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冬のとある日

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冬のとある日

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【13】


 事前に予定を聞けば「駅迄迎えに行く」と言われ、瀬島 壮太(せじま・そうた)はで慌てた。遠慮では無く単純に一人で行けるから良いと告げると首を横に振られ、次に言われたのは「どうせ場所覚えてないだろ」の一言だ。そう言われてしまうと確かにそうなのだ。空京で十二支と猫ロボット暴走の事件があった際に皆と招かれたお茶の時間は深夜で、疲れきってグダグダだった事も有り、後半はかなり記憶が曖昧だ。
 道のり全てを教える手間と、車で迎えに行く手間を考えれば後者の方が圧倒的に楽なのだろうと気がついて、壮太は「それじゃあ」と頷いた。
 だが当日、駅で待ち構えていたのは車ではなくバイクだった。
「ジゼルのだけど――」
 言いながらアレクが持っていたヘルメットのうちの一つを壮太に手渡してきた。壮太の頭に俄に緊張が走る。人形のように顔の小さなジゼルの私物が果たして自分の頭に合うものかと思ったが、ゴーグルのついたそれはハーフタイプだった為、若干浮いている気がする程度でどうにかなった。ただ――
「可愛いな、ピンク色」
 肩を震わせるアレクに端末のレンズを向けられて、壮太はピースサインを作りながら若干引き攣り気味の笑顔を向けるのだった。


 空京の中で、幾つものマンションが立ち並ぶ住宅街の中でもそこそこに大きいマンションが、アレクがパートナーと住む家だった。事前に「ちょっとした用事あんだよね」と言った所為だろうか、エレベーターで階上に上がる途中、向こうを向いたままの背中に「俺の部屋とリビングとどっちがいい?」と質問されてしまう。
「どっちでもいいけど――」
 少し困惑する質問に言い淀んでいると、アレクは振り返り皮肉めいた笑顔を見せる。
 それがどういう意味か分からなかったのだが、改めて招かれた家の中を見ていると合点が言った。部屋はメゾネットタイプで、リビング付近の螺旋階段で二階に分かれている構造なのだが、上にも下にもトイレやベッドルームといった居住空間が有るようなのだ。
 この二世帯住宅のような構造は、元々は契約者とパートナーとして、義兄妹として親密で有りながらもプライベートに線を引いたルームシェアを心掛けようとしたアレクの配慮の結果らしい。ジゼルにセクハラまがいの言葉ばかり言っていたのは、願望混じりのキツい冗談だったのだと、壮太はこの瞬間理解してしまった。
 アレクはきっと本当に、ジゼルを妹のように扱うつもりだったのだろう。彼女が大人になる為に必要な時間の間は傍に居て、何れ誰かのところへ行く時まで見守る。そんな『お兄ちゃん』に妹が恋した結果、全ては徒労に終わってしまったようだが――。
「上は元々俺の部屋だったんだ。でもジゼルが……夜になると色々な事を思い出して怖くなるって昇ってくるようになって、それが毎日続いたらもう仕方ないからベッドも買い直して――、部屋分けたのに何の意味も無かった。
 今は『元・俺の部屋』が浸食されて縫いぐるみと花柄とペールトーンに満たされつつ有るな」
 部屋の無い理由をそう語ったアレクに、壮太は鞄から『用事』の内容を取り出して、改まってアレクの目を見る。
「これ、遅くなったけど」
 その言葉に続くのは「結婚おめでとう」というお祝いだった。桐の箱に入っていたのは、漆塗りのシンプルな箸である。
「あー……確か――、夫婦箸」
 己の記憶を探り当てた後の問いかけに、壮太は「うん」と頷いて「オレからすれば奮発した」と冗談めかした。何を贈るかこれと決める迄壮太当人も知らなかったのだが、調べてみれば箸というものもピンからキリまでの値段の差があるのだ。相手を気負わせないための言い方をしたが、財布に痛かったのは本当である。
 しかし、そうであろうと心から祝いたい気持ちが合ったのだ。アレクとジゼル、二人の事を間近で見ていたから、当人でなくとも、否、当人で無いからこそ本心ホッとするのかもしれない。
 何時か、雷の日にパニックに陥りかけていた壮太は、アレクに言葉を掛けて貰った事がある。あの時、アレクが壮太に見せた傷跡は、普通のものではなかった。
 パラミタに居れば、些細な事でも事件に巻き込まれ大怪我に繋がるような事も多いが、その時には傷跡すら消す回復のスキルや技術がこの世界にはある。
 それだのにああした跡が残るのは、あれが彼が地球に居た頃につけられたものだからに違いない。そして断片的に見える過去とあの時の言葉を考えれば、壮太にはアレクの身体に残された傷がどういうものか分かってしまうのだ。無抵抗の子供が親に傷つけられる。痛ましいと言う他無い。
 傷は消えないとアレクはあの時、壮太に言った。
(でも――、傷は消えなくてもジゼルと一緒なら癒えていくんだろうな)
 一人で居るのに危なっかしい人間が、支え合える見つけたというのはきっと幸せな事なのだろう。
「あんたが幸せになって良かった」しみじみと呟いて、もう一度。
「ほんとに良かった」
 今度は噛み締める様に言って微笑む。
 短い沈黙の後、顔を上げた壮太が見たのは、とても安らかな表情だった。 
「Hvala」と、聞き慣れないありがとうの響きは、アレクの心からの本心なのだろう。引き寄せられて抱きしめられる。この親愛の表現を受けるのは二度目だったが、未だ慣れない為暫く宙を泳いだ上で、手をやっと背中に落ち着かせることが出来た。
「お前に会えて良かったよ、壮太」
 耳元で聞こえる声に感謝され、離れたアレクの顔が子供のように無邪気だったので、流石に――妙な意味でなく――赤面してしまう。
 だから壮太はその後、「和食のときにでもつかってくれ」と、誤摩化すような言葉でこの下りを終わらせようとした、その瞬間である。
「…………男同士でベタベタと、一体何をしているのかしら」
 氷のように冷たい空気を纏いながら、ミリツァがリビングの入り口からこちらを見下ろしていた。
「何も。兄弟の絆を深めてたところだよ。妹も混じるか?」
 アレクに手招きされて、ミリツァはソファに座る二人の間に割って入る。もう一人の妹の方では絶対やらないような行動に笑いを滲ませて、壮太はミリツァに質問した。
「葦原での生活はどうだよ。もう慣れたか?」
「『葦原島で』という意味なのなら、Ne(*いいえ)。
 文化の違う場所での生活に慣れるにはまだまだ時間が掛かりそうね」
「そっか」と答えて、まあ皆一様にパタミタに来たときはそれなりに苦労していたなと自分を含め友人達から聞いたエピソードをぼんやり頭の中に浮かべていると、ミリツァがこちらを向き直った。
「でも、アレクでない誰かと過ごす時間は慣れたわ」
 その笑顔は何処か自信に満ちているように感じられた。
(今のミリツァならうまくやっていけるだろ)
「じゃあ今度葦原行く時は、ミリツァに案内して貰おうかな」


* * * * *



 その後、連絡先の交換から始まる止めどない会話が続き、暫くして帰宅したジゼルに是非と誘われて夕食を振る舞われ、送るからと言われて甘えていればすっかり夜更けになってしまった。
 ミリツァが食事中に言っていた「あなたをミロシェヴィッチ家の次男として迎えてあげてもよくてよ! 勿論その場合は私の下なのだけれど、そこは当然よね!」というあの宣言に従えば、年下の弟どころか年下の姉まで出来てしまう事になるのだが。
「俺どうなんだろうね――」
 呟いた壮太の後ろで、ジゼルがクスクスと小さな笑い声を漏らす。はしゃぎすぎたミリツァは先程ダウンしてしまい、今アレクが部屋へ運んでいる最中だった。
「家に入れっていうかミリツァの弟になれっていうのは冗談だと思うけど……」
 コーヒーをテーブルに置いたジゼルが、壮太の前にしゃがんで顔を上げた。
「ねぇ壮太、来月の27日って何か用事はあるかしら。その日ね、アレクの誕生日なの。実は今ミリツァ達と秘密で計画を練ってて――。
 私はトゥリンと一緒に料理担当。その間はツェツァがね、テキトーな理由を付けてアレクを連出してくれる予定なのよ。
 だから壮太、あなたさえ良ければ、一緒に」
 そうしてくれたらお兄ちゃんもきっと喜ぶわ。と微笑まれて、壮太はくすぐったい気持ちで笑うのだった。