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リアクション
第2章 辿る軌跡、辿れぬ足跡
レベッカが去った翌朝。
昨夜からの例の絵画にまつわる一部始終を聞いた鳥丘 ヨル(とりおか・よる)は、応接室のソファに座っていた。
目の前にあるのは、勿論その海を描いた絵画である。
フェルナンが購入した絵画を一枚一枚調べていたが、下に魔法陣があるのは、ここには、夜の海に浮かぶ帆船を描いた一枚だけだった。
「……絵の魔法陣が良くないものを呼んでるんだね? 例えばあの幽霊船とか闇龍みたいなやつとか」
絵を挟んで反対側に座っているアナスタシアの手には、この家に置いてあった魔術書があり、魔法陣についての頁を繰っていたが、顔を上げて。
「全く、ここにはろくな資料がありませんのね。エリュシオンではもっと高度な……ええと、これを見ていただけます?」
不満そうに漏らすと、白い指で簡単な図形を指さして、この線はここに対応し、ここが力の流れを……と、簡単に解説する。
「この魔法陣が良くないものを呼ぶためのものであるのは確かですわね」
「アナスタシア、魔法陣の破壊の方法とか知ってる? ね、破壊しちゃっていいよね、フェルナン? ダメって言ってもやるけど」
「……ダメです」
フェルナンは困ったように苦笑した。
その様子からは、今までの彼のようなぼんやりとした、鬱々とした印象はもうなかった。
「なんで?」
「というのは、この魔法陣をレベッカさんが欲しがっていた、ということは、まだ『手に入れてなかった』ということだと思われますので。
……どうも婚約の理由の一つは、こういった魔術媒体を私から手に入れるためのようですね」
アナスタシアが補足する。
「先ほど、私は良くないものを呼ぶといいましたけど、『これが原因で呼んでいる』のではなくて、『これを使用すると呼べる』という違いがありますわ。
この魔法陣そのものからは、強い魔力を感じませんの。書籍に描かれているような、単なるテキストで、実際に使用するためには、様々な道具と手順が必要ですわね」
「じゃあ奪われないために破壊するのは?」
「ええ、儀式の強化に使えますから、それがいいと思いますけれど……フェルナンさん?」
アナスタシアが頷いて視線を向けると、フェルナンも同じように頷いた。
「私は逆にこの魔法陣から、現在行われている儀式を推定し、邪魔できるのでは、と思います。
逆の儀式……可能なら取り戻したという苗木も使用したいところですが……こちらは、ドリュスの皆さんにご理解いただかなくては」
ヨルは納得したように頷くと、
「でも、この魔法陣がひとつとは限らないよね。探偵団としては――ヤグディン探偵団、それともサファイア探偵団がいいかな、考えておいてね――探偵団出動、だよ。
ボク、この絵画について聞き込みしてくるよ!」
ヨルは、ジェラルディ家に向かうというアナスタシアたちと入り口で分かれ、街中に駆け出した。
(あの絵を破壊するだけなら、魔法の炎で簡単にできるっていってたし、任せても大丈夫かな……)
ヨルが向かうのは、フェルナンが絵画を手に入れたという美術商だ。
美術商は、聞いていた通り本当に変哲のない小さな店で、美術品に溢れたヴァイシャリーの貴族から見れば、ガラクタにしか見えないようなものがたくさんあった。
高額なものは扱わず、素朴な石の像や、無名の画家の絵が多く並んでいる。
早速例の絵について店主に聞くと、それを描いた画家というのはずっと以前に故人となっていた。
大っぴらに人に言えないような、いわゆる黒魔術師を研究していた――あくまで研究であって、悪魔を復活させて世界征服、とかそういう思想はなかったらしい――が、趣味であった絵画熱が高じ、画家に転身したという。そこそこ名の通った魔術師だった彼は画家としては鳴かず飛ばずで、それでも本人は満足していたそうだ。
死期が近づいたと悟った彼は、自身の研究が悪用されないようにと、最後に自宅を壊したうえに家財道具も一切売り払ったということで――美術商も魔法陣については全く知らなかった。
この絵は自分が書いたという証だったのでは、とも推測はできるが、その筋の人間からしてみれば手に入れたい知識である。
「他の絵画がどこにあるか……さて、描いたかどうかも分からない、バラバラになってるかもしれないしねぇ」
この美術商からはフェルナン以外に買った人はいないとのことで、ヨルは残りの絵画をとりあえず買い取って袋に詰める。
ジェラルディ家の前まで歩く道すがらアナスタシアにメールを打つと、家の前に約束をした人の姿があった。
黒崎 天音(くろさき・あまね)とブルーズ・アッシュワース(ぶるーず・あっしゅわーす)の二人だ。
久々に会う友人を見る天音の顔は、嬉しさに少し緩んでいる。
ヨルが挨拶もそこそこに、今まであったこと、探偵団としての活動を報告すると、天音は感心したように頷いた。
「……ふぅん、そんなことがあったんだね。よくそこまで情報を集めたね。
実はこの二つの事件に、繋がりがあるんじゃないかな? と云うのは、単なる勘だったのだけれど……」
それから、自分の推測に一定の評価を下す。
「まんざら勘違いって訳じゃなかったみたいだね。
勘って言えば、ジルド氏が片方だけしか溺愛していないような違和感があったのだけどね……これも当たったかな」
「調べてたの?」
「そう、ちょっと令嬢が立ち寄っていそうなこの辺の店を、少し回ってきたんだ。そうしたら、三年前の事故について興味深い話が聞けたよ」
天音の顔は好奇心に満ち、いくつもの“謎”を目の前に、どう食べてやろうかといった風だった。
「苗木探しから、随分目的が変わってしまったものだな……仕方ない」
楽しげな天音に溜息を吐くブルーズ。いつものことだが、厄介ごとが好きなパートナーを持つと苦労が多い。
そんなブルーズを気にせず、天音はヨルに語り始める。
「ジルドさんはもともと魔術、特に錬金術が趣味みたいでね……錬金術っていうのは、材料から色々なものを作り出す学問だよね。ここに別荘を作ったのも、避暑と、研究の材料を手に入れるためだったみたいなんだ。魔術に関する店や、材料になりそうなものを彼や使用人が度々買っていたのを見ているんだよ。
レベッカさんは魔術には縁がなかったのか、女の子らしい店に来ることが多かったみたいだね。服や鞄や雑貨なんかのね。明るくてよく笑うお嬢さんだったらしいよ」
ヨルは自身の知っているレベッカとずいぶん印象が違うな、と感じる。
「そんなレベッカさんが、海辺に遊びに行った三年前溺れたことがあるんだって。引き上げられたときは呼吸をしていなかったらしい。
何とか一命をとりとめたけど、それから、ジルド氏はヴァイシャリーでなくヴォルロスでかなりの日数を過ごすことになった。
ようやく外出できるまでになったレベッカさんも人が変わったようになって、錬金術を始めたらしい」
「ふうん」
「でね。ここが気になるところなんだけど……ジルド氏はこの事故が起こるまで、レベッカさんをとっても可愛がっていたというんだ。貴族だから男手ひとつと言っていいのか、とにかく母親を亡くしていて、溺愛していた。
それなのに、今はレジーナさんを溺愛しているように見えないかな? しかもね、この事故までは、この街の誰も、レジーナさんを見ていなかったんだ。名前すら聞いてないんだよ」
それは大きな謎だよね、と天音は言う。
「病弱だからって存在まで隠してたのかな? レジーナさんを溺愛してたら名前くらい聞いていてもおかしくないと思わない?
使用人が服を買ったり、とか、色々ありそうなものだろう?」
そこにブルーズが口をはさむ。
「溺愛しているからこそ、ヴァイシャリーに置いていたのかもしれんぞ。彼女が病弱ならなおさらな」
「さあ、本人に訊ければいいんだけどね。それにしても、ジルド氏の目的って何だろうね? 錬金術の究極の目的といえば……と。そうだ、レジーナさんの首に付けてたっていうガーネット(柘榴石)と言えば、気になる事があるんだけど……知人に聞いてみたんだけどね。ヨルも知ってるかな、ギリシャ神話」
……繋がってきた、と天音は半ば確信する。
錬金術、神話、柘榴の意味するもの。レジーナという人間が本当はいなかったとしたら……?
「さて。苗木はジルド氏が求めていた“原色の海にしかない材料”だったとしたら……木材だけあって術式を完璧にする為の杖にでもするつもりだったのかな?」
「魔法陣もそうだし、多分ね」
「おそらく彼は苗木の受け取りをする予定だっただろうから、今は多分予定が狂ってる状態だろうね。何か動きがあるかも知れないから、僕はここでジルド氏の動きを観察するとしようかな」
ジルドの容姿をヨルから訪ねると、彼は軽くヨルに手を振って別れた。
二人は屋敷の前で張り込みを開始しようとしたが、既にジルドは出かけており。二人は行方に懸念を抱きつつ、足取りを追うことにした。
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