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リアクション
朝がきた。カーテンを開き、窓を開ける。
「いい天気ー! ねっ? エレノア! せっかくの休日なんだし、どっか遊びに行かない?」
目にするだけですがすがしい、初夏の太陽輝く空を見上げて布袋 佳奈子(ほてい・かなこ)はパートナーのエレノア・グランクルス(えれのあ・ぐらんくるす)にそう提案をした。
エレノアも、特に断る理由はない。
「いいわね。佳奈子は何がしたいの? どこか行きたい場所はある?」
「うーん…」
と、一応考えてみたが、特にこれといって浮かばない。
「とりあえず商店街の方行って、ウィンドーショッピングとか? 本格的に夏が来る前に夏物揃えたいなー、って」
「じゃあそうしましょうか」
買い物に行く準備を整え、家を出たのが今から約1時間前。
なのになぜか佳奈子は商店街の一角で、手作りハリセン片手に声を張り上げていた。
「(ばんばん!)安いよ安いよーーーーっ! 大特価の大安売りっ!(ばんばん!) 今ここにいるあなたは幸運ですよ、奥さん!(ばんばん!) こんなチャンス、そうそうだれにでも訪れるものじゃありませんっ!(ばばばばばん!)」
あいづちのようにハリセンでみかん箱の側面をたたいてリズムをつくっている。
みかん箱の上には、房状のバナナがずらっと並んでいた。
「花柄の日傘ほしいかなぁ。あ、あとウェッジヒールのミュール! バックストラップのやつ!」
とか言っていた口で、やっているのはバナナのたたき売りとか。
そのあまりの落差がおかしくて、エレノアはつい、くすっと笑ってしまった。
「……なによぉ?」
しっかり聞きつけた佳奈子が、ちょっと気まり悪そうに振り返る。もちろんなぜ笑われたかは察し済みだ。
「いいえ。何でもないわ」
「だって、しょうがないじゃない、苦学生なんだもん」
玄関開けた先でみかん箱いっぱいのバナナが置かれてたりしたら、そりゃだれだってこうするわよね!(断言)
ちゃんと箱の横には「進呈 布袋佳奈子様」と書かれた紙が貼られてた。だからこれは私の物!
「これはきっと、私が清貧慎ましく暮らしているのをご覧になっていた神様からのプレゼントだよ!(キリッ)」
神様からの贈り物が箱いっぱいのバナナというのはなんだか庶民的すぎてセコい気もしたが、エレノアは懸命にも口をはさみはしなかった。
佳奈子の物であるのは間違いない。
「それで、これ、どうするの? 佳奈子1人じゃ食べきれないでしょう? ご近所に配る?」
「ううん! 売る!」
「――えっ?」
聞いた最初はまさかと思った。しかし佳奈子はあれよあれよといううちに大ハリセンを手作りし、商店街の人にかけあって場所を借してもらい、みかん箱をテーブルがわりにして、バナナのたたき売りを始めてしまった。
しかもこれが堂に入っている。
「さあさあ、そこを行くカッコいいおにーさん、キレイなおねーさん、寄ってらっしゃい見てらっしゃい! ここに取り出だしたるバナナの山、何の変哲もない地球のフィリピン産バナナでございます! こーんなにいっぱいついてて、これがなんと、たったの100G! 2つ買われた方にはおまけして、さらに1房つけちゃうよ!! もちろん種もしかけもございませんっ! えっ? 安すぎる? 安い・高いを言っちゃあだめですよ、お客さん! 売るのはこちら、買うのはそちらといってね、安けりゃ買うでいいんですよ! 安く買えてそっちはにこにこ、こっちは売れてこにこにだぁ! あちらさんもこちらさんもそちらさんもにこにこで、こいつぁ縁起がいいってもんだ!
ほらほらほらっ! 目ん玉かっぽじいてよーーーく見てくださいよ、このバナナ! 立派でしょう? つるんとしてすべっすべ! こんな立派なバナナ、そうそうお目にかかれるもんじゃない! ここんとこだって今は青っぽいけど、そのうち黄色くなって、やがて黒くなっちゃいますよ。今買って帰ると、帰った頃には黄色く熟してちょうど食べ頃になるし。黒くなると熟れ過ぎて腐っちゃうから、さあさあ早く持ってけドロボー!!」
立て板に水のごとく、勢いよく口上を並べてはハリセンでみかん箱ぱしぱし叩いている佳奈子を見て、エレノアは微笑したままやれやれと首を振ると、箱に乗せきれないで山になっているうちの1房を取って、皮をむいた。やはり商店街の方から借りたまな板と包丁を使って、ひと口大サイズに切って皿に並べ、つまようじをさして試食用を作る。
そしてもう1品。半分に切ったバナナを竹串にさして、溶けたチョコでチョコレートコーティング。
「チョコバナナはいかがですか?」
それらを使って、人寄せの手伝いを始めたのだった。
「あそこ、何やらひとだかりができているな」
大岡 永谷(おおおか・とと)と並んで歩いていた小暮 秀幸(こぐれ・ひでゆき)は、ふと通りかかった商店街の一角に目をとめた。
騒々しさは伝わってくるが、人の背中ばかりで何がどうなっているか分からない。
「事件かもしれない。ちょっと見てこよう」
「俺も行こうか?」
「いや、そこまででもないだろう。緊迫している様子はない。永谷はここで待っていてくれ。すぐ戻る」
そう言うと秀幸は返事もきかず、さっさとそちらへ歩いて行ってしまった。
「あ…」
永谷は思わず引き止めかけた手をゆっくりと下ろす。
「ちょっと離れたくらいで、何を弱気になっているんだ、俺は」
己を戒めるようにつぶやいた。
だがそうは言っても、やはり心は揺れていた。
理由は1つ。今朝郵便受けに入っていた物だ。小さな、5〜6センチ四方の箱だった。
きれいに梱包された、リボン付きの美しい箱。一見して、宝石とか、アクセサリーとか、あっち系の箱だと思った。
順当に考えれば、こういうのを自分宛てに送ってくるのは秀幸しか思いつかない。手渡しじゃなく、郵便受けに入れておいたというのも秀幸らしいといえばらしいのかもしれないし。
しかし送り主が秀幸として、なぜだ?
これといって、何も思い当たるフシがない。
それに、もし、万が一、違ったらどうしよう? よけいな不和の種を撒くことになりはしないだろうか?
恋人になってまだ日が浅いこともあって、こういう場合の秀幸がとる反応が読めなかった。
世のなかには、恋人がほかの崇拝者からの贈り物を受け取ると、それだけで不機嫌になる男もいるというし……。
(いやっ! 秀幸がそんな、心のせまい男だとは思わないけどっ!)
かといって
『いいんじゃないか? くれるという物は受け取っておけば』
と言うのも、想像がつかなかった。
(第一平然とそう言われるのも、それはそれでショックというか…)
内心もやもやしていると、顔の前ににゅっと黒い物がついた棒を突き出された。甘いチョコのにおいが遅れてくる。
「……これ」
「チョコバナナ。バナナのたたき売りだった。若い女の子がやってるっていうんで、面白がった人たちが集まってたみたいだ。
おいしそうだから買ってきたけど……チョコバナナ、きらいだった?」
今ごろ思いあたったというふうに、ちょっとあせって早口で言う。
「いや」
「そうか。よかった」
秀幸はあきらかにほっとしていた。
「自分はこういうこと、初めてだから…。
きらいな物があったら、遠慮なく言ってくれ。覚えるから。永谷のそういうのは、知っておきたい」
「……うん」
なんだかくすぐったくて。チョコバナナがあることを幸いに、かじりながら無言で歩いた。
けれどすぐにまた、くよくよした思いが戻ってくる。
(――ええい! 秀幸だってそうなんだ! 勇気を出せ、俺! このままだと動きがとれないだけだぞ!)
「秀幸」
「うん?」
「こ、これ、なんだけどっ!」
女は度胸!
思い切りよく、ポケットから例の箱を引っ張り出して見せた。
秀幸は永谷の唐突な行動に最初きょとんとしていたが、手のひらの上の箱を見て、一瞬で真っ赤になった。ボンッと音を立てて白湯気が上がるぐらい。それから何か、逡巡するような、相反する感情に左右から引っ張られているような、それでいて面はゆそうな、複雑な七面相をしたあげく、ふっと青ざめて、向かい合った永谷だけがようやく聞き取れるような小さな声で言った。
「……気に入らなかった…?」
間違いない、秀幸からの物だ。
突き返されたと思ってる?
「あ、いやっ! その……まだ開けてないんだ、送り主の名前がなかったから!」
永谷はあせって箱を開封する。中にはさらに小さな、グレイのビロードの箱と、そしてメッセージカードが入っていた。
『誕生日おめでとう 小暮秀幸』
ビロードの小箱のなかに入っていたのは、小さなリングだ。
「……秀幸」
「と、永谷の誕生日がまだ半月先なのは知ってたんだっ。前もって用意しておくつもりで…。だ、だけどそれ見たらどうしても渡したくて、それで行ったんだけど……でもさすがに夜遅くに家を訪ねるわけには…っ」
「秀幸。俺の誕生日は、7月だ」
「え? 6月じゃ…?」
口に出した瞬間自分の勘違いに気付いて、秀幸の顔はさらに真っ赤に染まった。
(かわいい)
「す、すまない…。返してもらえるか」
「いやだ。これは俺のだ」
永谷はさっとリングを取り出して、取り返される前に指へはめた。――が、それは永谷の指でぐるぐる回ってしまった。
どう見ても大きい。サイズが合ってない。大方、自分の小指か女性の平均数値とかで見当をつけたに違いない。
それを見て、さーっと秀幸の顔から血の気が引いた。
大失態と思っているのだろう。その複雑そうな面を見て、永谷は笑いたくてたまらなくなった。
温かな思いが胸いっぱいに広がる。
「気にするな、秀幸。鎖を用意する。そうしたら首から下げておける」
サイズ変更することはできた。店に行けば、小さなサイズの物に交換してもらえるかもしれない。だけど秀幸がくれたのはこれだし、サイズ変更するには切らなくてはならない。――切りたくなかった。少なくとも、今はまだ。
「自分が買う」
「秀幸?」
「買わせてくれ。失態の埋め合わせだ」
そんな必要はない、と言いたかったが、真面目な横顔から、真剣にそう考えているのは分かった。それで秀幸の気持ちが軽くなるならいいじゃないか。
「さあ、行くぞ」
「分かった」
ほこほこと温かくて、妙にくすぐったくて。笑いたくなるのをこらえながら、秀幸と並んで歩く。その不思議な感覚は長らく永谷のなかにとどまって、彼女を幸せな気持ちにしてくれたのだった。