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【原色の海】アスクレピオスの蛇(第3回/全4回)

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【原色の海】アスクレピオスの蛇(第3回/全4回)

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第3章 レジーナ・ジェラルディの『不在』


「今度は正面から乗り込むんですか……はぁ」
 何だか不安だわ……、と。桜月 舞香(さくらづき・まいか)は、その単語を口にこそ出さなかったものの、アナスタシア・ヤグディン(あなすたしあ・やぐでぃん)の行動に不安を覚えていた。
 舞香も相当なおてんばで、ついつい不埒ものには手、いや脚が出てしまうくらいの男嫌いで――むしろ中にいるのが女性だらけとはいえ、男(フェルナン)が所有している家から出られたことにほっとしているくらいなのだが……。
「わかりました、またお供します」
 そう腹を決めた舞香は一人だけメイド服で、お嬢様のお付きといった風を装った。
 その実、護衛のつもりである。
 なのだが、何から護衛、むしろ「何を止める」必要があるかというと。ジルド・ジェラルディが相当危険なことを企んでいるのは間違いなさそうだが、どちらかといえば、そんなジルドの前で危険を冒さないために、「彼女たち」を止める必要がありそうだった。
 ジェラルディ家に向かう馬車の中で、百合園女学院の一行は、ああでもないこうでもない、と推理を展開していた。
 舞香も合間に口を挟んでみる。
「そうね、個人的にはあの時調べ損ねた杯がちょっと気になるんだけど……魔術といえば剣と聖杯。後は棒と硬貨、ですよね? 木の棒……世界樹の苗木かしら?」
「苗木なら、理想の杖に作れたでしょうね。魔法陣は、そのままかペンタクルとして用いることもできるかもしれませんわね」
「不老不死や死者の蘇生に関する相当大規模な魔法だって話でしたけど、一体目的は何かしら?」
(自分自身の長生きの為だけに娘まで犠牲にする? あの子、止めて、って言ってたわね。 もっと大きな目的がある気がするわ……)
 それも、もう一度レジーナに会えたらはっきりするだろう。
 舞香としては、だからこそ正面から乗り込まないでほしかったのだが。
「変装していたとはいえ何度も顔を見られているんですから十分気をつけて下さいね。部屋に侵入した痕跡に気付かれているかもしれませんし。
不法侵入だって悪い事なんですから、忍び込んで見たアレが証拠! とか言っちゃダメですよ?」
 だが、馬車内は盛り上がっていて――言われたアナスタシアが答える前に。
「……そんな段階は過ぎているわよ。正面から乗り込んだ方が、むしろいいこともあるのよ」
 もう一人の名――迷探偵?、百合園女学院推理研究会の会員二人のうち、金髪の女性が口を開いた。
 ブリジット・パウエル(ぶりじっと・ぱうえる)だ。
 彼女はアナスタシアの方を向くと、
「……そうそう、さっきは誰でも思う疑問をわざわざ口にしてくれて、ありがとう」
「なんですの?」
 なんだか含みがあるような言い方に、アナスタシアは怪訝な目を向けた。
「もちろん他意はないわ」
「……私にいちいち突っかかって来るように思えるのですけど……」
 口論になるかと思われた時、まぁまぁと、ブリジットのパートナーである橘 舞(たちばな・まい)がとりなした。
「ブリジットはアナスタシアさんのことずいぶん心配してたんですよ」
「舞、ちょっと何言ってるの?」
「そんなこと言って、無事帰ってきた時は嬉しそうでしたよ」
「目の錯覚よ。……それで、話の続きよ」
 さっきの疑問、というのは、何故レベッカでなくレジーナが婚約させられたか、というアナスタシアの疑問だった。
「確かに疑問だけど、レベッカの都合かも。相手がフェルナンじゃ嫌だったのよ、きっと。私だってきっぱり断るもの」
「それは、私だってフェルナンさんは嫌ですわ」
 ……ひどい言われようだ。
「まぁ、手元の情報から推測すると、一連の事件の鍵になってるのはレジーナ。彼女から一体何が起きているのか、聞かせてもらいましょう。彼女自身も話したがっているでしょうしね」
「フェルナンさんの無実を証明できる日も近そうですね」
 舞も頷く。友人たちから“テレパシー”で話を聞くこともあり、大分情報が集まってきている。
「そうですわね。でも、少々行き当たりばったりな気もしますけど……」
「謎はすべて解け、てないけど、まぁ、なんとかなるでしょ」
 ええ、と彼女の横で、舞も手を合わせる。こちらはなぜかほのぼのな雰囲気だ。
「それにしても、昨夜のレジーナさんがレベッカさんだったなんて、びっくりしました。ブリジットの推理とは少し違ったようですけど」
「誤差の範囲よ」
「その誤差の範囲の探偵さんが何で私より……」
 ……また始まった。舞香がこの喧嘩を見つつ、武闘派は私一人か、と思っていると、同乗していた男装の麗人と目があった。
「大変だけど、頑張ろうね」
 シェリル・アルメスト(しぇりる・あるめすと)はそう言った。それから、いつになく緊張して拳を握りしめている藤崎 凛(ふじさき・りん)の肩を優しくぽんぽんと叩いた。
「アナスタシアのことは任せて」
「はい」
 凛は、こくりと頷いた。


 馬車がジェラルディ家に到着し、来客として迎えられることになると、シェリルは門番が鉄扉にたどりつくその前に、背後の凛に促した。
「行っておいで、凛」
「はい……!」
 凛は決意を込めて頷くと、“隠れ身”で姿を隠したまま、彼女たちと共に鉄扉をくぐり、入り口の扉をくぐった。
 少々お待ちくださいませと、使用人が応接室にアナスタシアたちを待たせている間、彼らの脇を通り抜けて階段をそっと上る。
 敵対する契約者がいるはずがない。見つからないだろうと思っていても、知らず凛の体は震えてしまう。
 もしジルドが強力な魔術師だったら? 使い魔で見張っていたら? ゴーレムでもいたら?
 契約者と名の付く人間であっても、彼女は普通の、心優しい一人のお嬢様に過ぎない。
 凛は自分のことを、英雄でも、勇敢でもないと思っていたが、脳裏に浮かぶレジーナの姿を消すことはできなかった。恐れすら抱いてしまったあの姿で、彼女はたった一人、話を聞いてくれる人を待っているのだ。
「今、私にとって一番大切なのはレジーナさんを助ける事……!」
 彼女のいる部屋は、どこだろう。
 話を聞いていたとはいえ、探すのには時間がかかるかと思っていたが、一人のメイドさんの脇を通り抜けた時、
「そこっ! 成敗!」
 気合の入ったモップの一撃に、驚いて姿を現してしまった。
 メイドさん――百合園の校内で見かけたことがある――は、虫の気配と間違ったことを詫びると、『こちらは近づくなと言われています』と言って、遠まわしに部屋を教えてくれた。
 凛がほどなくして、レジーナがいると聞いた部屋の前に辿りつくと、今度はそこに百合園の「教育実習の先生」がいた。
 先に忍び込んでいた宇都宮祥子――この一連の事件の後には改姓して祥子・リーブラ(さちこ・りーぶら)と名乗ることとなった女性と、ギフトの宇都宮 義弘(うつのみや・よしひろ)だ。
 祥子は、凛を一枚目の扉から中に連れて行くと、コンコンと、軽く扉を叩いてみせた。
「扉、がっちり鍵かけられてるの。またアナスタシアに開けてもらおうと思って」


 その頃階下では、百合園の女生徒と使用人の押し問答が行われていた。
「ジルド様はただいま外出中です。お待ちいただいても構いませんが、奥にはどなたもお入れしないよう、仰せつかっております」
 使用人――執事見習いの清泉 北都(いずみ・ほくと)は、彼女たちの知り合いであったが、あくまで使用人としての分を守っていた。
 彼女たちの前には、丁寧に、お茶とお菓子が用意されたが、誰も手を付けていない。
「仰せつかってるのは分かってるけど、通らないといけないのよ」
 ブリジットが言い放つ。
 北都とて、頑強に抵抗するつもりはない。
 レジーナの外出用の帽子がにかけた北都の“サイコメトリ”は、持ち主を変え――つまりは時折のレジーナとレベッカの入れ替わりを示すばかりだった。衣服にもできたら良かったのだが、どうも彼女の世話はすべて姉のレベッカが行っているらしく、洗濯物は女性使用人の仕事だった。
 彼女たちが再び、正面からやってきたということは、何か証拠を掴んだからに違いない。
「くれぐれも、暴れないようにお願いします。……他の皆様に気付かれませんように」
「ありがとうございますわ」
 アナスタシアは礼を言うと、さっと皆と共にレジーナの部屋の前へと行った。祥子が手を振る。
「遅かったわね」
「お待たせしましたわ」
 アナスタシアは鍵を開けると(今度は前回より苦戦したが)、一同と共に奥の部屋へと足を踏み入れた。
 初めて見る者は、その光景に一瞬気圧されたようだ。
 アナスタシアにも、椅子に四肢を投げ出すレジーナの、まるで人形か剥製のような、生気の感じられない様子は異様に思えた。
 舞は憤ったように彼女に近寄ると、体を起こそうと背に手をかける。
「せめて、ちゃんとしたベッドに寝かせてあげましょう。
 ……病弱なジレーナさんの為なのかもしれませんが……だからといって、他人を犠牲にしていいことにはなりませんよ。ジルドさんは間違っています」
 凛は震える手を勇気を振り絞って鎮めると、レジーナに被せられた帽子を取り、細い腕の脈をとった。
「舞お姉さまの意見には賛成ですけれど、急に動かして障りがあってはいけませんわ。まずは介抱を……」
 と、言ったところで、言葉が途切れた。
 音がしない。手首に感触がない。凛の目が見開かれる。
 ……直観とは、得てして真実を語るものだ。病ではない、彼女は……。
「お姉さまがた、レジーナさんは、もう……亡くなっています」