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リアクション
第三結界――零れ落ちるもの
門。うねる闇のような穴が中空に穿たれている。静かな駆動音を立てる、機械の錫杖を握ったまま、アクリトは静かにそれを見つめていた。ふと、腕にした時計を見つめる。作戦開始から結構な時間が経っている。まだ、リィとエイラの力は消えない。それは即ち、門の維持に力を使わずともよいということでもあり、全力で戦いを続ける契約者達が危険に晒されようとしているという意味でもあった。
この時計に術をかけた折、北都が「お互いやるべき事をしましょう」と言っていたことをふとアクリトは思い出した。そろそろ、己の役割が来るだろうか、と思案しながら。
「どうしました、先生?」
九条 ジェライザ・ローズ(くじょう・じぇらいざろーず)がそんなアクリトに声をかける。「いや……」と言葉を濁す姿にロゼはわざと眉を顰めてみせ、めっ、とでも言うように指を立てた。
「駄目ですよ、今は集中しないと。アレン君達が周辺調査をしてくれているんですから、今は私達だけでここを維持しないといけないんですよ?」
「ああ、その通りだな」
じ、とわずかにアクリトの握る錫杖に反応がある。この空間に異常がある証。しかし、それが何なのかが分からない。その思案の表情を別の方向に解釈したのか、ロゼは言いにくそうな顔でアクリトに呼びかけた。
「パルメーラさんのこと、気にしているんですか」
「……していないと言えば嘘になる。石を解析した時、あの王の力なら或いは、とは考えた。だが、零れ落ちたものを取り返そうと引き返すことが、間違いであると理解できる程度の分別は、あるつもりだ」
アクリトの言葉にふっとロゼが表情を緩める。だが、アクリトは首を振った。
「安心しました」
「少々、それには早い。空間に異常がある。原因が分からない。注意しろ」
その言葉にロゼが表情を引き締める。直後、機械の警戒音。葛城 吹雪(かつらぎ・ふぶき)が周囲に張り巡らせた警戒網に感があったのだ。
「複数。小質量。しかし小さすぎるのであります。一つ、人体程度の大きさのものが接近中。やる気満々の気配であります」
吹雪がミリタリーマチェットを抜き放ち、姿勢を低くしてぴたりと一方を見る。その方向へロゼが一歩進み出た。手にした魔道銃――キラークイーンの撃鉄をかちり、と起こす。
「吹雪さんは後衛を。小さな反応が気になります。その正体を突き止めるまで、私が前衛を務めます」
「了解であります」
僅かな静寂。緊張が走る中、この場に相応しくない音が響く。「ひっ、ひっ」としゃくりあげる声は、子供の泣き声。ずる、ずる、と何かを引きずる音が響く。姿は見えない。だから、その姿が飛び込んできたのはアクリトが掌握する空間の範囲に飛び込んできてからだった。
「ひっく、う」
手縫いの人形を引きずる少女が突然に姿を現す。ぼろぼろと涙を流し、ゆっくりとこちらに歩み寄ってくる。ぎょっとして声をかけようとしたロゼの動きが停止する。ぞっとするような恐怖感。殺気とは違う、根本的に感覚のずれた何か。その正体に気付く前に、ロゼは目の前の少女の胸に輝く核に気付いた。
「寄生種……!」
「それから絶対に注意を離してはならないのであります。周囲は自分に任せるであります」
吹雪が固い声で警告する。小さな反応はアクリトの掌握範囲を離れた位置ですべて停止していた。徐々にその反応を拾っていた機器が破壊されていく。それがあの少女の手によるものかは分からない。だが、攻撃を受けていることだけは確かだった。
「おねえちゃんも、ぶつの?」
しゃくりあげながら、少女がロゼの拳銃を見る。ロゼはうろたえず、静かに答えた。
「もし、あなたが、私達に何かするなら」
だが、その答えを少女は聞いていなかった。強烈な違和感の正体。「彼女はここにはいない」というまぎれもない確信。たしかにそこにありながら、彼女自身は隔絶され、周囲に触れてはいない。狂気と人が呼ぶもの。
「いやだよう。私には無理だよう。もう、やめてよう……!」
少女が頭を抱える。その瞬間、紫色に煌めく何かが少女の指先で踊るのをロゼは確かに見た。
「頭を下げるであります!」
吹雪が咆えると同時に跳躍する。ぴん、と糸の張る音。同時に無数の人形たちがアクリトの領域に侵入してきた。頭を下げたアクリトの背中を、肩を狙って無数の刃物が降り注ぐ。だが吹雪の刃の方が速い。風切り音。無数の剣閃がそのすべてを断ち割り、人形を引き裂いた。着地と同時につながりを断たれた人形がばらばらと周囲に転がる。
「糸です! 囮に迷わされないでください!」
ロゼの言葉と同時に、吹雪の周囲で紫色の輝きがちらついた。迷いなくマチェットを振る。わずかに返ってくる手ごたえと共に、周囲をとりまいていた狂気が失われる。安堵する暇すらなく、ロゼにもそれが叩き付けられた。
「ああ、ああああ」
意味を為さない呻き声を上げながら少女が手を振り回す。乱雑なはずのそれは、糸そのものが意志を持っているとしか思えない動きでロゼを追い詰める。
「そのまま銃を構えるであります」
冷静な吹雪の言葉。阿吽の呼吸でロゼがぴたりと少女の核に照準を定める。同時に吹雪がかちり、とスイッチを押した。ずん、と爆裂音。仕掛けられた指向性の爆裂魔法が狙い過たず少女を襲う。それ自体が生き物のように、急速に編まれた糸が結界を形成する。爆傷を与える閾値を突破できない。だが、攻撃を止め、結界の隙間を縫うだけの時間は十分にあった。
「ごめんね」
これ以上ないタイミングで、ロゼが引き金を引いた。乾いた音。真っ直ぐ少女の核へ向けて突き進んだ弾丸はしかし、爆風でよろめいた少女の右肺に着弾した。爆裂する。
聴くものの心を引き裂く悲鳴が轟いた。糸が暴れる。体の三分の一に吹き飛ばされ、胸郭より上だけにされた少女の口から狂気じみた悲鳴があふれる。ぼこぼこと体が過再生を引き起こし、無理やりに繋がろうとする。増殖し続ける少女の「現在」が、苦痛そのものとなって襲い掛かっていた。
きん、とあくまで静かな音。抜き放たれた大太刀。【紅王】の一刀が滑るように少女を走り抜ける。とん、と少女の背後に立ったロゼが大きな動作でそれを鞘に戻す。
「おかあ、さ」
ぱきり、と核がずれ、さあ、と砂の様に少女の体が崩れていく。ロゼはその姿を見なかった。苦しそうに歯噛みする。アクリトに迫る糸を悉く切り払っていた吹雪もまた、落ち着いてマチェットを鞘に納める。
「……戦いたくない手合い、でしたね」
「ああ。だが、空間の歪みはあれが原因ではない」
その言葉を聞き、吹雪は首を傾げた。
「佐野の伝達では、寄生種の核と、王の結界は直結しているのであります。王の能力であるなら、空間に何が起きても不思議では」
その言葉が言い終わる前に、ばしり、と空間に罅が入る。それはアクリトの掌握する空間を避けて広がっていく。ぶう、ん、と先ほどの比にならない出力で錫杖が稼働する。それを意識した瞬間、門の前の空間が砕け散った。同時に凄まじい瘴気の渦がアクリト達を取り巻く。
「掴まってください!」
その乱流の中、耐性のためか姿勢を保ったロゼが二人を支える。アクリトが握った錫杖の握りを調節し、掌握の精度を上げる。瘴気の乱流はかろうじて収まったが、門の周辺は、門そのものよりも空虚な無明が広がっていた。王の間に繋がる扉ですら光のように思えるその中で、アクリトが吹雪に告げる。
「空間の接続を切られた。結界と空間の維持は連動しているようだな。全ての結界が砕け散った今、門が閉じるまでそう時間はない。佐野を経由してアレンを呼び戻してくれ。門から離れているなら、無事なはずだ」
「了解であります」
吹雪がHCを操作する。それから目を離し、アクリトはロゼに声をかけた。
「九条。前線を頼む」
「でも、先生は!」
「時間がない。少しでも早く、根源を断ってくれ」
真剣な顔のアクリトを見、ロゼは無言で頷き、門へ飛び込んだ。領域の外で吹き荒れる瘴気の嵐が、怨嗟の声の様に響き渡っていた。
※
「何故、何故諦めない!」
戦闘開始からかなりの時間が経過していた。既に精神力が底をついている契約者も少なくない。それをぎりぎりで繋ぎとめる、エースやセレアナを始めとする支援術者がいなければ、とっくの昔に前線は崩壊していた。既に結界を守る結晶は一つ。瘴気の棘も、虚脱の雲も失い、身を守る盾と、己の瘴気のみで戦う王は、それでも単身で契約者達と拮抗して見せた。
「あなたが、一番、分かっているのではなくて?」
カットラスを構え、息を整えながらユーベル・キャリバーン(ゆーべる・きゃりばーん)が告げる。剣風を駆使して黒い弾丸を掻い潜り、結晶に攻撃を試み続けたのだ。ぐらつき、明滅しながらも未だ結界を維持するそれを破り、かの王に太刀を浴びせなければ終わらない。それでもまだ、ユーベルは切り札を切ってはいなかった。
「これは、あなたと、私達の、未来の奪い合い。望む世界の奪い合いよ。あなたに退けない理由があるように、私達にも、退けない理由がある!」
風の魔法で仲間への被害を抑え込んでいたリネン・エルフト(りねん・えるふと)が再び精神を集中させながら返す。傍らで、肩で息をしながら立つエイラを守るように機会を伺っていた。そのエイラが、双刀を構え直しながら小声でリネンに声をかけた。
「次の攻撃の時、活路を開きます。弾丸の再生成には時間がかかるはず。結界を切り裂ける確度が一番高いのは私で、奴は私を警戒しているはず。私があれを受けているうちに、リネンさんが」
「駄目よ。自分を犠牲に、なんて最初から考えるのはなし。思い切り、我儘にいきましょ?」
に、と笑って見せるリネンに、エイラは笑い返した。
「死ぬつもりなんて、ありません。お姉ちゃんが、私と一緒になっちゃったのは悲しいけど、まだ、私たちは帰れるから。……お願いします。このままじゃ、お姉ちゃんが持たない」
言われ、ちらとリネンが背後を確認する。王をここまで押し込められているのも、この空間で契約者達が全力で戦えるように結界を展開し続けるリィの力が大きかった。脂汗を流しながら、リリに守られているその姿を確認した時、リネンはユーベルに目配せをした。静かにユーベルが応じる。それを見届けて、エイラが一歩進み出た。それを見、王がさらに弾丸を生成する。
「やはり、その二振りか。最後まで、我が力にまつろわぬ、我が力を最も強く受けた、その刀か!」
「そう。あなたと一番近いから、あなたと何度も戦ってきたから、この刀だけは、あなたに従わない。あなたが、間違っている事を知っているから」
「――何を言う?」
エイラがもう一度息を吸う。姿勢を低くして双刀を構える。
「本当に帰る場所がもうないのを知っているのはあなただから。あなたが生まれた混沌の世界はもうない。分割され、封じられたあなたの故郷は、今ある世界を混ぜ合わせても、戻ってなんてこない。私達が皆に教えてもらったことを、あなただけが、わかっていない!」
「知った口を……概念の混淆こそ、麗しき混沌の世界の本質。そこに生まれた我らがそこに還る事こそ、あの時代を蘇らせることになる。そこに、疑いはない!」
「分からず屋ぁっ!」
黒い弾丸が奔る。同時にエイラが跳躍する。今までと違い、風の魔法の支援は飛んでこない。セレンが幾つかを叩き落す。セレアナの加護が飛ぶ。エースの支援魔法が、舞花の矢が飛ぶ。それでも無数に見える弾丸がエイラに迫る。幾つかを切り払い、幾つかを受け、何発かを腕に受けて吹き飛んだ。
「エイラ!」
リィの悲鳴のような声が飛ぶ。だが、エイラは笑っていた。
「良く、頑張ったわね」
跳躍。落ちていくエイラの脇をすり抜けて、リネンとユーベルが結晶へ迫る。完全にエイラへ狙いを定めていた王は対応が間に合わない。静かに、和輝の現実を告げる声が響いた。
「――最終結界の破壊を確認」
ぶう、ん、と最後の結晶が輝きを失う。その一瞬を逃すはずがなかった。
「特別なのは、エイラ達だけじゃないってこと、見せてあげる……ユーベル!」
ユーベルの身体が輝く。溢れ出す光輝の力に装備がはじけ飛ぶ。抜き放った巨大な光の剣、ユーベルキャリバーが振りかぶられる。輝きを失った結晶の真下、王がそれを見上げる。
「貫けぇえええええええええええ!」
リネンの一撃が振り下ろされる。一瞬の拮抗。乾いた音を立て、結界が完全に崩壊する。音もなく蒸発した結晶を押しのけ、光輝の剣がまっすぐ、王に振り下ろされる。だが、黒い稲妻と共に、リネンの手に返ってきたのは恐ろしく硬い感触。
「……認めよう」
ぎりぎりとリネンと王が鍔競り合いを演じる。リネンの目に映ったのは、貌の無い王の姿。そして、手にされた漆黒の剣。すべての呪具が根源にして、王の力の顕現。ローブが裂け、王の胸にある、黒い稲妻を放つ核を露わにする。
「刀など、能力など、道具にしか過ぎないという事を。そして、お前たちの覚悟が、我が望みと比するに足るという事を。故に」
黒い稲妻が光の剣を押し返す。王が、初めて構えを取った。間合いを挟んで、リネン達と対峙する。
「奪い合おう、契約者達よ! お前たちの願い、そして我が願い、並び立たぬというのなら!」
びしり、と空に亀裂が走る。結晶が砕ける悲鳴のような音がそこかしこに響き、瘴気の乱流が結界を襲った。リィが維持する空間以外の全てが、無明の闇に溶けていく。リィが苦悶の声を上げた。
「敗れた者が、この無明へと還ることになる。やってみるがいい、契約者達よ。あわいに住まう、沸騰する混沌にして王。無貌なるものを、破れるというのなら!」
「上等よっ!」
最後の力を振り絞り、契約者達が武器を構える。お互いの存在を賭けた、最後の激突だった。
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