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【九 思わぬ再会】

 再度、視点を地上に戻す。
 デラスドーレの街中を徘徊し尽くし、肉体的にも精神的にもすっかり疲れ切ってしまったあゆみは、中央広場の噴水脇ベンチで、若干だらしない姿勢で腰掛けていた。
 一方のおなもみはほとんど疲労らしい疲労の様子は見せず、あゆみの隣に腰を下ろして、中央広場近くの売店で購入した肉まんをもしゃもしゃと頬張っている。
 と、そこへフォーチャフ・ストーンウェル長官が数人の従者や衛士を率いて、中央広場に姿を現した。
 ストーンウェル長官は周辺をしきりに見廻していたが、あゆみとおなもみの姿を認めると、幾分ほっとした表情を浮かべながら足早に近づいてきた。
「おぉ、良かった。皆が皆、地下に潜ってしまっておったら、どうしようかと思っていたよ」
「ほぇ? 長官さん、あゆみ達に、何か用?」
 やや気の抜けた声で応じつつ、あゆみはベンチの背もたれに預けていた上体を起こし、緊張感の欠片も無い顔つきでストーンウェルの頑健な長身を眺めた。
 すると、ストーンウェル長官は従えていた従者達の間から、ひとりだけ妙に浮いた格好の人物を手招きし、あゆみ達の前に引き出した。
 現れたのは、全体に黒っぽい色合いのスーツを纏い、サングラスで目線を隠した長身の男性である。おなもみはこの人物が何者なのかよく分からなかったが、あゆみは余程驚いたのか、飛び上がるような勢いでベンチから立ち上がり、素っ頓狂な声を上げて、その人物を正面から指差した。
「あーーーーーーー! あ、あんたは、エージェント・ギブソン!?」
「おや、どなたかと思えば月美あゆみ嬢ではありませんか」
 あゆみが驚いたのも、無理は無い。
 その男ジェイク・ギブソンは、あゆみがよく知っているように、マーヴェラス・デベロップメント社のテクニカル・エージェントである。
 元々オブジェクティブは、このマーヴェラス・デベロップメント社が開発した仮想構成界築造エンジンフィクショナルによって構築された仮想世界を根城とするコンピュータ・ウィルスであり、そういう意味ではマーヴェラス・デベロップメント社がオブジェクティブ誕生の一因を担っていたといっても過言ではなかったが、オブジェクティブ達が電子結合映像体として現実世界に出現した今となっては、対オブジェクティブ技術を開発する数少ない存在にもなっていたのである。
 そしてこのエージェント・ギブソンは、オブジェクティブに関わる人物としては、恐らくマーヴェラス・デベロップメント社の中でも最も腕利きのテクニカル・エージェントであるといって良い。
 その彼が態々ストーンウェル長官を訪ね、デラスドーレの街に滞在するコントラクターの姿を求めて、あゆみ達の前に姿を現したというのである。
 あゆみは無意識に身構えつつ、むっつりとした表情でエージェント・ギブソンに表情の読めない端整な顔をじっと睨みつけた。
「……で、あゆみ達に何の用?」
「スキンリパー以下、七体のオブジェクティブがヴァダンチェラ内にフィクショナル・リバースを構築したと聞きましてね……ひとつ、お役に立てるかと思い、このように参上した次第です」
「フィクショナル……リバース?」
 あゆみの頭の中で、クエスチョンマークが幾つも浮かんでは消え、浮かんでは消えを繰り返した。
 蒼空学園の日本史資料電脳閲覧室でフィクショナルが構築した過去世界を経験したことのあるあゆみだが、フィクショナル・リバースの何たるかについては、何ひとつ知らない。
「ま、分からないのも当然ですな。フィクショナル・リバースは設計理論だけが存在する未完成システムで、まだ発表すらされていない代物ですから」
 そのフィクショナル・リバースとやらを、スキンリパー達が完成させた、というのである。
「フィクショナルが電脳空間内に仮想世界を構築する技術であることはご存知かと思いますが、フィクショナル・リバースはその名の通り、逆の状態を造り出すシステムです」
 曰く、現実空間内に仮想世界を構築するシステム――それがフィクショナル・リバースだというのである。
 あゆみはあからさまに、胡散臭そうな表情を浮かべた。
 電脳空間に脳波を送り込んで、仮想世界を体験するというのは十分理解出来る理屈であったが、現実世界の物理的な空間を電子データで構成される仮想空間に置き換えるなど、一体どうやって実現するというのか。
 ところが、エージェント・ギブソンは涼しい顔で、あゆみの疑問を正面から受け止めた。
「技術的に実現可能かどうかは別として、理論そのものは極めて単純な話でしてね……連中は、コントラクターの技能のひとつである、物質化・非物質化を応用したに過ぎないのですよ」

 そもそも、コンピュータ・ウィルスは電子データの集合体に過ぎない。
 そしてオブジェクティブ・エクステンションは、空間上に投影した立体映像の表面部分に集積化物理接触点を形成し、耐久張力、荷重補正、質量ベクトルを合成することで、実際に存在する物質に限りなく近い空間生成物を創造する技術として研究が進められているが、未だ商用に耐え得るレベルには達していない。
 その未完成たるオブジェクティブ・エクステンションを、あのコンピュータ・ウィルス達はどのようにして完成させ、そして電子結合映像体として現実空間に姿を現せるようになったのか。
「それは奴らが、フィクショナル内で強奪したコントラクター達の脳波を利用し、物質化・非物質化の効果を付与することで、連中にしか制御出来ない技術として確立させたからです」
 それが電子結合映像体としてのオブジェクティブであり、フィクショナル・リバースである、という。
 現在、ヴァダンチェラ内はフィクショナル・リバースによって仮想世界に置き換えられており、そこに突入した物理的結合生物は全て、自身の知らぬ間に電子データ結合へと強制的に変換されてしまっているらしい。
 つまり、今ヴァダンチェラ内に居るコントラクターは全員、擬似電子結合映像体となってしまっているのである。
「でもさぁ……どうしてそんなことを?」
 おなもみが、至極尤もな疑問を投げかけた。対するエージェント・ギブソンも、これまた非常に分かり易い回答を口にする。
「脳波、でしょうな。連中はどうも、コントラクターの新たな脳波パターンを欲しているようです」
 コントラクター特有の技能や魔術等の発動パターンは既に数多くを採取済みではあったが、それ以外はまだまだサンプル数が足りない筈である。
 特に、危機的状況に追い込まれた際の爆発的な精神力を発揮した際の脳波は、ほとんど未採取であろう。
「そんなに脳波を掻き集めて……一体、何するつもりなんだろ?」
「これはあくまで私の推測ですが、連中は、コントラクターにより近い存在になりすまそうとしているのではないでしょうか」
 その理由はひとつ――Xルートサーバに近づく為であろう、というのがエージェント・ギブソンの推測であった。
「電子空間レベルでの接近は不可能ですし、ヴィーゴ・バスケスを操って接続端末に近づこうとした策も失敗したと聞いております。残る方法はひとつ……自分達自身がコントラクターになりすまし、直接Xルートサーバに接近しようと考えた……というのが、私の推測なのですがね」
 成る程、とあゆみは頷いた。
 オブジェクティブの究極の目的は、Xルートサーバ経由で地球に降下し、地球上のネットワークを支配下に収めることだと聞いている。
 そしてエージェント・ギブソンはオブジェクティブ研究ではトップクラスの知識を持っている人物であるのだから、彼がそのように推測するということは、それなりの判断材料を既に掻き集めているからと考えた方が自然であった。
「ギブソンさんのお話は、よく分かったけど……じゃあ、このデラスドーレには何をしに来たの?」
「フィクショナル・レストリクション・ユニットを持参しました」
 曰く、フィクショナルの仮想構成界築造エンジンとしての機能を完全にシャットアウトする空間制御を可能とするツールである、とのことであった。
 つまり、ヴァダンチェラ内に構築されているフィクショナル・リバースによる仮想世界を、強制的に解除することが出来るようになるのである。
「ストーンウェル長官のお話によれば、第一次、及び第二次の調査隊に参加したひとびとが行方不明になっているそうですね……まず、彼らを救出するところまで達成しましょう。フィクショナル・リバース内で意識を失ったままのひとが居る状態でこのツールを起動すると、彼らもろとも仮想世界を消してしまいます」
 フィクショナル・リバース内では脳波が認識状態にある――即ち、意識がある状態で擬似電子結合映像体を形成していなければ、仮にこのフィクショナル・レストリクション・ユニットで強制的に仮想世界を分解してしまうと、非認識状態の脳波も一緒に分解されてしまうのである。
 それでは、調査隊の捜索・救助へと向かった第一班の目的がほとんど達せられないということになる。
「それじゃ……第一班の皆に、急いで貰わなきゃ!」
「ええ、そうです……申し訳ありませんが、直接彼らの尻を叩いて、急がせて貰えませんか」
 エージェント・ギブソンにいわれるまでもなく、あゆみは慌てて銃型HCを取り出し、第一班に参加している理沙に連絡を入れた。

     * * *

 ヴァダンチェラ内が仮想世界に置き換わっている事実を完璧に把握し、認識している者は、まだ然程に多くはない。
 増してや、七人の悪魔達を死闘を繰り広げている第二班にとっては、自分達の居る空間が電子データによる偽りの世界であるということは、余り重要ではない。
 彼らにとって何よりも大切なことは、立ちはだかる七人の悪魔達を確実に撃破する、というその一点に尽きるといって良い。
 既に半数以上の実験房は突破され、パイルファング、スカイブラッド、ヴォーパルクロー、マッスルブレイズの四体は撃破されていたのだが、更に今、ゴーストウィンガーも倒されようとしていた。
 但し、既に倒された四体とは異なり、この不気味な中年男性とゴキブリを合成させたような外観の怪人は、蛆殺房から飛び出し、各実験房の出口扉が並ぶ回廊に戦場を写して、真人、セルファ、類の猛攻を何とか振りきろうとしていた。
 既に突破を決めていた第二班の面々は、いきなり現れたゴーストウィンガーが場外戦を展開し始めた為、随分と驚いた様子を見せたが、真人達が続いて蛆殺房から飛び出してきたのを見て、今尚、彼が戦闘中であることを即座に認識した。
「すみません! 奴の退路を、塞いで貰えませんか!?」
 真人が大声で呼びかけてくると、ルカルカと加夜が即座に反応し、ゴーストウィンガーの背後に走り込む。
「逃がさないからね!」
「ここから先は、通しません!」
 直後、ゴーストウィンガーが振り向きざまに、大きく開いた口から肉食性凶暴ゴキブリの群れを宙空に放ち、これをまともに受けたルカルカと加夜は真っ青になって悲鳴をあげた。
「えぇい! たかだか虫如きに、何を尻込みしている!」
「んなこと、いわれたってぇ!」
 ハーティオンが巨躯を走らせて、大量に飛び交う肉食性凶暴ゴキブリの群れへと突っ込んできた。
 ルカルカと加夜は幾分、腰が抜けたような格好でハーティオンの背後に、慌てて逃れる。
「火を使う! 下がってくれ!」
 類が手にしていた日本酒を口に含んで霧状に噴き出すと、即座に轟雷閃を放って即席の火炎放射器を演じてみせた。
 彼の狙いはぴたりと当たり、薄闇の中を縦横無尽に飛び交っていたゴキブリの群れは、半数近くが焼け落とされて、石床にみじめな焼死体となって次々と落下する。
 一方、ゴーストウィンガー本体は、セルファに叩き落されたところへ、真人の炎の魔術による怒涛のような攻撃を受け、遂に力尽きた。
 それまでゴーストウィンガーの全身を構成していた電子データが、明るい緑色の粒子となって宙空に飛散し、消え入るようにして消滅したのである。
 真人は術を完成させたままの低い姿勢で、ふぅ、とひと息入れた。
 傍らに、やっと嫌なものから解放されたといわんばかりのセルファが小走りに寄ってきて、幾分げんなりした表情ながらも、素直に勝利を喜んだ。
「やぁっと、あの気持ち悪いのから解放されたわね……もう、二度とお目にかかりたくないわ」
「まぁ……それは、セルファだけじゃないでしょうね」
 真人は苦笑しながら、未だ腰が抜けているルカルカと加夜を見て、苦笑を漏らした。
 これで、五体目の悪魔が撃破されたことになる。
 逃げ去ったフェイスプランダーは除くとして、残るは敵は、スキンリパーのみとなった。
「確か、臓殺房、だったな……大丈夫かな。一番手強そうな奴に思えるんだが」
 コウが幾分、心配そうな面持ちで、臓殺房の出口扉に視線を据える。
 他の面々も同様に、不安げな表情を同じ方向に向けた。
「きっと、馬場さんが何とかしてくれるさ。その為に、予備戦力として後ろに控えてて貰ったんだからな」
 カイの言葉には、正子を信頼する力強さと、スキンリパーの力量を未だ推し量れていない不安とがない交ぜになっていたが、それでも彼は、残りの仲間達が臓殺房を突破してくれるものと信じていた。