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冬のとある日

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冬のとある日

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【10】


 クリスマス当日の夜。
 街はイブまでの勢いを失って、どこかひっそりと静かだった。そんな空気の中で佐々木 弥十郎(ささき・やじゅうろう)は息を殺し、ある人物を追いかけている。
 対象は佐々木 八雲(ささき・やくも)。弥十郎の兄だ。
 毎年この時期になると、弥十郎は一つの疑問に直面し、悶々としていた。
 クリスマスの日、弥十郎の兄八雲はフラッと居なくなり、フラッと帰ってくる。その時彼は決まって普段とは違ったきっちりとした服装に身を包んでいるのだ。
(いつも一人でどっかにいってるけど……どこにいってるのかなぁ)
 無難にクリスマスパーティー。そうでなければ兄の行動パターンからいってナンパでは無いかと予想はしているが、実際に目で確かめてみないと悶々としたままだ。
 妻との一日は昨日たっぷりと味わったから、今日はこの謎を解消しようと弥十郎は決めていた。


* * * * *



 弥十郎の計画は、まず兄を適当な理由を付けて呼び出す所から始まった。
 八雲が空京に居るのは知っている。
 実際にやってきた兄と別れた後からが本題だ。
「それじゃあ」と言って背中を向けて数十歩、曲がり角を曲がると弥十郎は足をぴたりと止めてタイミングを見計らい踵を返した。八雲は気付いていない。
 人通りの多い往来を抜け、細い道へ進むと怪しい雰囲気にいよいよ気分が高揚してくる。
 周囲のビルがファッションからオフィスビルと変わったその場所で、八雲は地下へ降りる階段を下って姿を消した。
「此処が目的地かぁ――」
 呟いて、弥十郎は余り目立たない看板を見下ろした。名前しか書かれていないが、恐らくは飲食店か、酒場か。
「うーん……どうしようかなぁ」
 宙を仰いで考えてみる。
 一瞬魔法少女に変身して入店する方法も考えたが、辞めた。色々と問題があるだろう。
 だが此処迄来て諦める事も出来ない。
 暫く右へ左へ動いた後、弥十郎は決意して薄暗い階段を降りて行った。


 ドアノブを捻ってみれば、店は予想以上に小さい――カウンター席が10席程度のバーだった為、弥十郎は慌てて顔が見えないように首を横に捻り、一番手前の席へつく。
「いらっしゃいませ」
 続いてご注文は等と聞いて来ないところに店の雰囲気を感じ取った。
「適当に、弱いのからお願いしようかな」
 と言うだけで、カウンターに一人しか居ない金髪のバーメイドがすっきりした飲み口のカクテルを運んでくる。
 客としてはこれで充分誤摩化されるだろう。弥十郎は店の奥へと視線をやった。
 クリスマスだからかカウンターがカップルで賑わっていたのが良かった。八雲は一番奥の席へ座っている為完璧な死角になっているし、BGMのジャズが申し訳程度にしか聞こえない程店内には会話の声が響いている。
 と、そんな折。手の空いたバーメイドが八雲の前に立った。
(あの人どこかで見たような――)
 考えている間に、バーメイドが八雲に話し掛けるのが見えた。
「また今年もいらして下さったんですね」
 店内は相変わらずの騒がしさだが、相手は他ならぬ兄だから耳を顰めてみれば声が浮いて聞こえるのだ。
「ああ」と一言だけ。そこに弥十郎は違和感を覚えた。
 何時もの兄ならば、あんな綺麗な女性に話し掛けられればもう少し饒舌に答えただろうに。
 それにもう一つ気になる事がある。
 八雲の左隣の席が、不自然に空いているのだ。店はほぼ満席だから、空いた場所があるなら奥から詰めるものではないのだろうか。
(誰かと待ち合わせかなぁ?)と考えていた矢先に、八雲がやっと注文を始めた。
「あ、ウォッカマティーニを。ステアではなくシェイクで。あと、連れが来ると思うので、ゴッドマザーを一つ」
(やっぱり!)
 クリスマスという日を共に過ごす特別な相手――一体誰なのだろう。弥十郎の中にまた例の悶々としたものと、期待が灯る。 
 八雲の注文に、バーメイドは薄い笑顔で返して、まるで注文を既に知っていたかのように手早く作り始めた。しかし氷を入れたロックグラスにウォッカとアマレットが注がれるのを見ていると、弥十郎の疑問は益々深くなってしまう。
(アマレットは苦手なのに……やっぱり女の子絡みなのかな。本命は知ってると思ってたんだけど)
 もしや自分がそう思い込んでいただけで別人なのか。兄の想う人は他に――。
 考えれば考える程埒が空かず、弥十郎は遂に我慢しきれなくなって席を立ち上がった。
 バーメイドの青い瞳が軽く見開かれてこちらを見るのに続いて、八雲も弟が店に居る事に気がついたようだ。
「今日、女の子と待ち合わせなの?」
 単刀直入な質問に、八雲は一拍の間を置いて笑った。
 これは当たってるのかもしれない。弥十郎はそう思う。
「じゃ、ワタシはお邪魔だねぇ。今度その子紹介してよ」
 と、別れの言葉を言って一杯分の金を置くと、弥十郎は薄暗い階段を昇って行った。


「珍しいですね」
 バーメイドが思わずそう言ったのは、毎年クリスマスになると来る八雲の待ち人がこない事を知っているからだろう。
 クリスマスが終わる迄、彼はきまってたった一人きりなのだ。
「弟なんだ」
 言って、八雲は視線を右へ向けた。
 手を取り合い、笑い合う。クリスマスの日を過ごす楽しそうなカップル達に目を細める。
 自分達の幸せを味わう彼等と、皆の幸せな雰囲気を味わう八雲。――その違いに気付いているのは、バーメイド――{SNL9998623トーヴァ・スヴェンソン}一人だけだろう。
「どうぞごゆっくり」
 声をかけて仕事に戻るバーメイドの揺れる金髪から左隣へと視線を映して、八雲は微かに微笑んだ。
 待ち人は来ない。くる筈も無い。
 八雲はこうして大切な人が好きだったカクテルを前に何年も、クリスマスの日を静かに過ごしてきたのだ。
(メリークリスマス、誕生日おめでとう)
 八雲が心の中でかけた言葉に答えるように、ゴッドマザーの中で解けたグラスがカランと優しく音を立てた。