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●情熱は隠し味

 何を隠そう、隠したわけでもないけれど、光智 美春(こうち・みはる)は美緒と幼なじみなのである。
 正確には、小学生時代からの仲なのだ。その頃パーティーで何度か顔を合わせて一緒に遊んだことがある。交際が中断していた時期もあるものの、クリスマスカードなどのやりとりはずっと続いていた。
 本日、百合園女学院を訪れ、ぶらりと歩んでいた美春は、なにやら料理にとりかかっている美緒に気づいた。
 呼びかけようと進んだところで、これまた旧知の少年とばったり出くわした。
 柔和な顔つき、理知的な眼鏡、その奥の綺麗な目……フィリップ・ベレッタだ。
「久しぶりだね! 熟練者フィリップくん、元気にしてた?」
 カレーをよそっていたフィリップは頭を下げて、
「熟練者じゃないですってば。光智さんこそお元気そうで」
「まあ、元気だけど暇ね。ちょっと見ないうちに君もたくましくなったね」
 重そうな鍋を運んでいるフィリップに、
「それ、作ったところ?」
「ええ。できたばかりです。いまから小皿に入れて配ります。いかがですか?」
「喜んで!」
 そのとき美春は、フィリップの両側にいるフレデリカと花音に気づいた。二人とも、さりげなく彼と距離を詰めている。
(「ははーん……」)
 思い当たるところがある。美春はいたずらっぽく笑って、鍋を持つフィリップの手に自分の手を重ねた。
「ごちそうになるのに力仕事までさせら悪いよ。鍋、運んであげる」
「いえいえ、いいですよ。任せて下さい」
 美春はごく自然、フィリップも少々照れ気味だが自然、しかし花音は「むっ!?」という顔をしたし、フレデリカも内心穏やかではなさそうだ。
(「なるほど、彼女たちのどちらかがフィリップ君のガールフレンドだね……いや、まだその座を争っているところかしら?」)
 ごめんごめん、と言いつつ、美春はフィリップに二人の紹介を頼んだ。
 美人というい形容詞の似合いそうなフレデリカ、可愛いと言いたくなる花音、どちらもフィリップに似合いそうだ。
 黒いカレーは和風の味付け、生姜の甘みも心地良い。
 カレーを食べつつ、お姉さんっぽく美春は彼に言う。
「どちらでもお似合いだと思うけど、ちゃんと自分で選ばないとダメよ」
「何の話です?」」
「え? カレーの付け合わせの話。福神漬けか、らっきょうか」
 はぐらかしのテクニックなら美春は少々のものだ。さっと振り向いて彼女は美緒に問うた。
「お久しぶり! というわけで美緒もどちらか教えて、らっきょうと福神漬け!」
「えーと……わたくしは、ピクルスですかしら」
「ぬぬ、ピクルスか……やるな」
 妙な口調で美春はニヤリとした。

 ついに使うときがきた、とばかりに高務 野々(たかつかさ・のの)は腰のポーチから次々と小瓶を取り出した。
 秘密の小瓶のその中身は、オレガノ、ローズマリー、カルダモン、ナツメグにセージにターメリック、クミンもあればタイムもあって、ブラックペッパー、コリアンダー、隠し味用オレンジピールも用意している。まさしくスパイスの倉庫、スパイスの何でも屋だ。
「というわけでお手伝いに来ましたよ!」
 至れり尽くせるメイドこと、野々は人々の鍋を手伝って回るのだ。
 スパイスが足りない、という人には小瓶を差し出し、「ひと味足りないかな」と迷える料理人にもさっと一振り、カレーの味はスパイス加減で変化するものだ。むしろ、スパイスの足りないカレーはとても物足りない味になってしまう。
「基本となるカレー用スパイスミックスも作りました。試してみて下さい」
「じゃあ、一つもらっていいですかぁ?」
 冬蔦 日奈々(ふゆつた・ひなな)が、野々にぺこりとお辞儀した。
「ええ、どうぞどうぞ。辛すぎないけれどしっかりコクのあるミックスですよ」
 野々特製スパイスを手に、日奈々は自分の鍋の所にもどった。
「千百合ちゃん………包丁、終わりましたかぁ……?」
 冬蔦 千百合(ふゆつた・ちゆり)に声をかけると、
「まだやっているとこどろだよ。他の野菜は終わったけど、念入りに玉ねぎを刻んでるんだ。飴色に炒めた玉ねぎはルーにコクを与えるってよく聞くし……」
 トントントントン包丁の音を上げて、トントントントン、玉ねぎをサクサクみじん切りにしながら千百合は答えた。
 ところが振り向いた拍子に手が滑ったか。
「……痛っ、指切っちゃった」
 千百合の包丁が、彼女の指をほんの少し傷つけていた。
「って、千百合ちゃん……大丈夫、ですかぁ……?」
 口調こそ間延びしているが日奈々は大至急かけつけて、
「舐めて、消毒、しないと……」
 千百合の指を口に含んだ。
「ん、ちゅ……ちゅぱ……」
 綺麗に舐め取って止血する。
 千百合に痛みはなかった。ただ、くすぐったいような愛おしいような、そんな目をして日奈々を見つめた。
 やがて刻んだ玉ねぎを炒め、野菜を、煮込んで肉を入れて。
 次の過程で、またまたハプニングが起こった。
「いよいよルーを入れて、ですねぇ」
 とルーを鍋に投じた日奈々は、勢いよくやりすぎて水が跳ね、頬に鍋の中身が少しだけかかった。
「って日奈々、顔に飛んでるよ」
 今度は千百合の晩だ。腕を日奈々の腕に絡め、抱きつくようにして、桃色の舌でぺろっ、と彼女の頬のものを舐め取った。
 二人の甘い雰囲気が鍋にも入ったか、カレーは少し甘口となった。