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一会→十会 —失われた荒野の都—

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一会→十会 —失われた荒野の都—

リアクション



【遺跡の外で】

「兄ちゃん、兄ちゃんッ、どうだい綺麗だろう? 彼女さんに買っていかないかい!?」
 如何にも偽物の宝石が嵌まった指環を摘みながら有無を言わさない勢いで売りつけようとする露天商に、困ったような笑顔で両手を横に振って断りながら、椎名 真(しいな・まこと)はふっと息を吐き出した。
 この遺跡が見つかってから店の品物ごとやってきたのだろうこういった便乗商売の類いから、にわかづくりの専用土産物を販売をしている店まで、様々な露天が遺跡の入り口を囲んでいるのだ。これこそ観光地の醍醐味でもあるが、同行者を失った今では数歩歩くにも疲れるくらいだ。溜め息も出てしまう。
 しかしそんな折、真は疲労が半分以上の自分の青色の吐息に混じって、隣の露天から甘い溜め息を耳にした。
「はぁ〜〜〜うちの天使ちゃん、今日も可愛いわぁ……」
 そちらへ視線を向けると、お兄さんと表現していいのかお姉さんと表現していいのか判断しかねるオネエさんが、並べられた商品を見下ろす少女の背中をうっとりと見つめている。
「あんなに熱心に見入っちゃって。本当に楽しいのね。
 休暇返上でここまで来て良かったわー」
 ニキータ・エリザロフ(にきーた・えりざろふ)は今日、休暇を利用して、タマーラ・グレコフ(たまーら・ぐれこふ)を此処へ連れてきたらしい。
 タマーラは絵本などを読むのが趣味で、最近はツタンカーメンに関する本を熱心に読んでいた。それを考慮した甲斐はあったようだ。表情はむつっとした顔であるものの、頬が薔薇色に染まっているのに、ニキータは微笑んでいる。
 視線が合えばぷいっと向こうへ行ってしまうが、今タマーラが棺型のペンケースをずっと見つめていた事には既に気づいていたので、ニキータは露天商へタマーラに気づかれぬよう声を掛けてこっそりペンケースを購入し、先に遺跡の中へ入っていったタマーラを追いかけて行った
 そんな微笑ましいやり取りをぼんやり見ていた真の背中を、ツンツンと突つく感覚があった。振り向けば乳白金の髪を荒野の風に波打たせた少女が、満面の笑みでこちらを見上げている。
「ジゼルさん! やあ、偶然だね」
「こんにちは真、今日は一人なの?」
 ジゼル・パルテノペー(じぜる・ぱるてのぺー)の質問に、真は「あはは」と苦笑し、話し出した。
「実はカガチと壮太と三人でちょっとした旅行に来てたんだ。
 『男三人ぶらり旅ー』とか『ムサい旅』とかダベってたらカガチが急に走り出して壮太が追いかけてって……、それが二時間程前、気づいたら置いてけぼり。携帯繋がらないし」
 東條 カガチ(とうじょう・かがち)瀬島 壮太(せじま・そうた)の名前を出した真に頷いて、ジゼルはパートナーのアレクサンダル四世・ミロシェヴィッチ(あれくさんだるちぇとゔるてぃ・みろしぇゔぃっち)の姿を思い描く。
「カガチはきっとお兄ちゃんを見つけたのね。今日ね、私、お兄ちゃんが遺跡の調査をするって言うから一緒にココへきたの。
 お兄ちゃん、丁度二時間くらい前に中に入って行ったわ」
「あー、それじゃあそうだろうね。あの二人仲良い? から。ところで『遺跡の調査』って……それも軍の仕事なの?」
 首を傾げる真に、ジゼルは経緯の説明を始めた。
 アッシュ・グロック(あっしゅ・ぐろっく)の関する事件には真も毎回巻き込まれていたから話が早い。魔法少女の飛鳥 豊美(あすかの・とよみ)ちゃんが一緒に居る事や、調査団『ソフィアの瞳』に協力を仰いで如何にも怪しげなアッシュホテップなる神官が壁画に描かれていたこの遺跡を調査しているのだとかいつまんで伝える。
「ほら、あそこに。リカインと馬宿も居るでしょう」
 ジゼルが指差す先に、リカイン・フェルマータ(りかいん・ふぇるまーた)飛鳥 馬宿が居り、二人何か話している。
「……で、どうなの、馬宿君。このまますんなり調査が終わると思ってたりする?」
「それに越したことはない。……だが、これまでを振り返れば終わらないだろうな、と思う」
「まあ、そうよね。とりあえず向こうにジゼル君が居るし、合流して話でもしましょ」
 真とジゼルが話しているのを指して、リカインと馬宿が二人の方へ行こうとした瞬間、効果音で現すならぐにゃり、が最も適切な感覚が四人を襲った。
「ジゼルさんこれ!」
「うん!」
 此れは例のアッシュ事件が起こったという合図のようなものだ。毎度の事例に真が反射的に不可視の糸を指先に掛け、備えようとしていたところへ向こう側から駆けてくるものが居る。
「『ソフィアの瞳』の人よ、お兄ちゃんと豊美ちゃんと中に入ったリーダーのクローディス・ルレンシア(くろーでぃす・るれんしあ)のパートナーなの」
 携帯を耳に当てているツライッツ・ディクスがこちらまでくると、挨拶している暇は無いと軽く会釈だけで済ませ、早速状況の説明を始めた。
「遺跡調査中の各班から連絡がありました。全ての入り口が、魔法らしき封印で、封鎖されてしまったようです。
 豊美ちゃんとアレクさんはご無事のようです。今、観光客側で待機されていたキアラ・アルジェント(きあら・あるじぇんと)さんや馬口 魔穂香さん、馬口 六兵衛さんと合流したと、クローディスさんから連絡がありました」
「良かった……。
 …………待って、あのイルミンスールの先生は? 私挨拶出来なかったけれど、豊美ちゃんと一緒に来たブラウンの髪の男の人が居たわよね」
 胸をなで下ろした直後にジゼルが思い当たり慌てて出したディミトリアス・ディオン(でぃみとりあす・でぃおん)の存在に、ツライッツは「それが…………」と言い淀みつつ言葉を紡ぐ。
「何者か……しかも女性に乗っ取られたようで……遺跡に封印を施したと思しき神官側についてしまったようです」
「それは……、とても不憫ね」
 心底同情したようなジゼルの声と表情にツライッツは何とも言えない顔をする。暫く眉を寄せていたジゼルだが、はたと動きを変えて肩がけの鞄のジッパーを引き始めた。
「ぼんやりしてちゃ駄目なんだったわ、とりあえず連絡しなきゃ」
 端末を取り出しタップしてアドレス帳を開くと、その動きを横目で見ている真に気づいて、ジゼルは通信しようとしている相手の名前を出した。
「ハインツよ」
 真ではなくツライッツが首を傾げたのにジゼルは簡素な説明をする。
ハインリヒ・シュヴァルツェンベルク、『プラヴダ』の中尉さんなの。
 輸送の車を出していた兵隊さんとかには色々な状況をソウテイした『命令があるから、その辺はジゼルは気にしなくて良い』。
 ――んだけど、お兄ちゃんとキアラが『二人とも中に居る時に何かあったら、ジゼルが個人的にハインツを呼びなさい』って言われてたの」
 ツライッツが頷いて理解を示し、遺跡の入り口へ視線を向けると、そこにはリカインが立っていた。
(馬宿君の思った通りになったわね。入り口は封印されているって話だけど……!)
 封印がどの程度強固なものなのか試すべく、リカインはテンションを高め、入り口へ渾身の一撃を見舞う。
「!?」
 ……しかし、攻撃は入り口に届く寸前でポワン、とした感覚に弾かれてしまった。壁とも違う、まるで目の先の空間が別の空間に繋がっているような、そんな現象に思えた。
「リカイン、見たところ入り口の封印は人一人の攻撃で破壊できるものではない。余計な力を使う真似は控えるんだ」
「……そうみたいね。これってやっぱり例の壁画のアッシュ似の神官ってのがやったのかしら。
 だったら、今回のは相当まともかもしれないわね」
 馬宿の言葉を受け入れる形で、リカインは力を抜いて入り口から離れる。そこにジゼルと真を背中の後ろにツライッツがやって来て、リカインが入り口の突破を諦めたことにホッ、小さく息を吐く。
「諦めていただけて何よりです。詳細のわからない魔法を、下手にいじると何が起こるか判りませんから……」
 最悪、遺跡の崩壊にまで及んで、中にいた全員が危険に陥った可能性もあった、というツライッツの言葉に同意した真が口を開きかけた時、唐突に腕に重みを感じて真がそこを見ると、凭れ掛かってきていたジゼルが青い顔を土の方へ落として力無い声を向けてきた。
「ごめん、なさい……なんだか…………気分が…………」
「ジゼルさん!?」「ジゼル君!」
 ぐずぐずに崩れていく身体を慌てて腕で止めると、真はリカインの手を借りて膝立ちになりながらその上にジゼルを横たえる様に支えた。
 ジゼルの青い目は開いているが、何時もの宝石のような輝きは消え失せ、虚ろに何処かを見つめている。
「ジゼルさん、しっかり。俺の声が聞こえてる?」
 頬を刺激する為に軽く叩くが、反応が全く無いところを見るに到底意識があるとは思えない。
 真がピアノの鍵盤を叩く様に指先を宙に踊らせると、周囲に見えない糸が張り巡らされた。
「人払いをお願いします。念には念を入れておいた方がいいし」
 ツライッツとリカイン、馬宿が言葉に従って動き出すのを見て、真はジゼルが少しでも楽なようにと姿勢を変える為に腕に力を入れる。と、その時、薄く開いた珊瑚色の唇から何か言葉が発せられた。
「え、何ジゼルさん。もう一度――」
 唇に耳を寄せると、幾つか単語が聞き取れた。
「Ich brauche Hilfe...Meiner Sohn..」
 恐らくこれはドイツ語だ。ドイツ人の科学者たちに作られた兵器セイレーンである彼女が、ドイツ語を常用している事は何となく知っているが、これがジゼル自身の言葉であるかは疑わしい。
 真とてドイツ語に詳しい訳では無いが、英語に近い単語なら何となくで聞き取れたからだ。
「『助けて』、『私の息子』…………。『息子を助けて』?」
 元々子をなすことの出来ない兵器であるジゼルに居るのは別の特殊な次元からきた未来人の娘だけで、息子など居ない筈だ。いくらうわ言でも、ジゼルがこんな言葉を言う筈が無い。
(ジゼルさん、もしかして何かと同調してる?
 困ったな、俺じゃ全部聞き取れない。誰かドイツ語がちゃんと分かる人が居れば……)
 眉を顰めていた真の耳に、地面に転がっていた端末から響く声が――ドイツ語が飛び込んできた。
[――Hallo.Hallo Giselle? Wie geht es Ihnen?]
 ジゼルが通話しようとしていたプラヴダの中尉は、名前からすれば当然ドイツ系だろう。一度会った時もジゼルとドイツ語で会話していた。それにはたと気づいた事で、真は端末を取って通話を始めた。
「もしもし?」
[Nun(*あー)……ジゼル、随分声が低くなったみたいだね。風邪でもひいたのかい]
 冗談めかしたような声に緊張を和らげて、真は冷静に話し出した。
「あの、俺、椎名 真です。ジゼルさんが急に倒れてしまって」
[大丈夫!?]
「うん、多分奈落人に憑依されたのと似たような感じに見える」
[……そうか。取り合えず今僕空京大学なんだ、直ぐにそっちに行くから、それまでお願い出来るかな?]
「それはいいんだけど、それよりと言うか――、ジゼルさん? が、うわ言みたいにドイツ語喋ってるんだけど、何を言ってるのか……」
[繋いで]
 ハインツの声に従ってジゼルの口に端末を当てると、向こうからハインツが真に声を掛ける。
[ええと椎名くん、訳すからメモするか記憶してくれる?]

* * *

[――大体同じ言葉の繰り返しになってきたね]
 電話ごしに思わず頷いてしまいながら、真は記憶していた情報を頭の中で纏める為、視線を宙に漂わせていた。すると腕で支えていた身体が急にガクンと体重が重くなる。ジゼルの肉体を乗っ取っていた『誰か』が消えて、身体から意識が無くなったらしい。
「ジゼルさん……」
 真が囁く程の声を掛けただけで、ジゼルの瞼がぴくぴくと揺れた。恐らく目を覚ますのはジゼルだろう。
「良かった、大丈夫そうだ」
 安堵すると、急激に冬の寒さを感じて真は軽く身震いし、上着の襟をかき集めた。
「おっと――」
 ジゼルの肩からも落ちかけていたダウンを整えてやっていると、背中越しにレース場でしか聞く事の出来無い急ブレーキの音が響いて、土埃が巻き起こった。真の目が真ん丸になってしまう。
 その、余りに派手な登場に面食らっている間に、運転席のドアを開けて中から出てきたハインリヒは[もう電話切っていいよ]と耳から離した端末を振って合図しながら、こちらに早足で近付いてくる。
「ハインツ……?」
 明らかにブレーキ音で起きたらしいジゼルが、どういう訳かブレーキ音で運転手の名前を言い当てるのに真の中でハテナが浮かんでいる間に、ハインリヒはすぐさまジゼルの様子を確認し始めていた。
「気分は?」
「よく……わからないの…………」
「うん、そうか。いいよ。アレクが戻ってくるまで、僕の車で少し横になってようか」
 アレクと同じ様に殆ど有無を言わさないような言い方でジゼルを抱き上げ運ぶと、ツーシーターの休むのに実用的とは言えないスポーツカーの座席に横たえて、二三声を掛けドアを閉める。
 そうして一仕事終えたハインリヒがこちらへ笑顔で振り向くのに、こちらから挨拶しようと目線をやや上げた真は、先程の電話での会話を思い出して彼へ返そうとした笑顔を歪ませた。
(あれ、さっき『今僕空京大学なんだ』って言ってたよな。それでもうシャンバラ大荒野に着いた? 俺そんなに長い時間通話してた記憶無いよ?
 …………一体何キロ出してたんだこの人!?)