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イルミンスールの怪物

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イルミンスールの怪物

リアクション

「さすがだ――貴方はよくわかっていらっしゃる」

 と、ラムズに応える声が鉄格子の外から聞こえてきた。
 見れば、白衣を着た男がそこに立っていた。
 その白衣の男は眉を上げてわざとらしい笑みを顔に浮かべると、ラムズに向かって軽く会釈をする。

「捕まえた時にもしやとは思ってわざわざここに足を運んで見たのですが、やはりあなたはラムズ・シュリュズベリィ博士でしたか」
「私のことをご存知とは……奇特な方ですねぇ」
「何をおっしゃいます。イルミンスールのクトゥルフ神話学科主任といえばクトゥルフ神話学者の間で知らない者はいませんよ」

 白衣の男にそう言われ、ラムズは自嘲するような笑みを口元に浮かべた。
 彼は後天的解離性健忘という病気を患っており、一日ごとに記憶が白紙に戻る。
 だから自分の名声が世間に轟いていようとも、彼はそれを一切覚えていない。
 ただなぜか、クトゥルフ神話についての記憶だけは呪いのように彼の頭から離れることがなかった。
 そんなラムズは、視線を白衣の男に向けて淡々と話し始める。
 その内容は彼の行なっている研究をやめるようにと、説得するものだった。
 だが白衣の男はその話を一笑に付す。

「貴方ならてっきり僕の研究の素晴らしさを理解していただけると思っていたんですが、まさかそんな事を言われるとはねぇ」
「そうですか。貴方なら私の話を理解していただけると思ったのですが……残念です」

 ラムズはため息をつくと、前のめりにしていた体を壁にあずけた。

「どうしてこんな事をするんですか?」

 と、八重が白衣の男を睨みつけながら言った。
 すると白衣の男はニヤリと口元を歪める。

「どうして? それは愚問ですね。化学は世のため人のために行われるもの――違いますか?」
「人を捕まえるようなことまでしておいて何が世のため人のためよ……よくそんなことが言えるわね!」

 思わず激しい口調になって八重が叫ぶ。
 だが、白衣の男はまったく動じた様子を見せず、うすら笑いを浮かべて言った。

「キイロタマホコリカビという粘菌をご存知ですか? 彼らは生命の危機に瀕すると、自分たちの遺伝子を残すために協力をする。己の命をかけて、たった一握りの胞子を飛ばすためにねぇ」
「それがなんだって言うんだ?」

 壁の文字と格闘を続けていた進一が首をひねって白衣の男を訝しげに見つめた。

「わかりませんか? いまの人間(われわれ)に足りないのは危機感なのです。それがないから原始的な生物さえ行う協力を忘れ、無用な争いを繰り返し、人の進化は止まっている。
 だから僕は人のさらなる進化を促すために、どんなボンクラにでもわかる実体をもった”圧倒的な危機”を生み出そうとしているんです……すべてを滅ぼすほどの力をもった究極のモンスターをね」

 クククっ、と噛み殺した笑いを浮かべる白衣の男。
 ふむっ、と唸ってラムズがつぶやいた。

「なるほど、それで貴方は無貌の神の儀式を……」
「その通りです。まだ研究の途中なので上手くは行きませんでしたが、それなりのデータは取れました。
 貴方たちに見つかってしまったので場所を移さなくていけませんが、次こそは……おっと、忘れていました。貴方たちにも僕の研究に協力していただく予定ですので、よろしくお願いしますね」
「あのー、もしかして僕たち、実験材料なのですか?」

 白衣の男の話を聞いた伊織は、おずおずしながら声をあげた。
 そんな伊織の問いに、白衣の男は恐ろしい笑みを浮かべる。

「はわわっ、このままだと実験材料行きなのですよー」

 男の表情からすべてを悟った伊織は、目に涙を湛えながらそう言った。
 そんな伊織とは反対に、落ち着き払っているラムズが口を開く。

「捕まってしまったので、それも仕方ありませんかね」

 ラムズの思わぬ言葉に白衣の男は浮かべていた笑みを消し、不審な眼差しを彼に向ける。
 そんなことなどお構いなしにラムズは話を続けた。

「そうだ。まずは最初の実験体に彼女などいかがですか? ”有名な”私のお墨付きですよ」

 ラムズが顎をしゃくって指し示したのは彼のパートナーであるシュリュズベリィ著 『手記』(しゅりゅずべりぃちょ・しゅき)だった。
 女性の姿をした魔道書は、いきなり恐ろしい指名をされたにも関わらず、驚いた様子も見せずにじっと白衣の男を見つめている。

「ふっ――ふははははっ!」

 と、白衣の男が声をあげて笑い出した。
 だが次の瞬間――その顔がおぞましいまで醜く歪む。

「ラムズ・シュリュズベリィ。残念ながら最初の実験体はその女じゃない……お前だ! 首を洗って待っているんだな」

 そしてそう言い放つと白衣の男は牢屋の前から立ち去っていった。

「ダメでしたか」

 白衣の男がいなくなるとラムズはぽつりとつぶやく
 捕まっている生徒の中でも特に強い魔力を持った魔道書である『手記』を特殊なこの牢屋の外に出せば、ここに書かれた魔術式の影響力も少しは減少するはず。
 そうなれば、あとは『手記』が本気を出して暴れてくれるだけでいい――そう思っていたラムズだったが、その考えは上手くいかなかった。
 自分の主であるラムズのそんな考えを察していた『手記』は、彼を慰めるように言った。

「まあ、腑抜け頭にしてはようやったと褒めてやろかのぅ」
「それはどうも」
「しかし、主よ。先程は黙って聞いておったが、彼奴を説得する意味などあったのか? 我には彼奴は既に狂気に魅入られているとしか思えなかったが……」
「もちろんですよ。誰であれ、やり直す機会は必要ですからね」
「……主の事だ、それだけではあるまい?」
「ええ……」

 ラムズは下を向いて両手を握り合わせる。
 そして自分に問いかけるかのように彼はつぶやいた。

「もしかしたら彼は……かつての私の姿なのかもしれません」