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冬のとある日

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冬のとある日

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【14】


 2023年もあと僅か。世間が静かになってきている分、忙しくなる業界もある。
 例えば年末に特別番組の収録やライブラッシュになる芸能人――『シニフィアン・メイデン』の綾原 さゆみ(あやはら・さゆみ)アデリーヌ・シャントルイユ(あでりーぬ・しゃんとるいゆ)も、超多忙と言って良い日々を送っていた。
 今日も早朝から休み無くスケジュールが詰まっており、朝からの仕事を一つ終えて昼からは『翌日』まで放送局の中で年末番組の収録がある。歌い踊るだけで無くただの笑顔を作るのすら疲れてしまいそうな中、突然多忙な時間にぽっかりと穴が空いた。
「やっぱり復旧まで一時間はかかるみたいです」顔馴染みのスタッフが申し訳無さそうに話す。
「機材トラブルか……仕方ないわね。ティーブレイクでもしよっか」
 既に楽屋に足を向けながら言うさゆみに、アデリーヌは少し考える。しっかりした休息も大事だが、今の自分達に必要なのはそれ以上に『息抜き』ではないだろうか。
「だったら……少し足を伸ばしませんこと?」


* * * * *



 アデリーヌの提案で二人が向かったのは、収録が行われてる空京放送局の近くに位置するチェーンのコーヒーショップだった。
「――え?」
 順番が回ってきてカウンターの前に立ったさゆみは、店員の顔をみて思わずそう声を漏らしてしまった。
「あら、キアラちゃん! ヴァイシャリーにいるんじゃないの?」
「あれ? さゆ――」
 言いかけた二人の間に入って、アデリーヌは人差し指を唇に「しーっ」と嗜める。一応事務所では禁止をお願いしている行為だが、二人の収録の日には放送局の付近に『出待ち』をするファンも居る。逆に怪しくなってしまうから思いきり変装はしていない。今の服装は帽子やサングラスで顔の一部を隠す程度のちょっとしたものだったから、二人を知る人間が注意深くみれば分かってしまうだろうし、その中に件のファン達が居れば店内がパニックになってしまう。アデリーヌは今迄の経験でそれが分かっていたから慌てたのだ。
 するとさゆみは何でも無かったというように注文をする振りに戻り、キアラも崩した表情からコーヒーショップの店員のフレンドリーな笑顔に戻る。
「ヘルプなんスよ」
 軽い調子で言われて納得すると、さゆみのほうはカウンターの上のメニュー表に顔を向けたまま「お疲れさま」と返した。飲食店の季節もの戦争というのはかなり現金なもので、クリスマスが終了した今は既にバレンタインの準備に突入しているらしい。どこぞの有名チョコレート店とコラボレーションしたらしい商品が目立つ位置に書かれている。
「わたくしはこれの……ピッコロを」
「エスプレッソですね。只今期間限定でチョコレートがついておりまが、ビターとホワイトどちらになさいますか」
「では……ホワイトを」
「お客様はお決まりですか?」
 キアラの視線がさゆみに向けられる。
「うーん……、苦めの……眠気が覚めるようなものってあるかしら」
「二人とも苦いのが好きなんスか?」
 アデリーヌの注文のエスプレッソと合わせてキアラが意外そうな顔をしているのに、さゆみは思わずぱっと顔をあげて苦笑いをした。
「普段は砂糖を少し多めに入れるのが好きだけど……。
 実はこのところ収録が立て込んでて少し寝不足気味なの」
「ええ。でもこの波を越えたら休みが入りますわ」
「じゃあここであと一踏ん張りってヤツっスね!」
 キアラが小さく拳を見せるのに、さゆみは視線を明後日の方向へ漂わせ「……そのあとは大学の課題……」と呟いた。
「……ああ。んーじゃあ……これなんてどうかな」
 キアラは同情を声に混じらせてメニュー表の『本日のコーヒー』を指した。
「マンデリンって香りはいいけど苦過ぎてキアラは飲めないっス」
「じゃあそれで」
「量もがっつり?」
「ええお願い」


 キアラの薦めてくれたコーヒーは思ったよりも苦いものだった。一口目で思わず咽せてしまったくらいだ。
 だが、一番大きなサイズにしてしまったから一口二口飲んだところでまだまだ先は長い。
「ぶふぇー……にがいー……」
 涙目のさゆみに苦笑して、アデリーヌはカップに添えられていたハート形のチョコレートをさゆみの口に放り込む。
「望み通りちゃんと目は覚めましたの?」
「色んな意味で覚めたけど……これ、本当苦い」
 はしたなくも舌を出してしまいそうだ。そんな風にしていると、後ろからトントンと肩を叩かれた。振り向くとキアラがにっこり微笑んで、持っていた紙のカップをテーブルに置いて仕事に戻って行く。
 カップの中にはミルクらしきものが入っていた。
「これ、足せばいいのかしら」
 恐る恐る混ぜてみれば苦かったコーヒーの味がどこかふんわり甘みを感じるものに変わった。
「ミルクとお砂糖かしら――」
 さゆみが言うのにアデリーヌは空になったカップを見てみる。すると、ふと独特の香りが鼻先を掠めた。
「ヴァニラですわ」
「助かったわ」
「そうですわね」
 そうして暫く穏やかに笑い合ったり微睡んだりしていると、唐突にさゆみが立ち上がった。
「ヤバっ! そろそろ一時間経っちゃう!」
「え!?」
 さゆみの青い顔を見て、テーブルに置きっぱなしにした端末に表示された時刻を見れば、あの時スタッフと話した時間から確かにかなり経っていた。もう一時間の数分前だ。
「急がなきゃ!」
 慌ててトレーを持ち上げると、「そのままで大丈夫っスよ」と店員――キアラに制された。
「ごめん急ぐから」
 碌に挨拶も出来ないと詫びるさゆみの手に、キアラが紙のバッグを握らせる。覗き込むと二人分のサンドウィッチと、フルーツジュースが入っているのが見えた。
「ご飯食べる時間もあんま無さげに見えたし」
「……ありがとう」
「ちょっと遅れたけど、お誕生日プレゼントってコトで」
 どうやらキアラはさゆみが25日に誕生日を迎えた事を何かで知ったらしい。手を振るキアラに見送られて、二人は慌ただしくコーヒーショップを後にした。
「コーヒーのお陰で目が覚めたわ」
「そうですわね」
 くすりと笑うアデリーヌに、さゆみは紙袋へ視線を落とす。応援してくれるファンが居て、友人が居るからさゆみは――シニフィアン・メイデンはまだまだ頑張れそうだ。アイドルらしい極上の笑顔で微笑んで気持ちを切り替え、さゆみはアデリーヌに手を差し出した。
「行こう、アデリーヌ」