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あわいに住まうもの

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あわいに住まうもの

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 第二結界――手に入らないもの

 二つ目の通路。遠い、或いは近い、そんな概念が存在しないということは、認識の外にある限り永遠に届くことはないという意味でもある。一方で、相手に遠く、自分に近く、即ち、一方的に認識できているならば、その攻撃は不可視の一撃となって相手に突き刺さることになる。この場では、狙撃手、暗殺者こそが最も警戒するべき手札と言えた。
 だからこそ、その男は手にした紫色に輝くライフルでじっと狙いを定めていた。座射体勢でただ機会を待つ。奇襲のイニシアチブは一発。男の認識の向こうで最初の結界が弾け飛ぶ。それを砕いた女戦士が大地に降りていく。唇が哀悼の言葉を紡ぎ、引き金に指がかかる。
「させませんっ!」
 力強い声。くぐもった銃声。銃口から弾丸が放たれる。禍々しい色を放つそれを、ウィル・クリストファー(うぃる・くりすとふぁー)のガントレットが弾き飛ばした。火花を散らして、実体を持った瘴気の弾丸があらぬ方向へと飛んでいく。深く弾痕が刻まれ、痺れるほどの衝撃を残したガントレットをウィルが握り込む。直撃を受けていれば貫通していた。
「濃い殺意の匂いをそれだけ振りまいておれば、寝ていても気づく……仲間をやらせはせぬよ」
 ファラ・リベルタス(ふぁら・りべるたす)が傍らに降り立つ。扉を抜ける彼らが、一直線に伸びる殺気を看破したのだ。鋭すぎるその意志の半ばに降り立ち、放たれた弾丸を防げたのは僥倖といえた。
「……吸血鬼、長命種か」
 落ち着いた言葉で男が言う。立ち上がり、濁った眼で二人を見る。ライフルの鈍い輝きが不気味に光る。大柄な体にコートをひっかけ、胸元に輝く核を備えた黒い男。狂気の色は薄いが、研ぎ澄まされた殺意は明らかに常人のそれではない。王と戦い、敗れた結界師の一人にして、人間であることを諦めた、寄生種に相違なかった。
「……そこの少年を、引き込んだか」
 ファラが眉を顰める。どろりと濁った眼が、見るともなく二人を見ている。その眼が見ているのは、決して二人の姿だけではないことを悟ったのだ。盲いた眼に映るものは光ではない。その眼が見通しているものを見極めるため、一歩進み出たファラは口を開いた。
「だから、どうしたというのじゃ。助けるため、そして共に生きるために、私は最良の選択をした。そのことに後悔はない」
「……そうだろう。そうであれば、独り残される可能性は、減る。定命種であった俺よりは、お前は、望ましい未来を手にした。……だが、最後まで共に歩める事を、誰が保証する?」
 ちきり、と小さな音、間合いを詰めようとしたウィルの足が止まる。ファラが注意を引きつける陰で、本当にわずかに動いただけだというのに察知されていた。言外の牽制のし合い。尋常な銃器であれば、リロードの隙間を狙うことが出来た。だが、そんな常識が通用する相手である保証はどこにもない。ファラが冷や汗を流す。
「何が言いたい?」
「……お前は、戦いに身を置いてしまった。こうして俺と相見えた。恐らく、これからもそうだろう。その時、どちらかが倒れたなら? ……必ず助ける、という美しい言葉もあろうが、その言葉が届かない時は、お前たちが身を置いたのが永遠であればこそ、必ず、いつか来る。逃れられぬ未来だ」
 ちり、とウィルの眉間に殺意の矢が突き刺さる。その意志だけで殺傷力があるかのような錯覚。同様の感覚がファラにも襲い掛かった。
「たとえ、引きこんだことでその時は逃れても、独り永遠を流離う未来は訪れる。お前たちは、耐えられるとでもいうのか。それを知って尚、王を止めるというのか。王のもたらす未来には、全てがなく、全てがあるというのに」
 ファラが唇を噛む。一瞬たりと隙がない。静かすぎる男から、確かな殺意と、泥のような失意の気配。言葉の弾丸が幾度もファラを穿つ。永遠にも似た時間を生きたファラだからこそ理解できる。真なる永遠など、どこにも存在しない。そんなことは、分かり切ったことだった。
 だが、ふ、とウィルが表情を和らげる。「なんだ、そんなことか」とでも言いだしそうな、緩んだ気配の中、ごく自然に、ウィルは口を開いていた。
「耐えられません」
「ウィル?」
 ファラが顔色を変える。だが、ウィルは首を振った。男は何も語らない。ただ、ウィルの答えを待っていた。
「耐えられるわけがありません。ファラさんのいない永遠を生きなければならないなんて、想像するだに恐ろしい。そんなことは、出会ったその時からわかっていたことです」
「ならば」
「でも、所詮、出会えなければ終わっていた命です。ファラさんに出会えて、新たな命を貰った。なかったことにすることなんてできません。孤独は、塵に還るまでに得られる極上の贅沢品です。その痛みこそが、僕が受けた幸せの証なのですから。ならば、耐えられずとも、受け入れましょう。その時を」
 男が深く沈黙する。ウィルの言葉に、ファラは複雑な顔をし「馬鹿者……」とつぶやいた。深く長い沈黙から、男が浮上する。
「……純粋に、尊敬しよう、少年。俺は、そうは思えなかった。守るために戦っていたはずが、帰った時に、あいつは、もういなくなるなどということを突き付けられても戦えるほど、俺は強くなかった」
 男の核が輝く。呼応して、鈍く輝く、紫のライフルが瘴気の気配を高めていく。ウィルがいつでも飛びだせるよう、姿勢を低くした。
「王に従い、あいつを撃った俺に、最早撃てぬものはない。俺の未来の為、お前たちの未来を貰う」
「ならば、全力で相手をします……!」
 ウィルの跳躍と発砲音は同時。凝縮された瘴気の弾丸がウィルをかすめる。ばちゅん、と豪快な音を散らして、ウィルの装甲靴が火花を散らした。
「天上の雲霞、沸き立つ黒雲、汝が威光、我が前に示せ!」
 ファラの詠唱が完成する。どう、と空気を震撼させ、生み出された雷撃が男の周囲を丸ごと焼く。顔色ひとつ変えずそれを受けた男の真上に迫ったウィルが咆える。
「はああああああ!」
 剛拳が迫る。体中を焦げ付かせた男がゆるやかに動く、ライフルを片手に保持したまま、半身に体を開き、ウィルの拳を捌いた。カウンターで迫る膝を同じく蹴りで受け止める。だが、ウィルのその動きすら読んで、勢いを止めたウィルの額に頭突きが刺さった。
「ぐっ!?」
 わずかに体が離れる。そこに男のライフルが押し付けられた。
「う、おおおおおおお!」
 掌底。ぎりぎりの体勢で繰り出したそれが男の銃口を逸らす。放たれた致死の弾丸が明後日の方向へ飛ぶ。すかさず追撃の蹴りが跳ぶ。それをあえて受け、再び放たれた弾丸を危なげなく回避し、ウィルが再びライフルの間合いより内側に肉薄する。
「長引けば私達が不利じゃ! 時間はないぞ、ウィル!」
「分かっています!」
 離れれば殺される。ファラに銃口を向けられてはならない。一瞬の判断が命取りになる攻防が続く。肉薄しすぎる状況ではファラも迂闊に魔法を撃てない。ぎり、と歯を食いしばったウィルが、男の一撃を受け、それを捕えた。意図を察した男がライフルをファラに向ける。それを許さず、起点になる肩を掌底で打つ。狙いがずれた弾丸が飛ぶ。ウィルが叫んだ。
「雷撃を!」
「しかしっ!」
「早く!」
 意を決したファラが詠唱を始める。無表情に、男は動きを妨害し続けるウィルに攻撃を打ち込み続けた。小さく唇を動かす。
「――大切なものを犠牲にして、大切なものを望んだ」
 ウィルがそれに気付き、問い返そうとしたとき、ファラの詠唱が完成する。
「神々の剛腕、大地を砕く、破壊の槌よ!」
 どう、と巨大な雷がウィルを男を貫く。諸共に受け止めたウィルも無事では済まない。ましてや直撃を受けた男は猶更。だが、男はそれでもライフルをウィルに向けた。
「終わり、です!」
 歯を食いしばり、半身になってそれを捌く。同時に突き出した拳が、確かに男の核を捉えた。核を起点に、男の体に蜘蛛の巣のような亀裂が走る。
「……お前は、決して」
 言葉が終わるより先に、男は完全に砕け散った。打ち抜いた姿勢のまま、ウィルが崩れ落ちる。言葉もなく、ファラがそれに駆け寄った。がち、と男の銃が地に落ちる。紫色の霧になって霧散した男の残骸に続いて、その武器も砂になってどこかへ消えて行った。二人は、それをじっと見つめていた。やがて、ファラが口を開く。
「無茶をしおる」
「すみません。でも、貴女が無事でよかった」
「――二度も死なせはせぬ。他にもいるやもしれぬ。戻るのじゃ」
「ええ」
 二人はリィが維持する扉を潜った。二人が逃れた後、また、その空間に罅が入る。がらがらと崩れ落ちるように、そこもまた砕けて消えた。



「ふっ!」
 杭のような太さの棘を跳躍して回避する。御神楽 陽太(みかぐら・ようた)の子孫たる御神楽 舞花(みかぐら・まいか)は、幾度の攻撃でも削り切れない結界の強度に舌を巻いていた。無用な程の威力を誇る一撃でさえ、その殆どが無効化される。それでもかなりの損傷を与えている自信があった。だが、結界は砕けない。攻撃は止まない。
「古たる聖者の祈りよ、我が友の為、今一度その奇跡を!」
 エース・ラグランツ(えーす・らぐらんつ)のホーリーブレスが舞花の傷を癒す。再び打ち込まれた棘を回避しながら舞花が礼を言う。
「ありがとうございます!」
「御礼はいらないよ。でも、このままだと、怪我が増えるだけだ。何か……」
 頷きを返しながらエースは歯噛みする。支援魔法が届くようになったとはいえ、こちらの攻撃をひたすら耐え続ける結界をどうにかしない限り、あの瘴気の塊に攻撃を届けることは出来ない。その読みから、契約者達はひたすらに浮遊する結晶を攻撃し続けていた。棘を放ち続ける結晶も、広範囲攻撃が不能になったのか、先ほどから見切りやすい攻撃しか撃ってこない。だが、だからこそかすりでもすれば重傷となった。
 だが、じじ、と、切れかけの電球が最後の明滅をするように、棘を吐き出し続けていた結晶がぶるりと震えて動かなくなる。舞花の脳裏に、先ほどセレンが結晶を打ち砕いた姿が閃いた。
「エースさん! あの結晶を捕えてください!」
「素敵な御嬢さんの頼みなら、断る理由はどこにもないね」
 エースがにっこりとほほ笑むと、即座に詠唱を開始する。舞花は弓に矢をつがえ、じっと結晶を見つめた。輝きを失った結晶はじりじりと後退している。結界の内側にまで入り込まれれば砕く機会を逸する。あれを砕かなければ、王に攻撃は届かない。
「させん!」
 瘴気の塊がついに揺らぐ。その能力を減退させた結界の隙間から、無数の黒い弾丸が飛び出していく。固められた瘴気が殺意を為して舞花を狙う。それは全方位を取り囲むように撃ち出され、躱す術を奪っていた。
「嘆きの海より来たりて、怒りの大地を越えよ、汝が旅路の果てに、実りの時が待ちたれば!」
 エースの呪文が完成する。誰よりも自然を愛したがゆえに、すべてに繋がる「あわい」にて、大地の力を召喚し得た。突き立つ岩石の槍が舞花を狙った黒い弾丸を受け止める。狙いが逸れた弾丸が、砕け散った岩の破片が、舞花の頬をかすめる。だが、舞花は決して瞼を閉じない。極限の緊張を維持したまま、機会を待ち続けた。
 さらに岩の槍の隙間から伸びた蔦が結晶を遂に捉える。ぐん、とこちらに引き寄せられた結晶が、わずかに結界に届かず、静止する。二つの結晶と、舞花の位置が一直線上に結ばれる、その一瞬を作り出した。
「今だ!」
「はいっ!」
 エースの言葉が飛ぶや、舞花が力を開放する。引き絞られた力に己の全てを乗せて、揺らめく結界の隙間を確かに見切る。極限まで力を引き出された身体が悲鳴を上げる。それでも構ってはいられなかった。矢に全てを込める。
「お願い、届いて……!」
 手を離す。全ての魔力、すべての力を乗せた一撃がまっしぐらに走る。鋼が固い石を通り抜ける、甲高い音。矢は留まることなく結晶を打ち抜き、背後に控えた結晶を貫いた。ばぢ、と凄まじい音を立てて、結界を展開する結晶の一部が削れる。その矢は尚も突き進み、王の真横を通り過ぎた。
 闇が一瞬払われる。人影を覆うそれが払われ、貌があるはずのそこには、何もついてはいなかった。ただ、のっぺりとした黒いものが、はためく黒いローブの奥に凝っているだけだった。
 息を飲む舞花の前で、ずず、と音を立てて闇が戻っていく。結界が揺らめき、規模をさらに縮めて安定する。瘴気の奥に隠された姿が、わずかに見え隠れしていた。
「――何故、分からぬ。いや、分かっているはずだ。この世界が、信じられるほど確かなものではないことに。いずれすべては失われる。それを座して待つのが、お前たちの選択だとでも言うのか! その態度こそが真の諦めであることに何故気付かぬ! 我が手足は気付き、軍門に降った! それを砕いて、その先に何を信じる! 愛すべき混沌のみが、それを救えるというのに!」
 舞花が次の矢をつがえる。そして静かに答えた。
「私は、ご先祖様が護り、育ててきた秩序を信じています。挫折も、喪失も、飲み込んで進んできました。それが完全でないことも承知しています。だからこそ、少しでも多くを守れるよう、私は戦っているのです」
「その秩序に殺されたのが、我が手足達だ。お前のために死んだ有象無象を、見ないようにしてきた暗闇を、私が救済しようというのだ!」
 舞花が口をつぐむ。だが、一歩進み出たエースがやれやれとでも言うかのように肩をすくめる。
「それこそ詭弁だ。君は僕たちを犠牲に望む世界を手に入れようとしている。僕らは、それを要らないと言った。二度目は言わないよ」
 エースの言葉を受けて、ざわりと闇が蠢く。舞花を襲った黒い弾丸がいくつも生成され、宙に浮かぶ。ぞっとするほどおぞましい声が、その奥から響いてきた。ぐつぐつと、煮えたぎる様な音が聞こえてくる。舞花が身構えた。
「ならば、全てを奪い尽くされた後、己が愚かさを悟れ!」
 弾丸が放たれる。再びエースの呪文が成り、それを防ぐ。回避運動を取りながら、舞花が叫んだ。
「エースさん、その、ありがとうございます!」
「何、当然なことさ!」
 契約者達の攻撃が王を押し込めていく。ばきり、と、確かに罅の入る音。中衛を預かるアニスが、わずかに首を傾げて空を見上げた。悲鳴のような声を、聴いた気がしたのだ。