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煌めきの災禍(後編)

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煌めきの災禍(後編)

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【4章】おかえり


 新設されたばかりの保健室では、『煌めきの災禍』の治療が進められていた。
 「最上の機晶医師」の呼び声高いダリルのおかげで、外傷のように身体的な部分の修復に関しては、もうほとんど終わりに近づいている。
 難航しているのは、ソーンに消された記憶の復元作業だった。
「話は聞きました。どんな理由にせよ、更には私利私欲の為に記憶を消すだなんて誰もやってはいけない事です。絶対に記憶を復元してみせます!」
 駆け付けるなりそう言って、制御装置の解析を始めたのは佐々布 牡丹(さそう・ぼたん)であった。記憶を消した装置ならば、残っている痕跡から記憶を復元させることが出来るかも知れない、と牡丹は考えた。
「記憶と記録は別物です。装置を使って機晶姫に保存されていた記録は消されたかもしれませんが、機晶石……心に残った記憶を消しきることなんて不可能なず。万が一、億が一の可能性だとしても、私はそれを捕まえてみせます!」
 機晶姫の魂は機晶石に宿る。それは今までの歴史が証明してきたことだ。ならば、精霊の魂も機晶姫と言う入れ物ではなく、機晶石に宿っているはずである。
 絶対に諦めないという強い信念を持って、牡丹は徹底的に解析を進めた。


 一方、リリアは恋人のメシエ・ヒューヴェリアル(めしえ・ひゅーう゛ぇりある)と共に、【テレパシー】によってリトの精神と接触することを試みていた。
 リト姉弟が森を愛したように、森の木々や草花もリトたちのことを今も大切に思っているはず。その心が彼女へ以前のように伝わらないのも、絶望した一因かも知れないとリリアは考えた。
 そのため、リリアは【人の心、草の心】で聞いた森の民たちの心を、メシエのテレパシーでリトに伝える方法を考えたのだった。
 メシエは普段から「機晶姫は兵器で道具だ」と言ってはいたが、その心と魂を内心では認めている。だから実験体機晶姫を勝手に持ち出そうなどという行為は、甚だ気分を害するものであった。
「みんな、リトのことを仲間だって言ってるわよ」
 テレパシーで伝えられない分、リリアは言葉で呼びかけてみる。
 そんな彼女の様子を見ながら、メシエは幾度もリトの心に接触を試みていた。ハーヴィが彼女を大切に思っていること。リリアから中継する森たちがリトを異物とは考えずに仲間として大切に感じていること……それらを繰り返しリトに伝え続けている。
「あ、エース……無事で良かった」
 いつの間にか洞窟から戻って来ていたエースに気付いて、リリアはそう声を掛けた。しかしあまりに落ち込んでいる様子の彼に対し、次にどんな言葉を掛けるべきか分からなかった。
「……ダメだった」
 言葉少なに緑の機晶石を奪われたことを告げると、エースはリトが横たわる寝台の隣に腰を下ろして、心の底から彼女に呼びかけた。
「帰っておいで。君はここに居ていいんだ」
 口に出した言葉だろうとテレパシーだろうと、伝える方法なんて何でも良かった。ただリトの心を揺さぶれるのなら、それで。
「君の後悔も解る。でも大切な友人の君には、この森に居て欲しいと森が言ってる」
「エース……」
彼の様子を見て、リリアとメシエも再度リトへの呼びかけを開始した。


 ハーヴィは中途半端に間仕切りされたカーテンの奥で、一人ベッドの上に腰かけていた。
 このカーテンの向こう側では、多くの協力者によってリトの治療が続けられている。本当は自分もその輪の中にいなくてはいけないはずなのに、どうしてもハーヴィはそこから動くことが出来なかった。
どんな顔をしてどんな事を言えばいいのか分からない。というよりも、今自分が感じている感情でさえ、これが何と呼ぶべきものなのかハーヴィには理解出来ていなかった。
 集落の妖精たちには、まだ何があったのかという具体的な話はしていない。いずれしなくてはいけなくなるかも知れないが、今は上手く説明できる気がしなかった。族長の職務すら放棄して、妖精たちへの対応や諸々の雑務は全てカイに投げてしまったが、特に文句などは言われなかった。
「髪やろうか?」
 微笑みながらそう問いかけて来たのは天音だった。彼の手に握られている櫛を見て、ハーヴィは「頼む」と頷く。
「とても綺麗なペンダントだね」
 くしゃくしゃになっている三つ編みを解きながら、天音は穏やかな声でそう言う。
 ハーヴィはしばらく無言で胸元の琥珀を見つめていたが、やがてぽつぽつとした言葉で語り始めた。
「これは森を託された時に、あの娘から預かったものなんじゃよ。戻ってきたら返す約束だったんじゃ……ふるーい、古い時代の約束じゃから、向こうはとっくに忘れていたかもしれんがのう……」
 天音は黙って彼女の言葉を聞いている。
「我のこと、思い出してくれるんじゃろうか……それとも本当は、昔のことなんて思い出さない方が、あの娘は幸せになれるんじゃろうか……」
 記憶がデータチップに蘇るかどうかは解らないが、忘れたくても忘れられずに苦しめられる記憶は確かにある、と天音は思っていた。往々にして、消し去られた事を嘆くのは当人以外の人々なのだ。
「『煌めきの災禍』と言う名前はのう、我が彼女と一緒に考えて付けた名なんじゃよ。あの洞窟に近づく人がいなくなるように、『災い』が封じられていることにしようと言ってな……あの娘は単に『災禍』で良いと言ったが、我はそれが嫌でのぅ……。きらきら輝く機晶姫の女の子なんじゃから、『煌めき』の方がばっちし合ってるじゃろう?」
 わざと明るく言おうとしたハーヴィの声は、心なしか震えていた。
 天音は余計な言葉を差し挟まずに、丁寧に彼女の髪を梳っていく。いつものお茶目な髪型に整えてやると、ハーヴィは辛そうな笑みを浮かべて礼を言った。
「ありがとう。これであの娘、『煌めきの災禍』にもちゃんと褒めてもらえそうじゃ」
 ふいに、牡丹のパートナーである小型の機晶姫レナリィ・クエーサー(れなりぃ・くえーさー)が、二人のところへやってきた。
「ハーヴィさ〜ん、煌めきの災禍さん……じゃないよね? 彼女に対して『本当の名前』で呼んであげて〜?」
「本当の名前……?」
 レナリィは頷くと、ハーヴィの手に小さな両手を重ねて言った。
「人間も、機晶姫も、妖精や精霊だってきっとおんなじ。命を持つ生き物だから、親しい存在から呼びかけられたら、それに答えようとしてくれるはずだよぉ」
「…………」
「だから、村長になった今のハーヴィさんじゃなくて、彼女と一緒に暮らしていた頃のハーヴィさんに戻って、彼女に語りかけて『戻ってくる手助け』をしてあげて〜」
 レナリィにそっと手を引かれて、ハーヴィはベッドの上から下りる。
薄いカーテンを腕で押すと、すぐに横たわっている旧友の姿が目に入った。
その瞬間、色んな感情が溢れ出て、ハーヴィはなりふり構わず彼女の傍に駆け寄った。
「リト……」
 リトの手を取りながら、震える声で名前を呼ぶ。
「リト、リト……! 帰って来ておくれ……!」
 彼女の綺麗な黒髪も、伏せられた長いまつげも、あの頃と同じままなのだ。
 ハーヴィは全て覚えている。あの頃皆で歌っていた歌も、良く手入れをしに行った樹のことも、一緒に食べたベリーの味も。
「あの樹はもう、すっかりおじいさんになってしまったよ。あの頃はいつも教えられてばかりだったが、今の我はリトが知らない採取場をいくつも知ってるぞ。また一緒に、ベリー摘みに行こう。一杯摘んで、ジャムを作って、それで、また一緒に……」
 ハーヴィの目には、いつの間にか大粒の涙が溜まっている。
「一緒にいたいんじゃよ、リトぉ……!」
 涙が頬を伝って、握りしめたリトの手の甲に落ちる。これ以上は、もう何も言えなかった。
 ふいにリトのまつげが震えて、ゆっくりと瞼が開かれる。瞳の中に三つ編みお下げの少女を見つけると、彼女は微かに微笑みを浮かべて口を開いた。
「ハーヴィ」
 一瞬、息を詰まらせて、ハーヴィは泣いた。
 友人の首にしがみついて子どものように泣きじゃくりながら、ハーヴィは何度も「おかえり」を繰り返すのだった。

担当マスターより

▼担当マスター

黒留 翔

▼マスターコメント

黒留翔です。
『煌めきの災禍(後編)』に参加して頂いた皆様、お疲れさまでした。
前編は何とも釈然としない終わり方でしたが、今回後編を書き上げることが出来たので、一応一区切りついたかなぁという感じです。

少々ネタバラシしておくと、当初は大まかに分けて3つ(分岐によっては5、6ルート)の流れを考えていたのですが、今のところこの一連のシリーズはその最も良いルートのさらに上を進んでおります。今回に関しては特に何が上なのかと言いますと、実はどんなに良い流れであってもリトの記憶に関しては完全に失われたままだろう……というのが当初の見立てだったのです。それが良い方向にひっくり返ったので、たぶん今後の展望も明るいんじゃないかなあと思っています。
ですがしばらくシリアス路線続きだったので、次回は少し気を楽にしていけるシナリオを出させて頂く予定です。
ご興味があればぜひ次回作の方もよろしくお願いいたします。それでは皆様、良いお年をお過ごしください。