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リアクション
2.
「それにしても、ここがファーシーの家になるなんてね」
「何だか不思議な気がしますね。でもこうして前に立ってみると、なるべくしてなった、という感じもします」
その家は、御神楽 陽太(みかぐら・ようた)と{SNM9999003#御神楽 環菜}にとっては馴染みともいえる家だった。ツァンダの住宅街にあるモデルルームの一つとして、2人で散歩をする時や出掛ける時に、よく前を通っていたのだ。だが、夫婦の自宅からも近いこの一軒家の表札には今『FASHY/IDEAR・S・LADRECT』と文字が彫られている。
「……そうね。元からあった家なのに、彼女らしいわ」
そう言う環菜の隣で、陽太はインターホンを押した。『はーい!』という明るい声が帰ってきて、間もなく、玄関の扉が開く。ミュールをつっかけた{SNL9998877#ファーシー・ラドレクト}の後ろ、廊下の先からは少し大きくなった幼子が“はいはい”をして進んできていた。ファーシーの娘、イディア・S・ラドレクトだ。
「いらっしゃい! 来てくれてありがとう!」
「ばぶ」
彼女達は、笑顔で陽太達を迎え入れた。
荷解きが完全には終わっていないらしくダンボールの姿も目立ったが、リビングの中は綺麗に掃除されていた。
「どうぞ。このお店のシュークリーム、結構美味しいんですよ」
座り心地の良いアイボリーのソファーに落ち着き、陽太は白いテーブルの上にシュークリームの箱を置く。
「それと、これは引っ越し祝いの調理器具です。家具とかは割と揃ってると思うんですけど、こういうのは無いんじゃないかなって」
「いくらなんでも、モデルルームで料理は作らないでしょう?」
「うん。ありがとう!」
「ばぶっ!?」
ファーシーは笑顔で調理器具のセットを受け取った。だが、それを見て彼女の隣に座るイディアがびっくり仰天、というような声を出した。というか、一瞬びくっとした。ホットミルクを飲むのを止めて、陽太と環菜に涙目で何かを訴える。
「「…………?」」
妙な反応をするイディアに、2人は揃って顔を近付けた。その様子に、ファーシーは「ああ……」と首を傾げる。
「最近、離乳食を作ってみたりするんだけど、あんまり食べてくれないのよねー。なんでだろう……」
「「…………」」
2人は再び、イディアの目をじっと見た。何となく事情が分かった。これは、助けを求める表情だ。環菜がやれやれと顔を上げるとどこか得意気な口調で言う。
「ファーシー、今度料理を教えてあげるわ。いい? 料理なんてね、レシピ通りにやればちゃんと作れるのよ」
「え、そ、そう? でもわたし、料理は勘で作れちゃうけど……」
「…………。ママ」
イディアは頬をぷっくりと膨らませてファーシーを見上げると、環菜の方に「ぶ」、「ぶ」と両手を伸ばした。
「環菜に抱っこしてほしいみたいですね」
「そうみたいね。じゃあ……」
環菜は席を立って、イディアの傍に行って抱き上げた。躊躇いの無い、自信に溢れた抱き方だ。
「思ってたより重いのね。はいはいも出来るようになったみたいだし、また大きくなったわね」
「順調に行けば、あとちょっとで立てるようにと思うわ。重力に慣れていないのが問題みたいだから。それと、体重は他の種族の赤ちゃんよりは軽いみたい。機械だけど、そんなに重いパーツは入ってないからかな」
モーナさんの受け売りだけどね、と、シュークリームを食べながらファーシーは言う。そう話す彼女は穏やかで、陽太も自然と笑顔になる。
「順調に大きくなって良かったですね」
「そうね。……実は、ちょっと心配してたんだけどね」
わたしがパーツのおかけで歩いてるから、とファーシーは苦笑した。特殊な経緯で、本来はエネルギーが足りていない母体から生まれたイディアが元気に育つのか。少し不安だったのだと彼女は言った。今だから言えることだけど、と、付け加えて。
「それにしても……まさか、貯金全部使っちゃうなんて……。まあ、らしいといえばらしいけど」
イディアを抱きながら、環菜は改めて呆れたように室内を見回す。「う……」と、ファーシーは身を縮めた。
「何か、ごめんなさい。ぱーっとやっちゃった感じで……。でも、あのお金は歩けなかった頃に環菜さんに支援してもらったものだし、いつまでも頼るのも悪いかなって」
背伸びをしてる部分もあるかもしれない。でも、歩けるようになって家族も増えた今、本当の意味で自分の足で歩いていきたい。ファーシーはそう思っているようだ。
「それは良いのよ。でも、今の生活費は足りてるの? いくら機晶姫だからと言っても、あなたたちの場合、全く食事しないで平気というわけじゃないでしょう……多分。イディアがエネルギー不足にでもなったら……」
「今は大丈夫! お財布にはお金残ってるし。お仕事も、探してるしね」
「財布にだけ……って、ファーシー……」
頭痛を覚えたように環菜はこめかみに指を添えた。真剣にファーシー達母娘の事を考えているのが伝わってくる。陽太は親身になって話をする環菜の様子に、微笑ましい想いを抱いていた。窓の外の陽気のように、穏やかで温かく、そして愛しい気持ちが心を満たす。
それは、意識せず彼の口から漏れていた。
「環菜は、ファーシーさん達のことが心配なんですね。そうして一生懸命になっている環菜も、俺は好きです」
「…………!」
ファーシーにどう言って現状のマズさを伝えようかと考えていた環菜は、その言葉でぼっ、と顔を沸騰させた。その瞬間、何を言おうと思っていたかが完全に吹き飛ぶ。
「な、何言ってるのよもう、こ、子供の前で……」
陽太から目を逸らし、慌てたように湯気の立つカップを取る。不必要なくらいに顔を寄せ、環菜は啜るようにハーブティーを飲んだ。横を向いているようでいて視線はしっかりと陽太を見ていて、その仕草の可愛らしさに陽太は心中で身悶えした。思わず抱きしめたくなってしまうが、そこは理性で押し留めてファーシーに話しかける。
「ファーシーさん、職探しが難航しているようなら、俺達も協力しますよ。就職先の心当たりがいくつかありますし。鉄道事業を手伝ってもらうというのでも、歓迎します」
「えっ、本当!?」
夫婦2人の初々しさの消えないやりとりについ注目していたファーシーは、ぱっと瞳を輝かせた。この反応から見て、案外困っていたりするのかもしれない。
「鉄道事業って、どんなことやってるの? 機械とか、触れる?」
「そうですね、今は……」
先日の仕事でどこまでいったのかを振り返りながら、陽太は答える。
「ヴァイシャリーとイルミンスールの間に魔列車を引こうと計画中です。ヴァイシャリー・ヒラニプラ間での運用が順調なので、次に着手しようという話になったんです」
「へーーー、じゃあ、また新しいことを始めるのね!」
「はい。イルミンスール側の魔法的技術を使い、景観、イルミンスールの森の保全や遺跡を守る形で計画が進んでいます。今は、エリザベート校長、ラズィーヤさんと色々と相談しているところです。始まったばかりで、まだ機械を触ることは少ないかもしれませんが……」
申し訳なさそうに言いかけて、陽太はあ、と表情を明るくする。
「ですが、ヒラニプラで運用している魔列車の調整のお手伝いなら出来ると思います」
「そうなんだ。少し手伝ってみようかな……イルミンスールも、アクアさんの所へ遊びに行ったりとかするし、興味があるかも。ふふっ、でも、陽太さん、そうしてお仕事のこと話してると、本当に社長さんって感じね。いきいきしてるっていうか」
そういえば、彼から仕事の話をゆっくり聞くのは初めてで。だから、随分と新鮮な木がした。
「そ、そうですか? まあ、この仕事は楽しいですし、事業を興してからもう何年も経ちますから……あ、そうだ」
そこで、陽太は思い出したように自分の左手に目を遣った。それだけで環菜も同じ想いに至ったのか、嬉しそうな陽太と目を見交わしてからファーシーに言う。
「私達、6月で結婚2周年を迎えるの」
「えっ、2周年? もう?」
お茶を飲む手を止めて、ファーシーはぱちぱちと瞬きした。
「おめでとう! もう2年経ったのか。早いわねー……」
2人が結婚したのは、つい最近のような気がしていたけど。
「ファーシーさんみたいな劇的な生活の変化はないかもしれませんが、俺にとってはやっぱり、感慨深いです」
「私にとっても、感慨深いわ」
2人ははにかみ合って、ソファの上でお互いの指を絡ませる。子供を抱いた理想の3人家族、という感じで、ファーシーは眩しそうに目を細めた。いつか、陽太達が本当の子供を抱いてこの家に訪問してくる――その光景が目に見えるようで、
その空気の中に、自分達が一緒にいられる。それが、とても幸せなことに感じられて。
「うん。じゃあ……6月になったら、またおめでとうを言わせてね!」
「……行って、良かったですね、環菜」
ファーシーの家を出ると、陽太達は歩き慣れた道を通って自宅に戻った。途中にはパートナー達が住む家の前も通り過ぎ、エリシア達は何をしてるか、舞花はどの辺を旅しているのかと話したりしながら穏やかな気持ちで家に入る。
「ええ。何故かファーシーと一緒にいると落ち着くのよね……」
何というか、日常の忙しさや諸々のことを忘れて、変に素直になれるというか。彼女と話している時間も日常の筈なのに、少しだけ別の空間に居るような。
「で、でも……あのクリスマスパーティーの話をした時はちょっとびっくりしたわ。あの時は、ほら、私達……」
「あ、ああ、あの、あれは……」
クッションを抱いて恥ずかしそうにする環菜に、陽太も恥ずかしくなって顔を赤くする。
「俺達、途中で席を外してもしかして心配掛けたかもしれないな、と思っていたので……」
クリスマスパーティーの時、お酒に入っていたホレグスリで気持ちが昂ってしまった2人は、更衣室兼荷物置き場になっていた部屋で愛を確かめ合っていた。
「ほ、ホレグスリってすごく強力な薬なのね。エリザベートもとんでもないものを作ったものだわ。今の私だったら、プラシーボ薬に騙されない自信があるもの」
「プラシーボ……そんなこともありましたね」
その時の仕掛け人であった陽太は、クッキーを並べた皿をテーブルに置いて環菜の隣に座る。そして、そっと彼女にキスをする。
「! も、もう! 陽太ったら……」
「俺も、騙されない自信がありますよ」
「陽太……」
夫婦は見つめあって、そうして2人だけの時間を、楽しんだ。