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SPB2021シーズンオフ 球道inヴァイシャリー

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SPB2021シーズンオフ 球道inヴァイシャリー

リアクション


【二 挑む者達】

 ロッカールームの隣に、幾分小さめではあるが、医務室が併設されている。
 この医務室に、トライアウト生のメディカルチェックを仰せつかったダリル・ガイザック(だりる・がいざっく)の姿があった。
 本来彼は、蒼空ワルキューレ専属スポーツドクターなのだが、この日に限っては、SPBから直属スポーツドクターの派遣が困難であるとの連絡を受けた為、急遽彼が代役となって、ヴァイシャリーにまで足を運んできたのである。
 トライアウト生達はダリルの座す椅子の前に、ずらりと行列を作っている。丁度、ダリルがペンライト片手にレキ・フォートアウフ(れき・ふぉーとあうふ)の両目を覗き込もうとしていた時であった。
「あれ、ダリル先生じゃん?」
 医務室の扉の向こうから覘き込む格好で、ミューレリア・ラングウェイ(みゅーれりあ・らんぐうぇい)がひょっこり顔を出していた。彼女はこの2021シーズン中はワルキューレの先発ローテーションの一角を占めていた。
 つまり、ダリルとは同じ球団に所属する同僚という間柄だったのだが、シーズン終了と同時にミューレリアがガルガンチュアに移籍してしまった為、SPBの場としては、顔を合わせるのは久々だった。
 いや、久々ではあるのだが、ミューレリアは目ざとかった。彼女は、蒼空ワルキューレの正式な球団スポーツドクターであることを示すピンを、その白衣の襟元に発見したのである。
「あれ? 前はそんなの着けてなかったよな?」
「あぁ、これか。実は、正式な球団スポーツドクターに就任したばっかりなもんでね」
 これにはミューレリアも驚いたのだが、説明を聞けば納得のいく話でもあった。
 曰く、シーズン中は不正なドーピング対策の一環として、各球団は医師やトレーナーと契約することが出来ないという条文が、SPB野球協約の中にあったのだ。
 つまりダリルは、シーズン中は非公式な球団スポーツドクターとして活動せざるを得なかったのだが、シーズンも終了した今、ようやくにして正式契約を交わすに至ったのだという。
 ちなみに、この正式契約の話を真っ先に持ってきてくれたのが、蒼空学園校長にして蒼空ワルキューレの共同オーナーのひとりでもある山葉 涼司(やまは・りょうじ)であった。どうやら、ダリルの球団スポーツドクター就任に関する案件については、前々から気にかけていたらしい。
「ふぅん、そうなんだ……でもさ、今日の主役はトライアウト生だから、ワルキューレの皆よりも、そっちを優先してくれよな?」
「無論だ。まぁプロとして1シーズンを過ごした連中が相手をするんだ、加減の程は分かっているだろうから、あまり心配はしておらんがな」
 実際のところ、ダリルにも狙いが無い訳ではない。しかしそれは全て、パートナーのルカルカが練習試合に臨んでからの話だった。今は、与えられた仕事に専念するのみである。
 やがて、レキのメディカルチェックが終わった。レキのカルテに自身のサインを書き加えるダリルに、レキは診察用の椅子から立ち上がりながら、幾分不安げな表情を向ける。
「ええと、そのう……ボクは大丈夫なのかな?」
「何の問題も無い。全力でぶつかってくれば良い」
 ダリルの太鼓判を得て、レキはミューレリアに嬉しそうな笑顔を向けた。
「期待してるぜ。やっぱり百合園から出てきた選手がチームに居てくれる方が、私も心強いからな」
「うん、頑張るよ!」
 現役のプロ選手であるミューレリアからの激励に、レキはいつになく、頬を紅潮させて気合を入れた。自分だってきっと……そんな自信と期待感に胸を躍らせながら、トライアウトに備える為、レキはロッカールームへと足を急がせた。

 そのロッカールーム内では、今回のトライアウトに運営ボランティアとして参加しているアレット・レオミュール(あれっと・れおみゅーる)が、トライアウトのスケジュールや進行方法などが記されたパンフレットを、トライアウト生達に配り歩いていた。
「はい、どうぞ。ここに書かれてある内容は非常に重要ですから、必ず目を通しておいてくださいね」
「あ、こりゃど〜も〜」
 ところが、受け取ったのはソーマ・クォックス(そーま・くぉっくす)であった。
 実はこのソーマ、ワルキューレ外野陣の一角を占めるレギュラー中堅手であり、2021シーズンでは盗塁王争いにも加わっていた超実力派プロ選手なのだが、いかんせんその幼い外観に加え、何の気無しにその辺をうろうろしていたものだからトライアウト生に間違われてしまい、このロッカールームに連れてこられてしまったのだ。
 アレットとてそんなこととは露知らず、ごくごく当たり前のようにパンフレットをソーマに手渡していたのだが、後でソーマをメディカルチェックの為に医務室へ連れて行った際、ダリルに指摘されてようやく、ソーマがトライアウト生ではない(しかも現役のプロ選手でもあった)事実を知るという有様であった。
 これは別段アレットが悪いという訳ではなく、どちらかといえば不用意にうろうろしていたソーマの側に非があるだろう。
 ともあれ今の段階ではまだ、ソーマはトライアウト生であると、この場の誰もが思い込んでいた。
「アレット……それ、私にも頂戴」
「あ、は〜い」
 ソーマの隣で着替えていた刹那・アシュノッド(せつな・あしゅのっど)から催促を受け、アレットがパンフレットを手渡す。それを受け取りながら刹那は、無邪気な様子でトライアウト生用のユニフォームに袖を通しているソーマに、柔和な笑みを浮かべた。
「張り切ってるわね……あなた、センス良さそうだから、きっと合格するんじゃないかしら?」
「えへへ〜。何かよく分かんないけど、頑張るよ〜」
 刹那もまた、トライアウト生のひとりではあったのだが、まさか目の前のこの少女が俊足好守のワルキューレ中堅手であるとは思いもよらず、ただただ微笑ましげに目を細めるばかりであった。
 実はソーマと同じく、事情もよく知らないままトライアウト生になってしまった者が、もうひとり居る。
 綾原 さゆみ(あやはら・さゆみ)である。
 彼女の場合は事情がもうひとつ特殊で、何と、妙なおっさんに絡まれて訳の分からないクイズを出題されているうちに、気がつけばトライアウトを受けるという話になってしまっていたのだという。
 とにかくよく分からないままトライアウト生になってしまった、という経緯が余りにも特殊であり過ぎた為、パートナーのアデリーヌ・シャントルイユ(あでりーぬ・しゃんとるいゆ)は心配で堪らず、とうとうロッカールーム内にまで足を運び、せっせとさゆみの準備を手伝っていたりした。
「ほらほら……ゼッケン付け忘れてますわよ」
「あれ〜? 背中に手が届かないや」
 全くもって呑気な様子のさゆみに、アデリーヌは両手を腰に当てて小さな溜息をひとつ漏らすと、そのままさゆみの背後に回り、ゼッケンを付けてやったのだが、その内心、本当に大丈夫なのかという不安が更に湧き起こってきていたのも事実であった。
「出るからには、合格を目指さないとね……でも本当に、大丈夫なのかしら?」
「ん〜……多分何とかなるんじゃない?」
 あっけらかんと笑うさゆみに、アデリーヌは額の辺りに、軽い鈍痛のようなものを覚えた。
 やっぱり、心配で堪らなかった。

 ロッカールーム外では既に着替えを終え、メディカルチェックも済ませた者が数名、所在無さげに休憩用ベンチに腰を下ろしているのだが、その中でもふたりだけ、妙に浮いている男女の姿があった。
 セシル・フォークナー(せしる・ふぉーくなー)蚕 サナギ(かいこ・さなぎ)の両名である。
 見たところ、他のトライアウト生達と同じく、専用のユニフォームに身を包み、持参したグローブやらバットやらを、何となく居心地の悪そうな表情でいじっている。
 それもその筈で、実はこのふたりだけは、他のトライアウト生達とは異なり、葦原ホーネッツへの所属を希望していたのである。
 実のところ、今回のトライアウトはガルガンチュアとホーネッツの合同トライアウトを謳ってはいるが、実情は全く異なっており、ほとんどガルガンチュア専用トライアウトの様相を呈していたのである。
 練習試合に訪れた他球団選手を除けば、周りを見渡す限り、その大半がヴァイシャリー関係で占められている上に、スタンドに入っている観客達はほぼ九割方、百合園の女生徒達ばかりである。
 入団が決まる前、いや、入団テストを受ける前から既に、アウエーの洗礼を受けているかの如きであった。
「なぁんや、しょっぱなからきっついなぁ。わしら別になぁんも悪いことしてへんのに、こないに身ぃ縮めなあかんなんてどういうこっちゃ」
「おまけに、葦原ホーネッツの関係者の方がまだ、どなたもいらっしゃらないというのも、本当に不安になるといいますか……」
 サナギのぼやきに対し、幾分のんびりした口調で応じるセシル。
 と、そこでサナギはセシルの顔をまじまじと覗き込みながら話題を変えてきた。
「せやけどキミ、野球やってますー! って顔してへんよね。どっちかっちゅうたらお嬢さん系やんな」
「あらぁ、そうですか?」
 ほほほほほ、と笑ってみせるセシルだが、彼女の本質を知らない者は得てして、サナギのような見方をするものらしい。
「こう見えても、野球大国アメリカの出身ですの。ニューヨークに住んでた頃は、よくヤンキースの試合を観に行っていましたし、きっと大丈夫だと思いますわ」
「へぇー、そうなんや」
 と、そこへ、いささか慌てた様子で、ひとりの少女が周囲をきょろきょろと見回しながら、足早にロッカールーム前を通り過ぎようとしていたのだが、サナギとセシルの姿を認めると、素早く転進して近づいてきた。
 何事かと顔を見合わせるサナギとセシルであったが、その少女椿 椎名(つばき・しいな)は妙に焦った顔つきで口早に問いかけてきた。
「なあ、ここら辺で獣人の娘っこを見なかったか? 名前は、ソーマっていうんだが……」
 しかし、今回初めてこの百合園女学院・第三グラウンドを訪れたサナギとセシルには、ソーマの居所など分かろう筈も無かった。
 いや、厳密にいえばセシルはロッカールーム内でソーマを一度見かけているのだが、ほとんど気にも留めていなかった為、まるで覚えていないというのが正確なところであった。
「申し訳ありません、ちょっと覚えがありませんわ……」
「うーん、そうか」
 流石に手詰まり感が漂う椎名の面を、サナギがつと立ち上がって横から覗き込む。
「何かあったんかいな?」
「いやぁ……簡単にいえば、迷子なんだがね」
 勿論迷子になっているのはソーマの方なのだが、実は椎名自身も、この第三グラウンドの敷地が意外に広かった為、いささか迷い気味になっていた。
「ったく、どこ行ったんだよ、ソーマの奴……」
 尚もぶつぶついいながらロッカールーム前を去ってゆく椎名。
 まさか、すぐ目の前のロッカールーム内で、そのソーマがトライアウト生に間違われてユニフォームに着替えている最中だったなどとは、予想だにしていなかった。