼の手をとっていた。体温を感じたとき、自分の行動に気づき、さらにはアクリトが手を握り替えしてきたことに気づいて頬を熱くする。
「そうだな。そうしよう」
限りなく優しさに満ちた笑みを、アクリトは浮かべて言った。
選ぶ短冊の色も、書く言葉も司は決めていた。
色は黄色。「大切な人を守れる強さを持てますように」と記すつもりだ。
しかし書くためにはこの、結ばれた手をとかねばならない。
それが悩ましい、姫神司17歳なのである。
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