天御柱学院へ

蒼空学園

校長室

イルミンスール魔法学校へ

かしわ300グラム

リアクション公開中!

かしわ300グラム

リアクション


【一 特訓三が日と麗しのマダム】

 デュベール家の邸宅は、ツァンダの街の郊外、やや西方寄りの丘の麓にある。
 この付近は、草原と雑木林が延々と続くのどかな風景の中に、貴族屋敷が点在する地域として知られており、デュベール邸もまた、それら貴族屋敷の群れの中のひとつと数えることが出来る。
 イーライ・デュベールは、そんなデュベール邸に於いては現当主リーランド・デュベールに次ぐ地位にある人物だが、とにかく気が弱い上にどこか引っ込み思案で、悪いいい方をすれば若干拗ねた性格の持ち主でもあった。
 先般、彼は地球人小牟田 厚子(こむた あつこ)なる人物――マダム厚子と呼べ、と本人はうるさかったが――と契約を交わし、晴れてコントラクターの仲間入りを果たしたのであるが、その動機や経緯には、色々と眉を顰めさせるものが多かった。
 そんなイーライだが、彼を助けようと集まった大勢のコントラクター達が、デュベール邸の内外でそれぞれの思惑を働かせて、イーライのそれまでの日常をものの見事に一変させてしまっていた。

     * * *

 兎にも角にも、イーライを鍛えてやらなければ。
 富永 佐那(とみなが・さな)葛城 吹雪(かつらぎ・ふぶき)の両名は、若干手法や趣は違えど、イーライ自身の実力を底上げしてやらんとする発想に於いては、然程に大きな差は見せていない。
 勿論、方法論に関していえば、ふたりのやり方は全く異なる。
 まず佐那であるが、彼女は当初、高崎 朋美(たかさき・ともみ)と共にイーライを鍛えてやろうというプランを立てていたのだが、朋美との連絡が上手くついていなかったのか、何故か朋美はマダム厚子に弟子入りし、イーライを鍛えようというのではなく、自分自身を鍛える修行に出てしまっていた。
 朋美自身は、イーライが大切にしているという形見のネックレスを奪い返す為の技術習得と称して、マダム厚子と共に、ツァンダ郊外に最近出来たばかりのショッピングセンターに足を運び、バーゲンセールのワゴンに群がる客たちの間に、自ら飛び込んでいった。
 朋美の希望としては、出来れば空京のデパートや、マダム厚子の出身地である本場大阪でのバーゲン争奪戦に参加したかったのであるが、イーライとマダム厚子には遠出するだけの時間がなかった為、やむなく近場のショッピングセンターでの修行ということになった。
 そんな訳で、イーライの修行は佐那と、パートナーの北条 氏康(ほうじょう・うじやす)の担当、となったのだが、どういう訳か佐那と氏康も、イーライをショッピングセンターに連れ出しての修行を敢行していた。
 朋美がマダム厚子にくっついてバーゲンセールでの修行に汗を流す傍ら、イーライには、一階食品売り場でのタイムセールという戦場で経験を積んで貰おう、ということになったのである。
「イーライとやら。契約を果たせたのは素晴らしきことだが、最終的には、己自身の力で首飾りを取り戻さねば意味があるまい」
「あ……はぁ、そうですね」
 氏康の言葉には素直に頷いていたイーライだが、しかし矢張りどうにも、タイムセールでの争奪戦が本当に役に立つのかという疑問が、彼の面に如実に表れ出ている。
 これには氏康も苦笑を禁じ得ないところではあったが、しかし当の佐那は、腹の底から、この特訓には抜群の効果があると信じて疑わない節があった為、氏康としても下手にどうこういえなかったのである。
「まぁ、そんな顔をするな。佐那には佐那の考えがある。悪いようにはせぬよ……恐らく、な」
 氏康のフォローが、果たして佐那に通じていたのかどうか。
 タイムセール争奪戦の後、佐那はどういう訳かイーライを屋上へと連れ出し、子供向けのヒーローショーに、三下の悪役(要するに悪の戦闘員)という役柄で出演させるという手筈などを整えていた。
(イーライさんには、やられ方の見せ方を学んで頂かなくては!)
 佐那の発想には、根拠がある。
 即ち、相手(レックスフット)が強敵である場合には、イーライはやられた振りをして隙を窺う、という戦法を身につけるのが最も確実で理にかなっている、というのである。
 その為には、やられ方の見せ方に関してはプロ中のプロである戦闘員の動きを、体で覚えてもらうのが一番であろう。
「さぁイーライさん! このコスチュームに着替えて、ステージへGO!」
 凄まじくやる気満々の佐那と、物凄くやる気の無さそうなイーライの表情が、実に対照的ではあったが、それでもイーライは渋々ながらステージへと上がり、観衆の大半を占める子供達の嬌声に出迎えられ、必死に三下の悪役を演じようと頑張っていた。
「よしよし……その調子です、イーライさん。これが終わったら、更に特別な技を伝授してあげますからね」
 満足げな様子でステージ上の戦闘員イーライを眺める佐那だったが、不意に、それまでとはまるで異なる威圧感のようなものが、その傍らに突如として現出した。
 心臓が高鳴る程のプレッシャーを感じつつ、佐那が慌ててその方向に面を巡らせると、果たして、そこにマダム厚子の小太りにして妙に貫録のあるどっしりとした体躯が、そこにあった。
「あらま、イーちゃんあんなんに出とんねや。物好きな子やなぁ」
 マダム厚子であった。
 そのすぐ後ろには、幾分疲れた様子の朋美が、買い物袋を両手に下げて、肩で息をしながら佇んでいる。
「これはマダム……ご覧の通り、イーライさんは凄く頑張ってますよ」
「んまぁ何でもエエけど、怪我せんよう、しっかり見とったってや。あの子はこれからが本番やしな」
 マダム厚子に釘を刺され、何故か緊張した面持ちで頷く佐那であったが、その視線はすぐに、疲れた表情ながらどこか満足感漂う朋美へと流れていった。
「そっちの按排は、どうでしたか?」
「うん、まぁ、コツみたいなのは掴めたよ」
 マダム厚子からバーゲン品で狙ったものを絶対ゲットアタック一旦掴んだものは買い物全部決めるまで握って離しません防御を伝授された朋美は、掌の中に残る熱い魂の如き感触に、不思議な昂揚感のようなものを覚え、見ようによっては恍惚とした表情すら浮かべていた。
 最早ここまでくると、何をしに来たのかよく分からない――氏康は内心で呆れ果ててしまい、ひとり小さく、やれやれとかぶりを振っていた。

 ツァンダ郊外のショッピングセンターで色々揉まれてきたイーライだが、デュベール邸に戻った後も、彼に安息の時間は訪れない。
 今度は吹雪が、パートナーのイングラハム・カニンガム(いんぐらはむ・かにんがむ)と共に軍隊式のスパルタ訓練を用意して待ち構えていたのである。
「イーライ君! 真の強さを勝ち得るその日まで、戦いは続くのであります!」
「えぇ〜……僕、少し疲れてるんだけど……」
 如何にも軟弱者然としたイーライの表情やその口調に、吹雪は両の瞼をくわっと見開き、甲高い声で容赦無く一喝した。
「自分の命令には、ハイかイエッサーで答えるであります! そのような姿勢では、マダムに勝てないであります!」
「いや……僕は別に、マダムと戦いたい訳じゃ……」
 既に最初から、吹雪とイーライの会話は噛み合っていない。
 このままでは、イーライがダウンするのも時間の問題であろうと思われたが、しかしそこは、イングラハムがしっかりサポートする役割を自ら買って出ていた。
「大丈夫だイーライ君。我が常に、元気づけ、励ましてやろう」
 ナノマシン拡散で姿を消し、声だけでその存在感を現しているイングラハムに、イーライはぎょっとした顔を見せていた。
 イングラハムの発想はイーライの為を思ってのことであろうが、当のイーライにしてみれば、不気味なことこの上無かった。
「何や、イーちゃん人気者やないの。これやったら、放っといてもエエんちゃうの」
 中庭で、吹雪とイングラハムの特訓を課せられてヒィヒィいっているイーライを眺めつつ、マダム厚子はテラステーブルで優雅に(?)お茶しながら、呑気に笑っている。
 その同じテーブルには他に七瀬 歩(ななせ・あゆむ)大久保 泰輔(おおくぼ・たいすけ)レイチェル・ロートランド(れいちぇる・ろーとらんと)フランツ・シューベルト(ふらんつ・しゅーべると)といった面々が、マダム厚子を主賓として囲むような形で、それぞれの席を陣取っていた。
 但し、歩がイーライについて色々な話を振っているのに対し、泰輔達はどちらかといえば、会話そのものを目的としている節がある。話をしたいという思いは共通でも、その思惑には若干の差異が見られた。
「213円を値切るなら、『すぱんと200円にして!』からでしょう。そこでイーライ君が渋ったら、『しゃあない、210円に負けといたるわ!』と落とすところじゃないですか?」
 フランツが最初にそう水を向けると、マダム厚子は幾分渋い顔を見せた。
「何いうてんの。私ゃ安く買い叩たろとか思うて、まけてっていうたんやないで。たまたまこまいのが無かったから、3円だけまけてっていうたんや。大阪の人間の皆が皆、そんなケチ臭い頭でおるとか思わんといて」
 思わぬ逆襲を浴びたフランツだが、逆に泰輔は、そんなフランツの劣勢を逆手に利用し、マダム厚子を持ち上げにかかる。
「いやいやほんま、厚子はんのいう通りやで」
「厚子はんやないで。マダム厚子やっちゅうに」
 いきなり出鼻を挫かれた泰輔だが、しかしそこで簡単に引き下がる彼ではない。会話のテンポを失わぬよう、軽い調子で『マダム厚子』といい直してから、更に言葉を続ける。
「そんなんいうたかて、マダムもイーライのにぃちゃん不憫や思て、契約したったんやろ? そないな優しさまで、ごっつい化粧で隠さんで宜しいがな」
「にぃちゃん失礼やな。これのどこが厚化粧やねんな。私ゃそないな厚化粧で隠さなあかんほど、まだまだ落ちぶれてへんで」
 泰輔は、流石にちょっと挫けそうになった。
 どうも感覚そのものに於いて、年代という圧倒的な壁に遮られてしまっているらしい。
 しかし、ここでレイチェルがマダム厚子に味方するという形で、上手く助け舟を挟んできた。
「そうですよ泰輔さん、そういういい方は失礼に過ぎます……ところでマダム、先程は厨房で色々教えて下さって、ありがとうございました。お好み焼きの歴史なんかは、大変興味深かったです」
「せやろ、せやろ。あんたエエ包丁捌きしとったし、もうちょっと練習したら店出せるんちゃう? その気になったら私に教えてや。色々手伝ったるさかいな」
 フランツと泰輔の失点を、レイチェルの得点でカバーした形となったが、どうやらマダム厚子、レイチェルに関しては随分とお気に入りの様子。
 ちなみにマダム厚子は、日本では調理師免許を持っているとの由。レイチェルさえ良ければ、本当にお好み焼き屋を開業するのもやぶさかではないらしい。

 一瞬、間が空いた。
 ここが口の挟みどころだと悟った歩は、若干居住まいを正して、マダム厚子の異様に迫力のある面を、真正面から見据えた。
「マダム、少し真面目な話になりますけど……正直なところ、イーライさんをどのように見てらっしゃるんですか?」
 かしわ300グラムで3円まけるのは単なる口実で、最初からイーライを助けるつもりで契約を交わしたのではないか――そんな思いが、歩の中にある。実は泰輔も、同様の思いを抱いてはいたのであるが、歩に先を越された格好となった。
 これに対し、マダム厚子は穏やかな表情で、吹雪の猛特訓を浴びているイーライの貧相な横顔を眺めながら、口角を軽く緩めた。
「まぁ、何っちゅうかなぁ。年寄りのお節介ってやつやね。出来の悪い子ほど可愛いってとこやろね。あんなん見てたら、助けなしゃあないやん」
 やっぱり――歩は我が意を得たりの心境であった。
 マダム厚子は、最初からイーライを助けることが目的で、契約を交わしたのである。
 ただ、ずけずけと歯に衣着せぬものいいで厳しい台詞を連発することから、イーライには煙たがられている節はあるものの、マダム厚子は純粋な善意だけで、イーライを助けてやろうとしていたのだ。
 うるさくて下世話で厚かましくて、敵に廻せば鬱陶しいことこの上無い――世間的にはそのように見られている感の強い『大阪のおばちゃん』だが、しかし実際は違う。
 大阪のおばちゃんは、赤の他人に対しても『母親』として接する傾向が強い。だからこそ、口煩くもなるし、言葉を選ばずにずけずけとものをいうし、本当の子供に接するが如くあれこれ要求もする。しかしそれは裏返せば、親しみを持って接してくれているという事実の証左に他ならなかった。
 大阪で生まれ育った泰輔などは、もっと声を大にしてそのことを世間に伝えてやりたいとも思っていたが、しかし当の大阪のおばちゃんが、そのような喧伝は好まない。
 これ見よがしに己の美点を吹聴するなどという狭量な真似はしないのも、大阪のおばちゃんに共通する感性であった。尤も、冗談めかして己の美点をアピールすることはあっても、それを本気で捉えて貰おうなどという発想は欠片も無いのが大半であろう。
(要するに大阪のおばちゃんっちゅうのは、誰に対しても気の好い『おかん』やし、誰にどう見られても気にせぇへんごっつい器の持ち主でもあるんや)
 その典型が、今、目の前でイーライの苦行を笑って眺めているマダム厚子そのひとであった。
 勿論泰輔とて、全ての大阪のおばちゃんが善人であろう、などといい切るつもりは無い。中には本当に意地の悪い性格のおばちゃんも居るし、実際にそのようなおばちゃんを数多く見てきても居る。
 だが少なくとも、マダム厚子は泰輔が愛してやまない『気の好い大阪のおばちゃん』であることは、間違い無さそうであった。
「せやけど歩ちゃんな、イーちゃんには余計なこといいなや」
「え……どうしてですか?」
 マダム厚子からの意外にひと言に、歩は戸惑いを隠せない。
 だがそこは矢張り年の功とでもいうべきか、マダム厚子はイーライの頼り癖を見抜いていた。
「あの子な、味方とか助けてくれるひとにはすぐ甘えたがる悪い癖があるよって……私は、ただの厳しいおばはんやと思わせといた方がエエ。煙たがられてるぐらいが、丁度エエんや」
 そういうものなのか――歩は目から鱗が落ちる思いだった。
 ところが当のマダム厚子は、そんな歩の視線など知ってか知らずか、既に別の思考に頭を切り替えている。
「せやレイちゃん。あんた、どて焼きイケる口かいな? 朝から煮込んであるんやけど、食べてみる?」
「えっ!? どて焼きあんの!? 食いたい食いたい! 僕めっちゃ食いたい!」
 飛びついてきたのはレイチェルではなく泰輔だったが、レイチェルとフランツもどて焼きの名を聞いたことはあっても、本場の味はよく知らない。
 折角だから、ということで、歩ともども、ご馳走に与ることとなった。
「どて焼きかぁ……円ちゃんなんか、好きそうだよね」
 歩は、友人の為にタッパに分けて貰おう、などと考えてみたが、まずはひと口、自身が試してみてからの話である。