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【十一 暗中一転】

 海上では、捜索時間を終えて浮上してきた深海探査筒の回収が始まっていた。
 ノイシュヴァンシュタインに回収されたヴェルサイユの捜索協力員達は、過酷な深海探査の為か、どの顔も酷く疲れた表情を見せていた。
 そういった状況を尻目にして、ゆかり、マリエッタ、そして彩羽の三人は、ノイシュヴァンシュタイン艦内に用意された分析室で、深海探査筒から次々と送られてくる電子化情報の解析に、大わらわになっていた。
 だがそんな中で、三人はそれぞれ、妙にひっかかるものを感じずにはいられなかった。
 特にバッキンガム艦内で起きている謎の失踪事件、更には完全にひとの支配下を離れてしまった中央管制システムのふたつが、どうにも胡散臭く思えて仕方がなかった。
「これは……士官クラスに直接訊いてみるしかないかしら」
 彩羽は持ち前のハッキング技術を駆使して、秘かにある情報を入手していた。
 この情報が、もしかしたら今回の事件のカギとなるかも知れない、との思いが次第に強くなり始めていたのである。
 彩羽が探り出した情報については、ゆかりも隣で見ていた為、大体の内容は把握している。が、正直なところをいえば、にわかには信じられなかったというのが本音でもあった。
 それだけに、彩羽が直接問いただしに行くといい出した時には、ゆかりも一緒になってついて行こうと即座に決めた訳である。
 彩羽とゆかりが向かった先は、ノイシュヴァンシュタイン艦内の司令室であった。
 到着するや、彩羽はブロワーズ提督、ではなく、ローザマリアを呼びつけた。
 ローザマリアは何事かと訝しげな表情を浮かべつつも、応対に出る為、彩羽とゆかりの前に姿を現した。
「何か、あったの?」
「深海探査筒から発信されるデータについて分析結果を……といきたいところなんだけど、その前にひとつ聞かせて貰えないかしら」
 彩羽の勿体ぶった口調に、ローザマリアは怪訝な表情を浮かべた。
 だがその直後、彩羽が放った台詞を受けて、ローザマリアの端正な面は一瞬だけ、緊張に強張った。
「オーガストヴィーナスって、一体何なの?」
 自身が放った強烈なひと言に対するローザマリアの反応を、彩羽は注意深く観察していた。
 流石に訓練された軍人だけのことはあって、ローザマリアはほとんど表情らしい表情を見せなかったのだが、彩羽は一瞬だけ、ローザマリアの瞳に緊張の色が浮かぶのを見逃さなかった。
 そしてこの反応から、彩羽はローザマリアのみならず、軍上層部がある機密を秘匿したまま、今回の捜査任務を展開している事実を悟った。
「さぁ、何のことか分からない……っていっても、あなたは信じないんでしょうね。その顔だと多分、大方の情報はもう握ってる、ってなところかしら」
 ローザマリアは敢えて否定はせず、逆に彩羽に対してカマをかけてみた。
 こうなってくると、最早心理戦である。
 それぞれが持っている情報という名の引き出しが多い方が、有利に展開するシビアな戦いであった。
 彩羽はそうね、と半ばとぼけたような口調で明後日の方角に視線を飛ばし、ローザマリアの反応を窺いつつ言葉を続ける。
「シャンバラ海軍は、深海中での自由な探索システムを確立しつつあった。そのシステムは、被験者の精神体を波動として海中に射出し、その精神体に物理接触点を持つ疑似映像体を与えるというものだとか……これが完成すれば、潜水艦はソナー以外の『目』を得ることになる訳よね。そりゃ何が何でも、完成させたくなるってものかしら」
 ここで彩羽は一旦、ちらりとローザマリアの端正な面を見た。
 一見すると無表情にも見える顔つきだったが、矢張りどこか緊張の色が見え隠れする。彩羽は再び視線を別方向に反らして、言葉を繋いだ。
「そのシステムがオーガストヴィーナス……でも肝心なのは、名前じゃない。その根幹となるカーネルとドライバに、マーヴェラス・デベロップメント社が完成させた映像物質化の為のシステム『オブジェクティブ・エクステンション』を採用していることにある……ってなところで、ここは退いておこうかしら」
 彩羽は悪戯っぽい笑みを浮かべて、ローザマリアの面を真正面から見つめた。ところがローザマリアは意外にも、彩羽の言葉の全てを肯定するかのように、小さく頷いたのである。
「まぁどうせ、この情報は近々機密でも何でもなくなるだろうから、いっておくわ……全てに亘って、イエス。それだけよ」
 そこでローザマリアは、話は終わりだといわんばかりに踵を返し、司令室に引き返していった。
 後に残された彩羽はというと、ゆかりに向かって苦笑を浮かべるしかない。
「最後の最後で、一本取られちゃったかな。でも、これで謎の一部は解明出来たわ。まだ全部が全部、理解出来た訳じゃないけどね」
 彩羽の何ともいえぬ微妙な表情に、ゆかりはかけるべき声も無く、ただただ漫然と、その場に佇むばかりであった。


     * * *


 だが、海の中では突如として、劇的な変化が起き始めていた。
「艦長……バッキンガムから何か得体の知れないものが、こちらに向かっているようだ」
 深海探査筒から送られてくる映像データを受けて、ダリルがギーラス中佐に報告を届ける。
 その得体の知れないものが海中を滑るように移動し、ヴェルサイユの外殻に張りついたかと思うと、まるで溶け込むようにして、ヴェルサイユ内部へと姿を消してしまった、というのである。
「先程届いた情報によりますと、バッキンガム艦内では謎の神隠しが連続して発生し、しかもその犯人と思しき謎の影は、微粒子単位で人間を分解することが出来るかもしれない、ということでした。それはいい替えれば、自分自身を分解して空間を移動させることが出来る……いわゆるナノマシン拡散に近しい能力を秘めていることになります」
 ダリルに続いて、理王が自身の分析結果をギーラス中佐に届けた。
 ナノマシン拡散と簡単にいってはみたが、謎の影とやらは単に拡散するだけでなく、他の物質の分子間を通り抜けるような行動を見せていたのである。
 これは流石に、ナノマシン拡散などというレベルでは収まらないであろう。
 だが、このまま手をこまぬいて傍観しているだけでは、危険が増すばかりである。
 ダリルはギーラス中佐の指示を受けて、艦内に第一種戦闘態勢に入る指示放送を流した。
 単なる捜索だけでことが済むと思っていた乗組員達は、この急な指令を受けて、幾らか戸惑いの色を見せるようになってはいたものの、そこは矢張り訓練されたプロの軍人である。いずれもすぐさま対応し、指定の位置へ次々と就いていった。
 一方、医務室内で家少佐と共に待機していたジェライザ・ローズとテレジアは、何事かと僅かに腰を浮かしかけた。
 ところが、その時。
『やぁ、コントラクター諸君。ひとつ君達に試練を与えてやろう……といいたいところだが、今はその余裕が私の方には無さそうだ。もし機会があれば、またお目にかかろう』
 艦内通路に出る唯一の扉から、ではなく、その逆方向からいきなり、渋みのかかった中年男性の声が響いたのである。勿論声の主は、家少佐などではなかった。
 慌てて振り向いてみたものの、声が響いた位置にはひとの姿などはなく、無機質な壁だけが、目の前に広がっていた。
 だが決して、聞き間違いでも幻聴などでもない。三人は確かに、誰かがそこに居て語りかけてきた事実を、その耳で体感していた。
 更にその直後、今度は艦内システムの致命的なエラーを告げる緊急警報が鳴り響いた。
 機晶エンジンとリンクする中央管制システムに問題が発生したことを告げる警報音であったが、そのけたたましい音はすぐに鳴りやんだ。
 一体、このヴェルサイユで何が起きているのか――少なくとも現時点では、ジェライザ・ローズもテレジアも理解するには至っていない。
「ここにじっとしていても、何も分からない……家少佐、申し訳ないが、事態を確認してくる」
「あぁ。しかし艦内は第一種戦闘態勢の指示が出ているから、下手に動き回るとペナルティを食うかも知れん。十分、気を付けてな」
 家少佐の忠告に頷き返しながら、ジェライザ・ローズはハッチを押し開け、艦内通路に出た。
 と、そこへ、テレジアも医務室を飛び出してきてジェライザ・ローズの隣に並んだ。
「何だか、とても嫌な予感がします。もしかしたら、謎の敵が艦内に侵入したのかも知れません……お節介かも知れませんが、バスケス少佐の安否を確認しに行こうと思います」
「それは、一向に構わんよ。私も正直、バスケス少佐には少し気になるところがあるからな。君が彼女のサポートについてくれるなら、それはそれで有り難い」
 かくして、ジェライザ・ローズとテレジアは揃って指揮所へと足を運ぶ格好となった。
 ジェライザ・ローズとしては勿論のことながら、戦闘態勢に入っているクルーの邪魔をするつもりなど毛頭無かった。
 ただせめて、最小限の情報だけは仕入れたいとの思いから、事情に詳しそうなコントラクターと接触出来ないかとの考えで艦内を移動し始めたまでである。
 そして何よりも――先程、彼女達に語りかけてきた謎の声について、いち早く報告を届ける必要もあった。
 もしジェライザ・ローズの予想に間違いがなければ、今、ヴェルサイユはとんでもない危機に見舞われていることになる。