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【六 ヴェルサイユ人間事情】

 オハイオ級機晶式潜水艦ヴェルサイユ。
 バッキンガムと同様、概要的な設計思想のみをオハイオ級から借用し、その実、根本の回路図面や構築技術などは教導団オリジナルの技法を導入している。
 特に特徴的なのが、機晶式エンジンと機関部を一にしている中央管制システムであった。
 技術と経験が非常に大きくものをいう潜水艦航海に於いて、特定の演算回路が主要部分を占めるというのは、これはある意味特異な話ではあったのだが、良いものはすべからく取り入れようというシャンバラ海軍全体の方針のもと、この中央管制システムの導入が決定されたのである。
「今どきの潜水艦が、ここまでシステム化が進んでいたとは……っていっても、これはパラミタで建造された潜水艦に限定されるのかも知れないが」
 制御パネルの前で、裏椿 理王(うらつばき・りおう)が心底感心したといった様子で、居並ぶ計器類やモニター類などを忙しそうに見廻している。
 その傍らでは桜塚 屍鬼乃(さくらづか・しきの)がいつものように、何も語らず、黙々と参考データの収集を進めていた。
「しかし、ヴェルサイユか……もう少し、色っぽい名前の潜水艦だったら良かったのにな……」
「パラミタ軍籍の艦には、女性名をつける風習は無いしな」
 いささか不謹慎な台詞をこぼしている理王に、屍鬼乃は冷淡なひと言で突き放した。
 しかし理王の意識は、ヴェルサイユの名前よりも、もっと別のところに強い興味を抱いていた。
 航海長のドリュー・バスケス少佐に対して、である。
 理王が見るところ、バスケス少佐は中々の美人であり、且つメリハリのあるボディーラインが特徴的且つ魅力的でもあり、お姫様抱っこをしたくなる女性のひとりであったことは間違いなかった。
 だが同時に、理王はバスケス少佐の苗字に対しても、ただならぬ興味を覚えていた。
「バスケス、か。物凄く気にはなるけど、流石に少佐殿に対しては、失礼な態度は取れないな」
「お姫様抱っこを要求することが失礼な行為だと、認識していたのか?」
 屍鬼乃が相当に驚いた様子で、傍らの理王をじっと眺めてきている。
 流石にお姫様抱っこ云々をいい出した時は、『また理王の悪い癖が始まった』と呆れていたものだが、その一方で理王が『失礼だ』という意識を持っていることにも、少なからず驚きを覚えていた。
 それでも矢張り、理王は理王だった。
(もっと普通にデータを集めれば良いのに)
 という屍鬼乃の思いは、矢張り拭いようがなかった。
「やぁ、お疲れさん。精が出るな」
 白竜の指示で艦内を見て歩いていた世 羅儀(せい・らぎ)が、真剣な面持ちで(しかし内心では幾分不謹慎な考えが無くも無い)作業に当たっている理王の背後から、いつもの陽気な顔を覗かせてきた。
 対する理王は、自身の直接の上司に当たる白竜のパートナーということもあって、羅儀に対してはそれなりの節度を持って接している。
 一方の羅儀も、理王と同じく女性が間近に居ることの潤いという感覚を強く持っている人物であるだけに、理王とは妙にウマが合うらしく、割りと日常的に言葉を交わすことが多かった。
「羅儀さん、お疲れ様です……ところでいきなりで何ですが、バスケス少佐をどう思います?」
 理王からいきなりストレートな話題を振られ、羅儀は一瞬言葉に詰まった様子を見せたが、それでもすぐに気を取り直して応じる辺りは、矢張りこれまでの経験が大きくものをいっているようであった。
「本当にいきなりだな……しかし、思うところは理解出来る。矢張り彼女の苗字、気になるよな」
 羅儀のこの反応に、理王は複雑そうな面持ちを見せた。
 単純にお姫様抱っこの興味対象としてだけ見れば気が楽だったのだが、羅儀が指摘するように、彼女の姓にはどうにも気になる点が多くて仕方がなかった。
「矢張り、あの人物とどこかで繋がりがある……と思った方が良いですかね?」
「さぁな……オレも直接調べた訳じゃないから何ともいえねぇんだが、結構な可能性があるんじゃないかと思ってるよ」
 かつてツァンダに存在した(現在は家格取り潰しとなっている)バスケス家――その血筋ではないか、という疑いが、羅儀の中にはあった。
 尤も本人がいうように、相手は海軍少佐という力のある立場の人物であるだけに、おいそれと素性調査などする訳にはいかなかった。
 そうなるとあとはもう、直接本人に訊くしかないのだが、流石にそこまでするのはやり過ぎだった。
「まぁ、彼女の素性がどうあれ、オレ達はやるべきことをやるしかない、ってとこかな」
「それも、そうですね」
 彼らが要求されているのはバッキンガムの捜索であり、バスケス少佐に対する勘繰りではない。
 その辺は理王にしろ羅儀にしろ、重々承知している部分でもあった。

 ヴェルサイユ艦内の医務室では、軍医家 毅(いえ たけし)少佐が取り仕切る形で、女医九条 ジェライザ・ローズ(くじょう・じぇらいざろーず)と、特定看護師テレジア・ユスティナ・ベルクホーフェン(てれじあゆすてぃな・べるくほーふぇん)が顔合わせの場を持っていた。
 テレジアにはパートナーの瀬名 千鶴(せな・ちづる)が付き従っており、医務室内はやけに女性の人口密度が高久なるという、ちょっとしたハーレムに近い状況が現出していた。
 羅儀や理王辺りが目撃すれば、さぞや羨ましがったに違いないと思われるような光景であったが、しかし家少佐はというと、然程に嬉しそうな表情を見せる訳でもなく、どちらかといえば素っ気無い態度で女性陣に接していた。
「これから、宜しくお願いします」
 と、ジェライザ・ローズが頭を下げれば、
「立場としては同じ医者だ、好きなようにやってくれ」
 と、家少佐は物凄く適当に応じる。
 かと思えば、
「これでも特定看護師ですので、最低限のお手伝いは出来るかと」
 と、テレジアが自己紹介を兼ねてアピールしてみれば、
「そりゃ出来るだろう。でなけりゃ、追い出されるだけだ」
 と、これまた適当な返事が飛んでくるばかりである。
 流石にやり辛いと感じたのか、ジェライザ・ローズとテレジアは互いに顔を見合わせてしまった。
 しかし、ここで二の足を踏んでしまっては本当に役立たずだと断じられてしまうだろう。そこでまずはジェライザ・ローズが、自らの意気込みを語ってみせた。
「郷に入っては郷に従えという言葉もある通り、まずは艦内での対応その他諸々について、学んでいきたいと思っています。恐らく私の仕事は救助後が最も忙しくなると思いますので、それまでは乗組員の皆さんを色々とお手伝いしたいのですが」
「やめた方が良い。どうせ、邪魔になるだけだ」
 物凄くあっさりと、断じられてしまった。
 ジェライザ・ローズの気持ちも、分からなくはない。
 しかし下手に素人が艦内をうろついて作業の邪魔をしてしまっては、却って雰囲気が険悪になる――家少佐はジェライザ・ローズの意気込みはちゃんと伝えておくから、余計なことはするなといい放ち、それっきりその話題については何も語らなくなってしまった。
 一方、テレジアはというと。
「あの、バスケス少佐がコントラクター達を何となく敬遠しているのは、素人は足手纏いになるだけでなく……もしかして、海軍と陸軍の仲が良好とはいえないから、なのでしょうか? どこの国も少なからず海軍と陸軍の反目はあると聞きますが……」
「一体どこの国の話をしているんだ? 少なくともシャンバラの陸軍と海軍は、そんな下らん反目なんざ抱いておらんぞ。仮にドリューが気にしているとすれば、素人のコントラクターが乗り込んでくることだ。陸軍云々は何も関係無い」
 と、これまたあっさりと否定されてしまった。
 どうにもこの家少佐という人物は一癖も二癖もあるようで、中々とっつきにくい性格らしい。
「そ、そうですか……でも、海のことは船乗りが一番よく分かっている筈ですから、私はコントラクターだからと横柄に振る舞う気は、全くありません。命を預けるつもりで乗せて頂いています」
「そういうのはな、口先じゃなく、黙って態度で見せるもんだ。下手に言葉にしちまうと、意味も無く軽々しい響きになっちまうぞ。言葉にすることで、折角の意気込みも薄っぺらくなっちまうことだってあるんだ」
 手厳しい意見だったが、しかし頷ける部分もあった。
 自分はこんなに頑張っているんだ、こんなに必死になっているんだ、などと口先で吹聴するのではなく、結果で語れ、といっているのである。
 家少佐のこういうところは、流石にプロ意識の強い人物だな、とジェライザ・ローズは傍らで聞いていて感心するばかりであった。
「言葉にすると、ただ恩着せがましくなるだけだ。本当に相手のことを思いやるなら、黙って態度と結果だけで示せ。それ以外は一切不要だ」
 家少佐の言葉には、不思議な説得力があった。
 これが、経験を積んだ海の男の言葉、というものらしい。