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【八 熱狂と歓声と立ちはだかる壁と】

 次は、弥涼 総司(いすず・そうじ)紫月 唯斗(しづき・ゆいと)のシングルマッチが開始される筈であった。
 ところが――。
「ひゃっは〜! その試合、我々シャンバラ維新軍が預かるのだ〜!」
 突如乱入してきた、シャンバラ維新軍を名乗るふたりの女性レスラー、即ち屋良 黎明華(やら・れめか)ポータラカ大雪原の精 エステリーゼ(ぽーたらかだいせつげんのせい・えすてりーぜ)が、総司と唯斗を相手に廻しての、変則タッグマッチを申し入れてきた。
 セーラー服ベースのリングコスチュームでジュリ扇をひらひらと振る黎明華の姿に、客席からはやんやの喝采が上がる。
 一方のエステリーゼは青い鷺のマスクを被り、このリング上ではブルー・タスクというリングネームを名乗っていた。
 このふたりの出現を受けて、レフェリー正子は一瞬困ったような表情で本部に視線を向け、次いで、総司と唯斗に顔を向けた。
「本部は、当人さえ良ければ変更しても良いといってきておる。うぬら、どうする?」
 正子の打診を受け、まず総司が首を縦に大きく振った。
「オレは寧ろ、望むところだ。こんなむさくるしい野郎相手に、真面目にやってられんよ」
「……やれやれ、随分ないわれようだ」
 女性との絡みを露骨なまでに希望する総司に、唯斗は苦笑しながら小さくかぶりを振る。勿論、総司がそのつもりであれば、唯斗とて付き合うしかない。
 かくして、総司・唯斗組の急造ペアと、黎明華・エステリーゼのシャンバラ維新軍ペアによる、変則タッグマッチが急遽開催される運びとなった。
 この試合では両軍とも全員がリングインし、それぞれに常時、試合権が与えられる。つまりタッチによる交替を必要とせず、相手チームのどちらを仕留めても良いというルールであった。
 ゴングが鳴ると同時に、まず総司が、ボディラインがくっきりと浮き出ているリングコスチュームのエステリーゼに飛びかかり、残る唯斗が黎明華に挑みかかるという形になった。
 だが、結果は最初から目に見えていたといって良い。
 総司・唯斗組は単に急造ペアであるというだけではなく、それぞれが全く息が合っていないことに加え、プロレスに参加する上で、致命的な発想ミスがあった。
 序盤のうちは、お互いに打撃を繰り出して相手の体力を削るというオーソドックスな立ち上がりから入っていったが、差が出てきたのは、矢張り中盤以降である。
 相手を倒し、勝利することのみに重点を置いた唯斗の攻撃は、確かに黎明華を一方的に攻め立てはした。しかし黎明華は最初から、得意とする受身を多用して相手の技を食らい続け、体力の消耗を最小限に抑えていた。
 対する唯斗は、中盤過ぎから完全に息が切れ始めていた。攻め疲れである。
 しかも、技を受けることを考慮に入れていなかった為、黎明華からのちょっとした攻撃にも、相当に体力を奪われるという有様であった。
 まさしく、プロレスの何たるかを強く意識していた者と、そうではなかった者との差である。
 一方、総司はエステリーゼを相手に廻してそこそこ良い勝負を演じてはいたが、夜の第二ラウンドを意識して体力を温存しようとしたのが、裏目に出た。
 プロレスに於いては、試合以外に気を取られて集中力を失ってしまった者は、えてして怪我をしてしまうものである。
「ほな、あてのこれを受けてもらいましょかぁ」
 たおやかな京都弁とは裏腹に、エステリーゼが仕掛けてきたフランケンシュタイナーは威力抜群である。
 これに対し、彼女のふくよかな股の間に側頭部を挟まれて一瞬の恍惚を味わってしまった総司には、受身を取るタイミングを計るだけの集中力は無かった。
 ややスタミナを失ったところで、唯斗が黎明華のサムソンクラッチに押さえ込まれると同時に、総司はエステリーゼのフランケンシュタイナーで昇天していた。
 3カウントを取られたのは唯斗の方だが、気分良く卒倒してストレッチャーにて運ばれていったのは、総司の方であった。
「何だか……ぱっとしない試合だったねぇ」
 勝ち名乗りを受けて咆哮する黎明華を眺めながら、唯斗は小さく肩を竦めながらリングサイドに降りる。
 その時、唯斗は鉄柵の向こうで、やや苦笑気味にリング上を眺めている多比良 幽那(たひら・ゆうな)の姿に気付いた。
「おや……あちらのおふた方の、関係者で?」
「えぇ、まぁ……そんなところね」
 唯斗に声をかけられて驚いたのか、幽那はいささか引き気味の様子で愛想笑いを返してきた。
 対する唯斗も、然程に興味を抱いたという訳ではなかった為、適当に相槌を打ってから、リングサイドから姿を消した。

 総司・唯斗ペアを撃破し、ひとまず一勝の成績を残したシャンバラ維新軍のふたりだが、止せば良いのに、この後に試合を控えている狩生 乱世(かりゅう・らんぜ)尾瀬 皆無(おせ・かいむ)にも挑戦状を叩きつけるという暴挙に出た。
「おぉぉっ! 来たか来たか! 戦えるなら何でも良いぜぇ!」
 指名を受けた乱世が、喜び勇んでリングへと飛び上がる。一方の皆無はあからさまにやる気のなさそうな顔つきで、のそのそとエプロンサイドから這い上がってきた。
「畜生……何で俺様がよぉ、こんなところに……」
 やる気満々の乱世とは対照的に、皆無は一刻も早く、この地下闘技場から抜け出したいという思いを全身で表現しており、戦う前から既に戦意喪失気味であった。
「おらっ! うだうだいってんじゃねぇ、皆無! ここで強敵倒しまくってがっちり鍛えりゃあ、女なんて幾らでも寄ってくるぜ!」
「いや、別にそういう趣味の子でなくても、女の子は一杯居るし……」
 しかし皆無の抗議は、乱世の耳には届いていない。
 周囲から押し迫る大歓声が阻害した、という訳ではなく、単純に、戦いそのものに対する否定的な声は乱世の耳には一切到達しないように出来ていたのである。
 乱世自身にとっては都合の良い鼓膜構造だが、皆無にとっては迷惑なことこの上ない。
 ともあれ、この試合も変則タッグマッチとして急遽組まれることとなり、レフェリー正子の要請に従い、本部がゴングを打ち鳴らした。
 乱世は、ただの戦闘狂ではない。彼女はこの直前に行われた試合を控え室のモニタールームで、じっくり観察していたのである。
 総司・唯斗ペアの敗因は、既に分かっている。同じ轍を踏むのは、乱世としても面白くはない。
「おらっ、行けぇ皆無!」
 乱世の作戦は、極めて単純であった。
 皆無を全面に押し立てて黎明華とエステリーゼの攻撃を一身に受けさせ、相手が攻め疲れてきたところを、奇襲をかけて一気に勝負を決める、というものである。
 当然この作戦には、皆無という犠牲を強いることになるのだが、今の皆無はすっかり及び腰で、とにかく逃げることだけを考えている。シャンバラ維新軍の猛攻を一手に引き受けるが、叩きのめされる前に上手く逃げ延びれば万事良しであった。
 いつも通りの黎明華とエステリーゼであれば、受けるプロレスをしてこない相手などに遅れを取ることなどなかったであろうが、いかんせん、連戦の疲れが響いている。
 中盤ぐらいまでは気合で皆無を追い回していたが、次第に疲れが重なってきて、動きが鈍くなってきた。
「あっ、しもたぁ〜」
 エステリーゼが、妙に間の抜けた声を放つ。
 見ると、乱世が背後を取ってジャーマンスープレックスの態勢に入っていた。エステリーゼが本来の実力を発揮していれば、上手く受身を取って3カウント直前で凌いだであろうが、疲れがピークに達していたのと、完全に不意を衝かれたこともあって、返すタイミングが一瞬遅れてしまった。
 正子の大きな掌がマットを三度叩き、意外な程あっさりと、勝負は決してしまったのである。
「おっしゃぁ! 勝ったぁ! 皆無! これでモテモテだぞぉ!」
「いや……俺様、ただ逃げ回ってただけだし……」
 歓喜のガッツポーズを決める乱世と、物凄く微妙な表情で、喜んで良いのかどうかすら分からない皆無の陰影が、酷く印象的だった。
「だから、いわんこっちゃない……」
 勝負の行方をリングサイドの客席で眺めていた幽那は、小さな溜息をひとつ漏らした。
「どうしたんだい、溜息なんてついちまってよ。随分と浮かねぇ顔じゃねぇか」
 選手用特設観覧席から、ラルクが大きな顔を振り向かせて、不思議そうな面持ちで覗き込んできた。幽那はラルクがいうように、浮かない表情で小さく肩を竦める。
「そう、ね。色々思うようにいかないことが重なっちゃって、つい溜息なんかも出ちゃうわよ」
 幽那は当初、アイドル司会者をさせて貰えないかと本部に打診してみたのだが、特定レスラーと個人的な繋がりのある人物を、公平性が求められる司会者に起用することは出来ないと断られてしまい、結局、一観客としてこのリングサイド席に陣取るだけに終わってしまっていたのである。
 であれば、せめてエステリーゼにはしっかりとした成績を残して貰いたいと考え、要らぬ欲は出さぬようアドバイスを送ってあったのだが、結果がこれである。
 溜息のひとつも、出てしまうというものであろう。
「ま、一勝はしてるから、良しとしますか……」
 小さくひとりごちながら、幽那は花道を退場して行く黎明華とエステリーゼに、幾分力の無い視線をじっと送り続けていた。
 リング上では依然として、乱世による歓喜のパフォーマンスが続いている。

 今宵の対戦カードも、ここまで順調に消化されてきている。会場のボルテージは更にヒートアップし、これから迎えようとしているセミファイナルに向けて、熱狂的な大歓声が大きく渦を巻いた。
 セミファイナルを戦うのは、渋井 誠治(しぶい・せいじ)皇 彼方(はなぶさ・かなた)の両名である。変則タッグマッチが二試合続いた為、久々に行われる極普通のシングルマッチである。
 先にリングインして彼方を待つ誠治の瞳には、ある種の決意めいた色が見え隠れしている。花道をこちらに向かってくる彼方の姿が見えた時、我知らず、誠治は両の拳を強く握り締めていた。
(彼方さん……オレの成長を、存分に見て貰いますよ……!)
 誠治にとって、彼方はクィーン・ヴァンガード時代からの尊敬する先輩であり、常にその背中を見て戦い続けてきた。
 その彼方を相手に廻して、誠治は今夜、持てる力の全てをぶつけようという覚悟を決めていた。
 やがて、彼方が花道を抜けてリングインしてきた。闘志を全面に押し出した厳しい表情に、誠治は心臓が大きく高鳴るのを感じた。
(凄い、プレッシャーだ……)
 喉がからからに渇き、呑み込む唾ですら沸いてこない。蛇に睨まれた蛙という表現は大袈裟かも知れないが、それでも彼方の射抜くような強烈な視線に、誠治の全身は僅かに震えた。
 この震えが、恐怖からくるものなのか、それとも武者震いかは分からない。或いは、彼方と初めて、正面切って戦えるという歓喜の震えなのかも知れない。
 プロレスという場を借りてのルールある戦いではあったが、誠治はパラミタに足を踏み入れて以降、恐らく初めて、一切の手加減も無い一対一の真剣勝負を、彼方に臨むこととなる。
 リング中央で、ふたりは互いに向き合った。
 レフェリー正子による簡単なルール説明の声も、今の誠治にはほとんど届いていない。彼の全神経が向けられている先は、目の前で仁王立ちになっている彼方そのひとであった。
 そして、ゴングが鳴った。
 誠治はまず、相手の出方をじっくり窺おうと考え、ローキックを中心とした打撃系の小技で牽制を加えるところから入ろうとした。
 ところが、相手の彼方はそんな誠治の発想など既にお見通しだといわんばかりに、いきなりタックルで突っ込んできてテークダウンを奪い、試合開始早々にグラウンドの展開へと持ち込んできた。
 完全に、出鼻を挫かれた。
 誠治と彼方は同じような年頃ではあったが、こと戦闘の経験に関していえば、彼方に一日の長がある。
 戦いが始まる前から相手の心理を読み切ってしまい、開始と同時に自分に有利な展開へと持っていく先手の打ち方は、誠治などでは到底及ばない老獪さがあった。
「渋井!」
 彼方が誠治の右脚を奪いながら、短く叫んできた。
「通り一遍の戦術で勝てる程、俺は甘くはないぞ!」
 その言葉通り、彼方の動きは本能的な反射速度で迫ってくる。誠治がアキレス腱固めを凌いだその直後には、既に彼方は誠治の背後を取っており、左腕をチキンウィングに固め、右腕を誠治の顔面に廻して、誠治の頭部左側でクラッチを決める。
 ほとんど一瞬にして、彼方はチキンウィング・フェイスロックを完成させていた。
 勝負は、ものの数十秒で決まってしまった。
 まさに秒殺――誠治は、試合前にあれこれ作戦を練って色々考えていたのだが、そのどれひとつもさせて貰えず、あっという間に勝負を決められてしまった。
(な……何も……)
 彼方の右腕をタップし、レフェリー正子の制止によって解放されたところで、誠治は勝ち名乗りを受ける彼方を、まるで別人を眺めるような思いで見つめた。
(何も、出来なかった……いや、させて貰えなかった、というべきか……)
 客席に笑みを湛えて手を振ってから、彼方はゆっくりと誠治の前に歩み寄ってきて、手を差し伸べた。
「またいつか、やってみるか?」
 自信に満ち溢れた笑みに、誠治はごくりと息を呑んだ。が、すぐに頭を切り替え、差し出された手を借りてすっと立ち上がると、誠治はややばつの悪そうな笑みを浮かべつつ、それでも確かに頷いた。
「是非また、手合わせ願います。その時までには、今日みたいな無様な負け方をしないよう、もっと練習を積んできますよ」
「死ぬ気で来いよ。俺だって、日々鍛錬を続けているんだからな」
 彼方の応えに、誠治は再び全身を大きく震わせた。
 この震えの原因は、自分でもよく分かっている。それは紛れも無く、武者震いと、歓喜の震えだった。