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●ローラとカレー

 さまざまな生徒によるさまざまなカレー作り。
 ここにローラ……ことクランジΡ(ロー)の姿もあった。彼女は長い黒髪を縛って三角巾を被り、エプロン姿で鍋の前に立っている。鍋には、おだやかな色のカレーがふつふつと煮えていた。ご飯もお釜で炊けたようだ。
「料理、むずかしい。でもカレー、できた。美羽のおかげ」
 小柄な小鳥遊 美羽(たかなし・みわ)と長身のローは四十センチ近い身長差がある。見上げなくては美羽はローを見ることができない。けれど見上げたローには日だまりのような笑みがいつもあって、美羽は自分まで嬉しくなるのだった。
「ローラが頑張ったからだよ。私は手伝いをしただけ」
「美羽、教え方上手。料理も上手。ワタシ、あこがれる」
「そんな褒められると照れるなぁ……」
 と笑う美羽に、自分の鍋をかき混ぜている山葉 涼司(やまは・りょうじ)がさりげなく茶々を入れた。
「知っておいたほうがいいぞ、ローラ。教師が良かったからいっぱしの料理人に成長したとはいえ、もともと美羽の料理は、それは恐ろしいものだった」
 まだ美羽が上達する前、彼女が家庭科実習で作った謎料理を涼司は味わった記憶があった。
 あのことを思い出すと、涼司はいまでも寒気がするという。
「恐ろしい? どう恐ろしい?」
 ローラが首をかしげるので、
「ま、まあ人に歴史あり、といったところね……」
 美羽は明言を避けた。
 一方、美羽のパートナーベアトリーチェ・アイブリンガー(べあとりーちぇ・あいぶりんがー)は、
「どういたしまして」
 と一言礼を忘れないのだった。涼司が口にした『教師が良かった』がベアトリーチェのことを指しているのは言うまでもない。
 そんなベアトリーチェが作っているのは、難易度の高いグリーンカレーだ。
 大量のほうれんそうペーストを使ったもので、絶妙のスパイスがが配合されている。また、水は使わず牛乳で似ているのも特徴だろう。具にはチキンティッカ(鶏肉をスパイスで焼いたインド料理)を使用し、ご飯もオレンジ色が嬉しいサフランライスだった。黄色いライスに緑色のカレーのこの組み合わせは、いわゆるサグチキンカレーとなるだろう。
「ところで」
 人差し指を立てて美羽はローに言う。
「ローラと作った甘口ビーフカレー、基本的にはこれで完成だし美味しいと思うけど、ひとつ手を加えさせてもらっていい?」
「どうする?」
「アレンジよ。見ててね」
 美羽は皿を出した。深みのあるグラタン皿だ。
 そこに炊きたてのライスを盛り、完成した甘口カレーをかける。
 そのまま食べるのではない。薄切りビーフを持ってきて、グラタン皿にフタをするのだ。
 そしてこれを、野外に設置された一つきりのオーブンに入れた。
「これで焼けば、特製焼きビーフカレーの出来上がり!」
「すごい! すごい!」
 ローラは素直に喜んだ。
 やがて完成した焼きカレーを見て、その喜びもひとしおとなった。ローラは子どものようにバンザイした。
「このカレーだったら薄切りビーフがカリっと焼けて、まるでビーフ……」
 まで言ったところで美羽は口をつぐんだ。
 ローラが、泣きそうな顔でビーフを見ていたからだ。
 まるでビーフジャーキー、と美羽は言おうとしたのだった。ビーフジャーキーといえば、思い出されるのは一人のクランジだ。
 クランジΠ(パイ)、先日までずっと、ローと行動を共にしていた少女型機晶姫である。
 狙撃に遭い重傷となったローを蒼空学園に委ね、「自分と一緒にいると危険」とパイは去った。
 その後のパイの足取りはつかめていない。
 何度かの大手術を経てローは一命を取り留めた。その後、苗字のない『ローラ』という仮名で山葉涼司の秘書をしている。ローだって事情は理解しているのだが、納得しているかといえば話は別だった。
 しかしローラは気丈にも、首を振って笑顔に戻った。
「あの人、知ってる。あの人、有名人」
 ローラが指すを見ると、それは蒼空学園の前学長御神楽 環菜(みかぐら・かんな)であった。今日は夫を伴わず一人で来ているらしい。
 今日は百合園女学院を舞台にしているゆえ、綺麗どころが多い。しかし、そんななかであっても環菜は美しい――ベアトリーチェはそう思わずにはいられなかった。死を乗り越えたからだろうか、一種菩薩的な神々しさすら環菜からは感じられるのである。
「エリザベートに呼ばれてね」
 あいさつを交わすと、環菜は彼らのカレーを見た。
 涼司は本格派の黒カレーだ。あめ色を超えて、液体になるまで玉ねぎを炒めつくして作ったという懲りようだ。ラム肉を入れて、その鉄分でもカレーを黒くしている。
 ベアトリーチェのサグチキンカレーも完成したばかり。その緑色が目にも嬉しい。
 そして、美羽とローラの焼きビーフカレーだ。
「試食させてもらっていいかしら?」
 もちろんです、とベアトリーチェは言った。
「蒼空学園の歴代校長三人に食べてもらえるなんて光栄の至りですよ」
「三人?」
 ローラが問うと、
「ええ、初代校長の環菜さん、二代目校長の涼司さん、そして、三代目校長の美羽さん……」
 無論冗談だが、本当にそうなっても言い、とちょっとベアトリーチェは思っている。
「そりゃいい。俺、引退して美羽にかわってもらうかな」
 涼司が笑い、
「あら、そうすると四代目はローラかしら」
 以前と違い、このところジョークに富む会話もできるようになった環菜も笑った。

 そんな優雅な人たちを、ローリー・スポルティーフ(ろーりー・すぽるてぃーふ)が、うっとりした表情で見ていた。
「ああ、あちらこちらからちらほらと、聞こえてくるのは美しいお嬢様言葉……『ごきげんよう』『ごめんあそばせ』『ごきげんうるわしゅう』……これがお嬢様の楽園、百合園女学院なのだね!」
 うっとりするばかりではなく、自分の胸を抱くようにして舞い上がっていた。ややもするとこのまま浮き上がってしまうのではないか、という気がするほどに。
「……そんなベタベタな言葉使い聞こえないけど」
 とツッコミの声がするが聞き流す。
「やはり百合園女学院を選んだのは正解だったね! あとは百合百合できれば完璧! マリちゃんもそう思わない?」
 ところがさきのツッコミの主マリー・ランチェスター(まりー・らんちぇすたー)ときたら、実に平板な口調で言うのである。
「いや、別に……わたくし、ついでに来ただけだし」
「マリちゃん!」
 これにローリーはしかめっ面をした。
「今までの暮らしで欠けてるものを補う、それがこの学校なら叶うはずなんだよ! マリちゃんも精進するんだよ!」
「うーん……どうかなあ」
 一本三つ編みの髪をくるくる丸めて後頭部に止めた状態で、とにもかくにもマリーは野菜をきざみはじめた。
「それはそうとして今日の目的、カレーを作らないとね」
 マリーの手際は決して悪くない。むしろ機械的で正確なのだが、逆に言うとそれだけで、無言無表情、ちっとも楽しそうに料理をしていない。ピーラーで人参の皮を剥くときもこれは同じだ。
「マリちゃん! 笑顔が足りない! そんなんじゃ駄目! もっと楽しそうにしなくちゃ!」
「え、なんで?」
「いや、みんなで楽しくお話しながらカレー作りしたい、というのが今日の目的であるわけじゃない!?」
「栄養になるという結果が同じなら作業効率重視の何がイケナイの?」
 夢見がちなローリーと正反対で、マリーは大変現実主義なのである。
 てーい、とローリーは首を巡らすや果敢に、妙なギャル言葉で近くにいたローラたちに話しかけた。
「ロリちゃんわぁ、マリちゃんがカチコチすぎるんじゃないかなーと思うけど、ローラちゃんや美緒ちゃんはどう思う?」
 ぶいっ、と決めポーズまで見せてしまう。
「え? あー……あなた、誰?」
 いきなり話しかけられてローラは目を丸くした。
「ええと、百合園のかた、ですわよね?」
 美緒も問う。
 そーだよぉー、とローリーはまたまた笑顔で、
「ロリちゃんわローリー・スポルティーフって言うの。こっちはツレのマリー・ランチェスター」
「ツレって……」
 マリーは何か言おうと思ったが、すぐにそんな気がなくなってきて黙った。
 よろしくー、ということで、なんとなく美緒やローラと親しくなったローリーである。この辺の社交的なところだけは、マリーも評価はしている。
 でも、やっぱり納得できないところもあった。
「途中の会話や色々が最高の調味料なんだよー、って言われても……」
 これからの学園生活、こういう「一見ムダなところ」から得るものが出てくるのだろうか。
 本音をいうなら、ローリーの根拠なき自信がちと不安なマリーなのだった。