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リアクション
【五月晴れの日に・2】
数メートル先から手招きする可愛い恋人に顔を綻ばせて、永井 託(ながい・たく)は小走りにそちらへ向かい、南條 琴乃(なんじょう・ことの)の手を取った。
「そんなに急がなくても、皆は逃げないよ」
「だって託、私『四季』の皆に会うの、久しぶりなんだもん」
託によると、これから向かう先では彼女が以前部長を務めていたコミュニティの仲間が何人か集まっているらしい。
だもんの部分を高く上げてながら、高揚に上気した頬をに片手を添えてごく自然に頬へキスをすると、託は照れている彼女の顔を思う存分見つめて再び歩き始めた。
「そうだねぇ。
皆元気にしてるよ。新しい友達もできると思う」
「楽しみだね!」
他愛も無い会話を甘い雰囲気でしながら歩けば、気づいた時にはもう目的地だ。
恋人と時間は過ぎ去るのが何時も早いと思ってしまう。二人きりの時間を終わらせるのは少々残念だが、託は扉を開いて琴乃に入店するよう促した。
「あ、琴乃さん久しぶり! 元気そうだね」
店内から聞こえた声に、彼女が会いたがっていた仲間の一人が出迎えたのだと分かり、託は喜ぶ琴乃の反応を見ようと自分も入店する。
だが先に目が行ったのは別の人物で、それに対する可愛い恋人の言葉はひっくり返り、どもり、少しの驚きと笑いを含んでいた。
「ひ、久しぶり!
あの……雫澄さんて……そういう趣味のある子だったんだ……?」
「よく似合ってますよね」笑顔でそう琴乃へ振る輝の言葉に他意は無い。ただ琴乃の反応は思わしく無かった。
「う、うん……似合ってると思うよ……うん」
どう答えたら良いものか完全に分からなくなっているのだろう琴乃を見て、小首を傾げる輝の顔を見て、それからもう一度雫澄の女装姿に目をやって、託はその場で笑い転げた。
*
「似合ってるよ……くくく」
「それはもういいって!」
渋い顔の雫澄から視線を移し、託はバックルームから出てくるはずの恋人を待っている。
入店した後、挨拶が一段落すると流れから改装したばかりの店の話になり、そして新しい制服の話になった。
そういう話になったからにはジーナも「着やがれです!」と言うし「せっかくだから」と輝も勧めてくる。あれよあれよという間に、琴乃は制服を手に持たされていた。
恋人が困惑した顔でこちらを見てくるから、
「可愛らしい服みたいだねぇ、こうして薦めてもらってるんだし琴乃も着てみるかい?」と託も薦めてみると、少し恥ずかしそうにしながらも彼女は頷いてジーナとバックルームに入って行ったのだ。
「さっきの……実は琴乃さんが可愛い服着るところを見てみたいだけだよね」
「うん、正直に言うとちょっとねぇ」
「あの感じなら夜に薦めてもチョロそうな」
「――アレクさんってたまに面白い事言うよねぇ?」
紅茶をむせた雫澄の背中を叩きながら、ジゼルは一人意味が分からずに首を傾げて、扉が開いた事に気がついた。
「かわいー!!」
女子高生らしい無責任で直情的な『可愛い』を口にしたジゼルだったが、確かにエプロンドレスの琴乃は誰の目から見ても『可愛い』かった。
「琴乃……うん、とっても似合ってる。可愛いよ」
託の口から素直な感情によって飛び出した感嘆の台詞に、琴乃は染まった頬を手で隠しながら微笑んだ。
「ありがとう。託にそう言って貰えると、嬉しいな」
「まあ琴乃は可愛いから、似合わないわけが無いんだけれどねぇ」
二人の世界に入りかけた時、衛が座っていた椅子の背もたれに体重を駆けて斜めになりながら、琴乃と託の顔を見上げた。
「聞いたぜ聞いたぜ。お前等、ことのんのと仲良かったんだってな!」
「うん。コミュニティがあって、私はそこの部長とかしてて――」
「で、『その中で生まれたカップル』ってーのが、たっくん&ことのんのなんだろ?」
「ま、そんな感じかねぇ?」と託に振られて「改めて言われると恥ずかしいなー」と琴乃は応えている。
そうするとやっぱり二人は見つめ合う事になるのだ。
「何と言うか……当てられるな……」
樹はコマンダーの服の襟首を寛げながら、片手で顔を仰いだ。
「さあさあ。
メイド服を着たからには、美味しいものを作りやがりましょうなのですよ!
ここは冷凍パイシートを使って、パイでも作りましょう!
……ハイハイ、そこのバカップル!
『似合ってるねー』なんていちゃいちゃしてるんだったら、パイ作りながらいちゃこきやがれなのでぃす!」
パイシートを突き出して啖呵を切るように言ったジーナを、章は呆れながら嗜める。
「バカラクリ。ここは人様の店だよ」
「章、別にいいわよ。お店のものは私が自由に使っても良い事になってるの。一応後で報告するけどね。
それとあと……10分しても人が来なかったら、今日はお店閉めちゃって良いって女将さんから言われてて――」
「女将さんもう大丈夫? ぎっくり腰は?」
「とっても元気よ。今日も演歌歌手の水川キヨティのライブに自作のうちわを持って行ったわ」
笑うジゼルに、雫澄もつられて微笑む。
実は託に連絡を貰ってここに来る時、少し心配だった。
「(色々あった後だけど、ジゼルさん大丈夫かな?
彼女、芯は結構しっかりしてるようだし。
――だからこそ無理をしてなきゃいいんだけど……)」
そんな風に思っていたが、今の笑顔を見る限り十分問題無いようだ。
これも家族が出来たお陰なのだろうか。とジゼルの新しい兄妹を見ると、視線に気づいたアレクはこちらを一瞥しただけでまた画面へ目を向けてしまう。
考えてもみれば、彼がまともな精神状態でいる時に会うのは今日が初めてなのかもしれない。
初めて見たのは泣いているジゼルに困惑した姿だったろうか。
二度目は生と死が隣り合わせの世界で、三度目はお互いに最悪の状態だった。
四度目は普通にも見えたが、パートナーのジゼルの存在が消えかけていた事思えば精神的にも肉体的にも『まとも』筈は無いのだ。
そうか。自分はこの男の事を何も知らないのだ。
同じ目的に共闘し、そして刃を向けあったこの男に、自分は嫌われているのか――それとも元来からそういう人間なのかすら分からない。
雫澄は一人、息を吐いた。
*
「ジーナはね、パーティーをしたいのだって」
「パーティー――ですか?」もう冷たくなった紅茶を注ぐべきか迷っているジゼルに、輝は手でそれを制しながら言葉を繰り返した。
「はい、とにかく結婚披露パーティー代わりにここでパーティーをしやがりますですよ!」
変わらず威勢のいい――というよりもテンションの高いジーナの『結婚』の言葉に、託は『妹と結婚した』と公言する兄へと目をやり、妹の方からハテナという顔で微笑み返されて考え直す。
残る選択肢はあとどの位だろうか。他に居るカップル(?)は――
「……雫澄さんとジゼルさんの?」
託の言葉にその場の全員がジゼルと雫澄へ注目する。
「ええッ!? 雫澄さんはジゼルさんに『も』その……」
フラグを? と続けたい琴乃に頷いて、託は「何か誤解してるんじゃ」と言っている雫澄の顔面に向かって人差し指を突き出した。
「雫澄さん……あの人もこの人もは身を滅ぼすよ?
ちょうどアレクさんが命を狙っていそうだし……うん、死なない程度にしてあげてね、アレクさん」
そう振られたアレクはタイプする指をやっと止め、眼鏡をカウンターに置くと、無表情のまま言い放った。
「付き合えるなら付き合えば?」
「「う……えええええええええええ!?」」
衝撃過ぎた妹を変質的に溺愛する――つまりシスコン兄の言葉に、店内に全員の声が破裂した。
「いいいいのかあれっくさん!?」
「それはつまりパルテノペー様に、ここ恋人が出来やがるって事なのですよッ!!?」
「王子どうした!? お前まさかまた体調が優れないんじゃ――」
「五月蝿いな。
別に『良い』って言ったんだよ。ただし『付き合えるなら』だ。
付き合えって言ってる訳じゃない」
「……樹ちゃん落ち着いて。つまりミロシェヴィッチくんが言いたいのは多分……
『妹と付き合う度胸があるなら付き合ってみろよあァン!?』って事じゃないかな?」
穏やかな笑みで台詞の部分だけ妙にドスを聞かせた章が正解を導き出したところで、アレクはそれに付け足しをした。
「あとタカミネの場合は、ジゼルの事をただの友人だとしか思っていない。だろ?」
自分の感情をまるっと指摘されて、雫澄はそれの何がいけないのだろうという顔で居る。今さっきも、託にカップルだと言われて赤くなってジゼルの顔を「……どうしたの? 顔赤いけど、熱でもあるの……?」と心配――という名の無神経で覗き込んだ野郎なのだ。
「だからこそ腹が立つんだ」今度は満場一致で納得した。成る程あちこちでヒロイン達の心を奪っては「僕と君は友達だよ」だの言って微笑み、
ヒロインに告白まがいの台詞を言われれば「……え? なんだって?」と巫山戯た反応をしやがる調子のいい難聴イケメンには、誰だって腹を立てて当然だろう。
「あの……さっきから話しが良く分かんないんだけど、雫澄と私はお友達よ。
おにいちゃん。ジゼル、誰とも付き合ってないよ。皆お友達だよ。
だからね、そういう言い方――」
「悪かった。ジゼルはお兄ちゃんと結婚したんだもんな」
「してないよ? あれ、結婚式はしたけど、でも結婚はしてないし……うーん」
「そうか。俺の妹は兄と結婚した実感がまだ無いのか。
よし。指輪買おう」
「でも買ってもお店には付けて行ないもん。
ていうか結婚指輪は結婚した人にあげるんだよね。あれ? 結婚式した人にあげるの?」
取り留めの無いボケ同士の会話に、普段この兄妹はずっとこのノリで過ごしているのかと空恐ろしい気持ちになりながら、託はテーブルの上でそろそろ解けてきそうなパイシートを手に取って琴乃に微笑んだ。
「さて、誰の結婚披露かは置いておいて、今日のこれを楽しもうかなぁ
誰のかは置いておいて……ね、琴乃」
さっきから頬を染めっぱなしのままの琴乃が「うん」と小さく頷いて、二人はまた手を繋ぐ。
残るカップル――いや、この場で正しいカップルは既に結婚している樹と章を除けば一組だけ。
折角ジーナが提案しているのだから、盛大に祝ってやろうじゃないか。
誰の結婚披露宴かは置いておいて、だ。